第397話「鉄日の哲学」
4番大滝に惜しみない声援が送られる。スタンドで応援する控えの1年生たちは大声で打席の大滝の背を押す。
「大滝さーんッ! 満塁弾お願いします!!」
「大滝さんならワンチャンある……ここで逆転打は熱い」
観客たちは、それぞれ“贔屓”がある。名門、鉄日高校。全国的にも有名で、プロ野球選手を複数人輩出している高校は、県内外問わず高校野球ファンがいるレベル。一方黒光高校は、県内、全国的に見ても強豪としての歴史は浅いが、この夏の甲子園での躍進から、間違いなく期待する声は大きくある。そして、この試合を投げた鷹戸、古堂の二人は、その甲子園のマウンドで話題に上がったクロ高2年の左右両雄として、4番の大滝は、三回戦の明徳高校戦で見せた逆転満塁弾を放った強打者として、大きく注目されていた。
「……いやあ、組織として完成度が高く、エース宮城やクリーンナップを中心に全体的にレベルが高い鉄日高校。一方、荒削りだがタレント揃いの一芸特化主体のクロ高。どっちが勝ち上がっても面白いですなァ」
とある大学野球のスカウトが視察に来ていた。もちろん、お目当ての選手がいる。
「岸本さん、あんたはどうですか? そういえば、鷹戸くん育てたの、あんたですよねェ」
「そうだなぁ」
黒鉄、新田、鷹戸を排出した福井県の強豪硬式クラブ、東区シニアの監督を務める岸本。スカウトの中年男性に話しかけられ頷く。
「ま……贔屓目抜きに、宮城と鷹戸で比べたら、育て甲斐があるのは鷹戸よ。宮城は良くも悪くも完成されちゃってるからねえ。古堂黎樹ももちろん面白いが、今からツバつけとくにはちょっともったいない気はするね。ま、明徳大さんの方がどう思ってるかはわかりませんが」
岸本の言葉を受け、「岸本さんには敵わんわ」と笑うのは、現明徳大学硬式野球部スカウト部の部長を務める、骨塚という男。
「しかし、なぜわざわざ福井まで? こんな田舎まで出向くの、大変だったでしょうに」
「んー、まあ……今年はスカウト苦戦しとりまして。エスカレーター先として1年の頃からツバをつけとった三好和徳も、茅場清も、田村勝清も、みんなプロ志望届出しよる予定だそうでェ」
「ああ、そちらの白銀世代軍団はまあ……納得です」
「2年の雪村雫、知多哲也などの芽吹いたスター選手たちも、プロに行きそうなもんで。明徳高校以外の系列校も似たような状況で。ちょっと外に足運ばないとやってられんという状況ですわァ」
「でもまあ……鷹戸も宮城も、プロがほっとかんでしょうな」
「まあ、私が注目しとるんは、あの4番の方ですけどねェ」
「……ほう、大滝真司ですか」
骨塚と岸本の視線の先に立つ、4番大滝真司。初球、投げられたストレートを見逃して1ストライクノーボールという状況。
「打者としての才覚は十二分に秘めよる。あとはそれを開花させる指導者がおればいい。でも、見たところ絹田監督、投手育成に定評はあるが、打者の育成にはさほど評判がよろしくないという問題がありましてェ」
「まあ割と根性監督ですからね。絹田サン」
絹田と旧知の仲にある岸本は笑う。
「まあでも、県の予選でハイレベルな戦いが行われているなんて、毎年のあるある。どっちかは夏の甲子園出られないんだもんなァ」
「……そりゃまあ。そういうもんですから。クロ高も鉄日も、昨秋から肉薄した戦いをしとりますわ」
2球目のフォークを見逃し、1ボール1ストライクとする大滝。三塁に林里、二塁に伊奈、一塁に佐藤と、走者をそれぞれ見渡してもう一度構え直す。
(ここまでみんなが繋いでくれた。2アウト満塁。俺は何度も、こういう場面で打ってきただろ)
一方、マウンドの宮城も味方ベンチを一瞥。どっしりと座る乾監督。声を張り上げる1年生投手二人。
(銀塚、高松……お前らの見てる前で初めて失点したわけだけど、クロ高ってメチャクチャつええからな。覚えとけよ)
3球目、やや甘いところにツーシームが投げ込まれる。一瞬、しまったという表情を見せた宮城。迫田も目を見開く。
(アイツ……失投したかッ!)
振り抜かれたバット――大滝は打球の行く末を見る。ショートの頭を越え、レフトへのライナー。
「ドライブッ!!」
沈む球を掬い上げるように打ち返した大滝の打球は、ドライブ回転がかかっていた。伸びない打球を追うために前にダッシュするレフト泉中。
(夏ベスト4のチーム、新チームに変わった今でも、7人は背番号もらって甲子園出てたチーム相手に、2失点で収めてるイザナを救わねえでどうするッ!!)
走りながら思い出すのは、守備練習の日々。
(1年の秋から使ってもらってるけど……自分が優れているなんて思う余裕は一切無かった。先輩たちの方が圧倒的に巧かったし、俺は打撃も込みで評価されてたから……でも)
乾監督の言葉が走馬灯のように思い出された。打球が落ちる際、前に飛び込む泉中。
『ノーヒットでもノーエラーなら全然良い。どんなピンチもノーミスノーエラーで切り抜けろッ!!』
呪文のように唱え続けられた言葉は、まるで聖典のように暗唱できる。その言葉を吐いているときの口の形が夢に出そうなくらい、言われ続けた。
(守備は守って当たり前ッ!! でも、こういう場面でエラーを怖がるために練習してるんじゃ無いよなッ!!)
ファウルゾーンに飛び込んで打球を弾いた赤河の姿、イレギュラーバウンドの打球に対して咄嗟にグラブを出して捕った山本の姿――そして、強打者相手に臆せずコースに投げ込み続ける宮城の姿。キャプテンとして思い出すのは、それらの仲間の姿。
視界が芝で真っ青になる中、使い込まれた外野手用グラブの中に、ボールの感触があった。
(違うわけ無いよな。幾度となく触った、硬球の感触だ)
叫び声と共に左手グラブを高々と挙げた泉中。大滝をレフトライナーに倒し、8回表2アウトのピンチを切り抜けた。キャプテンのファインプレーに、球場は一気に鉄日高校を後押しするムードになる。
「幾度となく守備で流れを引き込んできたあいつらだからこそ、この場面の鉄日の守備のファインプレーがキツいっていうのがわかっちまうのが辛いな」
周りの一般客の変わりようを見て、前キャプテンの今宮が嘆くように呟いた。田中遊も、山口も、小林も、芝も、坂本も、伊東も、はたまた新田も、それに強く共感するように頷く。
「こういうのに負けないように、敢えてキッツい練習積んでるけど……やっぱそれでも、8回表で4番が抑えられたって堪えるよね」
小林が続けて呟くと、伊東は「あっ」と呟いた。
「関係ないって顔してるやつが、一人いるわ」
同じく気づいた新田がケラケラと笑い出した。
「良いな、あいつがいると……全部なんとかなるように感じる」
マウンドに向かう古堂。盛り上がる鉄日高校側のスタンドを見て、満面の笑みを浮かべている。それを不気味そうに、そして好敵手を見つけて喜ぶ野球少年のような笑みを浮かべる鉄日の4番、赤河栄介。
(久しぶりだなァ……古堂黎樹)
蘇るのは、赤河に打たれたスリーランホームラン。それでも古堂は不思議と緊張しない。
(俺の仕事は……ここを良いピッチングで切り抜けて流れをまた引き寄せること。何も迷う必要は無い)
4番を目の前にしても、古堂の表情は変わらない。丁寧にアウトローにストレートを投げ込む。初球から狙ってスイングしていく赤河。しかしこれは一塁線切れてファウルとなる。
(球速140……ほぼMAXじゃねえか)
続いてインコースのカットボール。これもバットを振るが、ファウルとなる。
(何投げても打たれる気がする……それくらいのバッターだ。俺らの代の中で見たら……かなり上澄み)
「赤河は中距離ヒッターだっただろ、元々。なんであんなスイングがデカくなってるんだ?」
そう呟くのは、観客席の地村。
「まあ、当てるだけなら簡単にヒットコース運べるからな、アイツ」
俺の球は無理だったけど、と付け加えて笑う黒鉄。
「でも黒鉄、お前は赤河を買ってたろ」
「まあな。アイツの野心家で、俺ら白銀世代を喰わんとする態度は好きなんだ。守備苦手だから乾監督には干されてたけど」
「あはは、まあ最後の夏は、乾監督がその哲学を曲げてでも起用したくなるほどの打者だからね」
赤河と同じポジションだった3年の島田が笑った。
3球目、古堂の投げたスローカーブ――赤河は狙い澄ましたスイングで振り抜いた。
(いつもより曲がり始めが遅いッ!!)
打ち上げた打球。バットを掠めたボールが空高く打ち上がる。
「オーライッ!!」
金条がマスクを取って上空を見た。
「フェンス危ないぞ!」
ベンチからの声も厭わず、フェンスに突っ込んでいく金条。右手でグラブを抱きかかえるように落下地点に入る。打球を収めたグラブを高々と挙げ、主審にアピールした。
「アァウッ!!」
(畜生……カーブ読み切ったのに……)
4番赤河が悔しそうな表情のままベンチに戻る。
「抜かったか」
「はい。正直、“鷹戸ほどじゃない”と無意識に思ってたみたいです」
乾監督の言葉にも正直に答える赤河。
「……そうか。まあ今日は守備ノーミスだし、ホームランも打っている。後は9回の守備。絶対に気持ちを切らすなよ」
「はい」
(乾監督の笑顔の裏の圧力……こええって)
ネクストに向かう6番山本は赤河を見て笑う。
(しかし……とんでもなく良いピッチャーだぞ、古堂黎樹。あのカーブを見せられたら……嫌でも意識しちゃうよな)
本日3安打の5番月守に対しても、ファーストストライクを果敢に取りに行く古堂。手が出ない月守。左投手を相手に、右打席に立つ月守を見守る鉄日ベンチ。
「向こうが1点差だったらまだ食らいつける、と考えているように、うちも1点差だったら心許ない、と思っている。頼むぞ月守……。赤河がやられてもお前がいるって……見せてやれ」
9回表の守備に備え、宮城は投球の準備に入り始めている。
(わるいけど……負けねえからな、レイ)
月守も、ネクストに立つ山本も、あの夏の敗北をベンチからしか見られなかった――その悔しさを、同じベンチから見ていた宮城は知っている。
2球目のシュートを打ち返す月守だが、ライト線大きく切れてファウルとなる。
(次もストライクゾーンだ。カーブじゃなかったら打ちに行く!!)
意気込む月守。金条のリードに頷く古堂。3球目を投げ込んだ。インコースに突き刺さるクロスファイヤのストレート。
「スタァアアアウッ!!」
「っしゃああッ!!」
主審以上にマウンドで叫ぶ古堂。月守を見逃し三振に倒し、2アウト。
「コドー、早くも3奪三振……! ほんとに流れを引き戻しやがったッ!!」
観客席から伊東は笑う。そして――6番山本も空振り三振に倒し、8回のウラを三者凡退で乗り切った。沸き立つクロ高ベンチ。またしても流れを引き寄せる古堂のピッチング。
「コドーくん……凄いよ……ほんとに凄い」
鉛筆を持つ手が震える小泉。2-3で負けているとは言っても、不思議と負けている気がしない。勇気づけられるベンチのメンバー。そして、試合に出ている野手陣はなおさらである。
「さぁ、最後だ。嶋田、森下……この打席、絶対に野球人生の糧になるから、後悔しないように思いっきり打ちに行けよ」
「はい!」「はい!!」
1年生二人に檄を入れた絹田監督。そのまま打席に向かう嶋田、ネクストサークルに向かう森下を見送る。そしてもう一度円陣の中に目を向けた。
「金条、回ってきたら……相手の鉄壁の守備……その牙城を崩してやれ。セフティでもたたきつけでも何でも良い。生き残れよ」
「はい」
「佐々木、宮城の球、打ってみてどうだった?」
「桐陽学園の松下さんのことを思えば、打てば飛ぶだけまだ可能性を感じます」
「だよな。あそこまでの化け物ではない。お前たちと同じ、高校2年生だ。臆せずスイングしにいけ」
「はい」
「八坂、誰かが出塁したら代走。んで、コドーの打席まで回ったら、宮地、代打だ」
「はい……!」
「はい!」
一気に動くベンチ。マウンドでこちらを見ている宮城。
「さぁ……最終回。宮城イザナ攻略と行きましょうか」




