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第31話

 その子は静かであったが、教えた仕事は迅速かつ丁寧にこなしていた。


 要領が良く、気遣いもできるが、人の会話も最低限の新人。


 俺は始め、取っ付きにくい新人が入ってきたなぁと思っていたが、それも日を追うごとにどうでもよくなっていった。


 無気力に生きるに、他人事など気にしていない。


 ただ前と違った点は、仕事に忙殺されるばかりではなく、仕事場での飲みの席など、上司との付き合いなど人と会話する場が増えたことだ。


 ただ忙しいと思うのでなく、人と関わって仕事をし、一人で生きている自分を許せる瞬間が徐々に増えてきたのだ。


 ダメな自分を許せたような気がしたのだ。


 ただ生きるのみで夢も希望もないが、それでもなんとか毎日、通勤電車に揺られながら会社に向かう日々もそこまで悪いものではないと自分の中で納得できたのかもしれない。


 彼女が入って三カ月が経過したある日、いつもと同じく月末に課の飲み会が開かれた。その月は繁忙期ということもあり、残業も続いていたため、皆、フラストレーションが溜まっており、ガス抜きとしては丁度良かった。


 俺も含めて、皆、浴びるように酒を飲んでいく。紫煙が舞う部屋で、彼女が少し煙たそうにしていたが、俺はそれを目にしても、他の上司と同じようにタバコをばかばか吸い続けたところまでは記憶にある。


 そうして、二軒、三軒梯子し、気が付けば朝になっていた。


 そうして見知らぬ天井を見た。俺は裸で寝ており、息が酒やらタバコの匂いで臭い。そうして、眠気眼で、周りを見渡す。


 そこは俺の部屋ではなかった。


 やけに質素な部屋である。テレビに、テーブルと椅子が一つずつあって、女物の服がポールスタンドにかけてあった。


 俺はそうして欠伸を一つし、窓から入ってきた日の光が眩しく、たまらずもう一度寝ようかと悩んでいると、ふと人の気配を感じた。


 そうして、ベッドから身を乗り出し、部屋の奥を見ると、ちょうど彼女が部屋に入ってきた。


 宮藤 桔梗さんは部屋着で俺が起きているのに気がついた。

 俺の部屋ではない、女性服がある謎の部屋。


 そこが彼女の部屋であると俺は瞬時に理解し、そうして自分はやらかしたと自覚した。


 二人して硬直し、どちらも緊張した面持ちでお互いを見合う。


 俺はその空気に耐え切れず、口を開いた。


「えっと………こんなことを言うとあれだが、すまん。覚えていない」


「はい」


 彼女が俺の言葉に小さく返事をした。そのか細い声がすべてを物語っている。俺はなんてことをしてしまったのか。


 新人の女の子を酔っぱらって襲ってしまったのか。いや、裸体では言い訳の一つも出来やしない。


「その………ここは君の部屋だけど、俺はやってしまったんだよな?」


「え………?」


「いや。すまない。謝罪してもしょうがないがただ申し訳なく思っている」


「えっと………え?」


「いや。だからやっちまったんだろ?」


「………えっと。上原さんは酔って三軒目で寝てしまわれて、他の方も酔って帰ってしまわれたので……私の家に連れてきました。そうしたら、上原さんは暑い暑いと服を脱いでしまわれましたが……えっとどれのことを言ってますか?」


「あれ………君を襲ったりしてなかったのか?」


「………そんなことをする人を私は連れて帰りません」


 俺は安堵のため息を零した。そうして、自分の服を彼女が綺麗に畳んで、ベッドの隣に置いておいてくれたことに礼をし、早々に立ち去ろうと考えた。


 しかし、パンツまでそこにしまわれており、そんな失態を犯した自分が恥ずかしく、無性に煙草が吸いたくなった。

 俺が苦い顔で現実を受け入れないでいると見かねた彼女が声をかけてきた。


「えっと。昨日から酒気を帯びたままですし、お風呂をお貸ししましょうか?」


「えっと………匂う?」


「はい。多少」


 彼女は言いづらそうに、眉を顰めて苦言を呈す。


「じゃあ。お言葉に甘えて」


 俺は女の家でシャワーを浴びるのも慣れっこだと思っていたが、今まで毎日、会社で顔を合わせているものの、あまり知らない女性の家でという奇妙な状況に混乱していた。


 しかし、深酔いした次の日の朝のシャワーはえらく気持ちが良かった。タオルまで借りて、自分の服に着替えると、何故か晴れ晴れとした気持ちでいた。


 俺が風呂を上がると、彼女はテレビを見ており、それはそれは目の大きい子がテレビ画面に映し出されていた。

 深夜アニメというやつだ。


「何。こういうアニメとかが好きなのか?」


「え?」


 彼女はこちらに振り向くと、すぐにテレビの電源を落とした。


 そうして、苦笑いをしながら、眠そうに眼をこすっていた。

 昨日は夜遅くまで飲みに付き合わされていたし、こんなお荷物まで抱えて帰ってきたのだ。

 彼女も相当疲れているのだろう。


「コーヒーでも飲みますか?」


「入れて貰えるなら」


 奇妙な状況に、二人して変なテンションでいた。彼女が入れたインスタントコーヒーを二人で飲みながら、他愛ない会話をする。


 彼女が間に困って、天気の話題を振ってきたのが始まりであった。イギリス人かよと思ったが、そのおかげで特に気を遣うことなく接することが出来た。


 そうして、俺は換気扇の下でなら煙草を吸っていいと言われ、コーヒーを飲みながら一服し、彼女はテレビを見ていた。


「この年でアニメが好きとかやっぱり変ですよね?」


 彼女は独り言のようにテレビに向かって呟いた。


「そう?………休日の過ごし方なんて人の目を気にすることでもないだろ?」


 俺はこの部屋の居心地の良さに押され、コーヒーをもう一杯飲む。彼女は俺の言葉に「そうですか」とクスリと微笑を讃えて、もう一杯のコーヒー淹れた。


 俺は煙草を吸い終わると、彼女の隣に座り、一緒になってアニメを観た。体が二日酔いで怠くなってきたのと、彼女が一生懸命見ているアニメの内容が気になったのだ。


 そうして、気が付くと、夕方になっていたことから俺はそろそろお暇するよと彼女に言った。


 しかし、その前に謝罪を述べる。


「にしても、悪かった。迷惑をかけた」


「いえ。私のほうこそ、上原さんにはいつも仕事でご迷惑をかけているので………」


「仕事とプライベートは別だろ?」


「そうですか?それでもこうして恩を返せたのならばよかったです」


 彼女はまた笑うと、カップに口を付ける。その時、初めて彼女の顔を真正面から見て、あることに気が付いた。


「あれ。どっかで会ったことあるっけ?」


「………今更ですね」


 彼女はそういうと、どこかの学校の卒業アルバムを引っ張り出してきた。そうして、中を開けて、その中に幼き自分がいることからそれが俺の母校の物であると理解した。


「へ?………あれ?」


 俺のとなりに映っている女子を彼女が指さした。


「………私です」


「あーあ。宮藤さん………覚えてる。覚えてる。」


「あ、大丈夫です。私、その時から影が薄かったので………」


 俺の作り笑いを彼女が手で制した。


「なるほど。………すまん。覚えてない」


「そうですよね。上原さんは校内でも人気者でしたから」


「なにそれ?不良って意味で?」


「いえ。目立つ存在だったから」


「そうか?………でも、なんだ。これも何かの縁だ。今後ともよろしく頼む」


「………は、はい」


 


 


 


 宮藤さんをその後、一宿の恩返しにどこかの店に連れて行った。それが始まりだった気がする。


 そうして、彼女と付き合うまではそう時間はかからなかった。


 彼女がオタク気質であることは知っており、一緒になってアニメを観たりもした。俺の趣味に合わせてキャンプに行くこともあった。

 彼女が好きなアニメを俺に勧めたり、俺が好きなバイクやら、釣具を教えたり、二人で趣味を共有した。


 そうして、夏は海で遊んだり、冬は旅行に行ったりと繰り返して、俺たちは結婚した。


 その次の年には子宝にも恵まれて、女の子が生まれてきた。


 その子の名は、彼女が決めた。


 名は五月とした。


 そうして、桔梗は仕事を辞めて、娘の育児に付きっ切りになった。俺はその時期から得にすることもなく、休日に町をぶらつくことが増えた。


 酒を飲むのは変わらず、子が出来たことで煙草も辞めたが、やはり飲み友達といると口が寂しくなり、気が付けばまた喫煙家に戻っていた。


 そうして、彼女が育児に追われる日々の中、なかなか遊ぶ暇もないことに面白みがなく、毎日、仕事をしては、その終わりに飲みに行っていた。


 しかし、彼女は俺を責めたりせず、いつも笑顔で俺を迎えた。俺はちょうど仕事でも重要なポストに落ち着き、部下も持つようになっていた。しかし、その分のストレスも多分にあり、そのはけ口は酒しかなかった。


 そうした日々の中で、また壁にぶつかる。


 日々の仕事は面白みがなく、虚しい日々である。ただ家族を食わすために働く日々で、夢もない。


 そうした中で、謎の虚無感を抱えて生きていた。俺は馬鹿だから、それがどれだけ愚かなことかもわからなかった。


 幸せはなくなってから初めて気が付くというのに。


 


 


 


 ある日、彼女が初めて我儘を言った。


 俺は今日は飲みの約束があると先に言っていたのに、彼女は今日は娘も連れて家族で買い物に行きたいというのだ。


 そうして、外食をしようと言ってきた。


 俺は先客を優先すると馬鹿なことをほざき、そのまま彼女と少し口論になったのを覚えている。


 初めて喧嘩に近い口論をしたのだ。


 そうして、俺は不貞腐れたまま、飲みに出かけた。


 その日、天気予報は雨であった。彼女は怒りながらも、俺の身を案じ、俺に傘を持って出かけるように言っていた。


 しかし、俺はむしゃくしゃした心のままで傘のことなど忘れて外に出てきた。今更戻る気にもなれず、そのまま駅まで歩いていった。


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