28.
神獣が去った後、がさりと背後に人の気配がした。セシリアたちが振り返ると、冒険者パーティの弓使い、アーチャーが立っていた。普段フードを目深にかぶっている彼が、そこにいたのだ。
「あ、アーチャーさん……」
セシリアは内心でしまったと思った。ドラゴンを見られてしまったのだ。この宿は魔物を入れるのかとクレームが来るかもしれない——そう覚悟した。
しかし。
「……神獣様だ」
「え? ご存知なんですか……?」
アーチャーはうなずくと、フードを外してみせた。そこにいたのは、灰色の髪をした少年だった。ただし、頭頂部からはぴょこんと獣の耳が立っている。
「その獣耳……もしかして獣人?」
セシリアが尋ねると、アーチャーは静かにうなずいた。
「おれは犬人族。獣人国出身」
真理がなるほど、と得心したようにつぶやく。
「獣人国ネログーマでは、国を挙げて神獣を祀っているからね。だから知っていたわけだ」
ネログーマとはセシリアのいた国の隣に位置する、水と緑豊かな国だ。獣人たちが暮らすその地では、神獣を神として崇めているという。
「……女将さん」
アーチャーが近づいてきて、ひざまずいた。
「……数々の無礼を、お許しください」
「と、突然どうしたんですか……?」
「……神獣は清らかな聖なる乙女としか触れ合いません。おれのいた国でも、巫女と呼ばれる者だけがその御傍に仕えることを許されていました」
セシリアとピュアの交流を、アーチャーははっきりと見ていたらしかった。盗み見たこと、そして普通に接してしまったことを、無礼だと感じているのだろう。
「あなた様は……おそらく、聖女」
「っ……!」
隠さなければとわかっていても、セシリアはとっさに演じることができなかった。素直な性格ゆえ、嘘が苦手なのだ。
聖女と見抜かれた瞬間、レオニダスが部分獣化して戦闘に移ろうとした。しかしアーチャーはその場でひざまずき、手のひらを上に向けてみせた。
「害意はありません。聖女様が望まれるのであれば、このことは誰にも申しません」
「…………」
レオニダスにはわかっていた。この世界で聖女といえば、勇者ナハトと人類を裏切った大悪女を指す。その情報が漏れれば、セシリアの命が危ない。だからこそ、口封じを試みようとしたのだ。
しかしセシリアはそれを止めた。
「ありがとう、レオニダス。でも大丈夫だから」
「しかし君……」
「彼は公言しないと約束してくれた。私はそれを信じるよ」
レオニダスは不服そうだった。無理もない、セシリアは一度ひどい裏切りにあっているのだから。人間は嘘をつく生き物だとレオニダスは思っている。
しかしそれ以上に、命の恩人であり、パートナーであるセシリアのことを信頼していた。大丈夫だと彼女が言ったのだ。ならばその言葉を信じる。信じたい。信じなければならないのだ。
「承知した」
レオニダスは矛を収めた。セシリアがほっと息をついた。
(レオニダスに人を傷つけさせたくないもん)
ただでさえ魔族には悪いイメージがついている。彼がセシリアのためとはいえ人を傷つければ、さらに状況が悪化するのは明らかだった。
「聖女様、どうかご安心ください。おれは本当に誰にも申しません。必要とあらば、おれを奴隷にしていただいても構わない」
「大丈夫! そこまでしなくても、私は信じているから」
「……ありがとうございます、女将さん」
やれやれ、と真理がため息をついた。
「セシリアは甘いんだから。まあ、そこが良いところでもあるんだけどね」
「あのさあ、真理?」
じろり、とセシリアが真理を睨みつけた。
「あんたね。ピュアが神獣だとか、アーチャーさんに見られているとか、彼が獣人国出身だとか、全部わかっていたでしょ!?」
叡智の精霊はあらゆることを調べられる。今回のことも、当然すべて把握できていたはずだ。それなのにセシリアたちに伝えなかった。
「はっはっは。全知だからといって、すべてを把握しているわけじゃないよ。あくまで全部を検索・閲覧できるというだけで、あらかじめ情報を持っているわけじゃないんだから」
言わば、インターネットに接続できる高性能な端末のようなものだ。検索する前段階では、情報は手元にない。
「それじゃ仕方ないか……」
そこにレオニダスが待ったをかけた。
「セシリア。こいつは最初からこの件を知っていたぞ。俺に対してもったいぶった発言をしていた」
「うげっ! なんでそれを言うのさ!」
どうしようかな、教えようかな、とレオニダスに対して繰り返していたのだ。それは知識を持っていた証に他ならない。
「真理ー! あんたってやつはー!」
セシリアが真理をつかんでぎゅっと握りしめた。精霊に実体はない。しかし真理はセシリアのことが大好きだ。
「ご、ごめんってセシリア! 怒らないでっ」
「怒るよ! いつも言ってるじゃない! 叡智の力で人を揶揄うのはやめなって!」
嫌われないよう、真理は何度も謝り続けた。
「私じゃなくて、レオニダスに謝って!」
「ご、ごめんなさい……レオニダス……」
セシリアも一緒に頭を下げた。
「ごめんね、うちの子が迷惑かけて」
「迷惑というよりは、ただひたすらに鬱陶しかったというだけさ」
レオニダスが微笑んで言うと、セシリアは安堵の息をついた。
(真理はうざいけど、私の大切な友達だから。レオニダスにも嫌いになってほしくない)
「うざいって酷いよう……」
「反省してる?」
「うう……はんせーい……」
アーチャーは不思議そうにセシリアたちを見ていた。神獣と縁がある凄い聖女のはずなのに、まったく偉ぶったところがない。噂に聞く悪女の面影もどこにもない。
「……やはり、噂は信用ならないな」
セシリアの知らぬところで、また一人、味方が増えていたのだった。




