第404話「手札の枚数」
現在1年の遠藤らにとって――思えば、入学したとき、3年生の先輩たちは別格の存在だった。江戸川凜乃介、大坂大磨という二人の白銀世代。エースと4番。この二人がいるだけで、秋江工業は県内でもかなり強いのでは無いか、と思うほどに。
「秋は2回戦負けだったから、悔しいけど春大会はシード外だよ」
遠藤は先輩から言われた言葉を聞いて衝撃だった。秋江工業に入学して野球部に入る。そのことを決めた時点で、甲子園を目指す、と息巻いているとまでは言えなかったが、「この二人がいて負けるってどういうこと?」と驚くくらいには、白銀世代に数えられる二人の選手は雲の上の存在だった。
夏の甲子園予選の前に、同じ外野手の楠成から聞いた話によると、どうやら秋に負けた相手は、秋に県2位、春に県ベスト4まで残った黒光高校。通称クロ高――昨夏甲子園に出場した県内で言うところの超強豪。「これは仕方ない」と思ったほどだった。
(不思議なもんで、白銀世代の二人はもちろんだけど、2年生――暗黒世代って呼ばれてる人らがめっちゃ燃えてるな)
既にチーム内で頭角を現していたのは、捕手である万賀翔平。すごくガラが悪い見た目をしていたが、実力は本物だった。強肩、強打、好守連発。エースである江戸川が手放しに信頼するだけのものが、確かにあった。彼に追随するようにショート畑中は投手としての練習に取り組み出し、“守備キャラ”とあだ名がついていた楠成は、万賀にバッティングを教えてもらうようになってメキメキ上達していた。セカンド上月の練習中の存在感の大きさも感じていた。
夏の予選では県ベスト4――クロ高へのリベンジ敵わず、1年生にして唯一ベンチ入りしていた遠藤は、悔しそうな先輩らの姿を目に焼き付けていた。
秋大会では5番に抜擢。新チームのエースとなった峰竜児の姿を見つつ、中学時代に少しやっていた投手にも挑戦している現在――決してエリート街道を進んでいるわけではなかったが、「1年の中じゃやれてる方」という自覚は大いにあった。
――
柏木邦也――初巾高校のエース。ナックルボーラーとして名を馳せる彼の代名詞、ナックルを打った遠藤九佑は、ほっと安心した様子だった。
(5番で使ってもらっておいて、三振と送りバントは情けなさ過ぎるからね。なんとか打点挙げられて良かった……)
ベンチで沸き立つ暗黒世代の先輩らを見て、右手を挙げる遠藤。
「……ココ!」
峰が嬉しそうにしている。畑中の方を向いた。
「大丈夫。肩は出来てる」
「んじゃ……6回から、行くか」
万賀は先ほど峰と畑中より提案された、「2点差空いたら投手交代」という案に賛成した。紅葉監督は作戦遂行を万賀に一任しており、彼が了承した以上、口出しする理由もなかった。赤楚がサードゴロに倒れ、6回表を4-2で終えると、畑中は意気揚々と投手用グラブに替えてマウンドに上がっていった。
「サンキューココ、外野手用」
「いえ、峰さん3番だし、ライトしかないでしょ」
笑いながら外野手用グラブを峰に渡す遠藤。内野手用グラブに持ち替えてショートに向かう遠藤は、畑中に声をかけた。
「頼みますよ、畑中さん。2点までは取られて良いですからね」
「そうだね。ま……“竜児が変化球投げなくて済むように、”だからね」
後半は耳打ちする形で笑った畑中。「悪いっすね~」と遠藤も笑う。
ショートだった畑中の登板にクロ高の面々は驚いていた。
「畑中伊澄って、あんな小さいのにピッチャーできんのかよ……」
大滝が驚くと、小豆は少し笑っている。
「プロはともかく、高校球児なら結構居るんじゃ無いの? チビピ」
かくいう小豆も背丈は決して大きくは無く、背の高さだけで言えば投手陣の中では鷹戸、井上、呉井、古堂、仲井についで6番手。クロ高の中でも最小サイズ。
「峰も、あまり安定感のあるタイプじゃねえしな。継投策は良策だろ」
伊奈が言うと、金条も頷いた。
(峰しかり、柏木しかり、両エースがどこか安定していないこの試合。秋江工業と初巾、持っている手札の手数が多い方が獲る、と見た……。今のところ先に切ったのは秋江工業だけど、決して“切らされた”わけではないんだよな。むしろ柏木は早々に“ナックル”という最大かつ最強のメインウェポンを使わざるをえない状況にされてる時点で、手札を一枚切ってると言える。秋江工業の上位打線にナックルが捕まってしまった以上、これ以上の引き出しがないと、キツいぞ)
金条のこの目線で試合を観察していたのは、古堂もそうだった。
(峰竜児がストレートしか投げてない。めっちゃ良いストレートだけど、良いバッターにはやっぱ読まれるよな。変化球があったらかなり手がつけられなくなりそうだけど……まさか温存してるとか、ないよね)
先頭打者は3番中路。一打席目、峰竜児の球にアジャストしてセンターライナー。二打席目はインコースを潰しに行ってデッドボール。そして3打席目。初球の畑中が投げ込んだのは、スライダー。
(甘いんだよ)
敢えて見逃す中路。
(ピッチャー変わり端の先頭打者の仕事は球数稼いで出塁。可能なら得点圏へ)
4番白里は中路をじっと見ている。
(ナカジ……野手ピにここで代えてくるとか、相手お前のこと舐めてんぞ。アジャストしてる俺を避けているならまだわかるが……)
2球目のフォークは高め緩い球。ややすっぽぬけた球が高めに外れてボール。3球目にようやく――ストレートを投げる。
(おらよッ!!)
中路はタイミングを綺麗に合わせて打ち返した。打球は高く打ち上がり、スタンドにものすごい打球速度を保ったまま入り込んでいった。
「打った! 打ちやがった!!」
「中路麟……あんな長距離バッターだったのか!!」
スタンドで見ていた木口と沢口が驚いている。
「ピッチャー代わってこれは……秋江工業投手交代ミスだな」
苦虫をかみつぶしたような顔をする迫田。他人事だとは思えないらしい。一方で、近くに座っていた金条は中路を褒めていた。
「初球の変化球をよく我慢したな。俺なら焦って打ちに行ってしまう」
「……ぶっちゃけわかる」
同じく宮地も「打ってしまうやろな」とリアクション。
「しかし……いくら野手ピでも、代わってすぐ打たれて点取られんの、キツいよな」
伊奈が小豆の方を見た。小豆は頷く。
「でも……俺は思うんだ。こんな場面でもまだ“野手ピ”の方が投げられるって思われる方がよっぽど悔しいって」
小豆は4番白里に対して投げ込み続けている畑中をじっと見つめている。ツーベースヒットを打たれ、同点のランナーを出してしまう畑中だったが、冷静な表情は変えない。5番権田は低めのストレートを打ち上げる。しっかりと待って打ち返した打球は流し方向へと飛んでいく。
(み、み……峰くぅん……捕ってよ?)
キャッチャーの万賀はマスクを外してライトを見る。ライトに外野手用のグラブを持って守備についていた峰は、三歩下がって捕球した。すぐにセカンドに返球し、白里の進塁は防いだ。
「ナイス~」
(っぶねえ……抜けてたら同点どころか……ワンチャン逆転だったよ)
畑中の顔に少し焦りが見えるが、6番柿崎のピッチャー返しを畑中が咄嗟の反応で処理し、2アウトにする。7番根古屋もなんとか抑え、同点にされることなく6回を凌いだ畑中。
「すんげえ疲れるわ」
畑中は足を屈伸で伸ばしながら呟いた。
「伊澄、打たれたんストレート?」
峰が問うと頷く畑中。
「思った以上に相手巧いわ。合わせられたな」と万賀が言った。そんな中、7番楠成から7回表が始まる――
(畑中が頑張ったのに……俺が打たねえと……)
一緒にレギュラーを獲った1年秋――楠成は“守備キャラ”としてチーム内で信頼を勝ち得た。畑中も小技と守備力で、2番ショートの座を早々に勝ち取り、正ショートとしてのポジションだけでなく、次期キャプテン候補としても周りから信頼される選手になっていっていた。
(お前は守備練習の後、くたくたの足で投球練習を峰と遅くまで残ってやってた……ほんと偉いよ。ま、ピッチャーとして完成したのは、万賀が来てからだけどよ)
万賀は声を張り上げる。
「竜児休めるためには1点差じゃ足りねえぞ!! この回絶対点取るんだ!!」
――
万賀は秋の終わり頃、鉄日高校が神宮大会出場を決めた日、自分が入部してからすぐ――『3枚の手札がいる』と部内で言い切った。
「……鉄日高校は神宮大会に出場するほどの全国区。この秋江工業で、上位大会に行こうと思ったら、鉄日、クロ高、初巾、福富商業の4強に食い込まないといけない」
江戸川、大坂といった先輩たちからも、既にその野球の実力で一目置かれていた万賀は、淡々とこの事実を話し続けた。
「まず、投手力の拡充。現状、江戸川さん一人に頼ってる状況。まあこれは仕方ないっちゃ仕方ない。でも、来年のために峰を育てる必要がある」
「おい竜児、言われてんぞ」
「ま、ノーコンすからねえ俺」
「……いや、球速いから絶対にモノになる。そんで、峰1枚じゃなくて、右の安定した投手と、左投手がいる」
「2年はみんな右利きだな。中学でピッチャーやってたのも峰と山下と船岡くらい……か?」
「俺も山下も野手ピだよ。でも野手ピなら畑中もだろ」
「んじゃ、畑中……俺らの代見た中でお前が一番センスある。峰が不安定なとき、頼むぞ」
そう言われてから投手としての練習も欠かさず行うようになった畑中。その疲労のせいでバッティングの調子を落としたこともあったが、夏の予選には1番打者になり、着実に力をつけていた。そして、万賀の言う3枚の手札。それは、投手力の拡充、守備型選手の打撃力強化、そして――峰の変化球の3枚。
(遠藤や赤楚みたいな即戦力の1年が入ったのは思ってもみない収穫だった。秋、江戸川さんや大坂さんが遺した貯金は間違いなくある。だからよぉ、礼太……左中間ぶち抜くバッティング見せてやれ!!)
柏木が投げたナックル――やや高めに浮いて落ち幅の低下した一球を、フルスイングで打ち抜いた楠成。
「っし!!」
楠成よりも大きな声で喜ぶ万賀。手応えがあったのだ。
(峰の変化球っていうカードを温存しても……俺らは初巾と戦えてる!! 行けるぞ!!)
そして、万賀は確信した。また――この試合を見ていたクロ高の選手も、鉄日の選手も確信する。
(秋江工業が……4強に食い込んできている……)
(4強の壁を……乗り越えるどころか、こじ開けてきやがった……)
秋江工業が、間違いなく県内の強豪校の仲間入りを果たした、と。




