1-4
車を乗り捨てて高速道路も非常口から降りた水沼法師と坂上は、山間部に流れる川を上流へと向かっていた。
時空は歪んだままで、月明かりだけが頼りの暗闇をひた歩く。
山中だというのに虫の音すら聞こえず、川のせせらぎだけが二人を導くように流れていた。
「珠緖さんは大丈夫でしょうか……」
坂上の不安そうな声に水沼は簡潔に答えた。
「わかりません」
嘘でも安心出来る言葉が欲しかったが、それだけ予断を許さない状況なのだと身が引き締まる。
それでも無言での行進は緊張に耐えないので、何でも良いから会話が続けたくて質問を投げかけた。
「あの、今から行く場所って……皆が消えたあそこなんですよね?」
「はい」
「……あたしが行く必要ってあるんですか?」
「必要不可欠です。それこそ私や珠緖さんだけで行っても意味が無いのです」
「それはどうして?」
「あのタイプの怪異は、根本的な発生理由を断ち切らないとイタチごっこになる可能性が高いのです」
「……根本的な発生理由って?」
「答えられません」
「どうしてですか」
温厚な坂上の声にも流石に苛立ちの色が灯る。
「それは、貴女自身が思い出さないといけないからです」
「……思い出す? 一体何を……」
二人は真っ暗な川辺をただひたすらに上流へと向かう。
「教えてくれませんか。居なくなった学友達の事を」
水沼の後を追う坂上は、その背中から目を逸らして口を開いた。
「……皆良い子でした。あたしみたいな一人じゃ何も出来ない地味で暗い人間を仲間に入れてくれて……」
「本当に仲間でしたか?」
「……どういう事ですか」
「良いように使われていただけではないですか?」
会話が途切れ、代わりに砂利を踏み締める音が場を支配した。
「……そうかもしれません」
水沼は相づちも打たず、言葉の続きを待つ。
「皆で遊びに行く時、面倒な事は全て押しつけられていました。カメラマン役だってそうです。でもそれがあたしの居場所だったんです……それでも大事な、居場所と友人だったんです」
坂上の足が止まり、目元に浮かぶ涙を拭う。
期せずして目的地への到着を果たしていた。
「……一人が恐かった……いや、一人で寂しい奴だと思われるのが恥ずかしかったんです……」
水沼は振り返り、前髪を気にしながら眼鏡の位置を直した。
「その先を思いだして下さい」
「その先? わかりません……」
「孤独を恐れた貴女は友人達の度重なる要求を断れなかった」
「……はい」
「貴女の容貌は確かに地味ではあるが醜悪ではない。身体つきも平均以上に女性らしい」
坂上は瞬時に耳まで赤くしながら俯いた。
「寂しい人間だと思われる事を恐れた貴女は、男性陣から性的な要求を断る事が出来なかった。違いますか?」
坂上はこれ以上の恥は無いといった様子で身を縮込ませながらも、小さく頷いた。
「グループ内のどの男性と関係を持ちましたか?」
消え入りそうな声で答える。
「……全員です」
罪を告白するかのようなその口振りからは、彼女が本来持つ貞操感が、堅苦しいほどに清らかである事を示していた。
それでも彼女は、それ以上に守りたい居場所があった。
キャンパスの中を一人で漂う事の出来ない弱さを自覚していた。
勢いとノリで、「こいつなら押せばいけるだろう」という傲慢な若い雄の誘いを断る事が出来ずにいた。
「……軽蔑、しますか?」
「いえ全く。私も風俗はよく利用します。ちなみに子持ちです」
あまりに淡々と語られる事実に坂上は思わずくすりと笑ってしまった。
「……最低ですね。お互い」
水沼もそれに笑顔で返す。
「本題はここからです。貴女達があの夜に邂逅したあの怪異。あれは恐らく人為的に呼び寄せられたものです」
「なぜそう思うんですか?」
「あれほど強力な怪異が何のいわくも無い場所で何の予兆も無く、突発的に発生する事は考えづらいのです」
「つまりそれって……」
「そう。あの場所、あの時間に誰かが誰かを呪う為に、ピンポイントで作り出した呪いと考えられます。さぁ、なるべくご自身で考えて下さい。その理由と人物を」
「……まさか……でもそんな……」
何かを察した彼女に対して、水沼は答え合わせをする教師のように言葉を紡ぐ。
「恋慕する男子と肉体関係を持っていた貴女を排除したがっていた女子の存在は想像に難くありません。そして素人が遊び半分で行った呪いの儀式が、思いも寄らない結果を引き起こす事は珍しくもなんともありません」
まさか原因が自分にもあったなどと微塵にも考えていなかった坂上は、頭がぐらぐらと揺れる。
そんな彼女をよそに、水沼は更に言葉を続ける。
「先程車を追ってきた怪異。あれの八尺さまそのものではない。いわば小間使いであり、目的は貴女です。私や珠緖さんは躊躇無く殺害するでしょうが、貴女には危害を加えないでしょう」
「……どうして?」
「貴女と同化する事で呪いが成就し、八尺さまが誕生するからです」
「そ、そんな……でも、あたしもあの時一緒に襲われて……」
「逃げた?」
「……はい」
「本当にそうでしょうか」
「……どういう事ですか?」
「思いだして下さい」
「え?」
「何故あんな映像を持ちながら、警察に提出しないなどという不合理な行動を取ったのですか?」
「それは、だから……信じてもらえないと思って……」
「事務所での私の言葉を憶えてますか? 『ああいう怪異は自己の存在を知らしめたいが故に、観測者を死には至らさない』。その続きを?』
「……四肢や感覚器の欠損や……『重度の精神疾患』に留める……」
水沼は幾許かの間を取り、そして静かに質疑を再開した。
「思いだして下さい。昨日の夜、何を食べましたか?」
坂上は何かが崩れていくのを感じた。
「……やだ……やめて」
「今日の朝でも良いですよ」
「……お願い……」
「思いだして下さい」
川の流れる音すら闇に呑み込まれる。
完全な静寂が生まれ、それを水沼が破った。
「貴女は誰ですか?」
「私は……私は……坂上翔子……です……一人が恐くて……友達の頼みならなんでも聞いてしまう……」
水沼は静かに首を横に振った。
「いいえ。坂上翔子さんなら先日この川辺で発見され、現在は市民病院で安静処置を受けています。今もなお原因不明の意識不明です。実際私がこの目で確認してきました。さぁ、思いだして下さい。わざと化粧をせずに地味な顔立ちの友人、いや自分が呪った人間であり観測者を演じさせられている、『重度の精神疾患』に陥っている貴女は誰ですか?」
「違うっ!!!」
文字通り今までとは別人の声で叫ぶ。常に人の顔色を伺う我の弱い声色でなく、ヒステリックに他人を威圧する声が川辺に響いた。
「……アタシは……アタシは…………」
「逆神由那さん、ですね?」
「う、う……うぁ……」
髪を掻きむしりながらその場に跪く。
流れる川の水面に映ったその顔を見て、彼女はようやく自分が誰なのかを認識出来た。
「素人である貴女の呪いは完璧には程遠かった。無差別に友人達を襲った後、坂上翔子さんに取り憑こうとしたが途中で失敗。放った呪いが完遂されなければ、それは必ず呪った人間へと返るのが道理。逆神由那さん。貴女は呪いにとって観測者であると同時に、取り憑く先として選ばれた」
言い終わると同時に二人を取り囲んだのは、地面から生えるように浮き出た電柱めいた案山子のような存在だった。
案山子は白くぼんやりと煙のように揺らめいている。
指が地面に届くほどの長さがあり、目は空洞となっていた。
「ぽ、ぽ」と鳴き声を上げながら、じりじりと距離を詰めてくる。
「くっ……マズいな」
水沼法師を周囲を見渡し、焦燥の声を上げると、再び逆神由那に向き直った。
「貴女自身を、そして坂上翔子さんを救いたいという気持ちがあるのであれば、貴女が罪を犯したこの場所で、罪を告白し赦しを乞うしかない」
水沼法師はそう断言すると、前髪を弄ってからその場に正座で座り込んだ。
「これが最後のチャンスなのです。貴女も私も」
両手を合わせ、真言を唱える。
「ナウマクサンマンダバザラダンカン」
水沼法師の唱えた真言は、案山子の歩み寄る速度を僅かながらに鈍くさせた。
逆神由那は地べたに蹲り、咽び泣き始める。
「……ごめん……ごめんなさい……翔子ちゃん……アタシ、アタシ…………浩一が好きで、でも告る勇気も無くて……でも翔子ちゃんと浩一がエッチしてるって聞いて目茶苦茶ムカツイて……翔子ちゃんが断らないからって手を出す浩一にもムカツイて…………だから、だから……ネットで呪いのかけ方調べて……皆、本当にごめん……全部アタシが悪いの……」
涙と鼻水を垂らしながら、全てを吐露した逆神由那の耳には、いつの間にか水沼の唱える真言が聞こえなくなっていた。
そっと顔を上げると、夜空に早暁の光が差し込み始めている。
取り囲んでいた案山子も嘘のように姿を消していた。
嗚咽でくしゃくしゃになった顔を上げると、目の前で中腰に立つ水沼が、微笑みながら手を差し出してくれていた。
逆神由那の心の中に宿っていた、黒く重い何かが霧散したように消え去った。
差し出された手を握り返そうとした刹那、水沼の頭上から巨大な指が現れ、彼の頭を掴んで持ち上げた。
一呼吸の間を置いて、首から上が存在しない彼の身体が無造作にどさりと目の前に落ちた。
「ヒィッ!」
逆髪由那は慌てて逃げだそうとしたが、いつの間にか白い案山子が彼女を圧迫するように取り囲んでいた。
「……なんで? なんで? 謝れって言うから謝ったのにっ! アタシは何も悪くないのに! 全部……全部、皆が悪いのにっ! いやだっ、止めてっ! アタシは悪くないっ!」
奥歯をガチガチと鳴らしながら、未だかつて信じた事の無い神に救済を縋った。
「……助けて……お願い」
案山子が一斉に彼女に覆い被さると、煙のように彼女の身体に吸い込まれていった。
しばらく彼女の身体はぐったりと脱力していたが、唐突にびくんと痙攣すると、跳ね上がるように直立した。
限界まで喉を反り返し、空を仰いだ口からは、「ぽ」という声とも音とも取れない響きが断続的に漏れた。
ゆらゆらと身体を揺らしながら体長が伸びていく。
指だけは地面に届きそうなほど不自然に長い。
全身は蝋燭のように白く、ところどころ重油が流れているかのような黒い血管が透いている。
眼球は既に無く、墨汁を垂らしたかのように瞳の輪郭を失っている。
顎は外れ、人間の頭部なら飲み込めそうなほどに口は広がり、輪郭は左右非対称に大きく歪んだ。
そんな逆神由那の変異とは別に、乾いた破裂音がその場に鳴り響き、空気を切り裂く銃弾が彼女の横っ面に撃ち込まれる。
素人がヘビー級ボクサーのフックをまともに食らった挙動と同様に顔が真横に吹き飛んだが、足元はぴくりとも動いていなかった。
砂利を踏み締めて到着した珠緖の片手には、アンチマテリアルライフルが持たれており、銃口は硝煙を上げていた。
「結局は腕っ節で解決するしかないという事か。それもまたファンタジーとメルヘンの世界に生きる我々の宿命だな」
珠緖はいくつかの傷を追っていた。額からは血を流し、片足はやや引きずっていた。衣服も所々が破れている。
一戦を終えて駆けつけた珠緖は既に満身創痍に近い状態だった。
それでも彼女の眼光に陰りは一切見られない。戦局を分析し、勝利への道筋を手繰り寄せる未来しか興味は無い。
彼女は物言わなくなった水沼の遺体を目にすると、飾りなき敬意を口にした。
「後は任せろ相棒。骨は必ず拾ってやる」
口に貯まった血を吐き出すと、朝陽を背負った魔法少女が、愛を奇跡を実証する為、八尺さまと対峙する。
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