第403話「ナックル攻略」
2番上月は大声を上げて初球フルスイングする。
(当てる気の無いスイング――)
白里は腰を上げて捕球。二塁を狙って走る畑中の足を見つつ、二塁ベースやや右側を狙って送球するが、初球投げ込まれたナックルの球速では、盗塁を刺すことができない。
「……チッ。盗塁くらい刺せやデブ……って言いたいところだけど、ナックル捕ってくれるだけでまあ良し……か」
2球目、1ストライクノーボールのカウントで投げられるナックルボールを打ち返す上月。作戦通り、少しバットを下から出して振り上げた。引っかける当たりが、ピッチャー前を跳ねる。
(もらったッ!! ゲッツーチャンス!)
二塁を飛び出している畑中をアウトにしようと、ショート錨にボールを投げる。
(おっと!! そういうことね!!)
ショート錨は送球を受け取り、畑中をタッチしに行く。咄嗟に掻い潜った畑中はそのまま三塁に滑り込む。
「なッ!!」
ピッチャーのフィルダースチョイスとなり、ノーアウト1.3塁。プレートを蹴る柏木。
(俺は曲げねえ。ナックルを投げる!)
3番峰が打席に立つが、初球いきなり盗塁をしかける上月。畑中がスタートを切っているのを見て、投げられないキャッチャー白里。ストライクゾーンに入ったナックルボールを、ミットの中に入れたままランナーを睨みつけている。
柏木は2球目を投げる。峰は――ボール球を打ち上げる。
(っし……)
膝をついた状態で打ち返した峰は打球を見上げながらゆっくりスタートを切る。
(飛距離……十分!)
レフト権田が打球の落下地点に入ると同時に、腰をぐっと低くする三塁ランナーの畑中。
「GO!」
スタートダッシュを切る畑中。権田はそのまま送球体勢に入り、ホームめがけて投げた。
「タッチアップ刺せ!」
初巾ベンチからの声を受け、加速するようにまっすぐ伸びるボール。畑中も早々にトップスピードに乗り、ホームに真っ直ぐ突っ込んでくる。
(走路空けとけよッ!!)
頭から滑り込んだ畑中――ホームでボールを受け取る白里はそのままグラブのついている左腕を伸ばした。右手はボールがこぼれないように添えられている。
(っし!)
(行けるッ!)
決して大きくない体躯の畑中は、左半身を浮かせ、白里のタッチを躱した。
「セーフ!! セーフ!!」
審判が両腕を水平に伸ばして叫ぶ。それを見た瞬間に、一斉に立ち上がる秋江工業ベンチ。
「うおおおッ!!」
「ナイスラン伊澄ァ!」
一塁ベースへと走っていた峰がすぐに踵を返して畑中のところへ駆け寄ってくる。
「ナイス伊澄!」
峰が畑中を見下ろしながらハイタッチする。
「いや、峰こそ……よくあれを打ち上げたよ」
「ん? まあ良い感じだったっしょ?」
「そうだね」
畑中は感覚派の峰の言動に笑いつつ、打席に向かう万賀に声をかける。
「翔平! もう一点!」
「頼んだぞ翔平!」
「おうよ」
任せとけ、と笑いながら打席へと立った万賀。白里と目を合わせる。
「よろしく」
(さあ柏木。2度も負けているが、逆に言えばストレートのタイミングが完璧な分、ナックルの効き目はデカいぞ)
白里はナックルを待つ。しかしここで柏木が選んだのは――ストレート。しかも――ど真ん中。さすがに手が出ない万賀。
(な、ナックルちゃうんかーい)
驚く万賀ににやりと笑う柏木。
(おいおい……俺には関係ねえってか?)
(みんな……捕った俺を褒めてくれ……)
ノーサインで投げられたにも関わらず難なく捕球してみせる白里。その凄さに気づく者は、ノーサインで投げた張本人ただ一人。
「やっぱり……ナックルを待っている状態で投げられるストレート。ストレートを待っている状態で投げられるナックル。この二択を迫れるのが、今の柏木の強みだな」
金条は呟くが、伊奈は懐疑的だった。
「去年からそうだった。よく言えば完成されてるが、悪く言えばあれから変わってねえとも取れる」
「伊奈は元々ナックル自信ありだもんな」
「いや……そうでも無いよ。俺、柏木から打ったの全部カーブだし。俺が変化球得意なのは、ある程度タイミング待って打てるからであって、ナックル相手は必ずしも待つのが良いとは限らないから。力抜いてパコーンってマン振りした方が案外飛ぶし」
伊奈の見解に頷く大滝。
「考えれば考えるほど、ナックルは打てない」
そして、万賀は考えていた。
(どうすればナックルを仕留められる? もう一点ほしいが、俺相手にナックル一辺倒は多分無い。ストレートを叩くのもアリだが、ナックル叩いて終わらせたい)
2球目は際どいコースのストレート。これはカットした万賀。
(ちっ……追い込まれた)
そして3球目――投げられたのはナックルだったが、ボール球を見逃す万賀。
「翔平! 無理矢理打っても良いぞ!! 俺は進塁してやるからな!!」
大声で二塁から叫ぶ上月。苛立ちを見せた柏木が振り返って牽制球を投げる。
(翔平……お前ならナックルを打てる!!)
上月が思い出すのは、ベスト8で昂大を破った日の夜。ベンチ入りメンバーで、柏木邦也のナックルボールを、いろいろな動画を見漁りながら研究した。
――
「紅葉監督が言ってたんだ。『ナックルは読んだって打てやしない。投げ損なったときを狙えるように、引きつけて身体の近くで振り抜け』だってよ」
万賀が呟くと、「うーん」と唸るほかの面々。キャプテンを務める畑中が言った。
「あ、じゃあせめて失投したときに長打を打てるように、アッパースイングでカチ上げるのはどう? 事故でも長打になるかも、って思ったら投げるのためらうんじゃない?」
「まあ、ナックル以外はストレートとカーブだけだし、むしろ打ち込んで封じ込んだらこっちのもんか」
「そもそも投げてくるんか? 俺らのこと舐めてんじゃねえの、柏木邦也」
楠成や上月もそれぞれ自分の見解を話す中、万賀が「あ」と呟いた。
「春大会の鷹戸が良い感じに打ってたんだよ。なんというか、無駄な力感の無いスイングって感じで」
「知ってる。クロ高の鷹戸遥斗、バッティングも良いんだろ? でも、そんなヤツのマネできるか?」
「あれはバットが出てる角度なんだよ。変に球種とか意識せず、来た球打ち返す意識でやってるんだ。伊澄や練也のスイングスピードなら出来る。あとは……ココも練習しといて良いかもな」
万賀の言葉に、名指しにされた三人は頷いた。
「紅葉監督にかけあってみるわ。鷹戸のバッティング映像見るぞ。まあ、伊澄も練也もココも左だから真似難しいかもしれんけど、やってみる価値はあると思うんだ」
――
「打てや!!」
上月が目を見開いた。柏木が振りかぶった。万賀は肩の力を、ふっと抜いた。
(行くぞッ!)
投げられたのはナックルボール。万賀は対策通り、落ちてくる球に軌道を合わせるようなアッパースイングで応じる。
「あっ!?」
バットにボールが掠る。万賀のパワーで、高く打ち上がる打球。
「キャッチ!!」
ベンチの声。キャッチャー白里は万賀とぶつかりそうになりながらも、腕で彼と巧く距離を測り、顔を空に向けたまま落下点を探す。
(ライン際ッ……落とすなよッ!!)
高いフライは、少し余裕がある分、真下に入ってしまうと今度はかえって落ちてくるタイミングが掴みづらい。
(俺はリードができないから……こういうところでミスはできねえんだよな)
白里はがっちりとボールを掴み、4番万賀をキャッチャーフライに倒す。
「っしゃああ!!」
「おおっっし!!!」
柏木と白里。決して仲が良いわけではないバッテリーが、全く同じタイミングで叫んだ。
「う、うおおおお!!」
勝ち越し点を与えている状況。1アウト2塁。既に二打点を挙げていた4番万賀をキャッチャーフライに倒して、2アウト2塁。この状況の変化は、ピッチャーである柏木にとっても、バックを守る初巾ナインにとっても、かなりプラスだった。
「ナイスだ白里ォ……」
ベンチで根古屋監督が噛み締めるように呟く。マネージャーの伊藤はほっと一息ついた。
(やっといつもの邦也くんになったわ)
4番万賀が抑えられた状況で、勝ち越し点を上げたとはいっても空気は悪い。
「こんなときくらいいくらでもある!」
と紅葉監督はベンチで鼓舞するが、峰の不安定さもあり、1点差では心許ない。何より、この試合まで、万賀は凡退することこそあれど、ボールが前に飛ばなかったことがないくらい、打撃面では大活躍をしていた、という事実が大きかった。
その事実を、誰よりも重く受け止めているのが、4番万賀だった。
(ちきしょう……ダメだろ。ここで俺がへこんだらダメだろ)
言い聞かせはするが、気の利いた言葉が出てこない。5番遠藤が打席に立っている。ネクストには、赤楚。こちらを不安そうに見ている。
(1年に心配されてちゃダメだろ)
万賀が重い腰を上げようとしたそのとき、ドッ、とぶつかった。
「竜児ッ」
「おお、わり」
峰は何の気ない表情で笑っていた。
「俺さ、良いこと思いついちゃったんだよね。さっき伊澄と話してたんだけどさ」
「え?」
万賀が思わず問う。
「俺、やっぱ変化球使いたくねえわ」
「は?」
峰の言葉に顔をゆがめた万賀。横では畑中が笑っている。
「勝てば鉄日。負ければクロ高。北信越に向けて、どっちにせよえげつない勝負は避けられないし、どっちも勝ちたい。もちろん目の前の初巾戦も」
「当たり前だろ……今更何を」
語気が強くなる万賀に、まあまあ、と宥める畑中。
「そこで提案なんだが、点差が2開いたら、伊澄を試してみるのはどうだ?」
「……ふむ」
峰の提案を受け、万賀は思わず押し黙った。
「……それは、県予選決勝を見据えて、か?」
「さっきスタンドでクロ高と鉄日の帽子が見えた。あいつら、この試合を見に来てる」
万賀の問いに畑中が答える。
「竜児の縦スラは強力な武器だ。予選もここまで封印して勝ってきてる。だから、ここでみすみす手の内を明かすくらいなら、僕が投げた方が良いと思って」
(伊澄はまあ、ボールまとまってるし、スタミナもあってイニングイーターとしてはかなり優秀だ。中学時代に投手経験もあるから、一通り牽制やらフィールディングやらに難は全くない。点差に余裕がある限りはいけるところまで行ってもらうのは大いにアリだが……)
「わかった……でも、そのためにはもう一点――」
バットの音が鳴り響いた。ベンチがわっと沸き立つのと同時に、万賀も畑中も峰も、音のするほうを向いた。
「二遊間抜けたッ!!」
「走って来いっ!!」
ベンチから身を乗り出し、畑中が叫ぶ。
「練也! 帰ってこいッ!!」
センター柿崎が打球を拾ったときにはもう、三塁を蹴っている上月。まっすぐホームに突っ込んで、1点をもぎ取った。
「うおおおおっし!!!」
キャッチャーの白里の鼓膜がビリッと震えた。上月の咆哮に思わず驚く。
「2点差か……」
白里は呆然と柏木の方を見る。柏木は苛立ちを隠せない表情で5番遠藤を見ていた。遠藤はバッティンググローブを一塁ランナーコーチに渡し、ほっと一息ついている。
「ふざけやがって……」




