リリア
ある罪のない女性の処刑が行われた。
罪のない女性を殺すことを処刑と称して良いのだろうか?処刑とは、罪人が犯した大きな罪に対し命を持って贖わせるための刑罰であって、無実の人間を死に追いやるときに使われるべき言葉ではないと思う。まして、国のための、多くの人々の命を救うための尊い犠牲となってくださる方に使う言葉ではないはずだ。だけど、あの時、処刑という言葉が使われた。そして実際に彼女は、罪人のように引っ立てられ、刑場に連れて行かれ、磔にされ、火刑に処された。とてもこの国に暮らす多くの民を救うために尊い犠牲になっていただく方への扱いとは思えない扱いだった。わたしは、それがとても申し訳なく思えて、苦しくて、悲しくて、そんなわたしを慰めるようなことを言いながら、わたしの訴えに全く耳を傾けてくれず、彼女を罪人のように扱い罵る夫を、わたしは信じられなくなりそうだった。
神託により聖女として選ばれ、出身地の教会で聖女としての教育を受け、王都の教会に移ってきた際、王都に入る直前、魔獣の群れの襲撃に遭った。そこにたまたま居合わせ、助けてくれたのが夫だった。まだ聖女として未熟で、実際に魔獣に遭遇したこともなかった当時のわたしは、訓練して使えるようになったはずの聖魔術を何も発動させることができず、襲い来る魔獣達の恐ろしさに、心臓は酷く早く脈打ち、喉は浅くなった呼吸がヒューヒューとか細い音を出すばかりで、呪文を唱えるどころか悲鳴を上げることもできず、ただ恐怖に震えるしかできなかった。そこに颯爽と現れ、助け出してくれた夫。太陽の光を浴びてキラキラと美しく輝く銀色の長髪をはためかせ、鋭利な印象を与えるアイスブルーの瞳を添えた切れ長のつり目は魔獣達を射貫くように鋭くて、次々と魔獣を討伐していくその強さも相まって、その美しさと頼もしさに、安心感とそして、恋慕を抱いたのを覚えている。
田舎から出てきて、初めて魔獣の群れに襲われて、恐怖から動けず死を間近に感じていたところを、これまで見たこともない信じられないくらい格好いい男性に助けられたのだ、惚れるなと言う方が無理だと思う。助けられた後の暴言も悪態も、心配してくれているからこそと思えば気にもならなかったし、むしろ可愛くすら見えたのは、恋愛フィルターがかかっていたからだろう。その時にはもう、わたしは彼のことが好きで、好きで、好きすぎて、少しでも彼の事が知りたくて、傍にいたくて、王都の教会につくまで付き添いを頼みこんで、文句を言いながらも了承してくれた事に大喜びした。
神託の聖女のお披露目パーティーが王宮で開かれることを知り、ただの田舎娘である自分がそんなところになんて不安をこぼして、助けてくれた彼が一緒に行ってくれたらななんて、願望を口に出しらた、本当に彼がパートナーを務めてくれることになって、わたしの我が儘で振り回してしまったような気がして申し訳ない気持ちになると同時に、それ以上に嬉しい気持ちで一杯になった。
お披露目パーティーが終わると、役目は終わったからと、彼は急いで帰ろうとしたけれど、少しでも長く一緒にいたくて、わたしは彼を引き留めた。そんなわたしに、父親から命じられて条件付きで引き受けた仕事だから付き添っただけだとか、本当は聖女のおもりなんてしたくなかっただとか、まとわりつくな迷惑だとか言われてショックだったけど、出会ってからこれで会うのは二回目だし、わたしが一方的に思いを寄せているだけなんだから仕方がないよねとも思った。これ以上しつこくして嫌われたくなくて、今日はありがとうなんて言って、送り出そうとして、その場で急に彼が苦しみだして倒れてしまい、わたしはどうしたら良いのか解らなくて、酷く狼狽えたのを覚えている。
その後は、彼が搬送された病院に押しかけて時間が許す限り付き添った。
付き添っている際に、お見舞いに来た彼の父と遭遇することがあった。そして、彼の父から話を聞いて、なかなか目を覚まさない彼が、辺境の魔獣の大量発生時の戦闘に参加し、そこで生死の境をさまようほどの大怪我をして、最近ようやく動けるようになったばかりだということを知った。まだまともに動ける状態ではなかったのに助けてくれたこと、まだ休んでいなくてはいけなかったのに無理を重ねたせいで倒れて意識が戻らない状態になってしまっていることを知り、彼への好意がさらに大きくなると共に、知らなかったとはいえ、彼がこうなったのは自分のせいだと思い、どうしようもない罪悪感を覚えた。
神託が選ぶ聖女は浄化に特化した聖女であり、浄化以外の適性が低いことが多い。そして神託の聖女の浄化は魔法ではなく奇跡。魔力を行使せずに使える力であり、魔法での浄化とは違い、浄化と共に癒やしや祝福といった奇跡が起こせることが特徴で、魔力の保有量が少ないものが神託の聖女に選ばれることもある。わたしはその神託に選ばれた聖女の中でも、過去類を見ないほどの浄化への適正値が高く、浄化に関しては飛び抜けた才能を持っていたがそれだけで、魔力適性はゼロ。魔力の保有量が少ないなんてものではない。生命に必要な誰もが当たり前に持っている体内を巡る魔力しか保有しておらず、魔法を使用することなんてできない。浄化とセットでなければ、魔力保持者が簡単に魔法で起こせる程度の奇跡も起こすことなんてできない。浄化する対象、即ち瘴気がなければわたしは何の役にも立たない。教会があり、国が政策として常に目を光らせている都市部でそれほど濃い瘴気が存在するわけがなく、つまり街中でわたしが奇跡を起こすことなんてできないのだ。だから、なかなか目を覚まさない目の前の命の恩人に癒やしの奇跡を施すこともできない。地方の教会にいる間に、浄化以外の聖属性魔法の勉強もたくさんした。浄化に伴う奇跡を起こす時でも、少しでも知識があった方が良いのではないかと思って。だけど、浄化に伴う奇跡は祈りによって起こすもので、魔法による奇跡は理論の元に構築された技術であって、それらは全然違うものだと解っただけだった。でも、瘴気がなければ役立たずだなんて嫌で、沢山勉強をした。魔力さえ在れば、魔法が使えるのに。魔法が使えれば、きっと、彼を癒やすことができ、彼の目を覚まさせてあげることができるのに。そう思って、悔しくて悔しくて、無力な自分が恨めしくて、そんな思いを彼の父にこぼしていた。
だから、彼の父が、人工魔力核を応用して作成したという真っ赤な石が付いたベンダント型の魔道具をくれた時、迷わずそれを身につけた。ペンダントを通して初めて自分の中に生命を維持するために必要不可欠な量以上の魔力が流れるのを感じ、その魔力の膨大さに酷い目眩がして、耳鳴りや頭痛に襲われ、酷い吐き気を催し、立っていられなかった。彼の父が何か言っているような気がしたが、それを聞き取ることができず、意識が低迷し、目の前が真っ暗になった事を覚えている。
目を覚ましたわたしに、彼の父が、初めての試みで魔力量の調整を間違えてしまったようだと謝ってきた。体内に移植する場合より、魔力路への魔力供給に隔たりがあるだろうと、生産魔力量を多めに設定してしまった事や、魔力適正ゼロの人間に対しての検証が不十分だったせいだろうと言われ、わたしは謝罪を受け入れた。そして、魔道具から供給される魔力に身体が慣れ、不調も落ち着いていたことから、首にかけたままだった魔道具はそのまま使用させてもらうことになった。体内で落ち着いた魔力が魔道具を外して一気になくなることで、また体調を崩す危険性があるという説明を受けたことも理由だが、これで自分にも魔法が使えるという期待や希望が大きく、これを手放すなんていう選択肢はわたしの中にはなかった。魔道具からの過剰な魔力供給による体調不良は起こしたが、彼の父も悪気が会ったわけではなく、わたしが魔力がなく魔法を使えないことを嘆いていたから用意してくれた結果だろうと、逆にこんな風になってしまって申し訳ないような気持ちにもなった。
そして、初めての魔法の行使。わたしの癒やしの魔法によって目を覚ました彼が、まだはっきりと視線の合わないぼんやりとした顔で、それでも笑いかけてくれたことが嬉しかった。まだ回復し切れていない、掠れて途切れ途切れの声で、それでも精一杯の感謝の気持ちを伝えてくれたこと。何度も何度も、ありがとうと言ってくれたこと。それが本当に嬉しかった。そして、君のおかげで助かった。君がいてくれたから救われた。酷い態度をとってすまない。これからはちゃんとする。大切にする。だから、どうか俺の傍にいてくれ。譫言のように、繰り返される謝罪と懇願。確かに彼の暴言や悪態は酷いものだったが、そこまで謝られるほどのことではなかったし、気にしていなかったし、だけど、何度も何度も切実に訴えてくる彼があまりにも必死に見えて、わたしはただただ、大丈夫ですよ、ずっと傍にいますよ、と伝えていた。
そうして、あれよあれよという間にわたしは彼の婚約者になっていた。ぶっきらぼうで素っ気なくはあるが、病室での言葉通り、わたしのことを大切にしてくれる彼にますます惹かれた。なんだかんだと気遣ってくれ、他者には見せない笑みをわたしには向けてくれる。わたしの足りないところを補い、寄り添って、守ってくれる。貴族社会での交流の場でも、浄化の旅の間でも、いつでも傍にいて、わたしが力を発揮できるように支えてくれて。本当に、本当に、心から信頼して愛する、まさしく運命の相手なのだと思っていた。
その彼への信頼が揺らぐことなどないと思っていたのに・・・。
神託により選ばれ聖女となり今まで、色々ありすぎて、心身共に疲弊仕切っていたのだろう。
夫が、奴はテロリストの一味で、自分たちは策に嵌められたのだと声高に主張する、公には無実であるとされている女性が、実際にどうだったのかは解らない。彼女は死んだはずだ。でも、その肉体は別の何者かによって動かされている。夫の言うとおり、という可能性も否定できない。だけど、それを鵜呑みにして信じ切ることもできない。誰よりも信頼し愛している夫を信じ切れないのはきっと、疲れているせいだ。夫は全く知らない相手だと言っていたが、夫と彼女が本当は知り合いなのではないかと疑ってしまったことも、世間で流れている噂に気持ちが翻弄されるのも、きっと、疲れているせいだ。夫は全く気付いていない様子だったが、彼女の子供が夫にそっくりに見えたことも。きっと気のせいだ。いや、気のせいでなかったとしても、夫は心当たりがない様子だったし、夫の父や兄たちも夫と似ているし、夫の家系の誰かの隠し子なのかもしれない。夫は関係ない。そう信じたい。だけど、信じ切れずに心が不安に彷徨うのは、やはり疲れているせいだ。
心身共に疲れ切ったわたしは、一人になると色々と悪いことを考えてしまって辛くて、世間の噂を耳にしたくない気持ちも大きくて、テロリスト捜索に夫が家を長く留守にすることも理由に、所属する王都の教会に身を寄せて引き籠もった。
表に出ず、他の聖職者に交じり教会の清掃を行い、祈りを捧げ、人々の懺悔を聞く。それは、疲れ切ったわたしにはとても穏やかで癒やされる時間だった。そんな時間の中で、ちょっとした時間に夫のことを考える。出会ってから今までの夫の姿を思い出し、やはり、自分の夫は俗世で流れる噂のような人ではないと結論付ける。良くも悪くも根が素直で貴族らしい取り繕いが苦手なあの人が、隠し事なんてできるはずがない。本当に彼女のことも知らないし、子供の心当たりもないのだろう。世間がどう言おうと、わたしは夫を信じよう。今まで通り、信じて傍にいよう。わたしだけは最後まで、彼の傍に居続けよう。そう決意したその心が、ある一人の人物による懺悔で大きく揺らぎ、崩れることになるとは、その時は思わなかった。
王太子妃の懺悔。それを聞いたのがわたしで良かったのか悪かったのか。
一回目はたまたまだった。
懺悔されたその内容のあまりの衝撃の強さに、わたしは全く何も考えることができなくなった。
二回目以降は意図的に。神託の聖女という立場を利用して、王太子妃の懺悔を聞くという役目を一手に引き受けた。
繰り返される懺悔の内容に、わたしはそれをどう受け止めて良いのか解らなかった。
自分の全く知らない夫の姿。自分の知っている夫とはかけ離れた姿。でも、あの時、あの処刑された彼女へ向けられた夫の敵意、まだ幼い彼女の息子に向けられた容赦ない悪意、わたしが目を逸らし考えないようにしようとした夫の姿が鮮明に脳裏に甦ってきて、アレが夫の本性ではないのかと疑念が生まれた。
わたしはずっと騙されてきたのか。根が素直だと思っていた夫は偽りで、わたしに囁かれた愛も、捧げられた献身も、全て偽物だったのか。いや、そんなはずはないはずだ。でも、ここまで恐怖に震え怯えながら懺悔し救いを求める王太子妃が嘘を吐いているとは思えない。わたしは一体、何を信じれば良いの?
ある日、夜中に帰ってきた夫の様子がおかしかった。
夫に疑念を抱いても、それでもやはりわたしは夫のことが愛おしかった。恋いに溺れ愛に狂った愚かな女でいい。わたしはこの人が好きで好きで、例え騙されていたとしても、わたしに見せる姿が偽りでも、わたしの傍にいてくれるならそれでいい。そう思ってしまった。
だから、何かに怯えたように震える彼に、頭を抱え思い悩むような姿を見せる彼に、そっと寄り添って、いつものように大丈夫よと抱きしめた。
縋り付くようにわたしを抱きしめ返してくる夫に、やはりこの人にはわたしがいないとダメだと思う。何があったか解らないけど、この人はわたしに救いを求めている。わたしだけが彼の救いなんだ。わたしだけが・・・。
「気付いてしまったんだ。俺と君が出会ったのは、君が王都に来たあの時が初めてで、それより前に君が俺と一緒にいたわけはないんだ。なのに、俺は、君の魔力が、ずっと、ずっと傍にあったもので、ずっと俺を護ってくれていたもので、俺が何よりも失いたくない大切な存在のものだと認識していた。なんで、俺は、君に・・・。どうして君が・・・。思い出せない。思い出せないんだ。俺は、何を忘れてる?どうして忘れた?君は本当に俺の・・・。」
夫の、譫言のように吐き出された言葉を聞いて、わたしは身体が強ばった。
今、夫は何を言った?わたしの魔力?わたしには魔力なんてない。わたしが使用している魔力は、夫の父からもらった魔道具が生み出しているもので、わたしの魔力ではない。だけど、夫はこの魔力を知っている?この魔力の主を特別で大切な存在だと思っていた?でも、これは人工魔力核を応用して造られた魔道具で。以前もこの魔道具を使っている人がいた?夫はその人のことを・・・。夫は、その人とわたしを混同していただけで、本当はわたしの事なんて・・・。嘘だ。嘘だ。嘘だ。そんなことあるはずがない。そんなこと・・・。
わたしの動揺が伝わったのか、夫か顔を上げた。その夫の視線が、わたしの胸元のペンダントを捕らえ、瞳孔が驚愕に開くのをわたしは間近で見てしまった。
怖々とした顔で、夫がわたしから離れる。
わたしの胸元のペンダントをまじまじと見て、恐る恐るといった様子でそれに手を伸ばす。
「リリア。これは?」
そう聞いてきた夫の声は酷く強ばっていて、わたしは何故かとっさに魔道具のペンダントを掴んで、夫に背を向けてそれを隠していた。
「なんで今まで気がつかなかったんだ。こうやって認識してしまえば、はっきりと解るのに。君は魔力なしで、その魔力はその魔道具が生み出しているもので。俺がずっと君の魔力だと思っていたそれは、君のではない。」
その事実を口にする夫の声は震えていた。きっと、わたしも震えている。何に対して怯えているのか解らない。それでも、その事実はなにかとてつもなく悪いことにつながっていそうな予感がして、言い知れない恐怖と不安に冷や汗が流れ、ドクドクと心臓の音が嫌に大きく聞こえた。
あの後、夫は意識を失って倒れてしまった。
そして、現在も目を覚ましていない。
だけど、出会ったあの時のように、この魔道具を使用して癒やしの魔法をかけることが怖くてできない。
癒やしの魔法をかければ夫は目を覚ますかもしれない。だけど、目を覚ました夫は、わたしが愛した、わたしを愛してくれている夫ではないかもしれない。夫が目を覚ましたら、わたしの知らない、知りたくない何かがはっきりとしてしまいそうで。怖くて、怖くて、だから・・・。
「忘却と暗示の魔術が解けたか。」
背後から、酷く冷たい声がして、わたしは飛び上がるように振り返った。
そこには、今まで見たことのないような冷酷な目をしてベットに横たわる夫を見る、義父がいて、背中に何か冷たいものが流れた。
義父は、わたしと目が合うと、一つ大きな溜息を吐いて、「心配するな。」と言った。
「暗示などかけ直せば良い。お前がこいつの唯一だ。それはこれからも変わらない。処刑された女があの娘なわけがないのに、世間の噂に惑わされて、せっかく忘れている記憶を思い出すなど、なんとも愚かな。何も思い出さず、夢に浸っていれば良いものを。」
そう言う義父の声は、夫を咎めるような、蔑むような、そんな響きで聞こえるのに、どこか憐れみ、慈しんでいる様な響きもあって、わたしには全く意味がわからなかった。ただ、義父の言っている言葉の不穏さだけは感じ取れて、わたしは自然と「どういう意味ですか?」と口に出していた。
「何がだ?」
そう心底疑問そうに口にして、義父は、「あぁ、お前は何も知らなかったか。」と一人納得したように口にする。
「神託の聖女。お前がこの愚息に惚れたことが、我がサンジェスト公爵家にとっては都合が良いことだった。ただこの愚息は、政略というものを理解しない大馬鹿者で、言うことをきかないアホで、こちらの都合通りにいかないだろうと言うことが難点だった。だが、運良く、タイミングを合わせたかのように、愚息の意識が低迷状態になり、刷り込みがたやすい状態になった。お前に魔力がないことも運が良かった。愚息が執着していた娘の魔力をお前に使わせ纏わせれば、余計な魔力が混じることなく純粋にあの娘の魔力だけがあたかもお前の魔力のように感知させることが可能だからだ。記憶の改竄や精神操作ほどの魔法を使えば、下手をすれば愚息が使い物にならなくなるところだったが、軽い忘却と暗示程度ですんだから、たいした後遺症もなく済ますことができた。あの娘によく似た女が現れず、あんな噂が流れなければ、かけ直しの必要もなくずっと上手くいったものを。この騒動も、わたしの足を引っ張りたい誰かの仕業だろうが、実に腹立たしい限りだ。」
そう忌々しげに吐き出して、義父は、わたしを見て、「心配いらない」と嗤った。
「噂は全部でたらめだ。あの女があの娘な訳がない。なぜなら、あの娘はもうとっくの昔に死んでいるからだ。魔力核とともに心臓をくりぬかれて生きているはずがないだろう?あの娘の心臓も魔力核もそこにある。そしてそれが間違いなくあの娘と同じ魔力を生み出しているのに、それがあの娘のものでないはずはないだろう?だから、あの娘が生きているわけはないのだ。生きて、処刑台に立てるわけがない。もしかしたら息子の方は本当に、死んだ母親の腹から生まれてきた子供なのかもしれないがな。希に母胎が死んでも胎児は生きていることがあるらしいからな。死体は捨ててこさせたが、埋めたり燃やしたりしたわけではないから、死んだ母の腹から這い出してくることもあるだろうよ。」
義父が指さしたそことは、わたしが義父から与えられたペンダント型の魔道具の赤い石の部分だった。義父は一体何を今言ったのだろうか?わたしがずっと使っていたこの魔道具の、人工魔力核が埋まっていると思い込んでいたここに、誰か生きていた人の魔力核と心臓が埋め込まれている?この魔道具を造るために、誰かが義父に殺された・・・。そんな恐ろしい話し、信じたくない。信じられない。だけど、そんな恐ろしい話しを、軽い世間話のように嗤いながら話す義父が、得体の知れない化け物のように見えて、怖気が走った。この男なら、本当にそのようなことをしたのではないか、そんな風に思えてしまう悍ましさがそこには確かにあった。それが事実だとしたら。わたしは・・・。わたしは・・・。わたしが今までしてきたことは・・・。違う。違う。わたしは悪くない。わたしは知らなかった。わたしが望んだんじゃない。わたしは・・・。
「お前も同罪だよ。神託の聖女。お前はずっと、お前の欲望を満たすために、他人の魔力核と心臓を使い潰してきたんだ。お前が何かを願う度、強く思う度、望むままに魔法を行使する度に、それは摩耗し消耗されてきただろう。他者の命を削って、お前は今、そこにいる。お前もわたしと同じ。自分の望みのために他者を踏みにじる悪人なのさ。開き直って、素直になれば良い。あの娘はもう存在しない。存在しないものなど、記憶から抹消させてしまってもかまわないだろう。そこに、お前の存在を刷り込んで何が悪い?それでお前は、楽にお前の欲しいものを手に入れられるのだから。ただからくりを知ってしまっただけで今まで通りだ。今まで通り。なにも、問題はないだろう?」
義父の声がまるで悪魔の囁きのようにわたしには聞こえた。否定したい。そんなはずはない。わたしは違う。人の命を奪ってまで欲しいなんて思ってなかった。そんな恐ろしいこと、望んでなかった。だけど。悪魔の囁きが耳の奥でリフレインする。もう起きてしまったことは変えられない。今更、何を言ったって、その人は生き返ったりしない。なら、今まで通り、わたしがこの魔力を使わせてもらっても良いんじゃない?このままでいたって。前よりももっと、強く忘却と暗示をかけてしまえば、夫は、わたしの愛しい人は、ずっと、ずっと、わたしだけのもの。夫にとってもきっと、その方が絶対、絶対に幸せなはず。だって、わたし達は相思相愛の夫婦なんだから。余計なことなんて何も思い出さず、知らないまま、このまま幸せでいても良いじゃない。そうだよね。
わたしの中で何かが壊れた気がした。
もうどうでも良いじゃない。もうとっくに取り返しが付かない所にいるんだから。だから、仮初めの幸せでも、偽りの幸福でも、幸せなら良いじゃない。
何かが壊れてしまったわたしは、きっと義父と同じような顔で嗤っているのだろう。
だけど。
怖い。怖い。怖い。わたしは、赦されないことをしている。
心の奥底に沈んでしまった良心の欠片が、暗く淀んだ胸の奥底から、ゴポゴポ音を立てて水面に上る泡のように、わたしの表面に警告を浮かび上がらせてくる。それは不気味な不安や恐怖としてわたしを包み込んで、そして、王太子妃の懺悔の言葉がわたしの頭の中に甦る。
わたしはあのように神に救いを求めることなんてできない。神に縋る事なんてできない。神に選ばれた聖女のくせに、こんなにも浅ましく愚かで汚らしいわたしには、きっといつか神罰が下るのだろう。
だけけど、それでも、わたしはこれを手放すことができない。今ある幸せを、例えそれが幻だったとしても、それでも手放すことができない。そんなわたしが、赦されるはずがない。
怖い。怖い。怖い。怖くて怖くてたまらない。だけど、赦されようと足掻けず罪を重ね続ける事を選んだわたしは、いつかきっと報いを受けることになるのだろう。その時が来るのが怖い。だけど、全て仕方がないことだと思う。無知は罪。そして、知った後も罪を重ねるのなら、それはもう言い逃れのしようがなく大罪なのだから。わたしに聖女を名乗る資格はない。だから、王太子妃が言うように、いつか彼の方の怨霊がわたしを呪い殺しに来たとしても、わたしにはそれを払うことなどできないだろう。本当に怖い。怖くて怖くてたまらない。だけど、その時が早く来てくれれば良いなんて思ってしまう。そして、怨霊なんてまやかしだと鼻で笑って気にしない義父にも罰が下れば良いと心底思う。義父こそ誰よりも惨たらしく報いを受けて死ねば良いのにと願ってしまった。




