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雨天決行  作者: 公星
22/30

1-22『葦の中』


「水賊共の拠点を見付けた。今度は逃がさねえ」


 沈司朗(しん しろう)からの秘密裏の呼び出し。

応じた鵑に切り出されたのは、水賊討伐への参陣要請だった。

禊が済んだ今、この戦いで目覚ましい戦果を挙げれば、沈烔堅(しん とうけん)からの登用の許しも得られるだろう。

そう語る沈司朗の誘いに、鵑は二つ返事で頷いた。

目立つ白髪をひとまとめに括って兜の奥に隠すと、一般兵の装いに身を包んで従軍することとなった。


「前回の戦いで、奴らの本拠を特定できたのは大きい。だが、あいつらも馬鹿じゃねえからな」


 険しい表情ながらも、どこか落ち着いた沈司朗の横顔には、指揮官としての頼もしさが漂っていた。


 水賊の戦い方は奇襲が主だ。

商船を囮にした前回は拠点のひとつを包囲し、あと少しのところで葦原(あしはら)の入り組んだ水路へと逃げられた。

だが、今回は陸からも同時に夜襲をかける。

地元の漁師や船頭を協力者に引き入れ、浅瀬や支流の出口には杭を打ち、頑強な網を張らせた。

逃げ道を物理的に封じる、徹底した囲い込みだ。


 葦に覆われた水賊の集落を真っ先に叩く強襲部隊へ鵑は配置された。

敵を水上へ引きずり出し、待ち構える本隊へと炙り出すことが役割だ。

目標地点が近づくにつれ、行軍には私語ひとつなくなった。

斥候とは違う質の緊張感に高揚しながら、鵑は他の兵同様に足音を殺し、闇に溶け込むように進んでいく。


 夜半、対岸に火の手が上がったのを合図に、強襲部隊を率いる将・蒙克(もう かつ)が鋭く声を上げ腕を振った。

それにより、鵑たちは一斉に動き出す。

陽動が目的の隊とはいえ、兵たちの士気は高く、浮き足だった者は一人として居ない。

鵑もそれに続くと、予定通りに戦いの幕は上がった。


 静まり返った集落から、待ち構えていたかのように矢が飛んでくる。

短弓による軽い牽制だが、鵑たち先陣はひるまない。

手にした鉤鑲(こじょう)の鉤(かぎ)で飛来する矢を払い落とすと、真っ直ぐに射手へと肉薄した。

後方からは味方の火矢が放たれ、葦原を赤く染めていく。

炎が敵の潜伏場所を奪い、計画通りに水賊たちを中央へと追い詰めていった。

その間に接近した敵は、弓を捨てて環首刀(かんしゅとう)を抜き放ったが、鵑は手首を捻り、鉤鑲でその太刀筋を封じると、立て続けに数人を捕縛していった。


(……人の気配?)


 逃げ惑う敵を追う最中、不意に息遣いか火の名残りか――人の気配を感じた。

集落の中でも一際小さな、草葺きの建屋。

戸口をじっと見据えると、微かに衣擦れの音が耳に届いた。


「……っ!」


 踏み込もうとした瞬間を狙ったように、闇を裂いて刃が振り下ろされた。

相手もまた、鵑の接近を完全に察知していたのだ。

半歩下がり刃を躱した鵑は、反射的に刃の腹を蹴り上げ、同時に肘打ちで急所を狙いに行く。

だが、その一撃は熊のような重量感を持つ分厚い腕に弾き返された。

勢いを殺さぬよう、鵑は軸足を回し、さらなる追撃へと身を躍らせる――。


「……なんで、これを選んだんですか」


 肘を弾いた剛腕が、今度は鵑の頭部を狙う。

それを紙一重で躱した拍子に、兜が弾き飛ばされた。

同時に鵑の爪先が、鋭い一閃となって相手の首元を狙う。


 互いに攻防を繰り出した刹那、雲間から漏れた細い月明かりが、男の貌(かお)を照らし出した。


「仕方がなかった……とでも言えば、見逃してくれるのか?」


 鵑は、思わず顔をしかめていた。

そこに立っていたのは、紛れもなく――丁昌(てい しょう)だった。

夕餉(ゆうげ)を共にしたのは、つい先日のことだ。

あの日、共に大豆の後始末をし、賈白翠(か はくすい)を「絶世の美女だ」とのろけて笑い、彼女と仲睦まじく鵑を見送った、あの、丁昌だ。


 鵑は唇を噛んだ。

分かっていたことだ。

そう自分に言い聞かせ、拳を硬く握り直す。

丁昌が環首刀を振り回す隙を与えないよう、休まず次の一撃を繰り出した。


 李峻の怪しんでいた帳簿は、護衛と称した不正との繋がりを明るみに曝した。

その護衛の中に『丁昌』の名はなかった。

だが、その護衛を使った商家の後ろにいた豪族の名は――。

最悪を想定するのは、戦いの基本だ。

表に名がないからこそ、裏に彼がいる可能性を、鵑は容易に見つけてしまっていた。


「白翠姐は、気付いてますよ」

「……あいつは賢いからな。でもな、あいつがそうだと言わん限り、あいつは何も知らねえってことだ」


 返ってきたのは、身勝手な屁理屈と、再び振り下ろされる刃。

鵑は鉤鑲でその軌道を逸らし、最短距離で肘を返した。

そんなものは、都合のいい言い訳に過ぎない。

鵑は奥歯を噛みしめ、間撃を叩き込んだ。


 賈白翠が行った無茶な伐採は、丁昌の為だ。

村の意見を押し切り、最悪の可能性に気付いていながらも日銭を選んだ。

それは夫がこんな戦いに身を投じなくて済むようにと、彼女は彼女なりに泥を被っての行動だったはずだ。

それなのに、丁昌はその気持ちを踏みにじるのかと――。


「お前こそ、あいつを裏切るのか」

「貴方こそ!」


 鵑は叫び、肘や膝を叩き込んでいく。

だが、決定的な体格差を前に、一瞬の迷いで鋭さが半減してしまう。

棍さえあれば対処のしようもあったが、手持ちの短剣と小さな盾では決定打に欠ける。

丁昌が振るう環首刀の威力を逃がすのが精一杯だった。


「あいつは、お前をえらく気に入ったみたいだ。あんな嬉しそうに話してるのを見たのは、いつ以来だったかなぁ」

「それを言うなら、貴方が帰った時、心底安堵した顔をしてました!」


 刃の先端が空を切るたび、烈風が鵑の髪を撫でつける。

このまま避けて壁に刃を取られてしまえば楽だが、丁昌の刀法は正確で無駄がない。

追い詰められているのは、むしろ鵑の方だった。


「俺達には子供がいないから、余計に可愛いんだろうよ」

「貴方が側に居ることだって、白翠姐は望んでるんじゃないんですか!」


 どれだけ糾弾しても、今の彼には届かない。

賈白翠がそうであったように、丁昌もまた、妻のためにはこ(・)れ(・)し(・)か(・)道がないと思い込んでいる。

その狂信的な献身を前に、正論は何の価値も持たなかった。

説得の余地はない。

鵑は奥歯を軋ませ、深く踏み込んだ。

今はただ、降伏させるために拳を振るうしかなかった。


 膠着した覚悟の削り合いの中、細く風を切る音が鳴った。

建屋の外――戸口の暗闇から、鵑を目がけて真っ直ぐに飛来する一筋の影。

同時に、真上から丁昌の豪剣が迫り来る。


「……無茶なことを」


 丁昌の喉から、呆れたような、あるいは諦めたような声が漏れた。

放たれた矢は鵑の胸を狙っていたが、わずかに軌道が上振れている。鵑はその軌道を見切っていた。

左腕を斜めに差し出し、致命の箇所を逸らして矢を受け止める。


「――っ!」


 その動作の余韻を消さぬまま、鵑は即座に身を沈めた。

頭上から襲いかかる丁昌の刃を、掲げた鉤鑲で迎え撃つ。

金属同士がぶつかり合う甲高い悲鳴が夜の闇に響き、散った火花が視界を灼いた。

丁昌の膂力は凄まじい。

震える左腕を補強すべく、すかさず右手を盾の裏に添えたが、それでもなお、圧し潰すような重圧が鵑の全身に降りかかる。


 耐える盾が、限界を告げるように軋んだ。

丁昌がさらに両脇を締め、己の全体重を刃に乗せて押し込んでくる。

鉤鑲が割れるか、鵑の膝が折れるか――その刹那。


 鵑は抗うのをやめ、吸い込まれるように腕を引き落とした。

堰を切ったように振り下ろされる刃が空を切り、丁昌が前のめりになる。

その隙を逃さず、鵑はしなやかに腰を捻り、独楽のように旋回しながら右手で地を突いた。

一点に預けられた自重と、弾かれた衝撃。

そのすべてを反発させ、地面の土を巻き込みながら、鵑の脚は鋼の鋭さで跳ね上がる。

重い衝撃とともに、足の裏が丁昌の顎を真下から打ち抜いた。


「が、はっ……!」


 脳を揺らされた丁昌が、制御を失い仰向けに転がる。

舞い上がる土埃を避け、袖を口許に当てながら、鵑はゆっくりと呼気を整えて立ち上がった。


 背中に軽い衝撃を感じて振り返れば、一本の矢が力なく地面に転がっていた。

引きが甘かったのだろう。

それは鵑の皮甲に傷一つ残すことなく、虚しく土に落ちていた。

矢が飛来した方向へ視線を巡らせる。

そこにいたのは、鵑よりも背は高いが、まだ幼い顔付きの少年だった。

少年は震える手で、必死に次の矢を番(つが)えようとしている。


 鵑が静かに歩き出す。

少年の肩が大きく跳ねた。


「……逃げれば良かったのに」

「く、来るなぁっ!」


 低く呟いた声に応じるように、少年が矢を手放した。けれどそれは、最後の矢だったのだろう。

矢筒をまさぐる手は、もはや空を掴むばかりだ。


 奇しくも、放たれた矢は鵑の右肩に突き刺さった。

けれど、鵑の歩幅は変わらない。

顔色ひとつ変えず、逃げようと背を向けた少年の右足を踏みつけ、もがく腕を捕らえた。


「離せ、このチビ!」


 幼稚な罵倒を無視して、周囲を見渡す。

葦原を呑み込む火の手が、もうすぐそこまで迫っていた。


「……静かにして」


 騒ぐ少年の胴を左腕で抱え込み、暴れるのも構わず軽々と持ち上げる。

そのまま草葺き屋根の家に戻り、未だ伸びている丁昌の襟首を掴むと、右肩に走る鋭い痛みを奥歯で噛み殺し、巨躯を引きずる。

そうやって、一歩、また一歩と、遅々とした、足取りで進んでいく。


 入り江付近には、逃げ遅れた水賊たちが捕縛され、力なく座り込んでいた。

火勢が予想以上に強い。

捕虜たちもここから移送せねばならないだろう。

幸い、岸に繋がれた水賊たちの船には、まだ十分な余裕がありそうだった。


 鵑の姿を捉えた味方兵たちが、戸惑うように足を止めた。

立ち上る黒煙を背に、白い髪を靡かせ、肩と腕に矢を突き立てたまま歩いてくる。

更には少年を無造作に抱え、大男の襟首を引き摺っているのだ。

その光景は、もはや戦場の“異形”そのものだっただろう。


「……何をしている! 早く収容しろ!」


 蒙克の怒声で、兵たちは我に返ったように駆け寄った。

丁昌と少年が受け取られ、手慣れた手つきで縄がかけられていく。


「お前、すぐに本陣へ戻れ。医官に傷を診せろ」


 眉を下げて命じる蒙克に、鵑は揺るぎない声で返した。


「いえ。戦況を教えてください」

「……。首領である呂塙(りょ かく)は船で逃げた。だが、予定通り蘆湾(ろわん)へ向かっている」


 お前の役割は終わったのだ、と。蒙克は鵑を治療へと促そうとした。

だが、鵑は返事をする代わりに、肩に突き刺さった矢の軸を掴んだ。バキ、と乾いた音が夜の空気に響く。

鵑は顔色ひとつ変えず、折った矢を投げ捨てると、出航の合図を待つ船へと波も立てずに乗り込んだ。


「何の真似だ」

「予定通り、本隊との挟撃に向かいます」

「貴様は足手まといだ」

「いいえ、蒙克将軍。この矢ならかすり傷です」

「ならば、何故抜かんのだ。虚仮威しにしても悪趣味だろう」

「今は一刻を争います」


 淡々と温度を感じさせない声で言い返す鵑。

周囲の兵たちは、生きた心地がしないといった様子でそのやり取りを見守っている。

蒙克は深く眉を寄せたが、濃くなる煙を横目に、これ以上の問答こそ時間の無駄だと判断したようだ。

鵑に大人しくしているよう釘を刺し、吐き捨てるように指示を飛ばすと、自らも船に飛び乗った。


 出航の準備は整っている。

捕虜を乗せた一隻、それを護衛する二隻。そして、蒙克や鵑の乗る指揮船。

燃え盛る集落を背に、船は黒い水面を滑るように進み出した。


 煙と葦を分けるように、規則正しい櫂の音が響く。

船がゆっくりと葦原を抜けようとしたその時、突如として鵑が動いた。

甲板に転がっていた水賊の短弓を拾い上げ、迷いなく矢を番える。


「貴様、大人しくしていろと――」


 蒙克が怒鳴るよりも早く、鵑は弦を放った。

放たれた矢は、闇に沈む葦の茂みの中へと吸い込まれていく。

直後、重いものが水に落ちる音と、短いうめき声が夜の静寂を破った。

鵑は視線を動かさず、流れるような動作で再び矢を引き絞る。


「……水鏡を脅かす水賊は、仲間意識が強いと聞きました。それなら、集落に仲間を残して逃げるわけがない」

「……時期を見て戻り、助けるつもりで潜んでいたか」

「ここなら、身を隠すには十分でしょうね」


 蒙克に答えながら放った二の矢が、次の獲物を射抜く。

蒙克がすぐさま鋭い号令を飛ばすと、護衛の船が矢の飛んでいった場所へと舳先を向けた。


 水路の向こう、合流地点にいるはずの本隊の影を追い、鵑は静かに弓を下ろした。

風に煽られる髪を抑え、そっと目を閉じる。


 “夢”を成すには、ここからが本当の戦いになる。

右肩に刺さったままの矢の痛みを、決意へと変えるように――。

鵑は血の滲む拳を、強く、静かに握り込んだ。


先月風邪引いて、そこから空咳が治らないね。

怖いね。

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