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雨天決行  作者: 公星
25/30

1-25『水賊』


「こいつで江杈こうさに向かうのか?」


 水鏡すいきょうを発つ少し前。

李峻り しゅんが用意した荷馬車を前に、けんは水賊たちに乗り込むよう指示を出した。

軍馬のような華やかさも、楼船のような威容もない、薄汚れた二台の荷馬車。

だが、その車輪は極限まで軽量化されており、御者台には土地勘に長けた李峻の配下が静かに座っている。

見かけによらず、走ることに特化した代物だ。


「……そもそも、俺たちを連れ出して、江杈で何をさせるつもりなんだ」


 呂塙りょ かく丁昌てい しょうは、水賊に身を落とした今なお、私兵上がり特有の鋭い現場感覚を失っていなかった。

当初、鵑から目的を聞き出そうとする二人の姿勢は、お宝の隠し場所でも探る賊そのものであった。

だが、その目的が「盧承ろ しょうの不正を暴く物証の奪取」であると知るや、彼らは打って変わって、実戦的な献策を申し出始めた。


「沈軍が引いた今、盧承は必ず都へ使いを出すはず。今頃、そのための準備を急いでいるんじゃないかな」

「……それなら、盧湾から支流を遡上して、苑湖えんこに出るのが一番速い」


 丁昌の言葉に、鵑は小さく頷く。


「うん。だから、盧湾まで戻って、無事な舟を探す」

「……それなら、心当たりがある」


 鵑の言葉に、呂塙が淡々とした様子で口を開いた。彼らが軍資金と共に隠していた“秘蔵の舟”の場所だ。

生き延びるための方便とも取れたが、後に続く男たちが一瞬、躊躇うように呂塙を見た。

それは彼らにとって、他言無用の最終手段だったからだろう。ならば、その話は事実に相違ない。


 水賊の精鋭たちを各々の荷台に潜ませ、鵑は自ら手綱を握った。道案内に呂塙、御者には丁昌を付け、夜間の取り締まりを李峻の許可証で切り抜けて水鏡を後にする。

二百里(約100km)以上離れた盧湾までの道中、李峻の息のかかった宿場を繋ぎ、何度も馬を取り替えながら、一行は闇を切り裂いて疾走した。


 やがて東雲しののめの空を横目に、馬車は盧湾へと辿り着いた。

常に全速力で馬を走らせ、本来であれば三日は掛かる道中を一晩で駆け抜けたのだ。

馬の揺れに慣れていない水賊たちが「これならまだ舟の揺れの方がマシだ」と青い顔でボヤくのを聞いて、そんなものかと妙な感心をするくらいには、順調な道のりだった。


 盧湾近くの寂れた農家で馬車を降り、御者たちに別れを告げる。

そこから川岸へと向かうと、立ち込める川霧の白さは、明けゆく空の色よりもまだ深く、静謐せいひつな冬の匂いがした。


呂塙のいう隠し舟は、ここから一度、川底へ潜った先にあるのだという。精鋭として選ばれた水賊二人は、この凍てつく河に入るため、衣を脱いで防寒代わりに己の身体へ手際よく獣脂を塗りたくっていた。


「ねえ。、だっけ」


 今まさに河へと入る準備を終えた男の一人に、鵑は声を掛けた。


「帰れたら、欲しいものは?」

「は?」


 声を掛けられた馬は、場違いな問いにわずかな逡巡を見せた後、「酒」とだけ短く答えた。


「……。浴びるほど用意させるよ」


 鵑一人でなら、この時間に盧湾に辿り着くことくらい、李峻の助けがなくても容易だっただろう。

けれど、自分一人だけではその先に進めなかった。

だからこそ、その一言はこの寒空の下、命懸けで冷たい河へと潜る男たちへの、彼女なりの賛辞に他ならなかった。

馬は意外そうに目を丸くした後、ふっと口元を綻ばせ、音もなく水面へと身を沈めていった。


 間もなく、二人の男が各々小舟をいて岸へと上がった。

丁昌が手際よく用意していた乾いた布を二人に渡す。男たちは歯の根が合わないほど身体を震わせながらも、必死に音を殺してその小舟へと乗り込んだ。


 潜水道具や武器を詰め込んだ小舟が動き出し、一行は支流を遡上していく。

船縁ふなべりは白く凍り付き、霧に煙る白む視界の中では、どこからが河面なのかすら定かではない。

それだというのに、小舟は驚くほど滑らかに進んでいく。

確かに河の流れに逆らっているはずなのに、驚くほど水の音がしないのだ。

鵑は、水賊たちの操船技術がこれほどの領域にあるならば、沈司朗しん しろうたちが討伐に苦労したのも当然だと、深く合点がいっていた。



――――



 丙州南典郡江杈へいしゅうなんてんぐんこうさ

一刻ほど支流を遡上すると、生い茂る葦の向こうに、ようやく江杈へと続く広大な苑湖が姿を現した。

夜明けの湖面に立ち込める濃霧が、鵑たちの小舟を隠す天然の帳になっていた。

この地に古くから根を下ろす盧家の本邸は、もはや貴族の住居というよりは、一つの“城塞”なのだという。


「防壁の向こうは、幾つも空間が入り組んでやがる。一度迷えば、内側に通じてる奴以外は二度と出てこれねえ」


 忌々しげにそう吐き捨てたのは、かつてその迷宮を私兵として守っていた呂塙だ。

鵑が見据える先、不正の裏側で糸を引く盧承。

盧家の正室の子として生を受け、何不自由なく育ったその男は、極めて我が儘で傲慢だという。


「……甘やかされて育った分、自分の思い通りにならないことを何より嫌う。あの方にとって、私兵も商人も、ただの使い捨ての道具に過ぎんよ」


 かつての主に対する冷ややかな軽蔑を口にしたのは、意外にも丁昌だった。

呂塙は苑湖が見えてきてから、さらに口汚い罵詈雑言を重ねている。

その荒れようを見るだけでも、その傲慢な男が作ってきた敵の多さが容易に想像できた。


 一方、盧家の長子である盧侔ろ ぼうは、本邸内でも影が薄く、発言力は弱いのだという。

穏やかな性格で、一部の有権者は彼を持ち上げようとするのだそうだ。

だが、血統の正統性を盾にする盧承が、実質的にこの江杈の全てを支配している。

つまり、盧承の不正の物証――沈烔堅に密告した、都の宦官との内通の証を掴むということは、盧承という傲慢な支配者の喉元に刃を突きつけることに他ならなかった。


「おうおう。見ろよ、あれ。相当貯め込んでやがるぜ」

「お嬢の目当てがあるとしたら、あれだろうな」


 残っていた霧が朝の陽光に溶け出すと、水賊たちが満場一致である方向に関心を寄せた。

視線の先には、桟橋からまさに出港しようとしている一隻の船。

竹で編んだ大きなむしろの屋根を持つ、小汚い商船だ。

だが、船体は水面近くまで深く沈み込んでおり、内部にかなりの重量物を積んでいるのは一目瞭然だった。

未だに商人――いや、商人に扮した盧承の私兵たちが荷を運び込んでいるが、過積載のせいで船底が浅瀬の泥に捕まりかけているらしい。


「……ねえ、あれって船頭? 私兵?」

「あぁん?」


 目を凝らした鵑が指差す先を、呂塙も目を凝らす。

鵑が示したのは、今にも泥に座礁しそうなその船を、強引に支えて位置を調整している男の姿だった。

重い船体が泥に沈もうとするのを、たった一本の竹竿でねじ伏せている。

一見すると小汚い格好の船頭だが、何だかおかしい。

大の男が何人もで押さえるような船体を前にしてなお、やたらと真っ直ぐに伸びたその背筋が、鵑に強い違和感を与えていた。


「……武人?」

「あー、お頭。あれ、アイツじゃねえの?」


 鵑の乗る小舟を操るちょうが、声をひそめて呂塙に向けて言う。

どうやら水賊たちの間でも、その男の評判はすこぶる悪いらしい。


「……ほうか。面倒なヤツが居やがる」


 呂塙が忌々しげに顔を歪める。

聞けば、最近になって盧承に金で雇われたその男は、どこかの州の水軍で将を殺め、軍を追われた極悪人なのだという。

単なる商人に持たせるには重すぎる密書の類いを運ぶ役目があるとすれば、まず間違いなくあの男が懐に隠し持っているはずだ、と呂塙は断言した。


「ここらで待ち伏せて、賄賂でも密書でも根こそぎ奪ってそのまま逃げる。それでいいか?」


 呂塙は鵑に最終確認を申し出る。鵑は少し間を置いて、首を振った。


「密書を奪ったら、湖を突っ切る」

「……は? 突っ切るって、おい。江杈の街を正面から横切るってことか!?」


 驚愕に声を上げた呂塙を他所に、鵑はただ、冷たい光を湛える湖の先を見つめていた。

二日の猶予はすでに削られ始めている。

ここで追っ手を恐れて身を隠し、時間を費やすわけにはいかない。

物証を掴み次第、水賊たちの操船技術を限界まで絞り出し、最短距離で沈烔堅の元へ叩き届ける。

――それが鵑の作戦だった。


 霧に紛れて苑湖へ出た鵑たちは、標的が動き出すより先に、再び盧湾へ続く水路の入り口へと戻っていた。

商船は出帆まで少し手間取っていたようだが、朝の光を浴びてゆっくりと動き出す。

生い茂る葦の奥へ小舟を隠し、息を潜めて待ち伏せる。

鵑と呂塙、丁昌、そして趙を小舟に残し、準備を終えた精鋭たちは音もなく再び冷たい水へと入っていく。


 やがて、標的の商船が鵑たちの潜む地点へと差し掛かった。

水に入った面々の動向は、湖面からは波紋一つ見えない。

しかし、彼らの見えず、音もない仕事の成果はすぐに現れた。

商船が、何かを引きずり削るような鈍い音を立てた。次の瞬間、激しい飛沫を上げて唐突に停止する。

それが、襲撃開始の合図となった。


 「何があった!」「水中で何か絡まった!」と商船の甲板では船員たちが色めき立ち、騒ぎ出す。

ただ一人、船尾で竹竿を持つ男――彭だけは動じず、鋭い眼光でじっと水中を睨み付けていた。


 混乱に乗じて、呂塙と丁昌が小舟から商船へと躍り出た。

護衛として同乗していた盧承の私兵たちを電光石火の早業で斬りつけ、次々と水へと突き落としていく。

不意を突かれて湖に落ちた私兵たちは、水中に潜んでいた精鋭たちに手足を裂かれ、そのまま容赦なく水底へと引き摺り込まれていった。


「呂塙! 丁昌! なぜお前たちがここにいる!」


 二人の顔を知る私兵の生き残りが、怒声を上げながら船倉から湧き出てくる。

だが、そこは狭い船の出入り口だ。

呂塙は右手を失った身でありながらも、丁昌と息の合った連携を見せ、たった二人でまたたく間に船上を制圧していった。


 その間、鵑は船頭をしていた趙を連れて船倉に忍び込む。


「おい、お嬢。これか?」

「……違う。これはただの魚の仕入れ書」


 几帳面に積まれた積み荷の中から、趙が行李こうりを端から次々とこじ開けて中身を放り出していく。

その中からかき集めた木簡の文字を、鵑が素早く素読しては撥ね退けた。

都の宦官への賄賂や内通の証拠といった極秘の類いが、無造作に積まれているわけもない。

趙が怪しいという隙間や不自然な床板を次々と指し示し、鵑はその指に従って船倉の闇を迅速に漁っていった。


「お、これは?」


 そう言って趙が赤い紐が目立つ行李を持ち上げる。

そこに書かれた宛名は、事前に聞いていた都の有力者の名と同じだった。


「……それ!」

「おお、当たりだな。そんじゃ、さっさとズラかるか」

「ううん、他にもあるはず」


 鵑がさらに木簡を捲る傍らで、趙はふんと鼻を鳴らし、船倉の床板を素足で細かく踏み鳴らし始めた。


「……おいお嬢、ちょっとこっち来てみろ」


 趙が部屋の隅、一見すると何の変化もない床板の前にしゃがみ込んだ。

何か見付けた様子の趙。

彼にとって船の床下は文字通り自分の足の裏のようなもの。

どこに隙間があり、どこに水が溜まるかなど、目を瞑ってでも分かると豪語するだけのことはある。


「ここな、本来なら水が浸み出してきやすい『垢溜め(あかだめ)』の真上だ。大事な荷物を置く場所じゃねえんだよ」


 趙が懐から取り出した水鑿みずのみを隙間に差し込み、ぐっと力を込める。

板が軋み、割れる軽い音がして床板が一枚、綺麗に跳ね上がった。

普通の床下なら腐った泥水が見えるはずのそこに、分厚い漆が塗られた、見るからに頑丈そうな“防水仕様の隠し箱”が、船底の骨組みに固定されるようにして収まっていた。

もはや、文字が読めるかどうかは関係なかった。


「……これだろ?」

「それだね」


 二人は短く顔を見合わせると、赤い紐の行李と漆箱をそれぞれ抱えて走り出した。

撤退の合図として趙が鋭い指笛を響かせると、一斉に水面と船上が動き出す。

鵑は趙の背を追って、激しく揺れる船倉の階段を駆け上がった。


 甲板には盧承の私兵が集まっていた。

呂塙たちの姿は見えないが、先に撤退できているだろうか。


「お嬢、飛べるか!? つーか、落ちても誰かが拾ってやるから行け!」


 盧承の私兵を趙が力任せに払い除け、船縁の向こうを指さして声を張り上げた。

その指が示す先は一面の枯れ葦に覆われており、足元がどうなっているのかはまったく見えない。

けれど、趙が示す先を信じ、重い行李と漆箱を抱えたまま、鵑は迷わず虚空へと飛び上がった。


 視界を埋め尽くす枯れ葦が、乾いた音を立てて顔や体を激しく叩く。

冬の陽光に白茶けた、背丈よりも高い茅の天蓋を突き破った刹那、足の裏に頑丈な木板の衝撃が跳ね返った。


 着地したのは、冷たい水面ではなかった。

激しく揺れる狭い船床の上で、手ぐすね引いて待っていたのは、退路を確保して水に潜んでいたたちだ。

彼らは水中で呂塙たちの補助をしながら、標的の商船からは死角となる葦原の奥へと、逃走用の隠し小舟をぴったりと滑り込ませていたのだ。


 飛び込んできた鵑を無事に受け止めると、馬たちも素早く舟へと這い上がり、彼女が抱えていた行李と漆箱を即座に舟の底へと押し込んだ。

と同時に、背後の葦を大きく割って、趙が商船から水へと身を投げた。


「おい、かしらたちは!?」

「まだだ! 彭に手間取ってる!」


 激しい飛沫とともに泳ぎ着き、小舟のへりに掴まった趙が、息を荒らげながら「最悪だ」と苦々しく舌打ちした。

商船の甲板からは、盧承の私兵たちの「あいつら逃げるぞ!」「逃がすな、矢を射かけろ!」という怒号と、にわかに騒がしくなる足音が響いてくる。


「これ持って、このまま苑湖に向かって!」


 鵑はそう叫ぶなり、無造作に置かれていた鉤縄かぎなわを商船の船縁に向けて投げつけた。

呂塙たちが彭に遅れを取っている原因は、少なくとも自分にある。

彼らに致命的な手傷を負わせたのは、他ならぬ自分自身だ。

――自身も矢を受け、深く傷ついていたことなど、もはや鵑の頭からは完全に消え失せていた。

万全でない二人が凶漢を相手に泥仕合を演じているのだとすれば、ここで見捨てるわけにはいかない。


 重い物証を手放し、極限まで身軽になった身体。

鵑は鉤縄の紐を鋭く引き絞ると、冬の乾いた空気を切り裂き、修羅場と化した商船の甲板へと再び舞い戻っていった。


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