それぞれの思惑(9)
「レクロリクス……?それに王家って……?」
ファラのことを元々知っている私でさえ、ファラの言っていることを理解することは儘なりませんでした。
レクロリクス――その名前には聞き覚えがあります。
学院の大庭園にあったあの像。
その像の名前が、確かレクロリクスでした。
ファラはあの像の人の血筋ということ?
でも、仮にそうだとしたらファラは元々この国の人ということ?
それに、ファラは自分を王家の血を引く人間だと……。
でも、王家のファミリーネームはロースハイムのはず……。
レクロリクスなんて名前はあの像以外に聞いた事もありません。
「いったいどういう……ガイラさんは何か知っていますか?」
自分だけでは処理しきれない。
そう思ってガイラさんに助けを乞いましたが、その横顔を見れば、ガイラさんも今の状況を全く理解できていない様子でした。
戸惑う声が傍聴席で漏れる中、柵の向こうではようやく事態が動き出しました。
「其方は下界人ではなかったのか……。いや、そもそも何故それを……。」
元老院長が震える声で恐る恐る言葉を絞り出すと、ファラもゆっくりと口を開きました。
「俺は間違いなく下界の人間だ。だが同時に、この国の――上界の人間の血を色濃く継いでいる。でもそれは、俺だけに限った話じゃない。」
「それは……つまりはどういうことだ?」
「下界の人間の約半分は、濃い薄いの違いはあれど、皆レクロリクスの血を引いているってことだ。」
その言葉を聞いた瞬間、元老院長は全てを悟ったように溜息をついて腕を組まれました。
そしてそれは他の四人も同じ様子です。
「あんた等も知っているはずだ。千年前に起きた悲劇を。」
ファラの問いに、裁判官席の五人は各々異なる表情は見せつつも誰も答えませんでした。
「千年前――この国が建国した当時、王家には二人の王子と一人の王女がいた。そのうちの次男――つまりは第二王子は、あの森にある洞穴の大穴に足を滑らせて落ちた。」
ファラは語りながら手帳を懐に戻すと、再び陛下達に目を合わせて続けた。
「それは別に仕組まれたものではなく、本当にただの事故だった。だが、当時の王妃は自分が傍にいながら起きたこの事故に酷く落胆した。国では第二王子の死を追悼し、喪に服したものの、死んだのは第二王子。国の存命には何の問題もなかった。国は第一王子が継ぎ、王家が途絶えることもない。だから年月が経つにつれ第二王子の存在は徐々に薄れていった。」
ファラが今語っているのは本当にこの国の歴史なのでしょうか。
こんな場面でファラが嘘をつくとは思えません。
ですが、そう思わずにはいられないほどファラの語り出した昔話は聞いた事もない歴史でした。
「だが、王妃だけは違った。第二王子の夭折を皆が忘れていく中、王妃だけは王子がまだ生きていると信じていた。穴は深過ぎて捜索こそ出来ないが、きっとどこかに繋がっていて生きている、と。だからこそ、王妃は王子が落ちたその次の日から、毎日食べ物を穴に落としていた。それが王妃の日課となったんだ。そしてそれが後に功を奏すことになった。」
ファラの語るこの国の歴史――。
それこそ妄言だと思わずにはいられない内容にもかかわらず、裁判官席は不思議と沈黙を貫いたまま、誰一人否定することはありませんでした。
「第二王子は奇跡的に生きていた。動けない程全身に怪我を負っていたものの、生きていたんだ。そして、王妃が穴から落とした食べ物で飢えを凌ぎ生き延びた。ある少女に出会うまで――。」
ファラが一言一句語るごとに裁判官席の空気は一層重くなっていく。
その明らかに異様な光景は、傍聴席の者達の心に益々疑念を与えていった。
「ある日、第二王子は穴の底で一人の少女に出会った。王子は少女に連れられ、朽ち果てた村で治療を受け、その家族と共に過ごした。そうして幾年月か経った後、怪我の治った王子に最初に沸いた感情は、助けてくれた少女への感謝と、自分の存在への絶望だった。」
ファラは声を震わせながらも懸命に続けました。
「村では、その日に食べる物すらままならず餓死する者が後を絶たなかった。加えて、病に倒れる者も少なくなかった。当然、薬など貴重も貴重。それでも王子には傷を治すべく、十分な食事と薬が毎日出ていた。それは何故か。それは単純な信仰心だった。〝天から降って来た子供〟――村の者達がそう言って神の子だと王子を奉っていた。『明日は今日よりも良い日が訪れますように――。』己が身を後回しにしてでも、村人達は王子に祈りを捧げていた。そんな村人達の姿を見て、王子は心に誓った。この村の繁栄と、そしていつか家族のいる上界に再び戻ることを。そして王子は上界での生活を参考に、幼いながらも数十年という時を掛けて村を発展させた。」
根拠など何もない。
けれど、ファラが今話している事は紛うことなき真実なのだ、とこの場にいた皆の胸にそう響いていた。
「その後王子は助けてくれた少女と結婚し、子孫を反映させた。ただ一点、家族との再会という夢こそ果たせなかったものの、子孫にその夢を託し、悔いなく人生を真っ当した。その子孫が王子の遺志を継ぎ、幾星霜を掛けて繁栄させたのが今の下界だ。」
ファラはそこまで話すと、一息つくように深呼吸を一回して裁判官席の様子を窺った。
裁判官席は今までに無いほど深刻な面持ちで暗い様子だった。
「仮に百歩譲って今語った戯言が真実だとして、其方は何が言いたい?」
皆が押し黙る中、口を開いたのは国王陛下でした。
「戯言か……お前達に話しても詮無いことだったか。」
ファラは誰に聞かせるでもなくそう呟くと、無性に腸が煮えくり返ってきた。
ここまで話してもまだ響かないのか。
ならもう直接言ってやるしかない――。
ファラは国王を睨みつけた。
「下界の人間の過半数は濃い薄いはあってもお前達と同じ血が流れている!特に俺はあんたと同じレクロリクスの血を色濃く継いでいる!元を辿れば俺達は皆同じ血を継いでいる家族なんだ!それを悉く下界人と蔑んで、下界と関わった者を下界落ちといって殺す――。そんな暴虐が許されるのか?いや、許されていいはずがない!違うか!」
吐き捨てるように怒鳴るファラの声――。
初めて聞くその悲痛な叫びに、私の心は酷く揺れ動いていました。
「ファラ……。」
何が正しくて、何が間違いなのか。
答えは決まっているはずなのに、話のスケールが想像以上に大きくなり過ぎて、今まで生きてきて身に着いた知識がその答えに行きつくことを邪魔してしまいます。
「確かに……。」
額に汗を掻きながらガイラさんはおもむろに口を開きました。
「彼の名前が本当にファラ=レクロリクスなら、王族の人間である可能性は高い。」
「どういうことですか?」
独り言として呟いたつもりだったのか、ガイラさんは驚いたようにビクンッと体を震わせてこちらに顔を向けました。
「私もユナウさんもそうですが、ここにいるのは王族以外は例外なくミドルネームを持っています。しかし、ロースハイム王家の方々はミドルネームを持ちません。そして、あの青年――ファラ=レクロリクスもまたミドルネームがない。それはつまり、王族の人間だという事を意味します。」
「確かに、言われてみれば……でも、王家のファミリーネームはロースハイムですよね?レクロリクスという名前が王家というのはどういうことなのでしょうか?」
「それは、私にもさっぱりです……。が、もしかしたら私達は根底から勘違いしていたのかもしれません。」
「勘違い……?」
それが何なのかはまだ分かりません。
ガイラさんの表情は一つの考えに行きついている様子でした。
ですが、この状況でそれを聞く勇気が私にはありませんでした。
私も漠然とは感じていますが、これ以上足を踏み入れることはすなわち、この国の深淵に触れることを意味するからです。
「言いたいことはそれだけか?」
裁判官席は相変わらず五人五色の顔色を見せるも、国王陛下の様相は変わりありませんでした。
「それだけ……だと!?」
「其方が言っていることは極論に過ぎん。其方の戯言を仮に全て真実と受け入れたとしよう。だが、それが何になる?」
「何って……同じ人種を傷つける必要はないだろ!少なくとも下界を虐げる理由はなくなるはずだ!」
「同じ?フッ……ハハハ。」
ファラの言葉に陛下は腹を抱えるように高笑いしてみせました。
「何がおかしい!?」
ファラは憎たらしく思うように憤怒の表情を陛下に向けました。
「同じ人種などと戯言を。思い上がるな下界人!」
初めて声を荒げた国王陛下のその圧は、傍聴席にいる私達の背筋まで凍らせるほど不気味なものでした。
「同じではない。決してな。我らは純粋な上界の人間の血を持つ。しかし、其方は違う。仮に其方の言う通り、下界の人間に上界の血が流れていたとしても、所詮は下界の血が混じった薄汚い血だ。それを同じ血とは、片腹痛いわ。」
「薄汚い……だと?何故下界の人間をそこまで虐げる?何故純血か、混血かでそんなにも差別する?一部でも同じ血が流れていたら、それは自分と同じ血族だ!同じ家族だ!違うか!」
冷静さを欠いて感情的になるファラ――。
それに対して、陛下の表情は余裕そのものでした。
「なら貴様は、会ったこともない人間が人を殺したら、その罪を代わりに背負えると申すか?」
「それは……。」
「出来ぬだろうな。だが、貴様の主張はつまりはそう言うことだ。会ったことのない人間でも先祖を辿れば同じ家族。それが通るのであれば、赤の他人はこの世に存在しないということ。それはすなわち、身内の犯した罪は己にも責任があると受け入れるということだ。」
唇を噛みしめて俯くファラに、陛下は冷たい眼差しを向けるだけでした。
「ニコラス、決まりだ。」
国王陛下の声に審問官は頷き、再びガベルを手にした。
「それでも俺は――」
何かを決心したようにファラは顔を上げて国王の方を見やった。
「俺は、受け入れる。血族の罪を背負うのは王族の務めだ!俺達は皆同じ血を持つ血族。同じ仲間を、家族を、蔑む必要も、殺す必要もない!下界落ちはもう必要ない!」
それはファラにとって本心ではあるものの、精一杯の抵抗だった。
「それこそ戯言だな。」
「くっ……。」
「それに、貴様は一つ勘違いをしている。この国の王家は今も昔もロースハイムだ。レクロリクスなどという名はこの国には存在しない。」
「なん……だと……!?」
信じられない、万策尽きた――。
まるでそう声に出すかのようにファラは膝から崩れ落ちました。
「終わりだ。ニコラス。」
再び宣告を催促する陛下の声に、審問官がガベルを叩きました。
「被告人、ファラ=レクロリクス。最後に何か言い残す事はありますか?」
審問官の問いにファラは何も答えず、その身を動かす事すらありませんでした。
「ファラ……。」
私はこのまま祈る事しか出来ないの?
ファラは結局死刑になってしまうの?
なら、私は何のためにここまで来たの?
審問官がガベルを叩く音が残響となって耳に響きます。
どうにかしたい、どうにかしなければ――。
そう思っても、怖くて足が竦んでしまって動けません。
「ユナウさん!」
その時でした。強張っていた私の腕が力強く掴まれました。
「ガイラさん……。」
「動くなら、もう今しかありません。判決が出てしまえば彼は即死刑です。考えなしでも、もう動くしかありません!」
〝 そうよ、ユナウ。あの人の手を掴んで――! 〟
「今のは――!?」
周辺にいた人達が私達の会話を不思議に思ったのか、不安そうにいくつか視線が向けられています。
しかし、そんなことも気にならないくらい私は心が研ぎ澄まされていました。
「ユナウさん?」
ガイラさんの心配そうな声が薄ぼんやりと聞こえてきます。
そう――。
この人のお蔭で思い出せました。
「ありがとう御座います、ガイラさん。」
「あ、いえ……どうも。」
何のことか、と頭を掻くガイラさんを横目に私は立ち上がりました。
「お母さまの教え、今ようやくその意味が分かりました。どうか今一度、私に勇気を下さい。」
小さく呟いて祈った後、私は床に膝を着ける力のないファラの背中を見つめました。
「判決。被告人ファラ=レクロリクスは、死――」
「お待ちください!」
審問官が判決を述べる寸前、私は傍聴席から力強く叫びました。




