フェリシア
波打つ金色の髪に燃えるような紅い瞳をした、ゴージャスな美女の、アンジェリカお姉様。
ストレートのプラチナブロンドの髪に海のような深い碧色の瞳をした、神秘的な美女の、イーリシアお姉様。
そんな二人と並び、最上級の聖女資格を持ち、大聖女候補でもあったわたしだったが、わたしの髪と目は市井によくいる茶色で、太陽と月に例えられ女神のごとき美しさを放つお姉様達と並んだら存在が消えてしまうような、地味で目立たない容姿をしていた。
一応それでも、可愛い顔をしているとは言われるのだ。なれて定食屋の看板娘が限界だなとも言われたけれど。最上級の聖女の内、他の二人は神々しいまでに美しすぎて近寄りがたいから、私の容姿は親近感が持てて安心するなんて言われた。でも、同じ大聖女候補でも、わたしは落ちこぼれで、二人に比べるとはるかに能力は劣っていて、治癒をするにも、浄化をするにも、対象に触れていなければできなくて、お姉様達のように触れずに広範囲の複数を一気に治癒や浄化することなどできなくて。わたしはハズレなのだと、わたしは絶対に大聖女にはなれないと思っていた。だけど、大聖女候補から降りることは赦されなくて、それが恐ろしくて恐ろしくて、本当はいつだって逃げ出したかった。
わたしは、身体に刻まれた聖痕への適性も低く、最上級の聖女までなれたことが奇跡に近い。わたしに力を与えている聖痕がわたしの心身を蝕み、全身に痛みが走る。目眩や倦怠感なんていつものこと。幻聴や幻覚だっていつも聞こえて見えている。最初の紋を身体に刻まれたその時から、わたしは聖痕への拒否反応が出ていて、低級聖女にもなれないと思われていた。なのに、誰もの予想を覆し、わたしは多くの紋を身体に刻み、拒否反応に苦しみながらも生きながらえ、最上級の聖女まで上り詰めた。あと一紋。あと一紋刻まれて、耐えることができたなら、教会の名目上のトップである大聖女に祭り上げられる。だけど、大聖女になれるのは、一人だけ。大聖女候補の全てが最後の紋に耐えられ、神の御業ともいえる規模の聖魔法を使えるようになったとしても、選ばれるのは一人きり。そして、選ばれなかった者の行く末は、廃棄なのだ。残しておいて、遺恨をもたれても困るから。残しておいて、思惑のある誰かに利用されても困るから。だから廃棄。中級までの聖女が、貴族に献上品のように譲られて、引退するのとは訳が違う。上級の聖女のように、生涯教会内で飼い殺しにされるのとも違う。大聖女になれなかった最上級の聖女は、殺されるのだ。わたしは大聖女にはなれない。奇跡的に今までのように紋に耐えることができたとしても、わたしが大聖女に選ばれることはない。お姉様達二人が紋に耐えられず力を失い、わたしだけが残ってしまう、そんなことでも無い限り。でも、わたしより適性がはるかに高いお姉様達が、わたしを残して脱落してしまうなんてあり得ない。だから、わたしは絶対に、大聖女にはなれない。紋に耐えられなくても死。紋に耐えられたとしても死。もうすぐわたしは死ぬしかないのだ。死ぬのは怖い。怖くて、怖くて、怖くて、逃げ出したくて仕方がなかった。
初めから、わたしには適性がなかったのに。他の集められた聖女候補者達(姉妹達)とは違ってわたしだけ紋を刻み続けられた。他の姉妹達は皆、適性がない、次の紋に耐えられないと判断された時点で、等級が確定されてその先はなかったのに。わたしだけがずっと、紋を刻まれては、身体がそれに慣れるまで時間をおかれ、また次の紋を刻んでを繰り返されていた。聖女候補、聖女見習い、その段階の紋であれば、紋に耐えられなくても、紋の魔法が使用できず、拒否反応が酷い場合も最悪が魔力回路がダメになって魔法が使えなくなる程度ですんでいた。魔法が使えなくなった姉妹達は聖女資格を失うが、修道女として教会に貢献することになるだけですんだ。下級聖女、中級聖女と等級が上がるにつれて、紋への拒否反応が強く出た場合の代償が跳ね上がり、寝たきりになるなら良い方、悪ければ死となっていった。上級ともなれば、適性のない紋への代償に死は免れず、その死も悲惨なものになった。苦痛にのたうち回り、悲痛な叫びを上げて死んでいった人もいた。全身から血を吹き出しながら、喉をかきむしって死んでいった人もいた。紋により増幅された魔力が暴発して、周囲を巻き込んで爆発し、細切れになった肉体を飛散させて死んでいった人はまだ、他の人より苦しまずに死ねたのかもしれない。いつかわたしもそうなる。適性が見込まれた人たちでさえあんな死を迎えたのだ。適性のない自分が紋を刻み続けていたら、きっと、いつか、想像も付かないほど悲惨な死を迎えることになるに違いない。そう思っていた。そう思って、怖くて、怖くて。死にたくない、死にたくない、といつも祈っていた。
今思えば、わたしは拒否反応が強くでるだけで、適性はあったのだろう。刻まれた聖痕の魔法を、全て使うことができたのだから。だからずっと、残されていた。そして残り続けるから、何処までいけるのか、実験動物のように、繰り返されていたのだ。わたしは最初から教会の実験動物で、正規の聖女ではなかった。だから最初から廃棄が決まっていたのだ。いらなくなったその時は、教会の都合の良いように使われて、殺される。最初からそれが、わたしの運命だった。だから、ダグラスはそれに巻き込まれただけ。巻き込みたくなかったのに。わたしが自分の立場をちゃんと解っていなかったから、結局、巻き込んでしまった。
ダグラスだけでも教会から離れて、教会と関わらないどこかで、普通に生きて欲しかったのに。なんだかんだとお兄ちゃん気質で面倒見の良い彼は、同じ孤児院出身の妹分であるわたしを見捨てられなかった。大聖女になれたとしても絶対に、ダグラスだけは守護騎士に指名はしないよと言ったのに。孤児院出身の彼じゃ、ずっと聖騎士見習いのままで絶対に正規の聖騎士にはなれないし、雑用を押しつけられて戦闘では常に前線で戦わされて使い潰されるだけなんだから、街の自警団とか、傭兵になった方がよっぽど良いよって言ったのに。同じ消耗品扱いでも、聖女と違って掃いて捨てるほどの代わりがいる聖騎士見習いは、届け出一つで簡単に辞めることができるから、給料が良くても扱いが悪い教会所属なんて実績だけ積んでさっさと辞めて、それまで稼いだ給金を元手に他で働いた方がよっぽど未来は明るいはずなのに。バカ。バカ。バカ。
ダグラスを巻き込みたくなかった。だから、ダグラスの手を取らなかった。なのに、結局、こんなことになるんだったなら、嘘でも冗談でも良いから、ダグラスの提案に頷いていれば良かった。
「辛いなら連れ出してやる。」「逃げたいなら逃がしてやる。」「お前が本当にダメだと思ったと時はどんな手を使ってでも助け出してやるから。」そんなこと、してれなくてよかった。しようと考えてくれなくてよかった。わたしを置いて、教会から離れて欲しかった。逃げたいと思っても逃げられなかったのは、なにも規律で逃亡が最も重い罪と定められ処刑されるからなだけではなかった。わたしが逃げれば、わたしが育った孤児院も責任をとらされるから。あそこに住む家族達が、わたしのせいで酷い仕打ちを受ける。わたしが聖女候補となることで与えられた報酬も、わたしの聖女資格が上がる度に増えていった支援も全て取り上げられ、家族達の生活水準が落ちてしまう。後ろ指をさされ、支援も施しもろくになくなり、困窮するかもしれない。さらに連座で殺される誰かも出るかもしれない。自分が死ぬよりずっと、その方が怖かった。わたしが耐えていれば、わたしの聖女の等級が上がれば、その分、孤児院に教会から補助が出る。わたしさえ耐え続ければ、家族達の生活は保証される。だから、耐えて、頑張った。本当は怖くて怖くて、恐ろしくて恐ろしくて、逃げ出してしまいたくて、いっそのこと死んでしまいたいほど、辛くて辛くて仕方がなかったけど、だけど。家族のためなら耐えられた。わたしに耐える以外の選択肢はなかった。だから、わたしのことは放っておいて欲しかった。傍にいればいるほど、近くにいればいるほど、ダグラスもまた目を付けられてしまうから。もし本当に大聖女になれたとして、そうなったら、本来大聖女本人に指名権があるはずの守護騎士にダグラスが強制的にさせられてしまうだろうから。ダグラスは知らないだろうけど、大聖女の守護騎士は教皇の奴隷なのだ。守護騎士の任命式は、守護騎士に選ばれた者を教皇に隷属させるための儀式なのだ。守護騎士になったら最後、全ては教皇の意のままに操られることになる。守護騎士が大聖女にとって大切な存在であればあるほど、教会にとっては都合が良い。守護騎士になるということは、自分の意思で動くこともできず、ただ大聖女を教会に縛り都合良く動かすための贄になるということ。だから気軽に、大聖女になったら自分を守護騎士に指名しろなんて言って欲しくなかった。なれるわけがないと思っていても、想像してしまうから。逃げないなら逃げないで、一番近くで護ってやるなんて、そんなこと言って欲しくなかった。できないと思っていても、心が揺れてしまうから。そして、ただ同じ孤児院出身のお兄ちゃんのような存在だとしか思っていなかったダグラスに、日に日に惹かれていく自分が怖かった。ダグラスはわたしのこと、妹のような存在としか思っていないって、ただ見捨てられなくて優しくしてくれてるだけで、それ以上になんて見てくれないって解っているから余計、辛かった。
特別じゃないなら、お願いだから、わたしを置いてどっかに行ってよ。家族が大切なのはわたしも同じ。家族を見捨てられないのはわたしも同じ。だから、お願いだから、教会なんかからは離れて、違う場所で生きていて。わたしはここを離れられないから。わたしはここにいるしかないから。だから、何処にでも行けるダグラスは、ここを離れて、教会に所属しないですんだ子達の面倒を見てあげてよ。孤児院出身者が孤児院を出た後に生活していくのは大変なんだから。わたしはまだ、生活の保障はされているんだから。わたしのことなんてどうでもいいから、お願いだから、市井に出た子達の傍にいてあげて。そう思っていたのに、そう、口にも出して伝えてはいても、心の中で叫ぶほど強くは言えなかったのは、結局、ダグラスに傍にいて欲しかったからだろう。自分を置いてどこかに行って欲しいと、本当に願っていた。本当に思っていた。だけど、やっぱり怖くて怖くて、いつだってダグラスの言葉に励まされて慰められてきたから、そのまま少しでも長く傍にいて欲しいと望んでしまっていたんだ。もっと強く拒絶すれば良かった。もっと強く、突き放せば良かった。そうすれば、きっと、巻き込まずにすんだのに・・・。
「泣くなよ。フェリシア。」
わたしの隣に同じように磔にされさらされていたボロボロのダグラスがそう言った。
「俺が悪かった。一緒に逃げないかなんて聞くんじゃなくて、何も聞かずに攫えば良かった。そうすれば、罪人は俺一人で済んだのにな。」
わたしはもうボロボロで、もともと聖痕に蝕まれていた身体に何度も何度も鞭を打たれて、もう声も出せないほどボロボロで、ダグラスは悪くないと言いたいのに、何も言うことができなかった。
わたしのせいだって、わたしが弱かったから、ダグラスにも見破れないくらい大丈夫なフリができなかったから、ダグラスを突き放してもう会わないってできなかったから、だから。全部わたしが悪いの。そもそも、最初から廃棄が確定していたわたしにダグラスは巻き込まれただけ。逃亡の罪をかぶせて、見せしめにするのはきっと、最初から決まっていたこと。一人が二人になったのは、わたしがダグラスを巻き込んでしまったから。ごめんね。ごめんね。ダグラスには未来があったのに。ダグラスが、お世話になった孤児院のシスターに片思いしてたの知ってたよ。失恋したらしいけど。でも、ダグラスなら、新しい恋だってできたでしょ。教会から離れさえすれば、普通に街の中で生きて、出会った誰かと恋をして、結婚して、子供もできて。ダグラスならきっと、そういう普通の幸せを手にできたはずなんだ。なのに、わたしなんかを気にかけてたから、わたしなんかの傍にいたから、わたしなんかを助けようとしてくれたから。最初から破滅が決まっていたわたしの運命に巻き込んでしまったんだ。
こんなことになるなら、こんな風に思わせるなら、あの時、ダグラスの手を取っていれば良かった。手を取って、一緒に本当に逃げてしまえば良かった。結局捕まって、同じ事になったとしても、あの時手を取っていたら、ダグラスにこんな風に自分が悪いなんて言わせなくてすんだのに。
わたしに色々話しかけていたダグラスも、磔から解放される頃には何も言わなくなっていた。その時にはまだ生きていたのかどうかも解らない。わたし自身、まだ生きていることが不思議な位の状態で、縄が外されて地面に落とされた衝撃で意識が浮上して、自分が生きていることを認識出た様な感じだった。もう目も見えていなかった。真っ暗ではない、かすんだ白い世界に影がチラチラと動いているようにだけ見えていた。音は全て、意味を持たない風音のように耳をかすめて通り過ぎ、雑に運ばれている振動だけが、やたらとはっきり伝わってきた。わたしに解ったのは、ダグラスもきっと、同じように運ばれているのだろうということだけだった。
まだ生きていた。まだ意識があった。だから、最後に少しだけでも、ダグラスの存在を感じたかった。だけど、もう、それすらもできなくて・・・。
ゴミのように瘴気溜りに投げ捨てられ、ドロっとした生暖かい何かに全身を包まれて、瘴気汚染を受けているはずなのに、わたしの身体からそれまでにあった痛みが全て消え去って、苦痛から解放されて、最後に残ったのは、「生きていたかったな」という思いだった。
生きて、外に出たかった。ただ普通に、生きていたかった。孤児院の皆は無事かな。捕まったのは、孤児院から帰る途中だった。「またね」って、手を振って別れた、子供達の姿が目に浮かぶ。わたしもダグラスも、定期的に自分達がいた孤児院に顔を出し、子供達の面倒を見ていた。わたし達が罪人になってしまい、あの子達は辛い思いをしていないだろうか。あの子達も一緒に、逃げられたら良かった。置いていけないなら、一緒に逃げてしまえば良かった。ダグラスと、わたしと、あの子達と。皆一緒に、生きていけたら良かったのにな。皆で一緒に暖かい光の中で過ごす幻想を見た。それが、きっと、人間だった頃のわたしの最後だったと思う。
わたしは死んだ。だけど、瘴気溜りに落とされて、落とされる前のボロボロな姿が嘘のように元通りより健康体になって、魔人として復活した。ダグラスも同じように戻ってきていた。だけど、彼は意識が戻らなかった。
それからは地獄のような日々だった。それまでがまだ温く思えるほどの地獄。
わたしは実験台だった。魔人化したわたしは、何をされても死ぬことができなかった。意識のないダグラスが実験台にされるのを防ぐため、わたしはひたすらに言われるまま、されるがままに、自分の全てを差し出した。
自分が被害に遭うだけなら良かった。魔人化の研究のため、普通の人間が連れてこられ実験台にされるのも、相手が死刑囚だと解れば辛くはなかった。だけど、奴らは、目の上のたんこぶの政敵や街の浮浪者や孤児達など、罪のない人々も攫ってきて実験台にしていた。自ら志願したという、魔力を失った元聖女達は、言葉巧みに騙されて連れてこられたのだろう。
魔人化の成功率は低かった。魔人化に成功しても、わたしのような不死になるものは現れなかった。まして、自我を持ったままでいられる人など存在しなかった。だから沢山の人が死んだ。沢山の人々の恐怖の悲鳴や怨嗟の声を聞き続けた。そんな気が狂いそうな日々に、わたしはだんだん感覚が麻痺してきて、何も考えられなくなってきていた。
「お姉ちゃん。」「フェリシアお姉ちゃん。」
よく知った声が聞こえた。よく知った子供達が、檻の中に入っていた。
怖い、怖いと泣いていた。出して、助けてと泣いていた。お腹減ったと泣いていた。
お願いします。この子達だけは。酷いことをしないで。何でもするから。
どんなに懇願してもどうにもならなくて、生かしたいならお前がなんとかするしかないと同じ檻に入れられて、子供達が壊れないように、わたしはただ必死に、必死に、子供達を抱きしめながら、聖魔法を行使し続けていた。
「フェリシア。貴女、生きていたのね。しかも、こんな場所にいたなんて。」
そう言ったのはアンジェリカお姉様。
大聖女にはイーリシアお姉様がなった。アンジェリカお姉様は最後の一紋には耐えられたものの、拒否反応が強く出て、ろくに聖魔法が行使できない状態になったため落第した。以前のわたしと同じように、強烈な拒否反応に苛まされながらも生きている。魔法も使える。だけどハズレの大聖女になったアンジェリカお姉様。
アンジェリカお姉様は、成功すれば大聖女以上の力が手に入り教会での地位も約束されると唆されて、魔人化計画に乗ってやってきていた。絶対に、失敗作じゃない魔人になって、返り咲いてやるのだと豪語したアンジェリカお姉様は、「わたしが成功したらもう実験なんて必要ないんだから、自分の権力を行使して助けてあげるわ。」と言って、「だから、もう少し耐えて、待ってなさい。」と、力強い笑みを残して去って行った。それが、アンジェリカお姉様を見た最後だった。
助け出してくれると言った、アンジェリカお姉様は帰ってこない。
子供達は身体に埋め込まれた瘴気核の汚染が広がり日に日に弱っていく一方。浄化が苦手なわたしじゃ、子供達を助けられない。
苦しいよ。苦しいよ。痛いよ。助けて。死にたくない。子供達の悲痛な声ばかりが木霊していて、わたしは無力感に苛まされて、ただただ必死に、ひたすらに、聖魔法を行使し続けていた。
だけど終わりはやってくる。ある日、「もうダメだな。これも廃棄だ。」その言葉を耳にして、わたしは立ち上がった。この子達は殺させない。わたしが護る。その想いだけで、結界魔法を展開していた。
わたしは結界の聖女フェリシア。浄化や治癒は苦手でも、結界に関しては誰にも負けない。誰にも子供達をこれ以上傷つけさせたりしない。助けることはできなくても、わたしが絶対護るから。
でも、どうしたら良いの?ずっとここに立てこもっていても、子供達は助からない。大聖女になったイーリシアお姉様なら、子供達を助けられるの?イーリシアお姉様、どうか気がついて。わたし達はここにいます。濃い瘴気に犯された子供達が、ここにいるの。助けて。助けて。瘴気汚染は抑えられても、子供達を飢えから守ることはできないの。外敵から守ることはできても、子供達の乾きを潤してあげられないの。このままじゃ、子供達が死んでしまう。助けて。助けて。誰か・・・。
ダグラス。どうしよう。わたしだけじゃ子供達を護れない。助けられない。ダグラス。お願い、助けて。目を覚まして。一緒に、子供達を護ってよ。最後にわたしが縋り付いたのは、ずっと目を覚まさないまま転がされていた、わたしと同じ、魔人になってしまったダグラスだった。
気がつけば、そこは廃墟になっていた。
「今まで一人でよく頑張ったな。遅くなってごめんな。」
そう言って、ダグラスがわたしの頭を撫でてくれた。
「ダグラス。子供達が。子供達が・・・。早く、街に出て。ダメ。こんな瘴気まみれの身体で街に行かせられない。何か、食べ物。飲み物も。イーリシアお姉様を探して。イーリシアお姉様ならきっと子供達を助けられる。だから、イーリシアお姉様を連れてきて。」
そう縋り付くわたしをダグラスは痛々しいものを見るような目で見ていた。
「フェリシア。子供達はもう・・・。」
わたしは、信じないと首を横に振った。わたしの抱えているもの、抱えていたものが、もう人の姿をしていなかったとしても、確かに声が聞こえるんだ。苦しいよ。痛いよ。お腹減った。助けて。そうやって泣く子供達の声が聞こえる。皆ちゃんと生きてる。ここに生きてる。まだ元に戻れる。まだ・・・。もう手遅れになってしまっていた。それをわたしは受け入れることができなかった。
だいぶ後になって、イーリシアお姉様が旅の仲間と共にやってきて、わたし達を見つけてくれたが、もうどうにもできなかった。子供達はもう、とっくにその命を終わらせていて、わたしが抱えているものは元は子供達だった瘴気の塊でしかなくなっていた。でも、声が聞こえるの。助けてって言ってるの。イーリシアお姉様ならこの子達だけでも助けられるでしょ?浄化してあげられるでしょ?そう縋り付くわたしに、イーリシアお姉様は悲痛な顔をして首を横に振るだけだった。
わたし達がここに閉じ込められている間に、各地では、教会が信仰心を煽るためのパフォーマンスをするためだけに作っていた瘴気溜りの瘴気濃度が急激に高まり、瘴気溜りから災害級の魔獣の大量発生や瘴気汚染による病気や災害が発生しており、この国は破滅の危機が陥っていた。大聖女として各地の浄化と復興に尽力して回っているイーリシアお姉様だったが、わたし達のいた場所の瘴気汚染は他の地に比べはるかに酷く、もはや高濃度の瘴気の塊になってしまっている子供達は、大聖女になったイーリシアお姉様でも浄化は難しいということだった。
そもそもが、今回の規模の瘴気汚染をイーリシアお姉様一人でなんとかすることは難しく、何代にもわたって浄化していくしかないと考えていたところだったと、イーリシアお姉様は言った。
「一番瘴気が濃いところにフェリシアがいてくれて良かったわ。貴女の結界で、ここを封鎖して、ここの瘴気が外に漏れないようにして欲しいの。」
そう言ったイーリシアお姉様は真剣な顔をしていた。
今のイーリシアお姉様でも子供達は浄化できない。だから、お姉様の力は国の復興に使わせて欲しい。何代先になったとしても絶対に浄化するから。どれだけ時間がかかるか解らないけど、浄化の能力が高い聖職者をここに送って、送って、送り続けて、浄化に尽力させるようにするから。イーリシアお姉様は語った。お姉様が見てきた教会の悪事のこと、教会の腐った部分は排除したから、これから全く新しい制度を作り直して、わたし達のように聖魔法適性を持った子供達が奴隷のように酷使され搾取されない世界を作るのだという夢。イーリシアお姉様の語る理想はわたしには良くわからなかったけど、人々を護るためにここの瘴気を食い止められるのはわたししかいないのだと、魔人となったわたしにしかできないことだと言われたら、嫌だとは言えなかった。封鎖は良い。この地を永遠に封印しておくことだってできる。だけど、子供達だけは絶対に助けて欲しい。どんなに時間がかかっても、この子達だけは、しっかり浄化して、もう泣かなくても良いように、辛い思いから解放してあげて。それだけがわたしの望みで、イーリシアお姉様は、その望みを叶えてくれると約束してくれた。
だから待った。ずっと、ずっと、待ち続けた。ダグラスが横で、イーリシアお姉様は約束なんて忘れてしまったのだと、お前は良いように使われただけだと言ってきても、いつか、イーリシアお姉様の約束を果たしに誰かが来てくれることに希望を抱いて。わたしはずっと、待ち続けた。嘆く子供達の声がする瘴気結晶を抱えながら、ずっと、ずっと、待ち続けた。
どれくらい時間が流れただろう。どれだけ長い年月が過ぎ去ったのだろう。自分が思っているよりずっと短いのかもしれない。実際は、大して時間がたっていないのかもしれない。苦しむ子供達の声を聞き続け待ち続ける時間は、それはそれは酷く長く感じた。それでも、自分には浄化ができないから、子供達を助けるにはここで待つしかないと待ち続けた。そうやって心をすり減らし、疲弊していくわたしに、ダグラスは悪態を吐きながらずっと付き合ってくれていた。
「イーリシアお姉様はもう、来てくれないのかな。」
ぽつりと漏らした弱音。それをダグラスは聞き逃さなかった。
「いいかげんに現実を見ろよ。どれだけ待ったって、誰も来ないし、誰も助けちゃくれねーよ。そんなこと、お前が一番よく知ってるだろ。この世界は残酷だ。」
ダグラスの言うことはきっと正しい、だけど、それでもわたしは信じたかった。だけど、子供達の悲痛な声を聞き続けることにも限界を感じているのも確かだった。
「あっちが来てくれないなら、こっちから行けば良いだろ。お前は結界の聖女なんだから。遠征の時みたいに、瘴気を凝縮させて結界内に閉じ込めて、浄化が得意な奴のところに持ってって浄化させればいいだろ。お前らが約束守らないから来てやったぞ。お前らが浄化する予定だったのに、ずっと放置してた瘴気だ、死ぬ気で浄化しろって、今の教会のお偉いさんに、瘴気結晶を投げつけてやれ。」
「こんな規模の、こんなに濃い瘴気、凝縮させる自信ない。」
「ならできる範囲で少しづつ、沢山塊つくればいいだろ。」
「わたしの魔力持つかな?」
「何言ってやがる、俺たちはもう魔人だぜ?魔力なんて、無尽蔵に沸いてくるだろ。」
ダグラスにそう唆されて、わたしは瘴気結晶を大量に生産し始めた。最後に子供達も瘴気結晶に加工した。一人一人、一つ一つの塊にして。結晶化してもなお、聞こえてくる悲痛な叫び。これはわたしの幻聴なのかもしれない。それでも、この子達がどうか、浄化され、安らかな死を迎えられますようにと願わずにはいられなかった。
結界で封じた瘴気結晶は作った。これで、わたしがこの場所から離れてもここの瘴気が外に漏れることはない。そう解っていても、わたしはここから外に出ることに躊躇ってしまった。
イーリシアお姉様は、大聖女となったイーリシアお姉様でもここの瘴気を浄化しきれないと言っていた。イーリシアお姉様以上の浄化の力を持った聖職者などいるのだろうか?この汚染を浄化できるほどの聖職者がいないから、来れないだけなんじゃないか。今出ても、結局、浄化しきれずに終わってしまうのではないか。できるだけ小さな塊にはしたが、この濃さの瘴気の塊、中途半端な浄化をしたら、逆に被害が出ることになってしまう。結界が浄化の邪魔をしてしまわないように、浄化が始まれば結界は解けてしまうようになっているから、浄化しきれなければ、そのまま、瘴気汚染が広がり、この濃さなら魔獣の発生も免れないだろう。子供達は、そのまま丸々一人が一塊。その他の欠片とは比べものにならない被害を出してしまう。昔は、わたしが作った瘴気結晶の浄化には、わたしが立ち会って、一度で浄化しきれない場合は、再度封じ直す処置をしていたが、それが許されるのだろうか?そもそも、そんな話し、信じてもらえるのだろうか。あれから一体どれだけの時間が経っているのかわからない。イーリシアお姉様が実際、ここのことを、わたしの存在をどう説明してくれているのかも解らない。イーリシアお姉様を信じたい。だけど、わたしが不信心者として処罰された聖職者のままであったら?ダグラスの言うとおり、最初から、浄化する気なんてなく、放置されているだけだったとしたら、この子達を連れて外に出ても、外を危険にさらしてしまうだけで、結局、誰も助からない。そんなのは嫌だ。そんなことはしたくない。でも、このままここにいて、居続けて、それでも本当に、永遠に誰も来てくれなかったら?子供達はずっと、苦しみ続けたまま、わたしはそれをただ聞き続けて・・・。
わたしの心が絶望感に沈み込みそうになったとき、ダグラスがまた声をかけてくれた。
わたしが怖いなら、わたしはここにいれば良い。まずはダグラスが外の様子を見てきてくれる。外のことを調べてきてくれる。だから、わたしはここで待っていれば良い。そう言われて、わたしが最初に思ったのは、このままダグラスが出て行って帰ってこなかったらどうしようだった。そう思った瞬間。わたしは自分の身勝手さに恥ずかしくなって、自責の念が溢れてきて、落ち込んだ。
そんなわたしの頭を、ダグラスは小さい子をあやすように撫でて、「心配するな。」と安心させるように笑顔を向けてくれた。それを見て、わたしはぽろぽろと涙が溢れてきてしまって、ダグラスが困ったような声で「泣くなよ。」と言うのを聞いた。
泣き止んで、落ち着いて、わたしはダグラスに外の様子を見に行くことをお願いした。
彼が出て行って一人になると、色々考えてしまった。
目覚めてからいつも、自分に都合良く、自分の欲しい言葉や行動をしてくれるダグラス。彼が言う悪態も全て、考えないように、表に出さないようにしているだけで、心の奥底で自分が思っていることではないかと思ってしまう。もしかしたら彼は、わたしが見ている幻影?でも、頭を撫でてくれる彼の手のぬくもりも、感触も、あまりにもはっきりしていて、とても幻とは思えない。なら、彼は本物?でも、本物なら、こんなにわたしに都合良く、わたしの望むままにしてくれるのだろうか?嫌だ。嫌だ。考えたくない。もし、ダグラスがダグラスじゃなかったら、わたしの願望が生み出した偽物なら、わたしは、この世界に独りぼっち。そんなの耐えられない。嫌だ。嫌だ。考えたくない。そんな風に思いたくない。
どうやったらダグラスが本物のダグラスだって証明できる?
ダグラスがダグラスだって証明することができたら、そうしたら、わたしは・・・。いや、証明して何になるのだろう。証明したところで何が変わるのだろう。それでも・・・。
そんなことをぐるぐる考えてしまったその時から、わたしはダグラスのことが今まで通りに見れなくなってしまった。今、わたしの傍にいるダグラスは、彼の姿形をしているだけの、わたしの生み出した人形ではないか、そんな思いが頭をよぎって、彼の言動が自分の願望が反映されただけではないかと思って虚しくなって。わたしは、子供達と一緒に自分も終わりを迎えることを望むようになっていた。
ダグラスが、外の情報と一緒にイーリシアお姉様の手記を持って戻ってきて、イーリシアお姉様が辿った人生を知った。イーリシアお姉様の葛藤と決意、目的を果たすまでの奮闘と、成し遂げ作り上げた功績。イーリシアお姉様が作り上げた制度の正しい情報が後世に伝わらず、目的を果たせないまま繰り返されている事実も知って、わたしは外に出る決意をした。
イーリシアお姉様はちゃんと約束を覚えていて、それを果たすための制度を作り上げていた。ただ、それが正しく後世に伝わらず、わたし達の所まで辿り着くことができなかった。ダグラスの持って帰ってきた情報では、お姉様が生みだした神託魔法により選ばれた浄化に特化した聖女の出現が確認されている。このままでは、これまでと同じように、形式化したいくつかのルートを辿る浄化の旅をして、ここに辿り着かずに終わるだろう。だから、今回はこちらから出向き、浄化をしてもらう。神託の聖女の前で、結界を解き、浄化させる。やりきれなければ、再封印して撤退。それを繰り返し、最終的には、魔人と化してしまったわたし達も浄化して、消滅させてもらう。かつて、イーリシアお姉様が、魔人となったアンジェリカお姉様を討伐したように、わたし達も、今代の神託の聖女に討伐してもらうのだ。そうすれば、全てが終わる。終えられる。そう目的がはっきりすれば、わたしはもう、外に出ることに躊躇いはなかった。
外に出て、わたしはすぐ、誰かの助けを求める声を聞いた気がした。
音にならない、誰かの助けを求める意思だけが、消えそうになりながら、わたしに届いたように感じた。その今にも消えてしまいそうな、それでいて必死に助けを求める悲痛な心の声を頼りに、わたしは彼女の元に辿り着いた。
辿り着いて、見つけた彼女の姿はあまりにも惨くて、わたしは思わず駆け寄って、手を取って、必死に苦手な治癒魔術を行使していた。そして、彼女の心臓が魔力核ごと抜き取られ、粗悪品の人工物と入れ替えられていることを知って、絶望した。
これは、助けられない。わたしじゃどうにもできない。わたしには延命しかできない。わたしが治癒を止めてしまえば、この人は死んでしまう。だけど、このままじゃ結局、死んでいるのと変わらない。そう思った瞬間に、また、わたしは誰も助けられないの?と絶望した。いつだって、わたしは無力で、役立たずで、わたしじゃない誰かがそこにいたら助けられたのに、そこにいたのがわたしだったから誰も助けられなくて。なんで。どうして。わたしだって聖女なのに。最上級の聖女なのに。なんでわたしには誰も助けられないの。どうして。どうして。わたしだって。わたしだって。なんで。どうして。
「泣くな、フェリシア。できないと思い込んでるだけで、お前だってできる。お前ならできる。」
ダグラスの声がした。なんで、どうして彼は・・・。
「思い出せ。大聖女イーリシアの手記にあっただろ?魔人アンジェリカは浄化され消滅した。つまり、俺たち魔人は、瘴気の塊だ。だけど、不思議と瘴気汚染を広げたり、魔獣を生み出さず安定した状態を保てている。周りに害を及ぼさない瘴気の塊。子供達も、人の形をしていなくても、一人一人別の瘴気の塊になっていただろ?お前は瘴気の塊一つ一つを子供達一人一人と認識して判別できただろう?俺たちは、俺たちのまま、この姿形を変えられる。なら、お前がこいつの心臓と魔力核になってやればいい。他人の治癒は苦手でも、自己治癒は比較的得意だっただろ?中から治してやれば良い。」
「でもそれって、この人の身体をわたしが乗っ取っちゃうって事にならない?」
「その時はその時だろ。このままでいたら確実に死ぬ。でも、お前が足りない臓器の代わりを務めてやれば、生き延びれる可能性がある。こいつの心臓である内は、眠ってれば良いじゃないか。中から治してやったら、その後は、こいつの中で暫くゆっくり休めば良い。お前の意識が表に出てこなけりゃ、自ずと本人が表に出てくるだろ。」
そんなダグラスの言葉を聞いて、わたしは、なんでこの人はこうもわたしの欲しい言葉ばかりをくれるのだろうと思った。別々の行動はできる。違う個体として動くことができる。でも、この人は、わたしと違う意見は言えるのだろうか?わたしのしたいこと、しようとすることを止めるようなことは言うのだろうか?自問自答の末の、自分が選びたい答えを言っているだけではないのだろうか。そう思ってしまう自分が嫌だ。だけど、ダグラスの言葉で決意は固まった。
「大丈夫だ。後は俺がやっといてやる。だからお前は少し、休んでろ。ずっと頑張ってきたんだ。少しくらい休んだって良いだろう。子供達のことは俺に任せておけ。今回は子供達だけになっても、神託の聖女はどうせまた現れる。俺たちは次の代を待てば良い。だから、こいつの寿命が尽きるまで、お前はこいつの中にいろ。」
そういうダグラスに頭を撫でられて、わたしは、こくりと一つ頷いた。
「全部終わったら、ちゃんと戻ってくる。一人にはさせない。そうだな。全部終わって、お前が元に戻ったら、その時は、俺を、結界の聖女フェリシアの護衛騎士にしてくれ。今度こそ、最後まで傍にいて護ってやる。そして、俺が先に死ぬときは、お前も道連れにしてやるから。」
酷く優しい声音でダグラスが言った言葉に、わたしは、自分はこんなことを望んでいるのかなと思った。でも、確かに、独り取り残されたくはない。消えるときは、一緒がいい。そう思うから、やっぱりこれはわたしの願望なのだろう。そう確信してしまうと、なんだかもう、笑うしかなかった。
「久しぶりにお前の笑った顔見たな。」
そう言って、ダグラスが目を細める。それが、我が子を慈しむ父親の顔のように見えて、結局、いくらわたしの願望でも、ダグラスはダグラスで、わたしのことは女性としては見てくれないのだと思った。でも、そういう風に自分を見るダグラスなんて想像が付かなくて、きっと、これもわたしの想像通りなんだろうと思う。
「守護騎士になるのなら、ちゃんと騎士様らしくしてよ。物語の中の騎士様のように、紳士的じゃないと嫌だから。」
「なら、お前も、ちゃんと主人らしく、聖女様しろよ。」
「その言葉遣いがもうダメ。紳士で礼儀正しい騎士様は、お前とか言わないし、あーしろ、こーしろ言いません。わたしの守護騎士になりたかったら、ちゃんと練習しておいてね。」
「はいはい。解ったよ。練習しておくから。だから、お前はちゃんと、俺が迎えに行くその時まで、良い子で寝てるんだぞ。」
そんなやりとりをして、笑い合う。幼い頃のように。孤児院で、一緒に暮らしていたあの頃のように。きっと、これがわたしが望んでいた姿。これでいい。きっと、これでいいんだ。
ダグラスに、彼女の中から手早く粗悪品を抜き取ってもらい、わたしが代わりにそこに入る。この人の身体を乗っ取ってしまわないように、助けを求める彼女の意思に働きかけ、生きたいという気持ちを諦めさせないようにして。大丈夫。大丈夫。わたしが絶対助けてあげる。治してあげるから、戻ってきて。
ダグラスには、言われたとおり彼女の中で眠って待っていると伝えて別れた。だけど、実際にはわたしは眠らなかった。意識だけの世界で彼女とちゃんと話をして、状況を説明して、彼女の身体を間借りすることの許可をもらって。表には出なかったがずっと、彼女と一緒に過ごしてきた。そして、身体を共有していた弊害か、わたし達はお互いの記憶を共有し、お互いの過去を知ってしまった。そして、お互いを慰め合って、愚痴を言い合って、わたしたちは少しずつ前を向けるようになっていった。
彼女が自分の子供に愛情が向けられないかもしれないと怯えたら、わたしは子供が好きだから子守の時は代わるよと伝えた。いつだって、もうダメだってなったら代わってあげるから。だから、頑張れるところまで一緒に頑張ろう。わたし達に世界は残酷だったけど、同じ思いを子供にはさせないですむように。わたし達で護ってあげよう。一緒にいるから、大丈夫。大丈夫。そうやって一緒に過ごして、わたしの中で彼女と彼女の子供の存在は、とても大切な物になっていった。とても大切な、家族になっていた。
結局世界は残酷で。わたしはまた家族を失った。
この国を信じたわけじゃなかった。だから、ちゃんと対策はとっていた。この国は彼女に酷いことをしたから、また酷いことをしようとしていたから、騙して逃げてしまうと画策していた。だけど、甘かった。目の前で息子が殺されそうになったとき、彼女はとっさにわたしと代わった。わたしはすぐさま結界を張って子供を護ったけれど、彼女は消えてしまった。呼びかけてももう、返事は返ってこなかった。彼女の意識が表に浮上することはなかった。
きっとあの瞬間が、彼女の限界だったのだ。現実を生きる気力が切れてしまったのだろう。もう頑張れないと思ったのだろう。いいよ。ゆっくり休んで。約束通り、わたしが代わってあげるから。でももう、処刑も終わってしまったから、わたし達はここで退場だね。だけど、あの子がまだこの国にいるから、だから、見守ってあげないとね。
わたしが身体を抜け出せば、彼女は死体になるはずだった。だけど、彼女の身体は魔人化を遂げていて、わたしが抜けても人間の死体にはならなかった。
わたしが抜け出した後の彼女の身体に、彼女の意識は戻らない。かつて瘴気溜りに捨てられて、姿形を保ったまま戻ってきたけれど、その後ずっと意識を取り戻さなかったダグラスと一緒。ダグラスのように、彼女はいつか目を覚ますのだろうか。目を覚ましたら、その時は彼女はどんな魔人になっているのだろうか。わたしとダグラスのように生前のままなのか、アンジェリカお姉様のように自分の野望を叶えることしか頭になくなってしまうのか、あまたの失敗作のように意思を持たない操り人形になってしまうのか。
彼女は誰の呼びかけで目を覚ますのか。そして、どんな魔人となるのか。そこに、わたしの求める答えがある気がした。
イーリシアお姉様。
イーリシアお姉様は間違えました。教会への復讐心から、貴女は教会の解体と再構築ばかりに目を向けていましたが、本当に、弱者救済の社会制度を作りたかったのなら、貴女は王妃になるべきだった。王妃になって、もっと広い目でこの国を見て、そして根底から変えなければいけなかった。大聖女として教会の最高権力者として君臨すると同時に、王妃としてこの国の国母となり民を導かなくてはいけなかった。
瘴気汚染の影響で国が滅びの危機に陥っていたあの時、その危機から国を救った大聖女であり、そして、旅の仲間であった後の王である王子から求婚されていたイーリシアお姉様なら、孤児院出身の元孤児であっても、王妃になることが可能だった。元孤児であり、教会の奴隷のような存在の聖女として過ごし、その上で賢く志高いイーリシアお姉様が王妃になっていれば、教会だけでなく、この国の制度自体を変えることができたはずだった。イーリシアお姉様に恋した当時の王は、確かにイーリシアお姉様と志同じくして頑張ってはくれたのでしょう。だけど王は、結局の所、生まれも育ちも特権階級の頂点である王族で、身をもって弱者の立場を理解して下ることは不可能だったのです。だから結局、あれから五百年も経った現代でも、強者は弱者を当たり前のように見下して、強者に虐げられた弱者は当たり前のように見て見ぬ振りをされ見捨てられ、誰にも助けてもらえずに淘汰されていくことがまかり通ってしまう世界のまま。
イーリシアお姉様。この国は、イーリシアお姉様が掲げた理想とはほど遠い、醜く愚かな国のままですよ。
イーリシアお姉様。わたしが作った結界が、現代では結界を維持するための魔力供給者を外に逃がさない檻にされているのです。現代でもまだ、わたしの結界が生きているのです。
自分には結界魔法しか取り柄がないからと、研究を重ね、精度を磨き、多様な効果を乗せることに成功した、人々を護り救うために、わたしの生みだした結界魔法。それが教会を通じて国に提供され、わたしの意思や志など関係なく、権力者に都合良く利用され、金儲けの道具にされ、人々を護り救うという目的から大きく外れた用途で使われ、わたしがどれだけ苦しんだか、イーリシアお姉様は知っていましたよね?なのに、イーリシアお姉様。貴女も、自分の目的のために、わたしの結界魔法をわたしが望まない方法で使用しましたね。わたしが存在していることも、意思疎通ができることも知っていながら、一言も、わたしに何も告げないまま、大義のためと言い訳をして・・・。
イーリシアお姉様。わたし、知ってしまったんです。わたしが魔人になったから、魔人として甦ってしまったから、あんな実験が繰り返されることになったって。そんなことを始めてしまったから、瘴気の有用性を見いだしてしまったから、瘴気溜りの浄化が疎かになり、高濃度の瘴気が溢れ出す事態に発展し、瘴気汚染により水や植物が枯れ、災害級の魔獣が大発生する厄災が起きたって・・・。
わたしさえいなければ、そう思ってしまうのは間違いですか?
わたしをあんな風にしなければと思ってしまうのはいけない事ですか?
適性がないと切り捨てて、紋を刻むことを止めてくれたなら。大聖女候補から下ろしてくれたなら。見せしめなんかに使おうとしないで秘密裏に処分してくれたなら、なんて。
イーリシアお姉様。なんで魔人となったわたしを見つけたとき、アンジェリカお姉様をそうしたように、わたしのことも討伐しなかったのですか?どうして結界を張らせ、わたしをあの高濃度の瘴気と共にあそこに閉じ込めたりしたんですか?
イーリシアお姉様は、浄化が苦手なわたしが浄化要請を受けて遠征に出たとき、自分では浄化できない瘴気に対してどのように対処していたのか知っていましたよね?一緒に浄化作業をしたこともありましたよね?わたしを、あそこに閉じ込める必要なんて、本当は、なかったんですよね。
イーリシアお姉様。わたし、かつてのようにもうこの国の人々を愛せないんです。大切に思うことができないんです。護りたいって、護ってあげたいって思えないんです。
わたしの大切な家族を虐げて奪ったこの国が、わたしは憎らしく思ってしまうんです。全く関係の無い、罪のない無辜の民もいると解っているのに。
イーリシアお姉様。わたしにとって、イーリシアお姉様も、アンジェリカお姉様も、とても強い憧れを抱いていた存在でした。
アンジェリカお姉様は、裏表がなく、向上心が強く快活で、自分を捨てた親兄弟を見返してやろうと躍起にはなっていましたが、自分が捨てられて傷ついた分、自分は誰のことも見捨てないのだと、人々を助け力強く引き上げてくれる、まさしく太陽のような人でした。
イーリシアお姉様は、心の内を人には見せず、静かにひたむきに努力を重ね着実に実力を付けながら、誰にでも平等に、穏やかに接し癒やしを与えてくれる、まさしく月のような人だと思っていました。
だけど。イーリシアお姉様。イーリシアお姉様は、わたしが思っていたような高潔な方ではなかったのですね。賢く美しくはあるものの、その中身はごくごく普通の人間ったのですね。そのことを理解して、イーリシアお姉様のことが少し近く感じたように思います。だけど、それと同時にもう、貴女のことを無垢に信じることができないのです。
ねぇ、イーリシアお姉様。わたしを、わたし達を、大切にしてくれなかった、優しくしてくれなかった、誰も助けても護ってもくれなかった、こんな場所を残さないといけないのですか?何故こんな場所を、わたしの結界で護り続けなければいけないのですか?
一言、告げてくれるだけで良かった。納得はいかなくても、知っていれば、こんな裏切られた気分にはならずにすんだ。だけど、イーリシアお姉様。貴女はわたしを対等に扱ってくれなかったから。アンジェリカお姉様のことも簡単に切り捨ててしまったから。貴女は結局自分のことばかり考えていて、周りにいたわたし達の事なんて何も見ていなかったから、知ろうともしていなかったから。だから。イーリシアお姉様。お姉様が護りたかったものを、救いたかった全てを、愛し残したかったもの全てを、わたしが見捨てても良いですよね?
イーリシアお姉様。貴女の手記を読んで、貴女が辿ってきた人生を、想いを、その志を、知ることができました。だけど、わたしはその想いも志もなにも継ぐ気はありません。貴女がわたしの想いも志も、願いさえ踏みにじったように、わたしも貴女の想いや考えなどないものとして扱おうと思います。でも、イーリシアお姉様。これでおあいこなので、赦してくださいね。その結果、この国が跡形もなくなくなってしまっても、仕方がないことですよね。だから、あの世で恨んだりしないでくださいね。
こんなことを考えてしまうわたしはもう、聖女失格なのでしょう。だけど、これでいいのです。わたしは魔人。ただの魔人ではなく、もう浄化の炎でさえわたしを浄化することができない、何者にも浄化されることがない、瘴気を自在に操ることができる不死の存在。
全ての聖痕をその身に刻み神のごとき御業が使えるようになったイーリシアお姉様が大聖女(神の代理人)と呼ばれるのなら、瘴気に身を浸し存在そのものが瘴気の化身と化し、世界に破滅をもたらすことのできる力を手に入れ不死となったわたしは、まさしく魔神と呼ばれるにふさわしいのでしょう。
わたしはもう人には戻れないし、人として終わることはできない、
望まずとも人々に厄災をもたらす原因となったわたしはもう、聖女としてなんていられない。聖女として生きてきた矜持も何もかも捨て去り、わたしは魔神となるのです。聖女(人々を護り癒やしを与え救う存在)で在ることに拘ることはやめ、これからは魔神(自由に利己的に力を振るうもの)になると決めたのです。
わたしは魔神フェリシア。人々に慈悲も救いも与えない。自分勝手に、自由気ままに、手を差し伸べ離す者。わたしの結界はもう、この国の人々を救いも護りもしない。わたしはもう、我慢もしないし、赦さない。




