90.女の子にしてくれて、ありがとう
こんばんわ。今夜も読んでくれてありがとうございます。
目を覚まして、次第に意識がはっきりしてくるにつれて、やっぱりここは後世界なのだと、思い出す。
私は、大きな窓に映る木々を見ながら、そっと上体を起こした。
木々の向こうには、どこまでも続いているかのような、夏空が広がっていた。
どこまでいっても、自分は自分なのだった。
私の瞳は、窓ガラスに、前世界で、駅で澄ました顔で立っていた、女子高生を映し出していた。
つんとした表情で前を向き、左右対称の三つ編みを、肩の少し先までおろしている彼女の後ろ姿。
しばらくして、ホームにやってきた電車の窓に、少女の姿が映り、私と目が合った。
ブラウスの胸元はつんと二つにふくらんでいて、白い下着が透けていた。
真っ直ぐに、窓に映る自分の姿を見据えるその表情は、自分が女性であることを、何の疑いもなく、受け容れているように見えた。
駅のホームで、たくさんの人混みに紛れて、この世界で、女の子として存在する、名前も知らない、あの少女。
私は彼女をうらやましく思った。そして、彼女みたいになりたいと願った。
深山真理の体は、300年前に海の底深く沈んで、なくなってしまった。
そっと、さっきの少女とおなじように膨らんだ、自分の胸に手を当てる。
さらりとした感触の下着の裏で、ぷくりと胸が盛り上がっていた。
自分に胸があるのをみると、とても嬉しくて安らいだ気持ちになる。
アンドロイドのマリの体に取り残された、私の、深山真理の意識、それが今の私。
どうして、アンドロイドのマリは私の意識を助けてくれたのだろう。
マリは私を愛していたからだろうか。それとも、それがマリの使命だからなのか。
マリは、後世界の人たちが、マリア様と呼んでいる誰かを、この世界に連れてくるための、時の箱舟というシステムなのだとしたら。
でも、私はマリア様としては、いまのところ不適格みたいだ。
──早く壊れなさい。でないと、新しい人を連れてこられないから。
言われなくても、わかってるよ。
私なんか、あのとき、海の底に消え去った方が、よかったんだ。
私は、頭の中の声に反論する。
そしたら、もしかして、今度は、女の子に生まれ変われたかもしれない。
少なくとも、今のこの苦悩からは、解放されただろう。
ふと、となりで寝息を立てている知美を振り返る。
こっちを向いて横向きになった顔に、両手を添えて、気持ちよさそうに眠っていた。
今は、その手に、私がマリに贈った指輪は、はめられていない。
指輪の一件だけで、知美=マリと決めつけるのは早計かもしれない。
でも、指輪をはめていたということは、なんらかの事情を、知美は知っているはずなんだ。
私は音を立てないように、そっとつま先から床に降り立つ。
そして、眠っている知美の側に行き、スカートを折りたたみながら、しゃがみこんだ。
大切なものに触れるようにして、指をとって、手前にどける。
すると、艶やかな唇が、あらわになった。
そして、私はそっと顔を近づけて、キスをして、目を閉じた。
その満たされた気持ちのなかで、私はアンドロイドのマリに感謝していた。
──女の子にしてくれて、ありがとう。
と。
しばらくして、ゆっくりと顔を離した。
相変わらず、知美は気持ちよさそうに寝息を立てていた。
その、無邪気な寝顔を見ながら、私は自分に誓った。
たとえ、”かみ”に会えなくても、不良品だとしても、次のマリア様のために、ひとつでも、なにかを残そう。それが、きっとマリへの恩返しになるのだから。
「え、図書館に行くの?」
私は壁に掛けてあった、いつもの制服(通常モード)のスカートに足を通しながら、未だベッドで眠たい目をこすっている知美にうなずいた。
「この後世界のこと、いろいろ調べなくちゃ」
「ふーん、マリア様もやっとやる気になったんだね、えらいねっ!」
知美は手を叩いて、私をほめてくれる。
以前なら、たんなる冗談で済ませられただろうけど、指輪のことを知ってしまうと、本気なのかもしれないと思ってしまう。
「知美も行こうよ、早く着替えて」
「はーい」
気前よく返事をして、ベッドから飛び降りる知美を見て、鹿児島市で暮らしていた日常を思い出してしまう。
日々の畑仕事に行く前に、毎日のように寝ぼすけの知美を起こしていたことを。
私はふと、ソファーの千春の目をやった。
相変わらず、すやすやと心地よさそうに眠っている。
無理もない、今朝は午前4時から起きているのだ。眠たいに違いない。
このまま寝かせておいてあげよう。
──少し出かけてきます。午後5時までには帰ります。
私はさらさらと、リビングのテーブルに置いてあったメモ用紙に書きつけて、千春の側にそっと置いた。
「大変だ! お姉ちゃん、来てよ!」
私は知美の叫び声に、パタパタと寝室に戻る。
「ちょっと、千春はまだ寝てるんだから、大きな声だしちゃだめだよ…」
小言を言いながら、知美に歩み寄る。
「ほら、こんな服しかないよ!」
知美が私に向かって広げたのは、まるでダンスパーティーに来ていくかのような、ドレスだった。
そして、クロゼットの中にも、同じようなものしかなかったのだった。
知美は、赤ちゃん工場で着せられていたピンクの病院服しか持っていない。
私はふと思い出して、自分のリュックサックをあさる。
そして、あの服を取り出した。
それは、鈴子さんが、知美のために仕立ててくれた、ダサいドレスだった。
「これの方が、派手なドレスよりは、悪目立ちしなくていいんじゃない?」
「あっ、お母さん…」
知美は思い出してしまったのか、私からそっとドレスを受け取ると、それに顔をうずめてしくしく泣きだした。
私ももらい泣きしそうになる。
「うん、これ、着ていくよ」
鈴子さんのドレスから顔を上げた知美は、私に笑顔を向けてくれた。
(つづく)
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次回、第91話「真冬パスポート」は、7月13日(月)午後6時投稿予定です。




