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第39話

 気が晴れた。町に出かけよう。


 夜の空気は澄んでいて、吐く息もまた澄んでいる気がする。気がするのだ。


 そうして、繁華街の明かりを見て、そこに群がる人を見て、馬鹿が死ねと馬鹿な言葉を吐く。


 馬鹿でかい雑音をBGMに、町を歩き、駅にたどり着く。


 足取りも心も軽く、水を得た魚のように。


 適当な電車に飛び乗って、夜を連れて、町を出よう。


 それがこの町への最後の挨拶とでも言うのか、俺は小さく礼をし、電車の隅の席に腰かけた。


 前を見ると、サラリーマン風の男が所在なさげに座っていた。


 俺はスンッと鼻を鳴らして、窓から町の景色を見て、ため息を一つ。


 眩しくも鬱陶しい光の大群に、目を伏せて、閉じると、意識は彼方へと飛んでいく。


 


 


 


 気が付くと、そこは彼女に告白した海の最寄り駅であった。


 俺は電車を降りると、少しの肌寒さを覚え、身震いする。そうして、周りを見渡すと、やはり駅前は光り輝いていて、鬱陶しい。


 どうにか逃れようと、遠くへ走っていくと、徐々に光はなくなり、街灯が等間隔で並ぶ、海の前へと出る。


 黒い海が眼前に広がり、波の音だけが耳に届く。


 妙に心地が良い。


 そうして、空を見る。一面が黒く、海も黒一色に塗りつぶされている。遠くで小さく光る灯台がある。それが邪魔である。


 何かの間違いで、あの灯台が爆破されないかと、荒んだ瞳で見つめていると、また波の音に気を取られる。


 心地の良い音に、一定のリズム。近くに寄れば、泡の消える音が聞こえる。目を閉じて、身体が揺られる。


 頭が揺られる。


 非情に心地よい。


 これは似た感覚。


 何だろう。それは感じたことのある感覚である。何だろう。あ、そうか。


 そこで一つ腑に落ちた。


 何を悲観していたのか。俺は、最後の瞬間、月を見て安心していたのだ。


 これは心の救済処置である。


 黒の中に身を投じ、重く沈んだ心は最後に浮上したのだ。なんとも間抜けな話である。


 俺は最後に光を見出したのだ。


 なんと愚かなことであろう。


 形は違えど、また同じ道を進もうとしている。なんと馬鹿で愚かな俺。反吐が出る。


「今、海に飛び込めばきっと冷たいんじゃないか?」


 俺は消え入りそうな意識の中で、すっ呆けた声を聞いていた。


「うわ、冷たい。やめとけ、こんなもの………楽しくはないだろ?」


 なんとも素っ頓狂な声の方に振り返ると、一人の男子高校生がいた。俺と同じ年くらいの男であった。


「?………誰だお前?」


「ん?俺か?………まぁいいじゃないか?君はなんか腑抜けた面をしているな」


 そいつの顔は暗くてよく見えない。しかし制服を着ており、俺の前に立っていた。こんな夜の寒空のした、俺と同じく海を見に来るなど酔狂な男である。


「喧嘩売ってんのか?」


「はは。負けるんじゃないか?」


「は?試してみるか?」


「俺が君に」


「なんだそりゃ?」


「まぁ。深く考えなさんな。どうせ一時の病みたいなもんだ。その怒りも消え去るさ」


「は?」


 その高校生は俺と似た背丈で、しかしどこか生気を感じない。何故だか、どこか浮世離れした存在に思える。いや、そんな存在に会ったこともないので、直感だが。


「んー。それでお兄さんはどうしてこんなところに来たんだ?」


「同じ年くらいのやつにお兄さんとか呼ばれるとムカつくな」


「そら失敬。俺は少し用事があって訪れたわけだが、君はなんか違うみたいだ」


「確かに用事はないなぁ」


 俺は後頭部を掻きながら、ため息を漏らす。何故だが、この男の前では気が抜ける。力が入っていない緩い口調に、こちらも力が抜けてしまう。


「お兄さん。彼女はいないのか?」


「は?………いたけど、フラれたな」


 言った後で、何故そんなことを赤の他人に漏らしているのか、自身を疑ってしまう。しかし、この男は話しやすいのも確かである。


「おお。それはご愁傷様。やるせない思いで海でも見に来たのか?」


「ふ………まぁそんなところだな」


 俺は脱力した体でその場に座り込んだ。砂浜は冷たく、奴が言うように、多分海はもっと冷たい。


「それは、仕方がないな」


 奴は力なく笑うと、胸ポケットからタバコを取り出し、火を付ける。そうして、濾した息を吐いた。黒い海を背景に、一部靄がかかり、男の身を包む。煙の行方を目で追いながら、彼に視点を合わせる。


「なぁ。一本くれよ」


「俺の周りの奴はそんな奴ばっかだったなぁ。でも、俺はいつも言う言葉は一緒だ。霞でも食ってろ」


「お前、やっぱり喧嘩売ってるだろ?」


「そんなことないさ………喧嘩よりも死ぬ方が楽なんだろ?」


 男の声が空気を裂いた。先ほどまでの、緩い口調ではなく、どこか怒気を孕んだ声に、一瞬、身がすくんだ。


 こんな優男に俺が、委縮してしまっていた。


「なんのことだ?」


「せっかく生長らえたわけだし、もっと思考を巡らせてみるのも一興だろ?」


「は?………お前、誰だよ?」


「まぁそれはいいだろ?………月やら黒い海なんてなんの救いにもならないさ。ただ人間が勝手にありがたがって、願って、拝んで、好いてるだけだ」


「お前、なんなんだよ!?」


「さぁ、誰だろうなぁ」


 その男は、そこでくるりと一回りし、こちらを見ていた。空虚な目をしていた。暗闇に男の瞳だけがボーッと浮いているように見える。


「俺は楽になりたいんだよ!!」


 何故だか、声は心の奥底から生まれ、気が付けば、吐き出していた。それは黒い海に吸い込まれる。


「別にいいとも思うが、もうちょっと足掻いてもいいんじゃないか?皆、行き着く先は同じでも、納得していく奴と、後悔していく奴がいる。君は後者だったろう?楽なだけで、後悔は追いかけてきただろ?」


「お前はどこまで知ってんだよ?なんなんだ?………それでも……今よりもマシだろ?」


「さぁ………でも、煙草を吸おうが、酒を飲もうが、結局、生を実感するのは誰かと笑い合っている時だよ。………君はどうだ?」


「何が言いたい?」


「そのフラれた子をもう一回口説いてみればどうだ?」


「だから………そんなことをしても意味がないんだ!どうせ奴が来る。あいつが来たら終わりだ。俺があいつを殺そうが、あいつに殺されようが一緒だ。終わりだ!」


「手をだせる相手ならば、声が届く相手ならば可能性はあるだろ?その二つが出来ない相手に対峙すれば分かるさ」


「は?………お前の言葉は分かりづらい」


「ああ。それは言われ慣れてるから………」


 彼の言葉に初めて、感情が乗った気がした。


 


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