12.
セシリアたちは奈落の森へ食材を求めてやってきた。
奈落の森——魔物が跋扈する、通称・魔の森。
森の中は年中暗く、瘴気が辺り一面を覆っている。
一歩踏み入れたが最後、人は二度と帰ってこれないという。
「さしもの勇者ナハトも、こんな危険な森に踏み込もうとはしなかったのだろうね。だからこそ森がそのまま残っているのかもしれない」
真理が周囲を漂いながらつぶやいた。
「そもそもここに入る利がないからな。冒険者ならいざ知らず、並の実力では立ち入れまい」
人の姿に戻ったレオニダスが同意しながら辺りを見渡す。
木の幹を背にして、人骨が無造作に放置されていた。
セシリアはそのまま放っておけないと言い、レオニダスが了承して、二人で埋葬を済ませた。
その後、レオニダスがセシリアに尋ねる。
「本当にここで食材が手に入るのか? 見てわかる通り、ここに出てくる魔物はひと筋縄ではいかないものばかりだぞ」
「私一人なら難しかったかもしれないけれど、今はレオニダスがいるし」
「ちょっとちょっとー! 真理もいるんですけど!?」
真理がセシリアの周りをくるくると飛び回りながら不満を口にした。
「そうだったね。世界一頼りになる、私の相棒もいるし」
「ふふん! でしょ? ということで、セシリア。敵だよ。このままだと一分後に襲いかかってくるね」
(ほんと、頼りになるときはなるのよね……)
普段はちゃらんぽらんな精霊に、セシリアは小さく微笑みながら感謝した。
「敵が来るって。レオニダス、準備は?」
「問題ない。部分獣化」
レオニダスの右腕だけが、フェンリルの腕へと変わった。
ちょうど一分後、真理の示した方角から、凄まじい速度で魔物が突進してきた。
「大黒猪。Sランクの魔物だね。硬い外皮をしていて、刃物も魔法も通じない。ただし直進しかしないから、攻撃を躱すのは難しくないよ」
レオニダスはセシリアを腕に抱いてぎりぎりで回避し、右腕を前に突き出して目を狙い、爪を立てた。
肉の潰れる音とともに、大黒猪は絶命する。ずる……とレオニダスが手を引き抜いた。
「セシリア、怪我はないか?」
「うん! ありがとう、強いんだねレオニダス!」
「…………」
レオニダスの表情が複雑だった。
喜んでいるような、どこか期待外れのような。
(どうしたのかしら……敵を倒したのだから、喜べばいいのに)
恋愛に疎いセシリアには、レオニダスの心の機微が読み取れなかった。
そんな無垢な瞳を見て、レオニダスは静かに彼女を下ろしてあげた。
「魔物は倒したが、どうするんだ?」
「これを食材にするの!」
大黒猪は通常の猪よりも遥かに大きい。これを食肉として使えば、当分の肉には困らないだろう。
「しかし、それは無理だよ、セシリア」
「どうして?」
「魔物は体内に毒素を含んでいる。食べると即死する。魔物を食らう行為——魔食いは、こちらでは禁忌とされているんだ」
人間界でも魔族の世界でも、魔食いは自殺行為に等しいとされていた。
「大丈夫。きちんと処理すれば」
「処理……?」
「うん。真理、この辺りに魔物はいる?」
真理が周囲を検索し、「いないね」と答えた。セシリアはうなずくと、火の準備を始めた。
「本当に食べるつもりなのか……」
「うん。レオニダス、手伝って」
セシリアの目は真っすぐにレオニダスを見ていた。
そこに冗談の色はない。
(真剣だ。本気で食べようとしている……)
魔食いが禁忌だと知った上で、だ。
(真理という叡智の精霊もいることだし、自分の知らない方法を彼女は知っているのだろう。信じてみよう)
「わかった。君の意思に従おう」
レオニダスが右腕を獣化させた。
「しかし、この毛皮は刃物を通さないぞ?」
「大丈夫。目のところから爪を入れて、少し角度をつけながらやってみて」
真理の指示に従い、レオニダスは解体作業を始めた。まぶたから首に向かって、ゆっくりと爪を動かす。
「……! 凄い、まるで溶けたバターのように刃が通る」
「細胞同士はつながっているけれど、すべてが強固に結びついているわけじゃない。必ずほころびがある。そこをこの叡智の精霊が教えてあげれば、解体作業も楽々というわけさ!」
叡智の力は相手の構造を余すところなく映し出す。
細胞のほつれ、関節、筋繊維の向きと弱点——それらを見極めながら、丁寧に作業を進めていく。
皮を剥ぎ、頭部と四肢を落として、枝肉の状態にする。
足にロープを結び、木の枝からつり下げると、首元からゆっくりと血が滴り落ちていった。
魔物の濁った血が地面に染み込んでいく。
「魔物は倒してから十分以内に血抜きをすれば、食用に使えるんだ」
「そんなことが……知らなかった……」
「まあそうだろうね。魔食いは禁忌というのが常識なのだから、その常識に反する研究など世に出回るはずがないもの」
血抜きを終え、二人は枝肉を手に入れた。
「肉はこれでよし! 次は料理に使う香草を集めましょう! 頼れる真理さんのお力を借りられると、大助かりなのだけどなあ」
セシリアが真理のやる気を引き出すような言い方をすると、真理は「まかせておけー!」と元気よく返した。
「なるほど……しかし、やはり合点がいかないのだが、これほど素晴らしい叡智の精霊がいて、なぜあんな悲劇が起きてしまったのだろう」
香草を集めながら、レオニダスが尋ねた。
真理は「まあ……」と苦々しい様子で言う(顔はないのだが)。
「人の心というのは、わからないものだから。特に、他人の心をどうにかしようとすることなんて、誰にもできないでしょう」




