母と子(6)
カーテンから朝日が射し込み、私は欠伸をしながら体を起こしました。
「気持ちの良い朝ですね。」
ベッドから出て軽く身支度を済ませると、私はダイニングへと向かいました。
「おはよう御座います、お父さま。」
「おはよう、ユナウ。丁度今朝ご飯が出来たところだよ。」
「運ぶの手伝います。」
お父さまから料理の乗ったお皿を受け取り、私はそれをテーブルに並べていきました。
戦争が起きたあの日から二カ月――。
私は学院を卒業し、十一年ぶりの実家に戻ってきていました。
「いただきます。」
スクランブルエッグに塩をかけ、ハムで挟んで口へ運びます。
ふわふわの卵の触感とハムの噛みごたえは相性が良く、食材本来の味と塩のしょっぱさが合わさって口一杯にその風味が広がります。
「今日はお城へ行くんだったかな?」
「はい。ファラと一緒に《女王陛下》に呼ばれて。何でも今後のことでお話があるとか。」
「気をつけて行くんだよ。陛下にご無礼の無いようにね。」
「はい、ありがとう御座います。」
お父さまは十一年ぶりでも変わりありませんでした。
柔らかで落ち着いた物腰に、優しい声――。
それでも久々の再会に慣れず、戻って来て二カ月経った今も敬語が抜けません。
「それと、彼にも宜しくね。」
「ファラに?」
「彼にも今度ちゃんと挨拶をしないといけないね。ユナウの将来の旦那さんになるかもしれないんだから。」
「ちょっ、お父さま!!」
この時々冗談めかして弄ってくる感じも全く変わっていません。
「ほらほら、早く食べないと謁見に遅れてしまうよ。」
お父さまは楽しそうに笑いながらコーヒーを飲んで誤魔化していました。
「まったくもう……。」
頬が熱くなるのを感じながら私は早々に朝食を済ませ家を出ました。
お城に着くと正門の所でファラと丁度鉢合わせました。
「久しぶり……でもないか。見舞いにも来てくれてたもんな。」
「うん。もう体は平気なの?」
「取り敢えずはな。まだ経過観察は必要みたいだけど。」
「それなら良かった。」
私達はお城の中を歩きながらここ二カ月のことを話しました。
あの後ファラは病院の一室を借りると同時に入院しました。
取り急ぎどこが悪い訳ではありませんでしたが、六年も土だけを食べていただけに一度検査した方が良いという事になったんです。
結果として、人体の中にいてはいけない微生物がウジャウジャ見つかって、長期入院が必要と分かった時はどうなることかと心配になりましたが、今は薬を飲んで大分良くなっているようで一安心です。
「そういえば眼鏡、コンタクトにしたんだね。」
「ああ、こっちの方が楽でさ。」
「眼鏡の方が見慣れてるけど、付けてない方が格好いい。」
「そ、そうか。ユナウも話し方、下界人っぽくなったな。」
「そう、かな。えへへ。」
ファラと私は互いに照れるように顔を反らしては人差し指で頬を掻いていました。
「義指の方はどう?」
「かなり良いな。流石にまだ違和感はあるけど、ない時に比べたら全然マシだ。上界の技術は凄いな。」
「トンベリさんの息子さんに感謝だね。」
「だな。もう二度と戻らないと覚悟してたから、感謝してもし足りないよ。」
あの日から数日後――ファラが丁度病院に掛かった時に、担当してくれたお医者さんの紹介で私とファラはトンベリさんの息子さんに会いに行きました。
トンベリさんの息子さんは精巧技師で、その腕前はヘイルベンで一番との評判でした。
その息子さんに、ファラはダメ元で両指の義指を作ってもらえないか頼んだところ快く引き受けてくださいました。
その精巧さは正に職人の技によるもので、一目では本物と見分けがつかない程でした。
人体とくっ付けても拒絶反応が起きることもなく、ファラは再び自分の指を手に入れたことで今までにないくらい喜んでいました。
「着いたな。」
そんなこんなで話をしている内に、気づけば謁見の間の扉前まで着いていました。
「おお、お待ちしておりました。ささ、女王陛下がお待ちです。どうぞこちらへ。」
扉の前にいた憲兵さんに促され、私達は玉座に坐す陛下の御前に立ちました。
「お二人とも、お呼び立てに応えていただき感謝します。」
「いえ!こちらこそお招きいただきありがとう御座います、女王陛下。」
私は一礼して、再び陛下を仰ぎ見ました。
あの日から、ガイラさんの活躍によって王法規律に則りレクロリクス王家に王位が返還されたことは良かったのですが、ナスタシア様がレクロリクス王家の人間であることが分かった以上、上界のことをまだほとんど知らないファラよりも、ナスタシア様を女王とした方が良いという判断になり、こうして即位されました。
そういえば、マルクス君もあの後スイルリード家に引き取られることになり、そういったことも含めて色々収まるところに収まりました。
「前置きは良いよ、母さん。それで今日はどうしたんだ?」
「ファラ、職務中は陛下と呼ぶように言ったはずですよ。母さんは止しなさい。」
「はいはい。で、陛下、今日はどういったご用件で?」
ファラは若干面倒臭そうに溜息をついて答えました。
ファラと陛下はお城以外でも良く会っているらしく、すっかり打ち解けているようでした。
親子ですから当たり前のことかもしれませんが、言い合う二人を見ていると何だか微笑ましくなります。
側近の方達もクスクスと笑っていて、陛下は少しお恥ずかしそうにされていました。
「全く貴方は……。まあいいでしょう。今日あなた方を呼んだのは他でもありません。」
陛下は一度咳払いをして仕切り直すと、先程とは打って変わって真剣な面持ちでその口をお開きになりました。
「下界の者達の協力もあり、昨日ようやく決壊していた結びの階段の修復が完了しました。」
「やっとか。」
「ええ。これで上界と下界の行き来が自由に出来るようになりました。そこで、今日まで帰れずにいる下界人の皆さんを一週間後を目途に送り届けようと考えています。今、憲兵や侍従達に準備させているところです。」
「そっか。ようやくみんな帰れるんだな。」
ファラは安堵の溜息をつきました。
カルフデラのカタピラで決壊してしまった結びの階段が二カ月かけて完成した。
それ自体は喜ばしいことです。
ガイラさんを始めとする公爵様達が先導し、下界の人達との間の橋渡しとなったことで、下界の人達の協力も得ることが出来ました。
それは、言うなれば上界と下界の初めての共同作業なわけで、これがきっかけで互いに手を取り合っていけたら良いと心から望みます。
でも、私は内心複雑な思いでした。
何故か――。
それは本当に我が儘で、どうしようもない理由です。
これまでは結びの階段が壊れてしまっていたから上界に留まるしかありませんでした。
しかし、修復が終わったということはつまり――。
「ファラも下界に帰っちゃうの?」
元々ファラは下界の人です。
将来的にこの国の王様になるのだとしても、一度馴染んだ土地に戻りたいと思うのはごく自然なことだと思います。
でも、一度戻ろうと思ったら次にファラと会えるのは最短でも二年後になってしまいます。
離れ離れになってしまう――。
そう考えれば考える程、一緒にいたいという気持ちが益々募ります。
「まあ、あっちに置いてきたものも多いからな……。こっちに住むにしても、やっぱり一度は戻らないと……。」
ファラは私の気持ちを察してくれたようでした。
困った顔で頭を掻く彼の姿に、自分の所為にもかかわらず申し訳なくなります。
「気持ちは分かりますが、本題に入らせて下さい。」
「すみません……。」
陛下に対して失礼だとは承知していましたが、私は覇気のない返事を返してしまいました。
「ファラ、貴方にお願いしたいことがあります。」
「お願い?」
何やら改まる陛下の御様子にファラは怪訝な顔を向けました。
「上界と下界の行き来が自由になったとはいえ、今すぐ無条件に開放する訳にはいきません。結びの階段には中継地点に食糧庫や休憩所がありますが、とはいえ下りるには一年もの時が必要です。それは過酷な登山と同じで、無暗に開放すれば死者が出かねないからです。」
「確かに。下界でも登った人間は父さん以外に帰って来た記録がないし、気楽に開放はできないか。」
「ええ。ですから往来には暫くは制限を設けることになります。」
「なるほどね。それで、俺へのお願いってのは?」
「ファラ、貴方には下界側の大使となって欲しいのです。」
「は?大使?俺が?」
全く考えていなかったのか、それは間の抜けた返事でした。
「レクロリクスの血――すなわち上界の血を引きながら下界人でもある貴方が一番適任なのです。」
「そう言われてもな。」
ファラはあまり気が乗らない様子でした。
頭を掻きつつ困った様子で目を泳がせていました。
「私に残された時間はもうあまり長くはありません。」
しかし、陛下のその言葉でファラの気持ちは一変したようでした。
陛下の言葉の意味は、ファラにも、私にも一目瞭然です。
「貴方も知っての通り、ここ数百年のレクロリクス家の人間で四十を超えて生きた例はほとんどありません。私も今年で三十八。短く見積もってもあと二年前後が限界でしょう。」
「そんな……。」
レクロリクス王家の人達は、短命という近親相姦の代償を負っている。
それはファラだけでなくナスタシア女王陛下も同じで、そう考えるとファラが国王になる日もそう遠くはないのでしょう。
側近の人達も悲痛な顔をして悔しそうにしています。
「私がいなくなるまでにレクロリクス王家の悲願である王制の撤廃――延いては、民主制を確立するのは恐らく難しいでしょう。私の後を継ぐのはファラ、貴方です。上界と下界双方を良き未来に導く為にも、貴方には大使となって見聞を広め、多くの経験を積んで欲しいのです。」
「母さん……。」
「もう【影大使】などと言う必要はありません。これからは公に、言うなれば【公大使】としてこの国を、下界を、どうか導いて下さい。いいですね?」
それは、一般人の私からすればあまりにも重責でした。
けれど、王族として一国を背負うということは、そういうことなのだとも思います。
ファラの顔を見た時、彼もまた王族の血を引いているのだ、と私は改めて理解しました。
「やるよ、俺。どれだけ上手くやれるか分かんないけど、自分なりにやってみる。それが《父さんの望み》でもあるだろうからさ。」
「ありがとう、ファラ。」
陛下とファラは互いに笑顔で答えました。




