第18話 本物のお客様
姉を迎える日の朝、ミラは自分の服を三度確かめた。
青い服は似合っている。袖口に汚れはない。髪は低くまとめてある。
それでも鏡の前から離れられなかった。
「白いほうに、なさいますか」
リネが尋ねた。
「いいえ」
返事だけは早かった。
姉の好きな服へ着替えたら、姉の好きな自分まで戻ってしまいそうだった。
扉が叩かれ、ルーカスが顔を出した。
「馬車が橋へ入った。支度は」
言葉を切り、ミラを見た。
「似合っている」
「まだ、何も聞いておりません」
「聞きそうな顔だった」
ミラは笑い、鏡から離れた。
階段を下りる前、彼が右手を差し出す。
銀の指輪が見えた。
ミラも同じ手を重ねた。
馬車は二台、前庭へ入った。
先に降りたヴァレリウスは、ルーカスによく似ていた。
同じ高い鼻、似た肩幅。だが人の目を捉える順序が違った。兄はまず城を見て、次に並んだ兵を見て、最後に弟を見た。
ルーカスは、兄が足を地面へつけたときから見ていた。
「苦労をかけたな」
ヴァレリウスは両腕を広げた。
ルーカスは礼をした。
抱擁するには、一歩遠い距離だった。
「ようこそ、兄上」
兄の腕が静かに下がる。
その後ろから、セレーネが降りてきた。
白い毛皮の襟に、淡い薔薇色の外套。母が旅立ちのミラから外した真珠の首飾りが、胸元で光っていた。
「ミラ」
姉は微笑み、いつものように手を伸ばした。
顎を持ち上げ、顔を確かめるときの手だった。
ミラは一歩、隣へ動いた。
ルーカスのそばへ。
「遠いところを、お疲れでしょう。お部屋を用意しております」
姉の手が宙に残った。
セレーネはすぐ、外套の襟を直す動作へ変えた。
「ずいぶん、よそよそしいのね」
「こちらでは、迎える側ですので」
自分で言って、胸が鳴った。
姉が目を細める。
その視線がルーカスへ移ったとき、笑みの質が変わった。
「初めまして。セレーネ・カーレンでございます」
「ルーカス・アーレンスです。妻から、伺っております」
妻。
前庭で、誰にでも聞こえる声だった。
ミラは下を向かなかった。
客室は南棟に二つ用意した。
セレーネは扉の前で足を止めた。
「あなたのお部屋は?」
「東棟です」
「なら、そちらがいいわ。昔は同じ部屋を使ったこともあるでしょう」
熱を出した姉のそばへ、寝ずに水を運んだ部屋のことだった。
「東棟は私たちの居室です。こちらの部屋が、一番暖かく整っております」
「私たち?」
ミラは頷いた。
背後のルーカスも、何も訂正しなかった。
セレーネは廊下の奥を見て、それから微笑んだ。
「そう。では、お茶をお願い」
命じる声は、変わらなかった。
ミラはエダへ目を向けた。
「客間へ、四人分をお願いします」
「はい、奥様」
エダの返事は明るかった。
姉がわずかに口を引き結ぶ。
昔ならミラが厨房へ走っていた場面で、ミラは夫と並んで客間へ向かった。
ヴァレリウスは、暖炉に背を向けて座った。
「さて。まずは、互いに行き違いがあったようだ」
「行き違いではありません」
ルーカスが答えた。
「双方が、別人を送った。それを婚礼前に知った俺たちが、結婚を選びました」
兄は軽く息を吐いた。
「そう硬くなるな。責めに来たのではない」
ミラは夫の手を見た。
指が一度、椅子の肘掛けをつかんだ。
庇うように話す兄。
夜中に聞いた話の声が、目の前で形になった。
「ご病気は、いつ快復なさいましたか」
ミラが尋ねる。
ヴァレリウスは彼女を見た。
「長く伏せっていたわけではない。動けない事情があった」
「それでは、病人の看護が必要という知らせは、正確ではなかったのですね」
セレーネの顔が動いた。
自分が拒んだ理由の一つが、消えた瞬間だった。
「それを確かめるために来たのでは」
「私は、確かめたいです。私たちが偽名を名乗った理由ですから」
ミラは茶碗を持たなかった。
手を震わせずに済む自信がなかったので、膝に置いたままにした。
ルーカスが続けた。
「兄上の結んだ東峠の契約についても」
ヴァレリウスの笑みが薄くなる。
「仕事の話は、男同士でしよう」
「道を開くのはミラです。彼女抜きでは話せない」
迷いのない返事だった。
ミラは夫へ目を向けた。
彼は兄を見たままだったが、膝の横に置いた手を少し開いた。
その指へ、自分の指を重ねた。
セレーネは茶を一口飲み、場を和らげるように笑った。
「まずは家族のお話をしましょう。ミラ、あなた、私へ返す物があるでしょう」
「はい」
ミラは立ち上がった。
扉のそばに置いてあった箱を卓へ運ぶ。
姉の白い婚礼衣装が、中に畳まれていた。
「袖は元へ戻してあります。裾は切っておりません。お借りした髪飾りも、こちらに」
姉は箱を見た。
「そういう話では」
「あなたの物は、これです」
声が思ったよりよく通った。
ミラは夫の隣へ戻った。
「ほかに不足があれば、目録と照らしてお知らせください」
セレーネは箱へ触れなかった。
ヴァレリウスが、弟へ視線を向けた。
「ずいぶん、妹君を強くしたようだな」
「元から、自分の考えを持っている人です」
ルーカスは答えた。
「俺が強くしたのではありません」
ミラはつないだ手を握った。
同じ部屋に姉がいても、自分の言葉が消えなかった。
客間を出た後、ミラは廊下の途中で壁へ手をついた。
思っていた以上に疲れていた。
ルーカスが隣へ立つ。
「大丈夫か」
「少し、足が」
「抱えていこうか」
「お客様が、見ていらっしゃるかもしれません」
「それなら、なおさら」
顔を上げると、彼は真面目な顔をしていた。
「君が俺の妻だと、まだ足りないほど言っておきたい」
ミラは笑ってしまった。
「歩けます。でも、腕はお借りします」
「どうぞ」
廊下を進むと、背後で扉の開く音がした。
振り返らなかった。
自分が何を見せているか、もう怖くなかった。
夫の腕に触れて歩くのは、姉から借りた役ではない。
今はそれを、姉にも見てほしかった。




