第34話
目を覚ますと俺たちは未だ、海岸沿いのベンチにいた。
そうして街灯の下、彼女が俺を見ていた。俺も彼女を見ていた。込み上げてくる感情は許容範囲を超え、すぐに外へと放出される。
涙が出て、それと同時に彼女も涙を流した。
「桔梗………ごめん」
俺はもう何に対してか分からない謝罪をした。彼女は一度目を閉じて、その際に涙が零れる。
そうして、また開くと小さく「ごめんなさい」と謝った。
「なんで謝るんだ?………俺の方が………俺がしっかりしていれば………」
「いいえ。私………守れなかった。五月を………守れなかった……」
彼女は身を震わせながら、言葉を吐きだした。それは俺に言っているのか、それとも自分へ言ったのか分からない。彼女の中から漏れだす、やるせなさが滲み出た懺悔の言葉であった。
「俺は………」
俺は何をしていたのだろう。
馬鹿な感傷で、家を留守にし、彼女との約束も反故にし、町で飲み歩いていた。そうして通り魔に自分の家族を殺され、病んで自殺しました。
呆れるのを通り越して、どう言い表せばいいのか分からない感情に支配される。
何もしていない。馬鹿なことしかしていない。
俺は何をしていたのだろう。
「桔梗………なぁ。桔梗。俺を殴ってくれないか」
「なん………なんでですか?」
「俺は馬鹿なんだ………俺は馬鹿だから………」
気が付けば、頬に強い痛みが走った。それは彼女の手が赤くなっているのを見れば、すぐに理解できる。
「私たちが悔やんでも、あの時の五月の苦しみは変わらない。………あんな小さな体であの男と対峙する恐怖が私には分かりません。貴方も私も守れなかった。だから………」
彼女は泣き疲れて、充血した目を閉じると、頬を俺の前へと突き出した。
そうして、身を震わせて、まだ涙を流した。
俺は心の底から、薄すら笑みが零れた。これが悲劇だとでも言えるかと。こんなものは喜劇だ。
俺はただ自殺して、そうして未だ彼女にすべてを負わそうとしている。自分の罪を彼女の手を以てして洗い流そうとしている。単なる逃げ癖のついた犬のようなものだ。
嫌なことから逃げ出そうと、嫌なことから目を逸らそうと、免れようとしている。始末に負えない性質の悪さだ。
彼女の震える顔を見て、未だそんな自分本位な考え方が頭を過ぎっている。
逃げるなら彼女を置いて、逃げればいい。そうして今後、彼女と関わらなければ、問題は解決しないが、永遠に逃げることが出来る。
そうして、何度も過去へと遡るならば何度でも逃げればいい。
それは彼女も同じで、俺なんかと出会わなければ、あんな目に遭うこともないのかもしれない。
それが最善の手かもしれない。
お互いに別の道に進んでいく。それがこの問題への解決かもしれない。そう思って、一瞬、視界から彼女が消えて、海へと逃がした。
しかし、それはあの時の風景そのものであった。
今では殺風景にも見える黒い海が俺の眼前に広がっている。
また自殺でもするのか。またすべてを無くして、悲観して、諦観し死ぬのか。なんて馬鹿な話だろう。
すべてを経験して、未だ弱気になっている。いつからこんな弱い人間になったんだ上原 美月。
喧嘩だろうと負けたことが無い俺がいつからこんな人間になったのだろう。
そんなことのために二度目の人生を送る意味はどこにあるのか。何度でも失敗して、何度もどうしようもなくなってもいつも彼女がいてくれたではないか。
高校の糞みたいな学校生活も、友人グループが決壊しても彼女がずっといてくれたではないか。
俺は彼女に何をしてやれただろう。
潮の香りと、波の音の中、爛々と月が光っている。もう見えないと思っていた美しい月の下に最愛の人間といる。
これに勝る幸せがあるのかと問いかけてくる。
では、それをどうするのかはもう決まっていた。
「桔梗………」
「早くしてください………私は………母親失格ですから……」
彼女は薄く笑って、手をまた強く握り締めた。
俺は未だ、彼女にすべて背負わせていることに辛くなり、言葉を発する。
「桔梗………俺と別れたらこの先こんな問題に怯えなくてすむかもしれない」
「………は………はい」
彼女は目を開けた。そうして涙が零れゆく中で、か細い声を発する。
「俺は駄目な人間だし、今も怖いんだ。だから逃げたかったら逃げていい」
俺はそう言うと彼女を軽く抱きしめた。
「次はちゃんと抱きしめおくから………だから……」
「はい………私は………私も………駄目な人間です。自分の子供一人守れない。でも、だから逃げたら駄目な気がします。それがあの子を苦しめる結末を回避するにしても、それが未来を潰すならば………それに………」
「?」
「惚れた弱みもあります」
彼女は今までの弱弱しい口調ではなく、きっぱりと言い切った。そうして、俺を抱きしめ返した。
日常が辛く、面白みのない飽きた毎日。ではない。それが幸せであり、それを守ろうとする毎日が幸せの所在である。
非日常に思い描く、未知の世界は確かに色濃く、憧憬に似た感情を芽生えさせる。しかし、そこに俺の求めるものはなかった。あるのは果てなき悲壮感だけであった。
空虚な幸せである。
俺は強く抱きしめる。
すべての過去を思い出した。
そうしてすべての未来を手に入れる。
その準備が出来た。そう思えばいい。どうすれば回避できるのかは未だ分からないが、俺は目の前の小さな体を抱きしめ、守ることは出来ると確信していた。
月光の下に、波のまにまに、二人は佇んで、再度、キスをした。




