焦りと判断の過ちは命取りになる
それからの日々は、訓練に来る日も来る日も明け暮れた。
雨の日も、
吹雪の日も。
泥だらけになり、魔力を枯らし、倒れ込んでも、翌日にはまた訓練場に立つ。
身体が悲鳴を上げているのはわかっていた。
それでも、足を止める理由にはならなかった。
胸の奥にあるのは、ただ一つ。
――焦り。
それだけが、私たちの身体を無理やり前に進ませていた。
そして暦が変わり、空気にわずかに春の匂いが混じり始めた、ある日のことだった。
「……お前ら、今日は帰れ」
訓練場に響いた団長の声は、低く、そして冷たかった。
「訓練に参加する資格は、ない」
一瞬、耳を疑った。
拒絶だった。取り繕いも、言い訳もない、純然たる拒絶。
「団長! なんでですか!」
最初に食ってかかったのは、やはりオーディンだった。
「俺ら、できます! やれます! やらなくちゃいけないんです!」
「そうです!」
続けて声を上げたのは、ダーク。
「僕らには時間がないんです! 魔王が完全に力を取り戻す前に、倒さなきゃいけない!」
……オーディンが前に出るのは想定内だった。
でも、ダークまでが声を荒げるのは珍しい。
(それだけ……追い詰められてる)
その時、胸の奥で何かが引っかかった。
――追い詰められている?
――いや、違う。
「ダメなものはダメだ」
団長は一切動じない。
「今のお前らは視野が狭い。他の団員に迷惑がかかる。帰れ」
迷惑。
視野が狭い。
そして――焦り。
……あぁ。
「……そういうことか。団長」
私が前に出る。
「帰れって言っただろ」
「はい。帰ります」
即答した私に、全員が驚いた顔を向ける。
「その前に……すみませんでした」
「アキナ!?」
ダークが声を荒げる。
「僕ら、本当に時間がないんだよ!?」
「うん。わかってる」
私は静かに答えた。
「でもね、今のままじゃ“邪魔”になるだけだよ」
「何言って――」
「行こう、ダーク」
背を向けて歩き出す。
意味がわからない、と文句を言いながらも、オーディンはついてきた。
他のみんなは、何も言わず、ただ黙って後ろに続く。
けれど――
沈黙に耐えきれなくなったダークが、私の腕を掴んだ。
「アキナ! 一番わかってるのは君だろ!? 時間がない、力も足りない! なのに、なんで――!」
「ダーク」
私は振り返る。
「今の気持ちは?」
「……は?」
「今、どんな感情?」
「そんなの……今は関係ないだろ!」
「ううん。大事だよ」
私は目を逸らさず、問い続ける。
「ねえ。今の感情は何? 焦り……じゃない?」
「……当たり前だろ! 時間がないんだから!」
「そうだね。時間は、確かにない」
「だったら、なんで――!」
「ヴァイス教官が初陣課外で言ってたこと、覚えてる?」
「今、そんなの――」
私の無言の視線に、ダークは言葉を止めた。
しばらく黙り込み、やがて記憶を辿る。
「……焦りは、判断の大敵」
「そう」
「焦っている時ほど、人は判断を間違える……」
ダークの顔から、力が抜ける。
「……そうか。今の俺たち、まさにそれだ」
「うん」
「じゃあ、今やるべきことは……」
「深呼吸ですわね」
ティアが、静かに言った。
「そう。ティアの言う通り」
私は一度、ゆっくり息を吸う。
「焦る気持ち自体は悪くない。でも、だからこそ冷静にならないと」
「……冷静、か」
全員で深呼吸をしてから、訓練場に戻る。
「……帰れって言っただろ」
苛立ちを滲ませて振り向いた団長に、私は頭を下げた。
「いえ。帰りません。訓練に混ぜてください」
「お前ら……!」
団長は一瞬言葉を詰まらせ、深く息を吐いた。
「俺だって鬼じゃねぇ」
「……」
「視野が狭まって、怪我をする可能性があるやつを、訓練とはいえ出したくなかっただけだ」
「……わかってます」
私は真っ直ぐ答える。
「焦りを感じた時ほど、冷静に。ですよね?」
「……わかってるじゃないか」
その日も、夜まで訓練は続いた。
限界まで身体を酷使し、へとへとになって戻った先には、ローレンツ宮廷魔術師の作った食事が待っていた。
「いただきます」
湯気の立つ、うどんに似た麺類。
おにぎり。
生姜の効いた温かいスープ。
空腹と疲労のせいか、味が染み込むように身体に広がる。
気づけば、食卓には空の皿しか残っていなかった。
「では……今日は魔力計測を行いましょうか」
その一言で、緩んだ空気が一気に引き締まる。
「皆さん、一斉に。放出開始!」
全員が魔力を解き放つ。
眩い光が訓練場を埋め尽くした。
「止め! ……素晴らしいですね」
次々と数値が読み上げられる。
そして――
「アキナさん。6000βですわ」
……6000。
確かに、成長している。
数字は、それをはっきり示している。
「これなら大丈夫でしょう。皆さん、出発の時です。ご武運を」
「……気を付けて行ってきます」
そう答えたものの、胸の奥は不思議なほど静かだった。
嬉しいはずなのに。
安心していいはずなのに。
(……足りない)
そんな感覚だけが、消えずに残る。
「明日、出立だ。今日のうちに支度を済ませてくれ」
ティントの声が、いつもより重く響いた。
「大丈夫だよ。私たち、頑張った」
「そうだぜ! あの地獄みたいな訓練、全部乗り越えたじゃん!」
「うん。全力を尽くそう」
「……おやすみ」
そう言い合いながらも、
全員が心のどこかで理解していた。
厳しい戦いになること。
もしかしたら――全員は、帰ってこられないかもしれないこと。
怖くないわけがない。
だって、心はただの高校生だ。
それでも。
やるしかない。
多くの人の明日と、期待を背負って。
育ててくれた人たちへの感謝を胸に。
――そして、私の中で燻るこの感情が、
やがて“暴走”へと変わることを、
まだ誰も知らない。




