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リフィア

 初めて優しく触れてくれたから。初めて謝ってくれたから。慈悲を請うように縋り付いて、失いたくないというようにしがみついて、震え、怯えているようだったから。感謝の言葉を聞いたのも、意思を確認されたのも、命令するのではなく頼むと言われたのも初めてだったから。だから、貴方は変わったのだと、まだ変わり切れていなくても、変わっていこうと努力しているところなのだと思えた。だから、信じようと思った。信じてみようと思った。

 これからはきっと全てが良い方に変わっていくって。貴方が変えてくれるって。わたしはあの時、信じたの。それが、きっと間違いだった。


 わたしは、望まれて生まれ来た子供ではなかった。

 物心ついたときには乳母を筆頭に、世話をする使用人達が何名かいる離れで一人生活をしていて、父の顔も母の顔も知らずに育った。

 初めて、両親という存在に遭遇したのは、五歳か六歳かそれくらいの時だった。偶然のことだった。離れの敷地から外に出てはいけないと言われて育ち、それをしっかり守って過ごしてきたのに、その時は魔が差したのだ。たまたま偶然が重なりいつもなら誰か一人は絶対に傍にいるのに、だれも傍にいない瞬間があった。その瞬間、いけないと言われていることをやってみたくなってしまったのだ。そして、本当に偶然両親に遭遇し、自分が両親から愛されていないという事実を、むしろ憎まれているという事実を思い知った。

 両親がわたしのことが解らないということはなかった。わたしを見た瞬間に母は発狂し、父は怒り狂って、離れの使用人全てを解雇した。

 その件があって、わたしを母方の親戚の家に養子に出す話しも出たが、私の養父になるかもしれなかった母の従兄は、わたしの姿を見ると、自分にばかりそっくりで母に似ていないからいらないと言って、わたしを引き取ることはなかった。その母の従兄が、わたしの実父だった。母が従兄と不義を働いていたのではない。母は従兄に強姦されたのだ。結婚式を挙げた後、初夜を迎えるその前に、母は従兄弟に乱暴され、わたしをその身に宿した。だから、わたしは両親に憎まれていた。

 両親は貴族には珍しい恋愛結婚で、両親は相思相愛で婚約者時代からとても仲睦まじく過ごしてきて、待ちに待った結婚式を迎えた。だけど、そんな幸せの絶頂の時に、親族として式に参列し、身内の祝いの席にも出席していた従兄に、母は乙女を散らされたのだ。母の絶望は計り知れず、父の怒りはおさめることなどできず。だけど、男爵位を得たばかりの元商家の人間である父も、子爵家出身の母も、母の血筋の本家であり、建国以来から続く名家の伯爵家嫡男である従兄を罪に問うことなどできず、刃向かうこともできなかったのだ。その行き場のない怒りと憎しみは、生まれてきたわたしに向けられ、けれど、両親は自分たちの目の届かないところに置いておくというだけで済ませてくれていたのだ。出自故に、孤児院に捨てるわけにいかず、下手なところに養子に出すこともできず、人目についてあらぬ噂を立てられないように、目の届くところに置いて管理していた。

 きっと両親は根が善良な人だったのだろう。わたしのことを、憎々しく思い、忌々しく思うことは止められなくても、害さないように離れて過ごすことを選んで、ちゃんと世話をする人間を付けて育ててくれたのだから。だけど、育ててくれた乳母の中途半端な優しさからくる嘘を聞かされ続けた当時のわたしは、両親からの無償の愛を信じ、両親の存在に幻想を抱いていて、初めて会った両親のその仕打ちに、幼く純粋だったその心を深く深く傷つけられたのだ。

 あの時の痛みは、ずっと残っている。自分は生まれてくるべき存在ではなかった事実も、恨まれ憎まれるのが当然という事実も、ちゃんと受け止めて。あの時の痛みを引き摺ったまま、わたしはできるだけ早く家から出ることを考えるようになった。それがきっと、両親のためであり、自分自身のためなのだと思っていた。だから、七歳の魔力測定で膨大な魔力量が確認されたとき、貴族の子供はまず入らないのに、自分から望んで学園の幼等部に入学し、寮に入った。

 学園で優秀な成績をおさめ実力が認められれば、王宮所属の魔術師になれる。王宮の魔術師には、研究職と戦闘職があり、研究職ならば研究質に籠もることが多く、戦闘職なら魔獣討伐のために地方に派遣されることが多い。研究職の場合は職場が王宮になってしまうので、何かしらの事情で王都の社交界に出る可能性もあるが、戦闘職で地方勤務となれば王都に戻ってくることすらほぼほぼない。だから、わたしが目指すのは、戦闘職の魔術師で、危険度が高く人気がない辺境勤務を希望し派遣されることだった。

 一応は貴族令嬢であり、貴族としての教育を受けていたわたしは、基礎教養とマナー教育が主の幼等部で学ぶことはほとんどなく、ほどなくして飛び級し、中等部へ進学した。幼くして目標を既に定めていたわたしは、足繁く図書室に通い貪欲に知識を求め、魔術理論の研究、構築、そしてひたすらに訓練を重ね、中等部でも学年をいくつか飛び級を果たし、年齢が二桁になる頃には特例で、実地訓練への参加や実際の魔獣討伐への同行も果たした。

 学べば学ぶほど、訓練を重ねれば兼ねるほど、どんどん身についていく知識と実力に、わたしは確かな手応えを感じていた。現存の魔術の応用、新しい魔術理論の構築と実践、自分の努力が次々に実になっていくことに、楽しさも感じていた。この調子でいけば、飛び級で中等部を卒業し、高等部には進学せずに戦闘職の魔術師に志願し辺境勤務につくことができるかもしれない。そうすればもう自分の出自だとか家族だとかそんなものを気にしないで、何のしがらみもなく生きていけるようになる。そんな期待さえ抱いていた。

 だけど、それは叶わなかった。

 急な呼び出し。名目上の両親とも、血のつながった父とも会わないまま、知らないうちに、かつてわたしを引き取ることを拒絶したはずの実父の養子となり、ファーラント伯爵令嬢となってサンジェスト公爵子息の婚約者になっていた。そして、学業成績と実績、実地訓練への参加数及び討伐実績含め、既に中等部卒業資格を満たしているため高等部に編入せよと言われ、わたしは希望していない高等部進学を果たした。


 婚約者となったサンジェスト公爵子息ファリアス様は捻くれたクソガキだった。恵まれた環境にいるくせに、自分の置かれた立場に不満を抱き周りに当たり散らす、どうしようもない人。それが、わたしが彼に抱いた最初の印象だった。

 どうしても自分自身が置かれている状況や境遇と比べてしまって、嫌な気持ちにもなったし、腹も立った。だけど、一方で羨ましいとも思った。自分はこんな風に我が儘は言えない。周りに当たり散らすなんてもってのほかで、こんな横暴に振る舞うことはできない。赦されないということもあるけれど、それ以前にそういう行動をとる事ができる気がしない。

 思い返せばずっと、わたしは反抗らしい反抗をしたことがなかった。どうしてなのかは解らない。確かに、寂しいとか、悲しいとか、悔しいとか、辛いとか、そういう気持ちを沢山抱えてきたのに。なんでわたしなの?って。なんでわたしばっかりって。わたしだって、望んで生まれてきたわけじゃないのに。なんて、そんな行き場のない感情が、いつだって心の奥底でぐるぐる渦巻いていて、それらはいつだってわたしの心を酷く蝕んでいるというのに。だけど、わたしはそれを、人にはぶつけたことがない。人にぶつけられないから、きっと、勉強に没頭することで考えないようにし、魔獣を討伐するときにぶつけて発散し、自分の中の苛立ちや不満に蓋をしていたのだ。そうやってずっと、自分の中の不満や不安を考えないように、気にしないように生きてきた。だから、そんな自分と正反対のファリアス様を見ていると、苛立つと同時に羨ましいとも思うし、そんな彼はただ素直な人なんだとも思って、嫌いにはなれなかった。

付き合いが長くなってくれば、ファリアス様の為人も解ってきた。良くも悪くも平等で、相手が誰だろうと態度を変えない。粗暴な態度とは裏腹に、真面目で勤勉な人物で、誰よりも努力を怠らず、その実力は、既に高位の魔術師レベルの実力があるわたしにも引けを取らない。周りは彼の実力を天性の才だと思い込んでいるようだったけど、わたしにはそれだけではないと解った。確かに才能にも恵まれていただろうけど、それに奢らず地道に努力した結果なのだと、傍で見ていれば明らかだった。誰に何を言われても、どのような評価を受けても、その努力を誰にも認めてもらえなくても、ひたむきに努力し続ける彼に、いつしか苛立ちも妬みも感じなくなっていた。

 どんなにわたしへの態度が悪くても、婚約者としては最低で、本当にどうしようもない人でも、ファリアス様に対して、しかたのない人だと呆れる気持ちばかりで、嫌いにはなれなかった。根は真面目で努力家な彼がどうしてこんな粗暴で乱暴な人物になったのか。それがきっと、認められることがなく、人生を決めつけられた事への抵抗なのだと思ったから。どんなに努力しても、実力を付けても、真面目に勉強し知識を蓄えたとしても、自分自身の価値を認めてもらえない。最初から、家の主軸からは外されたところに置かれ、どれだけ価値を示そうとしても見てももらえない。最初から決められた位置から動くことは赦されず、それ以外の動きをすることを望まれない。彼の父親であるサンジェスト公爵は、周囲の人間を駒としか見ない。自分自身の都合良く配置し、自分が決めた役割以外は認めない。きっとそれは、息子に対してもそうで、彼は生まれたときから公爵家三男の枠の中、それ以上にも以下にもなる事が赦されず、鬱屈した思いを抱えてきたのだろう。父親に認めさせたい、自分を認識させたい。そんな子供じみた反抗。王族にまで反抗的な態度をとるなどという愚行をするのはきっと、このまま自分自身の価値を認められないのならいっそ破滅してしまいたいといった、自殺願望的なものもあるのだろう。そう感じたから、余計、わたしは彼が憎めなかった。

 全く似ていないわたしとファリアス様だけど、似た者同士な気がして、わたしは彼に同情のようなものも感じていたのかもしれない。彼には親近感が沸いてきて、どうしようもない人だけど、どうしようもない人だから、わたしが面倒を見てあげなければ、そんな気持ちが自然と沸いて、彼の起こす問題行動への対処を進んでやっていた。そんな生活が嫌ではなかった。家族への愛なんて知らない。家族がどんなものか知らない。だけど、きっと、わたしは彼に家族愛のようなものを感じていたのだ。彼の方が年上だけどきっと、手のかかる弟のように感じていたのだ。だけど、そんなわたしの持った彼への感情の中には、一切の異性への愛も恋情も存在していなくて、婚約者とは名ばかりのファリアス様の目付役、周りが称するその役目こそが自分自身の正しい立ち位置だと認識していて、だから、彼が自分を異性として見ていることを知ったとき、異性として求められたとき、混乱と同時に今まで感じたことのないほどの恐怖を覚えたのだ。

 異性に心を寄せること。それがどのようなことなのかわたしには解らない。ファリアス様がわたしに求めたものが、ただ一時の性への衝動だったのか、違う何かだったのか、それも解らない。ただ、わたしが酷く抵抗し、拒絶の態度をとったことに対し、酷く傷ついたような顔をした彼が頭から離れなかった。怖い。怖い。怖い。だけど、酷く落ち着かない気持ちになって、胸がぎゅっと締め付けられるように苦しくなった。怖かった。怖いままだった。恐ろしくて、恐怖で身体が動かなくなるほど、もう彼に近づきたくないと、視界に入るだけで震え怯えているのに、それだけではない何かが確かにあって、その正体をわたしは理解できなかった。嫌いではなかったのだ、異性として意識したことはなかったが、それでも、きっと、好感は持っていた。多分、生まれて初めて、わたしが他人ではない身近な存在として認識した人だった。だからなのかもしれない。このままではいけないと、ちゃんと向き合わなければと思ったのだ。どんなに恐怖を感じていても、彼から離れたいとは思っていなかった。できるなら、ちゃんと確かな形を持った関係になりたいと、それがどんな形は解らなかったけれど、わたしは確かにそういうものを求めたのだ。

 でも、結局その後、話し合うことはできなかった。わかり合うこともできなかった。わたしが拒絶した結果、ファリアス様はわたしではない人にその衝動を向けようとしていた。わたしに拒絶され、彼が傷ついた顔をしていたと思ったのは、見間違いか、わたしの願望が見せる幻だったのかもしれない。誰でも良かったのだ。ただ、そういう欲を吐き出すのに、身近に、婚約者という名の付いた親から手を出す許可がでている相手であるわたしがいた、それだけの話しだった。彼の婚約者になったときに、言われていたではないか。王子の婚約者にちょっかいをかけているから、それがいきすぎないように壁になれと。わたしは最初から、そういう役目を持たされて、彼の元に送られていたのだ。これまでそんなことは一度もなかったから頭から抜けていたけれど、きっと彼は最初からそういうつもりで、わたしから拒否をされるなんて思ってもいなくて、だから・・・。わたしは役目を果たすため、彼にこの身を差し出して、守るべき対象の盾となった。

 ファリアス様に親近感を覚えていた。どうしようもない人と思いながら、面倒を見てあげなくてはなんて、傲っていた。いつしか勝手に、自分と彼が対等な立場なのだと勘違いしていた。違うのに。わたしは、結局、彼が問題行動を起こさないために、父親が彼に与えた、彼が好きにしていいおもちゃでしかなかったのに。その事実に、ショックを受けている自分がいて、虚しくなった。

サンジェスト公爵から厳命され与えられた避妊薬を服用しながら、ファリアス様に求められるがまま、何度も彼と身体を重ねた。酷い暴言を浴びせられながら、酷く屈辱的なことを言わされ、させられ、酷い辱めを受けながら、何度も、何度も。

 期待なんてするものじゃない。希望なんて抱くものじゃない。この世界は残酷で、何処にも救いなんてありはしない。そう思っているのに、死にたいと思うことは何度も、何度もあったのに、それでも死ねなかったのは、結局は死ぬことが怖くて、最後の一歩が踏み出せなかったからだった。死のうと思う、死のうとして、死への恐怖を感じて死へ踏み出すのを躊躇って、あぁ自分はまだ生きたいと思っているんだと死ぬことを諦めて、仕方がないからもう少し頑張ろうと、命をつなぐ、その繰り返しだった。その繰り返し。もう、自分の感情なんて何も解らなくなっていた。

 

 「あんたはあいつに死んでほしいとは思わないのか?」

 そう聞かれたのは、ファリアス様が魔獣討伐部隊に配属になり、当然のように連れられてきた宿舎で、雑用をすることが日常となってだいぶたった頃だった。

 好きか嫌いで言ったら、嫌いだ。そう自然と口から出てきて、わたしは久しぶりに自分の感情と向き合った。そう。嫌いだ。ファリアス様なんて大っ嫌いだ。そう思う。だけど、死んでほしいかと言われたら、死んでほしくない。彼が死ぬ、それを考えると胸が苦しくなる。嫌いだ。嫌いだ。本当に、心の底から大っ嫌いだ。そう思うのに、死んでほしいとは思えない。彼が遠征に出る度に、いつだって無事を祈って、五体満足で帰ってくる度に、ほっとして。なんで?どうして?あんなやつ。そう思うのに。結局わたしは、彼のことを憎むことができないままだった。

 彼は出会ったときから何も変わってなんかいない。わたしがただ、勝手に思い違いをして、期待して、そして一人で勝手に傷ついただけなんだ。最初から、わたしは彼にとって何者でもなく、ただの好きかってして壊してしまってもいいおもちゃだった。それだけだったのに、勘違いしていた分、ショックだった。初めて他人じゃないと思えた人だったから、自分が人として対等に見られていなかったことがショックだった。だけど結局、彼にとってのわたしがおもちゃでしかなかったとしても、わたしにとっての彼は唯一他人ではない人で。こんなに酷いことをされているのに、酷い扱いを受けているのに、どれだけ嫌いだと言い張っても、本当は嫌いになんてなりきれてない。大切なんだ。わたしにとって、大切な人なんだ。今でも彼が、必死に自分の価値を示そうとしているように見えるから、必死に自分の居場所を作ろうとしているように見えるから、だから、彼が独りになって壊れてしまわないように、自分を壊してしまわないように、見守っていたい。いつか彼の反抗期が終わりを告げて、ちゃんと自分の価値を自分で認められて、一人で生きていけるようになる、その時まで。そう思った、その時にはもう、わたしはきっと、彼に絆されていたのだろう。きっと、わたしは彼のことが好きだった。異性として、好きだったのだ。自分自身、自分の感情が理解できていなかっただけで、わたしは彼のことが好きだった。

 だから、期待してしまったのだ。信じてしまったのだ。この世界は残酷で、何処にも救いなんてないと解っていたのに。これからは全て良い方向に行くなんて、ファリアス様と、ちゃんとした未来を築く事ができるなんて、夢を見てしまったんだ。


 辺境での魔獣の大量発生、そこで生死を彷徨う大怪我を負ったものの、回復し、奇跡的に五体満足で王都に帰還したファリアス様は、いつも通り宿舎にいたわたしの元へ顔を出し、いつもと違い、色々整理をして戻ってくるから待っていて欲しいとわたしに懇願してから、生家へ向かった。だけど、その後、ファリアス様がわたしの所へ戻ってくることはなかった。

 その後、わたしがファリアス様の姿を見たのは、神託の聖女様のお披露目のために開催された王宮のパーティーでだった。

 国内の貴族全員が招集されたその場所に、行かない選択肢などなかった。このような出席が不可欠なパーティーの時は、いつもなら、サンジェスト公爵家から衣装や装飾品を送られてきてそれで支度し、まともなエスコートもしてくれないがファリアス様は迎えには来てくれて一緒に出席するということが常だったが、その時はサンジェスト公爵家からドレスが届くことも、当日、ファリアス様が仕方なしに迎えに来てくれることもなかった。いつもなら衣装が届いている時期に何も音沙汰がないことに不安を覚えて、自前で古着のドレスを用意していたので、それを着て、わたしは一人で会場へ向かった。そして・・・。

ファリアス様は神託の聖女様のパートナーを務めていた。彼は、不貞腐れたような顔をして嫌々という態度をとりながらも、初めての公の場に緊張し戸惑う聖女様をきちんとフォローしていた。聖女様の扱いとしては雑なところも見られたが、聖女様も彼に気安く接していて、とても仲が良さそうに見えた。なれない夜会の装いに肌寒そうにしていた聖女様に、自分の上着を掛け、彼女にねぎらいの言葉をかける彼は、今まで見たこともないような優しい顔をしていた。自分が受けたことのない丁寧な扱い。自分がかけられたことのない気遣いの言葉。自分が向けられたことのない優しさ。そして、表情。それを見せつけられたとき、全ての希望が消え去り崩れ落ちた気がした。

 その後のことはよく覚えていない。帰宅途中に何者かに襲われて、魔力核ごと心臓を抜き取られ、即死しないように粗悪品の人工物と取り替えられて、王都から離れた遠い土地に運ばれて、捨てられた。それらが、ファリアス様の父親であるサンジェスト公爵の命令で行われたことだということは、耳に入る会話で理解できた。ファリアス様は知っているのだろうか?神託の聖女様に付き添っていた彼を思い出せば、知らないわけはないだろうと思う。あぁ、わたしは、いらなくなって捨てられたんだ。聖女様の伴侶になるのに、わたしという存在がいた事実さえも邪魔だから、王都で話題に上がらないように、こうしてわざわざ遠い地で死ぬように、手間をかけられ捨てられたのだ。魔獣の大量発生が起きた影響で辺境では避難民があふれかえり、負傷者も死人も多く出続けている今だからこそ、辺境に捨ててしまえばろくに調べられもせず、その他大勢と一緒に葬られるから。

 あの謝罪も懇願も嘘だったのか。待っていて欲しいと言った言葉も。本当にわたしはバカだな。本当にバカすぎで、どうしようもない。このまま死んでしまえば、ようやく楽になれるのかな。そう思うのに。粗悪品の人工心臓がだんだんその脈を弱めていって、酷く寒く感じて、目がかすんできて、怖いと思う。怖い。怖い。死にたくない。こんな状態になってもまだ、わたしは死にたくないと思っている。死ぬのが怖いと思っている。死にたくない。死にたくない。誰か、助けて。

 そんなわたしの心の声に応えるように、何か温かいものがわたしを包んで、それに酷く安心感を覚えて、わたしは救われたような気がした。そうか、わたしはずっと、誰かに助けて欲しかったんだ。助けてって言いたかった。でも、助けてって言えなかった。だけどずっと、心の中では叫んでいて、救いを求めて彷徨うこの手を誰かに取ってもらいたかった。それが今、叶えられた。


 わたしを助けてくれたのは、大昔の聖女様だった。彼女は自身の名前をフェリシアといった。そして今の彼女自身のことを魔人だと言って、わたしの身体を勝手に間借りしてしまってごめんなさいと言っていたけれど、わたしにとって彼女は女神様のような存在だった。同じ身体での共同生活は苦ではなかった。彼女が望むなら、この身体なんて彼女にあげてしまっても良かった。だってもう、わたしは彼女に救われていたから、だからもう全てがどうでも良くなっていたから。だけど、彼女はそれを望まなかった。ただ優しい隣人として、いつだってわたしの中にいて、わたしに寄り添ってくれていただけだった。

自分が妊娠しているのに気付いたのは、すっかりフェリシアとの共同生活に慣れた頃だった。お腹の中の子供の存在を知って、わたしは途方に暮れた。

 怖かった。お腹の子を産んで、ちゃんと育てられるのか、ちゃんと愛することができるのか。わたしは知っているから。親だからといって、無条件で子供を愛せるわけではないと。わたしは愛情をかけて育ててもらったことはない。世話をしてくれた使用人達はみな優しかったけど、世話以上のことをしてくれたことはない。親が子に持つ無償の愛なんていう嘘をわたしに教えた乳母は、当然に自分の子供を愛していて、わたしは所詮余所の子だった。雇い主の子供に、雇い主から与えられた乳母としての役割を持って接していただけ。乳母がわたしにくれたものの中には家族に向けるような愛はなかった。だから、子供のわたしも勘違いはしなかった。嘘に騙されてあり得ない希望に夢を見ることはあっても、乳母や使用人達にそれ以上を求めたりしなかった。明確に線引かれた壁を超えようとはせず、縋り付くことも甘えることもしなかった。ただただ寂しくて、寂しくて。乳母の子供が、使用人達の子供達が、羨ましくて、羨ましくて。良い子にしていたらいつか自分も両親か会いに来てくれて、あんな風になれるのかな、なんて、叶わない夢を見て、辛かった。いつだって凄く辛かった。

 わたしの中のフェリシアが言う。大丈夫だよ。わたしがついてるよ。辛い時は変わってあげるよ。って。

 フェリシアは、孤児院育ちで、実の親は知らないけれど、血のつながらない兄弟姉妹は沢山いたのだという。自分より小さな子供達のお世話もしてきたし、赤ちゃんのお世話もしたことがあるから大丈夫、任せておいてなんて。姿は見えないけれど、彼女の優しさや頼もしさを常に感じることができて、安心できた。

 フェリシアとは沢山の話をした。良いことも悪いことも、辛かったことも楽しかったことも。辛いばかりの人生だけど、少しだけでもちゃんと楽しかったこともあったんだ。嬉しかった事もあったんだ。そう思い出せたら、少しだけ心が軽くなった気がした。

 もう忘れよう。この辺境に捨てられた時点で、昔のわたしは死んだんだ。もう、王都でのことは忘れて、王都での関わりは忘れて、ただのリフィアとしてここで生きていこう。フェリシアとわたしと、これから生まれてくるこの子の三人で、穏やかに過ごせたらそれでいい。そう思っていた。

 生まれた子供は、ファリアス様と同じ色味をした男の子だった。成長し、顔立ちがはっきりするにつれ、よけいファリアス様そっくりになっていった。わたしとファリアス様の子供。わたしとファリアス様の膨大な魔力を引き継いだ、王家の血も流れる、魔術師の資質と血筋だけはとんでもなく良いのになんの後ろ盾も持たない無力な平民の子。この子の未来を考えると、絶望しか浮かばなかった。魔力鑑定で確実にこの子は膨大な魔力量が認められ、いずれは必ず王都に行かなければならなくなる。これだけファリアス様にそっくりなのだ。王都に行けば、必然的に出自がバレるだろう。バレてしまえば、きっと、この子に待っているのは・・・。

 この子にわたしと同じような思いはさせたくない。この子をわたしと同じにしたくない。この子を連れて国外に逃げる?ダメだ。わたしはこの国を囲う結界の外に出られない。この子だけでも外に。ダメだ。子供一人で国外に出るなんて自殺するようなものだ。なら、かつてのわたしが目指したように、国家機関に所属して自分で地位を築いてある程度の自由を得る方が現実的だ。だけど、わたしの時のように、血縁を理由に縛られて、利用され搾取されることになったら?わたしも一緒に王都に行く?ダメだ。それこそ危険だ。わたしが生きているなんてバレたら。わたしがこの子と一緒に王都で姿を見られたりなんかしたら。きっと、わたしもこの子も命が狙われる。この子だけなら、サンジェスト公爵の隠し子とでもなんとでもいえるけど、わたしまでセットとなると、ファリアス様との繋がりを隠しきることができない。神託の聖女様とファリアス様が結ばれることで教会への影響力も得ることに成功したサンジェスト公爵が、それを壊しかねない事を赦すはずがない。王都に辿り着く前に、消されてしまうかもしれない。どうしよう。どうしたら・・・。

 答えは出ないまま、ただただ月日は流れていった。フェリシアとわたしとティオルドと名付けた息子の三人で過ごす日々は穏やかで幸せな日々だった。このままずっと、ここでこうして暮らしていられたらいいのに。そう願ってしまうことは何度もあったけど、現実はそうはいかないことは解っているから、なんとかしなくてはと気持ちが焦り、不安ばかりが募り、恐怖ばかりが膨れ上がっていった。

 ティオルドが王都に行くまでには、何か考えないと。そう思うけど、何も思いつかなくて、年を重ねるごとに、どんどん父親に似てくる息子の姿に、悲観じみたものを感じてしまう自分が辛かった。せめて色味がわたしに似ていたら、もう少し印象が違っていたら、そんなことを思ってしまっていたからだろうか、何かを感じたらしい息子がある日髪を短くし、伊達眼鏡をかけるようになった。それに申し訳ない気持ちと、ほっとする気持ちがない交ぜになりながら、わたしは息子が用意した少し色の付いたガラスが嵌まっているだけの眼鏡に認識阻害の魔術を付与していた。学園で取り上げられることのないように、魔術が付与されていると気付かせないための隠蔽魔術も重ね掛けした。これで安心できるわけじゃない。認識阻害の魔術なんて気休めだ。印象を残りにくくなるだけで、姿形が変わっているわけではないのだから、気付かれるときは気付かれてしまうし、一度気付かれてしまえばごまかしはきかない。印象に残らない分、すぐに大きな騒ぎにはならないだろうが、誰かが気付いてしまえばそこからなし崩し多くの人間に気付かれてしまうだろう。だけどないよりはましだ。学園を卒業するまで周りが誤魔化され続け、公にならずにすんだらいいのになんて思ってしまう。

 ティオルドに父親のことを教えるべきか、王都が危険なところなのだと教えるべきなのか、酷く悩んだ。伝えたところで、という気持ちもあったし、どう伝えれば、という葛藤もあった。下手に伝えて、逆に危険にさらさせてしまわないか。何も知らない方が良いのではないか。そんな風にも思った。結局、ティオルドが学園の入学のため王都へ発つその時まで、考えはまとまらず、直接伝えることはできなかった。だけど、息子が知りたいと思った時に知る事ができるように、必要になったときにちゃんと知ることができるように手紙を用意した。

 旅立つ我が子を見送って、心は不安でいっぱいになった。自分に考えられる手は全て尽くしたが、自分自身、逃げられもせず、こうなった。いざとなったら、この命をかけてでも、国中を敵に回してもあの子だけは逃がそうと思っている。だけど、自分の無力さは自分が一番よく理解していて、結局何もできないまま奪われて終わるのではないかなんて思うと、怖くて怖くて仕方がなかった。

 わたしの中のフェリシアが言う。大丈夫だよ。いざとなったらわたしが出てあげるから。わたしが護ってあげるから。そんな彼女の言葉が嬉しくて、頼もしくて、やっぱり彼女は聖女様じゃなくて女神様じゃないかななんて思う。魔人なんて恐ろしげな者では絶対ない。そう思う。

 それからは、ただ息子の無事と健康を祈って日々を過ごしていた。どうか、どうかこのまま、ティオルドの存在を気付かれませんように。何事もなくあの子が学園を卒業できますように。あの子が幸せになれますように。普通に、普通の、ありきたりな毎日を、あの子が当たり前に過ごすことができますように。そう願い続けていた。


 家の周りを聖魔法の結界が覆ったことに気がついたのはフェリシアだった。

 聖職者の使用する結界魔法。それは、瘴気の影響を周りに広げないための結界で、それを家屋にするということは、この家の中に瘴気が蔓延していると判断され、教会から浄化部隊が派遣されたということ。だからフェリシアは自分のせいかもしれないと言って謝ってきたが、彼女がいてくれなければわたしは死んでいるのだ。それに彼女は確かに瘴気の塊ではあるが、瘴気汚染を広め害をもたらすものではない。彼女がそういうものであるならばとっくに、わたし達の住むこの辺境の村は瘴気汚染され人が住めなくなっているはずだ。それがないということは、彼女は害ある者じゃない。それでも彼女を浄化するというのなら、彼女を護るためにわたしは戦う。彼女がいなければ自分が死んでしまうからではなかった。ティオルドのことは心配ではあるが、わたしがいなくても、いやわたしが傍にいない方が息子にとっては良いのではないかと思うくらいだし、正直もう自分の生には執着はなかった。死ぬのももう、怖いとは思っていなかった。ただ、フェリシアを護りたい。フェリシアを浄化なんかさせない。そう思った。

 コンコンと、扉を叩く音がして、訪問を告げる声がする。その声が記憶の中の聞き慣れた誰かの声と重なって、意味もなく心がざわついた。少し呼吸を置いて、扉を開ける。目の前に立っていた人物を認識した瞬間、相手の魔術の発動を感じ、わたしはとっさに魔術を展開し防御態勢をとっていた。ちゃんと確認すれば、家の周りに張られた結界には、逃亡阻止の魔術もかけられていた。結界を解除しない限り、結界内にいる全員が誰も外には出られない。わたしの中のフェリシアが、自分ならすぐ解けるけどどうするか聞いてきたが、相手がフェリシア狙いだと思うからこそ彼女を表に出したくなくて、わたしはそれを断った。

 何年ぶりの再会だろうか。息子を通して面影が甦るだけで、すっかりわたしの中では過去となっていたはずのファリアス様が、敵意を持ってわたしの前に立っていた。傍にいた頃には向けられたことがない、鋭く冷たい視線を向けられて、胸がきしんだ。いや、わたしが見たことがないと思い込んでいるだけで本当は昔からこんな視線を向けられていたのかもしれない。思い出を美化してしまっていただけで、この人は最初から・・・。すっかり過去になったはずなのに、忘れていたはずなのに、胸が押しつぶされそうなほど痛く苦しくなって、呼吸が乱れる。

 しっかりしろ、わたし。フェリシアを護れるのはわたしだけ。わたしが頑張らないと。そう気持ちを奮い立たせて対峙する。

 冷静になり観察すれば、結界内にいるのはファリアス様含め戦闘員三名に聖職者一名。聖職者の施した聖魔法の結界に、ファリアス様が逃亡阻止の魔術を重ね掛けし強化している。こんな高度な魔術を展開しながら、捕縛のための魔術の使用や戦闘まで同時にできるなんて、相変わらず凄い人だと思う。でも、ファリアス様以外の二名は魔術の練度が低い。肉弾戦では分が悪いが、相手もわたしを殺すつもりも傷つけるつもりもないようで、位置と動きに注意していればそうそう捕まることはないし、充分対応可能。気をつけなければいけないのはファリアス様と結界を張ること以外に動きを見せていない聖職者だけ。だけど、他の戦闘員二名に気をとられている余裕はない。そう判断してすぐ、全体を警戒しながら即座に魔術を展開し、戦闘員二名を制圧する。状況が読めないので、もちろん怪我一つ負わせない。相手に傷の一つでも付けてしまえば、どんな言いがかりを付けられるかわからないから。

 大丈夫。大丈夫。わたしならできる。わたしだってただ呑気に暮らしていたわけじゃない。いつだって不安で、いつだって怖くて。ティオルドを護るため、何かあったときに対処するため、ずっと修練は重ねてきた。実践は久しぶりだけど、それでも、感覚は衰えていないし、魔術の練度は昔より上がっている。一方的にやられたりしない。負けたりしない。理不尽に奪われたりなんかしない。奪われてたまるものか。

 仲間を鎮圧されたファリアス様が、怒りを露わにして殺気を隠しもせず襲ってくる。あの二人とは違って、この人は本気でわたしを殺す気だと伝わってくる。目が合っているのに、魔術をぶつけ合っているのに、ファリアス様はわたしに気がついている様子はない。きっと何かの任務でここに来て、邪魔をするわたしが忌々しくて、憎たらしくて、殺したいほど苛ついているだけなのだろう。そっか。思い出さないよう、考えないようにしていただけで、本当に忘れることなどできていなかったわたしとは違って、ファリアス様は本当に、わたしのことを記憶の片隅にすら留めていないんだ。すっかり忘れ去ってしまっているんだ。わたしのことなんて。そう思うとなんだか切ないような気がして、胸がぎゅーっと苦しくなった。

本当にわたしはバカだなぁ。わたしとファリアス様の間に特別なものなんて最初からなかったのに。ファリアス様はわたしの事なんてなんとも思っていなかったって解っていたはずなのに。まだ心の片隅で、信じていたかったなんて思ってたんだ。全然、吹っ切れてなかった。こんな再会になるなら、二度と会いたくなかったな。少しでも後ろめたそうにしてくれたら。申し訳なさそうな顔をしてくれたら。最悪、忌々しそうに何で生きているんだって、死んだんじゃなかったのかって言われる方がましだった。綺麗さっぱり忘れられているなんて、貴方の中でわたしって、本当になんだったんだろう。

 ファリアス様が聖職者に向かって大声で援護を指示する。聖職者の魔術の練度はとても低いようで、聖魔法の結界を維持しながらのその他の魔術の行使に手間取っていて、聖職者を鎮圧するのはたやすそうに思えたが、ファリアス様が聖職者の護りをしっかり固めていて、ファリアス様を倒さないことにはどうにもこうにも聖職者には届きそうになかった。ファリアス様を無傷で鎮圧するのは難しい、だけど、このままでは埒があかない。どうしようか。そう考えていたとき、聖職者が魔術を発動し、その魔力を感知してわたしは頭の中が真っ白になった。

 魔術の発動の衝撃で、聖職者のフードがはずれ顔が露わになる。フードの下から出てきたのは、かつて一度だけ見たことがある、神託の聖女様の顔だった。

 なんで?どうして?貴方がその魔力を使っているの?それはわたしの・・・。

 その後の記憶はない。気がつけばわたしは襲撃者全員を制圧し、拘束していた。目を覚ました彼らから話を聞いて、事情は把握したものの、わたしの頭はまともに何も考えられない状態だった。やはり彼らはフェリシアを浄化しにきていたようだが、浄化を受け入れるかどうかは彼女に任せた。フェリシアが浄化を受け入れるというならそれでいい。そうしたらわたしも死んでしまうけど、フェリシアと一緒に死ぬのならもう、それでいい。

 王都に連行されながら、色々な思いが頭の中をぐるぐるして、ぐるぐるして、意味もなくぽろぽろと涙がこぼれた。何のための涙なのか、どういう理由の涙なのか解らなかった。ただただ止まらなくて、ずっとずっとぽろぽろぽろぽろ流し続けていた。

 フェリシアが色々話しかけてきてくれたけれど、もう、それに応える気力もなかった。だから、フェリシアがわたしに代わって色々と対処してくれた。ティオルドのこと、これからのこと、この国のこと。この国に責任をとらせて、死んだふりして皆で国外に逃げる。フェリシアの提案はとても魅力的だったけど、そうできたら良いなとは思ったけれど、わたしにはもう何の気力もなくて。大丈夫だよ。わたしにならできるから。全部全部上手くやるから。うまくできるから。だから、諦めないで。そんなフェリシアの声に、わたしはもう何も応えられなかった。

 気がつけば、わたしは磔にされていた。顔を上げれば、悲痛に顔をゆがめる神託の聖女様とそんな彼女に寄り添い、憎々し気にわたしを睨むファリアス様が見えた。

 これでもう、満足でしょ?邪魔なわたしがいなくなるから、もういいでしょ?フェリシアごめんね。そしてありがとう。わたしが無気力になっている間に頑張ってくれたから、ティオルドだけでもちゃんと護れる。ティオルド。ごめんね。こんなお母さんで。ごめんなさい。どうか、どうか。貴方は幸せになって。そう願って、浄化の炎に身を委ねたのに・・・。

 悲痛な顔で必死な形相で、わたしの元に走ってくるティオルドの姿が見えた。ティオルドの背後が光り、息子に向かって殺傷力の高い攻撃が放たれる瞬間を見た。

 嫌。ダメ。助けて。フェリシア!

 拘束されていたわたしは動けなかった。絶望しかなかった。そんなわたしが助けを求めたのは、初めてわたしの手を取ってくれた人、わたしを助けてくれた人、わたしの女神様であるフェリシアだった。

 リフィア。大丈夫だよ。ゆっくり休んでいて。全てを終わらせるその時が来るまで。

 そんなフェリシアの声を聞いた気がした。


 目が覚めて、最初に見たのは血まみれで倒れるティオルドの姿だった。

 「母さん。良かった。今度は。俺が。護るから。だから・・・。」

 息絶え絶えにそう言うティオルドを見て、わたしの思考は黒く染まった。

 視線をずらすと、ティオルドと同じくらいの年の少年が、酷く動揺した様子で「違う。こんなはずじゃ。僕は・・。」なんて呻いている。

 「ねぇ。」

 そう声をかけると、少年が酷く怯えた様子で震えながらわたしを見上げてきた。

 「貴方が、ティオルドを殺したの?」

 そう問いかけた瞬間、少年の口からヒッと小さな悲鳴が上がって、尻餅をついて後ずさる。

 「ねぇ。なんで逃げるの?ねぇ。わたしの質問に答えて?」

 「リフィア。違うよ。ティオルドは死んでいないし。その子は悪くない。」

 そう声がして、そちらに目を向けると、茶色い髪と目をした見たことのない優しげな雰囲気の女性がいた。姿は見たことはなかったけれど、わたしにはそれがフェリシアだと確信できて、彼女の言葉に耳を傾ける。

 「貴方の敵はあっち。」

 フェリシアが指し示す方向に視線を向けると、沢山の人々の怨嗟の声が聞こえてきた。その中には、わたしに向けた懺悔や恐怖、そして、わたしがすべきこと、していいことが沢山聞こえてきて・・・

 「そう。あっちに行けばいいのね。」

 わたしはそう呟いて、わたしを呼ぶ沢山の声がする方向へ完全に意識を向けた。

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