第35話
全ての終焉を知った次の日には、また同じ日常が待っていた。
外に出てフッと息を吐くと、白くなり、それが煙草のようで何度も繰り返し吹く。周りから見ればアホな顔を晒した愚か者であろうが、それが水を得た魚のように、日常を取り戻した今の俺であった。
すべてを失う前の自分に戻ったわけである。澄んだ空気を口に含むと、それは生きた心地がしたのだ。
そして、どうしようもないと悲観する時間は終わった。
しかしながら、具体性を伴わない楽観的思考とも取れる。俺も桔梗もどこかで未だ、不安を抱えている。
しかし、それも帰り際に桔梗が言った「逃げないとは言いましたけど、この町から逃げ出したら万事解決なような気もしますね」という言葉に俺も同意し、不安を取り除く最善手な気がした。
殺人鬼が出ることを予知できるならば、街から逃げれば解決ということである。
安易な考えだが、合理的である。
しかし、それも件の俺の人間性を鑑みると、なんとも言えない。
俺は人間としてクズであるし、いつ、また自分を見失うか分からない。それは俺という人間が熱しやすく冷めやすい、現代病の罹患者であるためだ。
昨日、記憶が戻り、死から学び、それを克服したかに思えた。しかし、それも一時のものかもしれない。
あの時の感情は桔梗がいて、湧いて出た一瞬の感情であり、これがこのまま死ぬまでつづくわけでもない。
いつまた自暴自棄になり、家族を見放すともしれない。俺はそういうクズな男であることは一回目の人生が物語っている。
濾した息が宙に触れる。
白く濁った息が、目の前で広がり、霧散していく。俺は空を眺めながら、そういった自分を鑑みて、再度、深い息を吐いた。
学校に着いた俺は教室内で珍しく小西と本田たちが話している場面に出くわす。
彼らは最近では、あまり話もしていなかったし、本田たちは別の奴らとつるんでいた。
「ん?なんかあったのか?」
俺が声をかけると、小西は泣きそうな顔でこちらに振り向く。本田たちも浮かない表情でいた。何かが起こっていることは間違いない。
「あき………彰人が………」
小西の震えた声が微かに耳をかすめたが、正確には聞き取れない。
「は?」
「橘が入院してるってさっき連絡があったの」
本田はこちらに睨みをきかせ、そう小さく呟いた。なんでこんな一大事に、そんなアホずら引っ提げて来てんだという理不尽な本田の怒りを感じつつ、返事をする。
「は?橘が?……なんでだ?」
「分からない。………でも思い当たる節がある」
「なんだ?」
嫌な予感がした。その時、俺が思い出したのは漆原を心配する橘と、駅前で悪そうな奴らとつるむ漆原の下卑た笑顔であった。
「………私らが最近、遊んでる片岡とかが、最近誰かと喧嘩したらしくて………それで」
「喧嘩?橘は喧嘩なんかする奴じゃねぇだろ?」
「でも………最近、彰人はウルシのこと心配してたから………それで彼らに接触したのかもしれないって……」
小西は悲痛な面持ちで言う。
その時、咄嗟に苛立ちが募り、行き場のない怒りから純粋な破壊衝動に駆られるが、なんとか抑えて、深く息を吸った。
「とりあえず………病院に行こう。今日くらい休んだって、平気だ。」
俺と本田、小西はすぐに学校を出て、病院へと向かった。
教室を出る前、小西は数名の女子に呼び止められ、橘の安否を問われていたが、その時の女子たちは野次馬で近づいてきたのではなく、真に橘を心配しているように見受けられる。
佐竹も坂口も橘を心配しており、あの優等生の坂口も、教室を抜けて俺たちについてきた。
それは橘という男が信頼されている証であり、そんな男を病院送りにした人間がいるという事実にまたやるせなさを感じる。
病院に来て、橘との面談謝絶という状況で、彼の容態がそれほどまでに悪いものであると知ったこともそうだ。
笑いすら漏れ出てしまう。
もう薄々勘付いていた。皆、言わないだけで、漆原とその片岡という連中の仕業であることは分かっていた。
しかし、皆、どこかで漆原というひょうきんな、誑しを信じたかったのだろう。
「やっぱり漆原だろ?」
薬品の匂いが立ち込める病院内は静寂があり、そこに似合わぬ、俺の軽い言葉がその静寂の中にふっと現れた。
「何が?」
本田は分かっていながら、俺の言葉に苛立たし気に口を開いた。
「橘のことだ。分かってんだろ?医師の話じゃ、眼底骨折に、足まで折れちまってるらしいじゃねぇか………あいつはダンプにでも轢かれたのか?」
「………」
押し黙る一同に、俺はため息を一つ。車に轢かれたわけではない、繁華街のガレージで倒れている彼を通行人が発見し連絡してくれて、病院に運び込まれたそうだ。
俺が見たのも、その繁華街の駅だった。
漆原の溜まり場であるのは明らかである。
「美月はどうするの?」
「どうするって………そら話し合いをしなきゃいけないな。漆原と」
「僕もいくよ」
小西は意志の籠った声で、真剣な眼差しを俺に送る。
「いや。お前のはラケット握るための手だろ?」
「でも………。うん。やっぱりそういうことになるんだね」
俺はいつも通り砕けた調子で答えたが、小西にはそれで真意が伝わったようで、力なく頷いた。
「まぁ。しょうがないな。ここまで来たらしょうがない」
「………そっか。僕がいたら邪魔になりそうだね。でも途中まで付いて行くよ」
小西は押し黙り、その後、掠れた声でつぶやいた。
「上原………喧嘩しにいくの?」
本田はなんともいえない表情で、俺に問う。
「ああ。悪いが、お前の友達の片岡くんだっけか。そいつも関わってるなら、容赦はしない」
「ううん。それはいい。………でも。美月、昔みたいな顔つきになって……いいや。これは私が心配することじゃないもん」
本田は力なく笑うと、静まり返った病院に言葉を落とした。




