第二章 第七話 動き出した秘め事
城の中には皇族の女性専用のサロンがある。男は緊急時以外立ち入り禁止。このサロンに出入り出来るのは女性のみ。その為、護衛も女騎士が就いていた。
「どうした、リティ。沈んでいるようだが……」
夕食後、リスティーナに誘われる形でケーラルーンはサロンを移動した。部屋に入った瞬間に豹変した雰囲気に戸惑いつつも、初めての事ではないため付き合っているのだ。
「あの時、私は些細な違和感を無視しようとしてしまった。上に立つ者として決して見逃してはいけないサインを見逃しかけました。…………フィスが居なければ、私たちは罪無き者を亡き者にしてしまっていたかもしれない……」
あの時とは、フィリスティアロスがディファメンティスとティグクレアルスに掛けられた呪いを見破った時の事だろう。
フィリスティアロスが動かなければ二人を含め、シェルクル家の関係者はその殆どが死罪。もしくは生涯幽閉。罪を免れたのは結局、呪いが掛けられていた二人だけだった。
「その原因は既に明白になったであろう。シェルクル元子爵の言葉に呪いが掛けられておった。あの声を聞いていた者は誰でも違和感無く事を進めるように。
……妾とて気付けた訳ではない。第四皇子が動いた故に表面化したことよ」
ディファメンティスとティグクレアルスに呪いが掛けられていたのと同様に、シェルクル元子爵にも呪いが掛けられていた。それは幻惑に分類される類の呪いであり、元子爵の声を聞いた者は些細な違和感があっても見逃すといった効果を持っていた。
普段は些細な呪い等、跳ね返すだけの守護を持つが、連日の審議と審議前の準備で皇族全員の疲労がピークに達している。だからこそ、普段は掛からないような幻惑に惑わされたのだろう。
「そう……、フィスは動きました。誰も気付かなかった、気付いていてもそれが異変だという事を認識出来なかった中で、あの仔は気付き、そして呪いを見破った……」
二人に掛けられていたのは絶対的な服従の呪い。元子爵の意向に逆らわないよう、画策されている反乱を口外しないよう、縛り付ける為の鎖。それは皇族への怨嗟の念で出来ており、それに『真偽華』が反応したのだった。
「まったく……。末恐ろしいの」
後ろに控えていたケーラルーンも気付けなかった。フィリスティアロスが突破口を作り、片鱗が見えたからこそ対応する事ができた。尻尾が掴めれば臨機応変に対応する。要求される一瞬の判断力。それは長年皇族として生活している中で培われた物だった。
事前の打ち合わせは全く無い。念話も無かった。片鱗が見えた瞬間に名を呼ばれ、己が何をすればいいのか瞬時に判断せざるを得ない状況に追い詰められた。
「あの仔には一体、何が見えているのか……」
頬に手を当てて案じるのは、目覚めて間もない我が仔。この世界の理も知らず、仕組みもよく理解していない。
反乱と言う騒動の所為でまだ教える事が出来ていないのが現状。
その黄金の瞳に映っているのが何なのか、リスティーナには窺い知る事は出来ない。聞けば教えてくれるだろうが、理解できるとは思えなかった。
「さてな……。少なくとも、早急に教育を始めなければならぬ事は確かだろうな」
ソファーに体を預けると、果物の一種、オリンから抽出した原液を発泡水で割った物に口を付ける。リスティーナの前にも同じ物が置いてあった。
「そうですね……。要らぬ害意や悪意が忍び寄る前に」
簡単に絡め取られはしないだろうが、年の功には抗えない物がある。聡いからといって何も手を打たないわけにはいかない。
リスティーナの想像以上にフィリスティアロスは大人びていた。
「妾の時とは全く状況が違うゆえ、助言のしようも無い」
限られた短い時間の中で感じたのは、考え方が既に子供ではないという事。興味を示すのは大人のそれと同じ物。
今回の審議でも退屈だと愚図ったり、寝たりしてしまうような事は無かった。
「私は、あの仔の母親として何が出来るでしょうか……」
甘えてはくれる。普通の子が母に甘えるように、フィリスティアロスもリスティーナに甘える。だが、それは皆の前でだけ。人目がない所で行き交ったとしても会釈をするくらいで傍に寄って来る事はほぼ無いといっていい。それが寂しいと思う。
「それは追々解って来る。急いて母親になる必要は無い」
己が子供の頃は母にべったりだった。闇系の鱗が多い中、銀に煌く鱗を持っていたのは極僅か。自然と甘えるようになったのは仕方がない事かと思われた。
戸惑う気持ちも解る。いくら竜属が成長してから生まれるとは言え、フィリスティアロスは大人び過ぎていた。ロスティグクス辺りであれば何らかの事情を知っているかもしれないが、語られないものを強引に聞き出す事は躊躇われた。
思考に沈んでいる時、カチャリとノックも無しにサロンの扉が開かれる。入って来たのはキャスティーヌ。ディファメンティスの浄化を行っているはずである彼女がここに来るのは想定外だった。
「第一皇女……。浄化は終えられたのか?」
軽装のリスティーナやケーラルーンとは違い、キャスティーヌは未だ正装である師団服を脱いでいない。
「いえ……。ディファメンティス殿に掛けられていた呪いはどうやら龍力でなければ解けない様で、レングフォルテス様が代わりに」
リフィルロギュナーが城に滞在している間、本来魔属竜の谷を守っている守護の要。魔属竜以外どうでもいいと思っているチェルククシアートが動くのはリフィルロギュナーの命があった時くらいである。
「余程、フィスを気に入っておられるのですね……」
ディファメンティスはフィリスティアロスが欲したティグクレアルスの血族。現状で言えば唯一残され、赦された肉親になる。その者を助ける為に使った力の所為で失う事があってはならないと判じたのだろう。
何処まで寛容になるのか、リスティーナは己の父を思い、頭を抱えた。
「ティグクレアルス殿は魔属竜皇直々に……とお聞きしたのですが、そこまで関わっても良い物なのでしょうか?」
リスティーナの考えの更に上をいく相談に、返す言葉も見付からない。ソファーに座る事無く悩むキャスティーヌと同じ気持ちであった。
竜属は他種族に不干渉。強く請われて仕方なく力を貸す事はあっても、自ら進んで行動を起こす事はまずあり得ない。しかし、現実は魔属竜トップ二人がそれぞれ動いている。
誰に強制される事なく、己の役割を果たそうとしているのだ。
問いに答える言葉を、リスティーナは持たなかった。
「害意は感じられませんでした。レングフォルテス様が滞在されている部屋に伴われたのですが、お止めしなくて本当に良かったのか……」
その苦悩は解る。他種族に殆ど干渉しない魔属竜。加えて今回は次代の魔属竜皇を害されている。本来ならば敵意を剥き出しにされてもおかしくは無い状況。だが、現状は助ける方に回っている。
魔属竜トップクラスが擁護に回っている以上、不満はあれどそれを表面化する事は難しいと思われた。
「敵意があればその場で処断するのが魔属竜です。他者の目を気にする事無く、己等の掲げる信念で他者を排す。父上が排除に回らない限りお二方の命は保障されています」
排除と擁護の差が激しいのは魔属竜の欠点とも言える。排する者はとことんまで追い詰めて排除し、守ると決めた者は己の命を賭して守り抜く。一度懐に入れた者に関しては余程の事がない限り赦すのだ。
「では、お二人は魔属竜皇とレングフォルテス様に任せても良いと言う事ですね?」
キャスティーヌの緋色の瞳は真剣な光を湛えている。ディファメンティスとティグクレアルスは貴重な人材である。これ以上、優秀な者を失う事は避けたいのが本音。
「大丈夫。父上にお二人を害する意志は無い。レングフォルテス卿も父上に従うから安心していいわ。私にもお二人を排する意思は無い。
それに、ティグクレアルス殿をフィスが望んだ。同属の意志を重んじる魔属竜においてそれは何より優先すべき事柄よ。だからお二人の命は私が保証するわ」
黄金と緋が交差する。ケーラルーンはただ黙って二人の遣り取りを見守っていた。
「……解りました。リスティーナ様の言葉を信じます。…………ありがとうございます」
ずっと気を張っていたのだろう、キャスティーヌが纏う雰囲気が一瞬緩む。だがそれは一瞬の事ですぐに気は引き締められた。
「第一皇女。オリンでよければ直ぐに用意出来るが、休んでゆかぬか?」
疲労はピークに達している。本来であれば休息に入っている時間帯である。それでも休もうとしないキャスティーヌの身を案じ、ケーラルーンが思わず声を掛けた。
「申し訳ありません。我が親衛が居ない間にしなければならない事がありますので、お言葉だけで……」
サロンに来るからと言う理由で、普段就いている親衛は解散させた。何処に行くにも付いて来るネイフォースレイも例外ではなく、今キャスティーヌが連れているのは側付きのメイドだけだった。
「悪巧み?」
「……どうでしょう」
悪戯っ子のような笑みを浮かべたリスティーナに、どこか悲しげに見える笑顔を返す。
「では、私はこれで……。明日の審議はありませんが、明後日からは再び気の抜けない日々が始まります。お体をご自愛下さい」
「解っているわ。…………キャス」
問いたい言葉を飲み込み、見送る。再び閉じられた扉に、リスティーナは大きな溜息を吐いた。
「…………第一皇女は、何を企んでおる?」
皇族には害の無い企み。ただ、キャスティーヌの胸の内にのみ秘められた事柄。
「解らないわ……。無理をしないといいのだけれど……」
オリンの発泡水で喉を潤し、リスティーナが首を振る。蓋を開けるまで何が起こるのか解らない。ただ漠然と、それは確実にキャスティーヌを追い詰める物であるという事だけは理解できた。それが余計に二人の不安を煽る。
「気を付けておけ……。妾も可能な限り気を配るが……何処まで気付けるかは解らぬ」
「えぇ。馬鹿な事を考えていなければいいのだけれど……」
この時何故問い詰めなかったのか。言い知れぬ不安を抱えたまま、二人は閉じられた扉を眺めていた。
▽ ◇ △ ◇ △
二人の前から辞したキャスティーヌは己の執務室へ戻って来ていた。
「不寝番ご苦労様」
「はっ」
扉の前に立っている衛兵に声を掛け、部屋へと入る。夜も更けているという事もあり、付いて来ていたメイド達も解散させた。中に居るのはキャスティーヌただ一人。
簡単な封印の掛かった棚から数枚の紙を取り出すと、机へと向かう。淡く灯っていた灯水晶がその光を隠し、代わりに輝水晶が輝きを放つ。
明るくなった部屋に、一つの影が落ちる。
「…………私は……」
取り出した紙の一枚一枚に目を通す。その書類に対して一文書き加えて行く。その表情は穏やかで、最近の騒動の中で見せる事は無い表情だった。
墨を羽ペンに乗せ、丁寧にペンを動かす。魔力を込めた文字は一度淡く光り、紙に定着する。改竄を予防する為であり、確かな意志を持って書き込んだという事を示す意味も持っていた。
最後まで文字を書き入れたとき、音も無く机の上に一つの箱が現れる。
「やっぱり……そう…………」
封が施されたままの箱。手に取り苦笑と共に呟いた。
箱の中身はキャスティーヌが苦心した物。それが日の目を見る事無く再び手元に戻ってきた。半ば予想していた事だが、実際に目で見れば負うダメージは大きい。
それも、己が蒔いた種だと無理やり納得させ、次の紙に移る。
書く内容には事欠かない。思った以上に平然とペンが動く。
これ以上の意地は張れない。母親が反乱を起こした。皇女としての立場は父皇や兄皇子が保障してくれた。だからこそ、我を押し通し続ける事は出来なかった。
書類が一枚完成する度に机の上に箱が増えて行く。それはどれも封が成されたままの物。誰一人として中身を見るつもりも無かったのだと、如実に伝えて来る。
ポタリと手の甲に雫が落ちた。
「…………ばか……よね」
その雫が書類に落ちないように気を付けながら、全ての書類を完成させた。
完成させた書類の数だけ、机の上には封の破られていない箱が並んでいる。その箱を机の引き出しに無造作に放り込むと、己以外に開ける事が出来ないよう、簡単な結界を張る。
《兄様。今お時間よろしいですか?》
椅子に体を預け、念話を長兄に繋げた。
《大丈夫だが……。こんな時間にどうした》
長兄の気配は執務室にある。書類整理に追われているのか、侍従達が頻繁に出入りしている様子が伝わって来た。
《すぐに決裁が必要な書類があるので、今から伺っても?》
忙しいのは解っている。だが、この瞬間を逃せば次いつ動けるか解らない。
《……一人か》
《えぇ》
《…………人払いをしておく》
《ありがとう》
キャスティーヌの考えが大体読めるのか、暫しの逡巡の後、答えが返ってきた。
書き上げた書類を揃える。見慣れた文字を指先で辿り、笑みを深める。
「さて……。兄様を待たせる訳にはいかないわ」
後ろ髪を引かれる思いはある。だが、長年願っていた事も知っている。今がいい時期なのだ。反乱の混乱に乗じ事を進める。人事に関しては絶好の機会と言わざるを得ない。
悔いを断ち切るように書類から視線を逸らし、待っているだろうルクルケツァクルの元へ向かったのだった。
▽ ◇ △ ◇ △
妹姫から渡された書類を前に、兄皇子は頭を抱えるしかない。いつかは来るだろうと思っていた。その時は書類の偽造を理由に跳ね除けようと思っていたのだが、用意された書類は本物。無理やり書かされた気配も無く、己の意思で書いたものばかり。
ただ、最近書かれたものであるかどうかの判断は付きかねた。
「お前……、これはいつ出されたものだ」
書類にはそれぞれの魔力が濃く残り、劣化している様子は無い。時が経つに連れ、文字に込められた魔力は空に還る。その魔力の減り具合からいつ書かれた物かを判断するのだが、提出された書類はごく最近書かれたものだとしか判別が出来なかった。
「…………時留めの術か」
一般的に高等魔術に分類されている術の一つ。長時間維持する事は難しく、一週間程度維持する事が出来れば胸を張っても良いといわれる代物。しかも一度しか掛ける事は出来ず、一回解けてしまった時留めの術を同じ物に掛ける事は不可能。
「何の事かしら」
そんな時留めの術を解く事無く、受け取ったその日から今までずっと維持し続けて来た妹姫の意地と実力に、最早溜息しか出ない。
時留めの術から解放されれば、自然と時の流れに戻っていく。
「今出すか」
「今出さないといつ出すの?」
当然の様に言うキャスティーヌに掛ける言葉も無い。
出された書類は正式な物。不備も無く、受理してしまえば問題なく事は進む。だが、受け取る事は躊躇われる代物だった。
「一応、預かる。…………8枚だな」
ルクルケツァクルの言葉に、キャスティーヌが反応を示す。
「あら。9枚無い? 全員出してた記憶があるけど」
「無いぞ。フォクスウィステスは出してないようだな」
「…………あの狐……っ」
キャスティーヌ付き親衛隊の副隊長を拝命しているフォクスウィステス・ノザラティア。ノザラティア伯爵家の次男で家系からは想像出来ない良い性格の持ち主である。
「アイツの得意魔術を知っているか?」
「……幻惑系よ! 箱があったし、封もあったから油断した……っ」
琥珀色の癖のある短髪と、殆ど色の無い淡緑の瞳を思い出して忌々しげに吐き捨てた。
「…………アイツは少し変わっているからな」
「少し!?」
「言いたい事は解るが、諦めろ」
近衛と親衛の統括であるルクルケツァクルも頭を痛める問題児。だが、確固たる実力を兼ね備えているのだから始末に終えない。キャスティーヌの親衛隊を選抜する時も、面白そうだと言う理由で移動した人物であった。
「取り敢えず、8人の書類は預かる。……本人の意志を確認するまで、受理はしないからな。勝手に受理して恨まれるのはごめんだ」
親衛隊の証たるピアスこそ付けて居ないが、仕事に誇りを持っている。
ピアスの件もタイミングが悪かったとしか言いようが無く、話し合いの場を持ちさえすれば丸く収まる事柄だったはずである。それがここまで拗れる事になるとは予想もしていなかった兄皇子だった。
「恨まれる事は無いと思うわ。それは本人達が出した物だもの。どうしようと自由でしょ」
「…………何年前の話をしている」
キャスティーヌの親衛隊が設立されてから既に百年は超えている。
「事が落ち着き次第、本人達の意志を確認する。意志によってはお前も覚悟を決めろ」
「……解ったわ。じゃぁ、兄様。よろしく」
不承不承と言った体で頷き、踵を返す。
「明日は休めるとは言え、明後日からは審議が待っている。早く休め」
「はーい。おやすみなさい」
「あぁ」
軽く振り返り、手を振ってくるキャスティーヌに手を上げて応え、退室していく後姿を見送った。
残された書類に頭を抱えつつ、深い溜息を吐き出す。
キャスティーヌと親衛隊の溝は知っていた。だが、上から指示を出すだけではその溝が埋まる事は無い。出来れば和解をと思っていたが、それも難しそうである。
「だがまぁ、これで事は動く……か」
預かった書類を執務机の引き出しに仕舞いながらもう一度深い溜息を吐き、本来やらなければならない仕事へと戻っていった。




