第17話 返してほしいもの
セレーネは、妹の絵を最初に見たとき、自分が下手に描かれたのだと思った。
王都の画商の店だった。
友人への贈り物を選んでいると、小さな夫婦の写しが目に入った。青い服、薄茶色の髪、隣の男へ傾いた肩。顔の輪郭だけは自分に似ている。
「これ、誰?」
店主は得意そうに答えた。
「グラント砦で新たに選ばれたご夫妻です。弟子が現地で描きましてね。王領監察のお墨付きもあるとか」
実際には任命の報告が進められている段階だったが、店主はそこまで区別していなかった。
セレーネも、続きを聞く余裕を失っていた。
男が、美しかった。
王都で見たヴァレリウスのような、見られることを知り尽くした美しさではない。笑うと目尻が柔らかくなり、傷のある手が、女の手を大切そうに包んでいる。
「この方が、ヴァレリウス様?」
「弟君のルーカス様だそうです。奥方も妹君とか。いや、詳しい事情は私は存じませんが、なかなかの恋物語で」
セレーネは返事をしなかった。
妹。
弟。
自分がいらないと言った婚礼が、違う二人の恋物語になっていた。
屋敷へ戻ると、母が青い顔で手紙を読んでいた。
「ミラから?」
「監察役所からよ」
父は暖炉の前に立ち、短い距離を何度も往復していた。
「アーレンス家め。次男を寄越すとは」
「あちらも、同じことをおっしゃっているそうです」
母の声が尖った。
「同じではない! こちらは娘だぞ」
何が違うのか、父は説明しなかった。
セレーネは机の上の書面を取った。ミラの名前がある。自ら選んだ、代替される意思はない。
読み慣れた字だった。
姉のために招待状の宛名を書き、礼状の下書きをし、夜会の持物を一覧にした字。
その字が、初めて姉の望みを断っていた。
「誰かに、書かされたのでは」
母が言った。
セレーネは首を振りかけ、やめた。
ミラの字には、迷うときの癖がある。横線の先が細く消えるのだ。この書面の写しには、その癖がなかった。
「私が行きます」
父が足を止めた。
「北へか」
「私の縁談でしょう。お話をしてきます」
病人の寝床のそばで冬を過ごすつもりはなかった。
だが、あの絵の中で愛される女になるのは、悪くない。
ミラは何かを手に入れると、たいてい最初に姉へ見せた。菓子も、布も、祖母にもらった小さな飾りも。
欲しいと言えば、困った顔をしながら渡した。
今度も、話せばわかるはずだった。
出発前夜、セレーネはヴァレリウスと会った。
彼は健康そのものだった。黒い髪を後ろへ流し、白い手袋を膝に置いている。かつて婚約状に返事を出した相手なのに、二人で話すのは初めてだった。
「弟が、迷惑をかけました」
最初にそう言われた。
セレーネは微笑んだ。
「妹も、思い込むと周りが見えなくなるところがございます」
相手が頷く。
言葉はよく合った。
なのに、気分はよくならなかった。
「砦へは、いつ」
「君と同じ日に出る。途中まで一緒に行こう。父が、私に話を収めるようにと」
「ご病気は、もう?」
ヴァレリウスは一瞬黙り、それから笑った。
「幸いにして」
セレーネも笑った。
互いに、嘘を咎められる立場ではなかった。
「君には、予定通りの扱いを用意できる」
「予定通り、とは」
「アーレンス家の嫡男の妻として。砦も、いずれは私が引き受ける」
セレーネは茶碗を置いた。
絵の男は、こちらではない。
この人は自分を見ているが、もう見飽きた者へ向けるような目をしている。美しいことは承知している、その価値を取引に使える、と。
「ミラは、どうなりますの」
「ご実家へ。弟も、別の任務へ戻す。彼は人の下で働くほうが得意だ」
「あの二人を、離すのですね」
「それが一番早い」
セレーネは窓の外へ目を向けた。
離れた後、ルーカスが誰を選ぶかまでは、この男の予定にないのだろう。
「まずは、お話ししましょう」
彼女は言った。
自分の望みを、すべて伝える必要はなかった。
その頃グラントでは、ミラが夫の指輪を受け取っていた。
細工師の店の奥で、小さな銀の輪を掌に載せる。自分のものより少し太く、内側に小さく二本の線が刻まれている。
「お二人の石の光を、真似しました」
細工師が言った。
「名前を入れるには細すぎましたので」
「きれいです」
ミラは何度も角度を変えた。
ルーカスに贈るものを、自分で持って帰る。
それだけで、道を急ぎたくなった。
城へ戻ると、彼は厩で馬の脚を見ていた。ミラに気づき、すぐ手を洗いに行く。
「どうした」
「お時間を、少し」
「今、ある」
小広間まで待つつもりだった。
だが彼の顔を見たら、待たなくてもいいと思った。
ミラは箱を開けた。
「あなたの分です」
ルーカスは何も言わず、輪を見つめた。
彼女が贈られたときも、こんな顔をしたのだろうか。
「手を、いただけますか」
差し出された右手は少し湿っていた。乾かすのを急いだのだ。
ミラは自分のハンカチで水を拭き、輪を通した。
ぴたりと収まる。
「よかった。大きさが、合って」
「ミラ」
顔を上げると、彼が笑っていた。
役場の絵よりも、ずっと嬉しそうだった。
「ありがとう」
両手で手を包まれた。
厩の奥から、馬が鼻を鳴らした。
ルーカスは一度そちらを見て、またミラへ向き直る。
「ここで、口づけても?」
「馬は、お話ししませんから」
彼が身をかがめた。
そのとき背後で、バルトが咳払いした。
「私は、黙っていることができます」
ミラは夫の胸に額をぶつけた。
ルーカスが笑い、彼女を抱き寄せる。
「何だ、バルト」
「お手紙です。カーレン家と、ご本家から」
夫の腕が、ほんの少し固くなった。
ミラは顔を上げた。
白い封蝋と、黒い封蝋。
二つの家から来た二通は、同じ日の到着を告げていた。
姉が来る。
兄も来る。
ミラはルーカスの右手へ目を落とした。
銀の輪が、そこにあった。
「返すものを、用意しておきます」
彼女が言うと、夫はすぐ意味を理解した。
「返さないものも、決めておこう」
ミラは彼の手を握った。
言葉にする必要がないものが、一つあった。




