↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉の身代わりで嫁いだ私を、旦那様は「誰にも返さない」と言いました  作者: 星舟能空


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/37

第13話 私の名前はミラです

 役場の広間は、パンの焼ける匂いがした。

 長い話になるなら腹が減るだろうと、店主が余りを持ってきたのだという。

 ミラは入口でその籠を見つけ、足を止めた。

 まだ、何の話か知らない人が焼いたパンだった。

 右手の指輪へ、左手を重ねる。

 ルーカスが隣で足を止めた。

「入ろう」

 手を引かず、同じ歩幅で扉を通ってくれた。


 集まっていたのは六十人ほどだった。

 壁際に立つ者もいる。子どもを連れてきた母親もいた。大勢の前に立った婚礼の日とは違い、花も歓声もなかった。

 ルーカスが先に口を開いた。

「今日は、砦の守りではなく、俺たち自身について話すために集まってもらった」

 声はよく通った。

「婚礼で、俺はヴァレリウス・アーレンスとして立った。だが、その名は兄のものだ。俺はルーカス。ここで育ち、皆と働いてきた次男だ」

 小さなざわめきが起きた。

 知っていたという顔も、隣へ確かめる顔もあった。

「兄は来なかった。父に命じられ、代わりに立った。だが、命じられたから仕方がなかったと、言い切るつもりはない。ここを離れたくなかった。自分なら守れると思った。その望みのために、違う名を使った」

 ミラは彼の横顔を見た。

 声が震えていないからといって、怖くないわけではない。

 卓の陰で、彼の指は固く組まれていた。

 ミラは自分の指をほどいた。

 次は、自分だった。

「私は、セレーネ・カーレンではありません」

 今度のざわめきは、大きかった。

「妹の、ミラです」

 パン屋の母親が目を見開いた。

 粉挽きの男が、眉を寄せた。

 それを見ても、目を逸らさないようにした。

「姉が縁談を嫌がり、両親は私を代わりに送ることにしました。先方には伝えていませんでした。私も、着いた日に偽名を名乗りました」

 ここまでは書いた通りだった。

 次の言葉は、紙を見なくても出た。

「ルーカス様とは、婚礼の前夜に互いの名前を知りました。そのうえで、二人で結婚すると決めました。立会ってくださった方には話しましたが、皆様には、すぐには伝えませんでした」

「どうして」

 誰かが言った。

 責める声ではなかった。

 だから、余計に苦しかった。

「ここに、いたかったからです」

 ミラは答えた。

「帰りたくありませんでした。この人と、一緒にいたかった。王都へ調査を求める手紙を出し、その返事が来れば説明しやすくなると、待っていました。でも、その間も皆様は、私たちを違う名の夫婦として迎えてくださいました」

 喉が詰まりかけた。

 一度、息を吸う。

「知らないまま、祝福してくださったことに甘えました。申し訳ありません」

 頭を下げた。

 ルーカスも、隣で頭を下げた。

 誰も、すぐ顔を上げろとは言わなかった。


 最初に質問したのは、羊を飼っている老人だった。

「守り石は、どうなってる」

 ガレスが答えた。

「式に立った二人と結ばれています。名前に反応したのではありません。今も使えます」

「なら、まあ」

「まあ、じゃないでしょう」

 パン屋の母親が言った。

 老人が口を閉じる。

「使えるかどうかの話と、嘘をつかれた話は、別だわ」

「その通りです」

 ミラは顔を上げた。

 母親は彼女を見ていた。

「私、王都から来た立派なお嬢様だと思って、失礼をしないようにって。何を出したらいいか、何て呼べばいいか、考えたんです」

「はい」

「ミラ様と呼んでいいと言われて、嬉しかった。それも、隠すためだったんですか」

 言葉が胸へ入った。

 答えをよく見せたくなった。

 でも、よく見える答えを選んだから、ここまで来てしまったのだ。

「隠すためでも、ありました。でも、呼んでいただけて嬉しかったのは、本当です」

 母親は唇を結んだ。

 納得した顔ではなかった。

 それを、急いで変えようとしてはいけないと思った。


「奥様は、今後もここにいるんですか」

 粉挽きの男が聞いた。

「私たちは、いたいと思っています」

「お姉さんが来たら?」

「私の夫を、姉へ渡す意思はありません」

 言い切った瞬間、広間が静かになった。

 ルーカスがミラを見た。

 ミラは前を見続けた。

「姉の名前や、姉の衣装は返します。けれど、この人と結婚すると決めたことは、姉の持ち物ではありません」

 後ろで、ベスが深く息を吐いた。

 ルーカスも言った。

「俺も、ミラを兄へ譲るつもりはない。だが、それと、この砦を預かる資格は分けて考えてほしい。俺たちを認められないなら、その意見を聞く」

「辞めるってことか?」

 ノアではない若い男が立ち上がった。

「今、冬だぞ。ほかに誰が石を動かすんだ」

「引継ぎなしに去るつもりはない」

「じゃあ、結局選べないじゃないか」

 その言葉は鋭かった。

 ミラはルーカスを見た。

 彼も、返事を急がなかった。

 ガレスが前へ出た。

「守り石は二人なら誰でも結び直せる。ただし、今の二人の立会いが必要だ。町が別の組を選んだら、二人には引継ぎをしてもらう。それは約束している」

「私も、従います」

 ミラが言った。

「私たちしかできないから、と許していただくつもりはありません」

 若い男は、ゆっくり座った。

 怒りが消えたわけではなかった。

 けれど、選ぶ道があることは伝わったようだった。


 次にバルトとベスが話した。

 バルトは前夜の告白を聞いたこと、式で偽名を読み上げなかったこと、それで十分だと思ってしまったことを述べた。

 ベスは、花嫁の袖を縫った話はしなかった。

「私は、二人が一緒にやるところを見たかった。それで賛成した。皆へ黙っていた責任はある」

 リネも、ミラの家での苦労を並べなかった。

 ただ、同行を自分で選んだこと、ミラが自分で婚礼へ立ったことだけ話した。

 かわいそうな娘として扱われなかったことが、苦しいほどありがたかった。


 話は一刻以上続いた。

 王都がどう判断するか、費用は誰が払うか、兄姉が来たら争いになるか。答えられることと、まだわからないことを分けて話した。

 ルーカスは東峠の調査隊についても隠さなかった。

「兄の名で交わされた約束がある。俺は引き受けた覚えがない。危険がないか調べるまで、道を開けない」

 羊飼いの老人が頷いた。

「そりゃ、そうしてもらわんと困る」

 パン屋の母親も、その点には頷いた。

 すべてに賛成か、すべてに反対かではない。

 人の気持ちはもっと複雑なのだと、ミラは目の前で知った。


 最後に、ルーカスが尋ねた。

「今日、この場ですぐ判断してくれとは言わない。五日後、もう一度集まってほしい。その間、質問は城でも役場でも受ける。別の二人を望むなら、それも話してほしい」

 誰も拍手をしなかった。

 ミラは、それでよかったと思った。

 簡単に許されるために、話したのではない。

 人々は少しずつ出ていった。声をかける人も、会釈だけの人も、何も言わない人もいた。

 パンの籠は、半分残っていた。

 ミラが片づけようと手を伸ばすと、店主が先に持ち上げた。

「うちで使いますから」

「……はい」

 彼はすぐ出ていかず、困ったように顎を撫でた。

「妻が、怒ってましてね」

「当然だと思います」

「俺も、何とも。若様は知ってましたが、奥様は」

 ミラは頷いた。

「また、話してください。お聞きします」

「そのつもりです」

 店主は籠を抱えて去った。

 その背中を見送ると、ようやく膝が震えた。


 役場の外で、雪が降り始めていた。

 ルーカスはミラの前へ立ち、外套の留め具を直した。最初に町へ下りた日と同じ手つきだった。

「歩けるか」

「はい」

「腕を」

 ミラは彼の腕へ手を回した。

 城までの坂は、来たときより長く感じた。窓の向こうで人がこちらを見た。見られていることから、もう逃げられない。

「言って、よかったのでしょうか」

 口からこぼれた。

 ルーカスは足を止めなかった。

「よかったかどうかを、すぐ楽になったかどうかで決めたら、また黙ると思う」

 ミラは彼の袖を握った。

「今は、苦しいです」

「俺も」

「でも、もう、ミラと呼ばれて振り返ってよいのですね」

 彼はそこで足を止めた。

「ミラ」

 雪の中で、自分の名が聞こえた。

 ミラは顔を上げた。

「ルーカス様」

 彼の口元が少し緩んだ。

 それだけのことを確かめて、二人はまた歩いた。

 城の門で、エダが待っていた。

「お帰りなさい、ミラ様」

 いつも通りの声だった。

 ミラはその場で、初めて泣いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。