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アレキサンドラ

 自室にて、わたしは少し一人になりたいと側仕え達に声をかけ、ソファーに深く座り込み、大きく息を吐いた。

 王太子執務室で見てしまった書類。そして、夫である王太子殿下と交わしたやりとりを思い出し、身体が震える。自分自身を抱え込むように蹲り、落ち着かせるように力を入れるが、感じている恐怖は増していくばかりで、震えが落ち着くことはなかった。

 「あの人は、覚えていなかった。」

 ぽつりと自分の口から漏れた言葉に、泣き笑いのような顔になってしまう。

 リフィア・ファーラント。彼女が学園に在籍していた頃、王太子ライオットは彼女を見に来ているのだ。サンジェスト公爵が、問題児であるファリアスの面倒を見させるためにあてがった婚約者がどのような女性なのか気になったという理由で、わざわざ彼は彼女を見るために学園に訪れていた。

 『あー。あれが例の彼女か。可愛らしい顔をしているね。まだ幼いが、後数年したら相当な美人になりそうだ。幼等部を飛び級して、魔力保持者が通学を義務づけられている中等部でも優秀な成績をおさめ、順当に行けばそのまま王宮入り間違いなしの才女だっけ。いくらサンジェスト公爵でも、ごり押しで中等部の学生を高等部に移すことはできないから、実力で飛び級して高等部入りしているのだろう。生まれは商家上がりの男爵家とはいえ、王家の血の証明の儀式では王族に並ぶほどの適性を見せ、魔力の保有量も王族並みに多い。現在の籍は名家であるファーラント伯爵家のうえ、後ろ盾にサンジェスト公爵家も付いてくる。ファリアスの相手をさせて使い潰すなんてもったいないな。流石にファリアスも学園を卒業したら、わたし達にちょっかいを出してくるのは難しくなるだろうし、そうしたらあの娘もお役御免となるだろうから、いらなくなったらあの娘、わたしにくれないかな。側妃として迎えたいところだけど、ファリアスの相手をしてたってなったら無理だろうから、愛妾として迎えたらどうだろう。彼女とわたしの子供なら、王家の血の証明で適性が高く出るだろうし、保有魔力も相当高くなるだろう。愛妾の子は王位継承権を持てないが、王家の血を持つ者の義務を担うにあたり、適性が高く魔力量が多い王族が増えることは良いことだ。継承権を持てないのなら王位争いの心配もないから、逆に側妃として娶るより都合が良いね。ただわたしに愛されて、沢山わたしの子供を産むように頑張ってくれれば、あとは何もしないで優雅に暮らす事ができるのだから、彼女にとっても良い話だろう。彼女が成人した頃にでも、国王陛下とサンジェスト公爵に打診してみようか。ファリアスが丁寧に扱うなんてないだろうから、わたしの手元に来たら優しくしてあげればすぐ懐くだろう。将来が楽しみだ。』

 当時のリフィア嬢は十三歳。あの頃はまだ顔を俯けてはいなかった。当時の彼女は、顔立ちは幼さが勝つとはいえ、その瞳は知性の高さを表すように落ち着いた輝きを宿しており、体つきは女性らしい丸みを帯び始め、所作は洗練され美しく、高等部の学生に紛れていても違和感のないほど大人びた雰囲気を纏った美少女だった。そんな彼女にライオット様は目を奪われて、彼女を自分の愛妾として望んだのだ。色々理由を述べてはいたが、ただ彼女を見初めて自分のものにしたいと思っただけなのは明白だった。私という婚約者が横にいるというのに、彼の瞳はリフィア嬢を捕らえて離さず、その瞳は私には向けられたことのないような熱を帯びていたのだから。

 私とライオット様の婚約は、中央と地方の結びつきを強化するための政略だとは理解していた。そこに互いの心などないことも、恋や愛なんて望んではいけないということも。王族に嫁ぐ以上、夫が側妃や愛妾を迎え、夫を他の女と共有しなくてはいけないことも解っていた。それでも、正妃として私は一番に置かれ、尊重される。私の結婚は貴族としての契約であり、仕事のようなもの。夫は仕事上のパートナーのようなもの。そう割り切って、自分の役割を果たすべきなのだとは解っていた。

 ただ、言い訳をすればあの頃は、私もまだ十六歳の少女だったのだ。この国の法律上、成人を迎えた大人という扱いだったとしても、まだ自分の感情と自分の役割との間で上手く折り合いを付けることが難しかった、年若い、心に幼さを残したままの少女だったのだ。自分の夫となる男が自分ではない女を見初め求めたこと、それを堂々と自分に見せつけられたこと、それが、当時の私には酷い侮辱に感じ、屈辱に思え、耐えがたかった。そして、その感情の矛先を、私はリフィア嬢に向けてしまった。自分より幼く、まだ成人も迎えていなかった、何の落ち度も罪もなかった彼女に、私は、酷い仕打ちをした。彼女が顔を俯けるようになったのは、私の所業のせいだ。ただただ私は、彼女の美しい顔を見たくなかった。彼女の美しい顔に見惚れる者を見たくなかった。今思えば、単純に嫉妬していたのだ。嫉妬して、彼女を虐めていた。言葉にしてしまえばそれだけのこと。だけど事実はとても恐ろしく悍ましい、私の罪。私は絶対に彼女に恨まれている。彼女の怨霊は絶対に私を殺しに来る。私は、私は・・・。


 「神様。私はここに懺悔いたします。私は昔、自身の未熟さと嫉妬心から、罪のない少女に酷い仕打ちを行いました。今になってそれを後悔しているのです。己の行った行為の浅ましさに、悍ましさに、恐怖を覚えるのです。私はなんと恐ろしい罪を犯してしまったのだろうと。その事実に押しつぶされそうになり、全てを吐き出してしまいたくなったのです。どうか、わたしの罪をお聞きになり、お赦しください。彼の方に安らかな眠りが訪れることを望みます。」

 私は、自身の犯してしまった罪に耐えきれず、かといって身近な誰かに漏らすことなどできるはずもなく、教会の懺悔室で吐き出すことを選んだ。教会も守秘義務があるとはいえ、私の過去の罪を懺悔するということは、教会に、私の弱みを握られるということ、そしてそれが生家や嫁ぎ先の王家にまで不利益をもたらす可能性があることを理解した上で、それでもここ以外に吐き出せる場所が思いつかなくて、毎日のように足繁く、祈りを捧げるという名目で教会を訪れては懺悔室にこもり、独白をする日々を送っていた。

 私の罪は多い。

 はじめは、血筋や生家の爵位を理由に貶めることだった。

 母親は下位貴族である子爵家の娘。そして、父親は功績を認められ男爵位を賜ったばかりの、貴族の血の一滴も引いていない生粋の平民である商人。その娘であるリフィア嬢は当然、半分平民のような存在であると貶めた。

 また、公爵家子息の婚約者という名の世話係をさせるために伯爵家の養女となった経緯は明白で、結局は婚約者とは名ばかりの使用人をしている平民上がりの男爵家の娘なのだから、高位貴族の振りをするべきではない。下位貴族としての分別を持ち、王族、準王族、高位貴族には遜って接するべきだと、時代錯誤な差別的なマナーを当然のものとし、必要以上に強要した。

 実際は彼女の母は、子爵家の娘とはいえ建国から続く名家である本家の伯爵家とは血が近く、本家の子供とは従兄弟という関係だった。そして、祖父の代に王女が降嫁しており、王族を祖母に持つ、下位貴族とは名ばかりで実質高位貴族のような存在だったのだ。そんな娘を嫁がせることを認めたということは、それだけその商人上がりの男爵の能力や将来性が認められており、国内に根付かせるべきと国王の判断もあったはずで、平民の父を持つ男爵家の令嬢だからと、遜らせることは、王の意向に背くことになりかねない危険なことだった。

 下位貴族だからといって無碍にしてはいけないことは当たり前だった。王家の意向や、国の将来を見据え、爵位で判断せず、必要な者は保護を、危険な者は排除を、周りにそれとなく根回しをし、貴族の間に立ってバランスをとること、国に有益になるように情報を操作し社交を掌握すること、それが、未来の王太子妃、ひいては未来の王妃となる予定であった私に求められていた事だったのに、私は私情で本来保護するべき相手を排除に動いた。

 リフィア嬢自身、王家の血の証明を行って王族並みの適性を認められていた者だった。本来、王家の血の証明をした者は、王家の血を持つものの義務を課される代わりに、何の権限を持つわけでもないが、マナー上の立ち位置は準王族と同等と認められている。だから、彼女を生まれで貶めることなど赦されないのだ。明確な罰則があるわけではないが、王家の血を持つものの義務の重要性から、王位継承権を持たないものでもより多く義務を果たしてくれる人材を確保するために認められた特例のようなもので、それを無視するということは、継承権を持たない者が血の証明をするメリットを無くしてしまうということになり、義務を果たす者の数を減らす事につながり、国益を損ねかねないことなのだ。だから皆、遵守する。それを知っていて、私はあえて、彼女が王家の血の証明をしていることを周りに伝えなかった。

王家の血の証明を行った者には証明証が発行され、それを元に準王族並の待遇を受けられるが、公に発表するようなものでもないので、本人が望まないのならあからさまに尊ばれるような事はないのだ。私はそれを利用した。本人が望まなくても、血の証明をした者だと知っている王族やそれに連なる者がそれとなく周りに教えるのが通常であるにもかかわらず、私はそれをしなかった。ファリアス様が慣例を無視することなど想定内で、私が慣例通り周りに働きかけ周囲がそれにそって彼女を大事に扱えば問題ないだろうと、サンジェスト公爵や王家が判断をしたことなど明白だったのに、学園内という外部からは見え辛い閉鎖的な空間の中で、私は意図的に彼女を貴族の底辺である男爵家の、その中でも平民から叙爵されたばかりで歴史も浅くたいした価値のない家の出という位置に置き、貶めてもいい存在と判断されるように働きかけた。その結果。リフィア嬢は孤立した。

 勉学に重きを置く都合上、学園内では本来気にしなくても良いとされている、下位の者が上位の者に対するときのマナーを強要された結果、私の意図を汲んだ者達に無視をされ、自ら話しかける事もできず、必要な連絡が彼女の耳に入らないということが度々あった。それは教師達から不真面目な生徒と判断される材料になり、前代未聞の飛び級で高等部に通っている事実や、ファリアス様の世話役という事実も重なって、自身の能力を過大評価し学業を疎かにしている、学生でありながら勉学よりも従者であることを優先している、学園の教師など取るに足らないとでも思っていると、教師の反感を買った。それも私が煽った。

 ファリアス様の問題行動は教師達もよく理解しているところで、幼いながら能力を買われ世話係にされてしまったリフィア嬢に教師達は始め同情的だった。私が高位貴族らしく密やかに主導し、無視をしたり、親切を装って不必要なマナーを教授し出自を貶めリフィア嬢を孤立させているなど露とも知らない教師達は、貴族学生を纏める立場にある私に彼女の様子をきいたり必要な配慮の相談をしてきていた。私物を隠したり暴力を振るったりといった直接的な危害を加えることはなく、あからさまに貴族らしい無視をしているのは私ではない貴族学生であり、私は一見、世話を焼いているように見えるように立ち振る舞っていたため、それまで私が積み上げてきた信頼もあり、教師達は複雑な事情故に貴族学生から反感を持ってしまっているリフィア嬢に対し、私が心を砕いて対応していると勘違いしていたのだ。その勘違いを利用し、まるでリフィア嬢の方に問題があり貴族学生と歩み寄りができない状況であるように話しを誘導し、教師達が彼女に厳しい目を向けるように仕向けていった。その結果、リフィア嬢の評価は、ファリアス様の監督をしながら、高等部の勉学も頑張り、その上、学園では必要のないマナーをしっかりと遵守し貴族学生からの反感を少しでも減らそうと努力している健気な生徒という評価から、周囲の学生だけでなく教師さえ見下し学生の本分である学業を疎かにしている傲慢な生徒という評価に変化し、そして、彼女は敬虔さと謙虚さを身につけるべきだと判断され、教師達が彼女に対する態度から柔らかさがなくなり、厳しく指導するようになった。

 自分が王の意向に背くような危険な行為をしていることは理解していた。私のしていることが公になってしまえば、私の首だけではなく生家にも責が及ぶことだと理解していて、それでも止められなかった。リスクは承知の上、それでも自分に都合の良い結果をもたらすように、自分や生家に害を及ぼさないように、慎重に、どこまでも貴族らしく、自分では動かず、直接的であからさまな言動は一切せず、証拠は残さず、周りを先導し、誘導し、真綿で首を絞めるようにじわじわと、リフィア嬢を追い詰めていった。もし、リフィア嬢の現状を外部の誰かが問題視し糾弾してきたとしても、私は何とかしようと努力したけれどどうにもできなかったと、私の能力が足りず上手くおさめることができなくて恥ずかしい限りだと主張すれば、学園の中の話しであり、まだ経験の浅い年若い令嬢という立場もあって、叱責は受けるだろうが将来の糧にすれば良いと赦される、そのようになるように、どこまでも高位の貴族らしく立ち回った。その頃は、まだそれだけの余裕が私にはあった。

 貴族学生からの虐めにめげないリフィア嬢が憎かった。言われた通りのマナーを守り、こちらから話しかけなければ口を開くことはなく、会話中は直接目を合わせないように目を伏せて、ファリアス様が一緒でないときは端避けて他生徒に道を譲り相手が通り過ぎるまで目を伏せて待つ。聞こえるように囁かれる侮蔑にも、遠回しな嫌みにも反応せず、顔を上げ続ける彼女が憎かった。だから、教師にも手を伸ばして苦しめた。

 私に唆され動かされた教師達は、リフィア嬢に同情的で助けになろうと心を砕いていた分、彼女への失望は強く、その反動は大きく彼女への当たりが強かった。教師からすると、指導をしても一向に反省も改善も見せない彼女に怒りが募った結果だったのだろうが、彼女からすると公平で気を配ってくれていた教師達が訳もわからず自分に向ける目が厳しくなり、指導が厳しくなり、蔑むような目を向けちょっとのミスも挙げ連ね責められるようになったのだ。流石にそれには彼女も堪えたようで、彼女はだんだん俯きだし、最終的には周囲の全てを拒絶するように常に下を向くようになった。それには胸がすく思いだった。俯き陰気さを身に纏うようになった彼女に見惚れる者はいなくなった。誰もがそんな彼女を、自身の傲慢さが招いた結果だと思い、自業自得だと嘲笑った。彼女の味方など誰一人いないと、彼女を助ける者など誰一人いないと思った、つまり、今の彼女には女性としての魅力など何もないと、かつての誰もが見惚れる、輝かんばかりだった彼女の価値は、私が潰してやったのだと、勝ち誇るような気分だった。とても愉快だった。高位貴族には疎まれ、教師からは蔑まれ、陰鬱になり、それまで傍観を決め込んでいた下位貴族達も彼女を貶めるようになって、今までと違い私物を隠されるなど直接的な被害を受けるようになった惨めな彼女を眺めるのはとても気分がよかった。その時は。

 学園にリフィア嬢の味方はいないはずだった。誰もがリフィア嬢に好感を持たないように仕上げたはずだった。まさか、絶対にリフィア嬢の味方になるわけがないと思い込んでいた、ファリアス様が彼女に味方するとは思ってもいなかった。

 家から無理矢理付けられた婚約者という名の監視役をファリアス様は疎んでいるはずだった。だけど、リフィア嬢が教科書を隠されれば自分の教科書を共同で見れるように置き、ペンが折られていれば、自分の予備のペンを与え、彼女が困らないように手を差し伸べていた。言葉は乱暴で態度も横暴だったが、彼は彼女を助けていた。最初は、勉学に対しては真面目で勤勉である彼が、彼女の授業用具がないと教師の説教がはじまり無駄な時間が増え授業に障りがあるため、それを嫌がっての行動だと思っていた。だけどある時、彼は彼女に自分のものを貸し与えながら周囲を牽制していることに気がついてしまった。まさかと思った。そして、更に衝撃だったのが、彼の牽制に気付かず彼女に直接的な嫌がらせを続けた生徒に暴行を加えたのだ。多分、多くの者が、暴行を受けた生徒は彼のよくある癇癪の被害にあっただけだと思っただろう。「貴様は何様のつもりだ」「俺の物だと解っていてやったな」「赦されると思うな」暴力を振るいながら放たれたそんな彼の言葉は、いつものただの言いがかりだと思われていただろう。彼から学生を庇い彼の暴行を止めた彼女自身もきっとそう思っていたと思う。だけど、私には解ってしまった。彼の言動の理由が彼女にあることを。彼が自分の婚約者である彼女に嫌がらせをする相手が赦せずに暴行に走ったということを、私は理解してしまった。彼女に止められて彼女に暴言を吐き、不機嫌そうに矛を収めた彼が、彼女のために行動したのに彼女にそれを理解されず叱られて拗ねたように見えたのは、きっと私の気のせいではなかったと思う。それに勘付いた私の中に広がったのは、きっとあれも嫉妬だったのだろう。

 ライオット様の婚約者となってから、私は度々ファリアス様に口説かれていた。それがライオット様に対する対抗心からくるもので、ライオット様から私を奪い取ってライオット様を貶めたいという理由なだけで、ファリアス様が私に恋情を抱いているなどと勘違いしたことなど一度もなかった。でも、執拗に、時には強引に、無理矢理迫られる様なこともあり、ファリアス様の私への執着は、辟易するとともに恐怖を感じる程だった。そう、かつてはライオット様の婚約者という私に、度を超した執着をファリアス様は見せ、わたしが全く靡かないことに行動がエスカレートしていきついには貞操の危機を感じる所まできてしまい、その対策のためもあってのリフィア嬢でもあったのだ。私が外部からの目の届きにくさを利用して学園でリフィア嬢を虐げているように、目の届きにくい学園で私に何かあっても外部が干渉しに辛い事実から、学園内で私がファリアス様に無体を働かれないように、リフィア嬢がファリアス様にあてがわれていた。彼女は私の身代わりのような役割でもあったはずなのだ。なのに。ライオット様がリフィア嬢に目を奪われ愛妾に望まれた、その事にだけ思考を奪われ、ファリアス様の私に対する執着が薄くなっていることに気がつかなかった。思い返せばファリアス様は以前ようにしつこくつきまとってくることはなくなっていた。相変わらず顔を合わせれば下品な言葉を並べ関係を迫るようなことを言っては来るが、以前のような何が何でもライオット様から奪ってやるというような圧はそこにはなく、むしろ私にそうすればリフィア嬢が止めに飛んでくることが解っていて、彼女に構って欲しくてやっているのではないかと思えてくる状態だった。つまり、私の方がだしに使われている。それに気がついて、私の中にまた屈辱感と怒りがわいてきたのを覚えている。

 叩き潰したはずだった。リフィア嬢の魅力を削り落として、貶めて、惨めに這いつくばらしてやったはずだった。なのに。恋情ではなくとも、私に異常な執着を見せ、私を自らの物にと望んでいたはずの男が、あのリフィア・ファーラントという女の関心を求めて私への執着を失った。また、私はあの女に負けた。あの女はまた・・・。どこまでも忌々しい女。そう思った。

 リフィア嬢が憎かった。どうしようもなく憎かった。だけど、自分のしていることのリスクを理解していた私は、それ以上の虐めをすることはできなかった。貴族らしい計算高さを持って、これ以上は控えるべきだと、自身の中の苛立ちに蓋をした。だけど、晴れることのない苛立ちは私を蝕んで、そして、ある時私は、ファリアス様にその苛立ちをぶつけてしまったのだ。「自身の婚約者に構って欲しいからと、私にちょっかいを出すのは止めてくださいませ。迷惑です。」と。本当に苛ついた調子で、蔑むような視線を向けて吐き出した。あの時の、何を言われているか解らないという顔をして呆然と佇むファリアス様の姿を覚えている。きっとあれがファリアス様の自覚を促す事になったのだろう。そして、それがきっと後のことのきっかけになってしまったのだと思う。

 ファリアス様とリフィア嬢の関係が目に見えて変わることはなかった。しかし確実に何かは変わっていた。何かがあったのだろう。どんなに怒鳴り散らし暴力を振るっているファリアス様相手でも怯むことなく魔術を駆使して毅然と対峙していたリフィア嬢が、ファリアス様に怯えを見せるようになった。相変わらず、暴言暴力には強い。けれど、平常時のファリアス様に怯えを見せるのだ。特に二人きりには決してならないように気をつけているようにみえた。それだけの変化。そんな日々が暫く続き、しだいにファリアス様の苛立ちが目立つようになってきた。リフィア嬢があてがわれて、多少落ち着いていた素行の悪さが復活し、当たられる生徒が増え、その苦情がリフィア嬢に向かう。私は今まで通り、生まれた芽に水をやり、大きくして、リフィア嬢への非難が強くなるように仕向け、彼女を追い詰めた。でも、気分は晴れなかった。だからか、今まで直接的に彼女に何かすることは避けていたのに、「ファリアス様をなんとかするのが貴方の役目でしょう」と彼女を責めてしまった。何の考えもなしに、突発的に、リフィア嬢憎さと苛立ちに支配され、八つ当たりをするように彼女を責めてしまった。公に私が苦言を呈した。その事実が、ファリアス様の問題行動の責任をリフィア嬢にとらせる免罪符になり、もはや私では収拾の付かない状態にまで発展させてしまった。それが完全にファリアス様の怒りを買った。

 ファリアス様は優秀な方だ。ファリアス様に敵認定された私は、彼に徹底的に調べ上げられ、私が意図的にリフィア嬢に嫌がらせをしていた事実を彼に知られてしまった。通常なら、私の生家に抗議をするなり、それを飛ばして国王陛下に報告をあげるなりするところであり、確固たる証拠がない故に対した罪には問われないものの、心証は酷く悪くなり確実にライオット様との婚約は解消され、私は失脚を余儀なくされるところだが、ファリアス様はそのような正しさを持ち合わせてはいなかった。端的に言えば、襲撃されたのだ。私は、ファリアス様に殺されかけた。

 ファリアス様は優秀な方なのだ。やろうと思えば、人の目をごまかす魔術も、誘導しおびき出す魔術も他者の魔術感知に引っかからないように巧みに行使することなどたやすく、ファリアス様の監視のためにリフィア嬢が彼に付けていた現在地を示す魔術を利用し自分が一人で人気のない空き教室にいるように見せかけて、私を一人おびき出した。リフィア嬢に執心して私に執着しなくなったファリアス様に対しての警戒心がある意味で薄れていた私は、ファリアス様の罠にまんまとかかり人気のない空き教室へ引きずり込まれたのだ。逆に、ファリアス様と二人きりにならないように人目のないところに近寄らなくなっていたリフィア嬢は、人気のないところに向かうファリアス様に付いていくことはせず魔術での現在地の把握に留めていたため、状況に気付くのが遅くなり、いつものようにすぐさま駆けつけることができなかった。それでも危機一髪で命が救われたのは、リフィア嬢がファリアス様と同じように、とても学生では扱うことができない魔術を巧みに行使できる優秀な魔術師だったからに他ならない。そう、私は、リフィア嬢に命を救われたのだ。

 その場にいなかったリフィア嬢には、人気のない空き教室に連れ込まれた私にファリアス様がどのような魔法をぶつけようとしたのかまでは解らなかっただろう。ただ、一人でいるはずのファリアス様が何かしらの魔法を行使しようとしたことを感知し、事前に彼に仕込んでいた彼が他者を攻撃しようとしていた場合の魔術の無効化の術と襲撃を受けていた場合の結界の魔術を発動させ、その後駆けつけた形だった。だから、リフィア嬢は勘違いしたのだ。私を押し倒し馬乗りになったファリアス様の姿を見て、私が襲われ乙女を散らされそうになっているのだと。実際は、私を殺そうと魔術を行使しようとしたものの魔術を封じられたファリアス様が、物理的に私に襲いかかり馬乗りになって首を絞めて殺そうとしていた所だったのに。

 魔術を封じられたファリアス様相手なら、私も魔術で対抗できたはずだった。だけど、実際は発動させるどころか動くこともできなかった。空き教室に引きずり込まれ怒鳴り散らされただけで恐怖に身がすくみ、身体が震え、涙が溢れ、何もできなくなっていた。証拠がないことと言い逃れしようとすることすらできず、向けられた殺意の強さに己の死を悟った。あの時の私はリフィア嬢が来てくれなかったら確実に殺されていただろう。駆けつけた彼女が私にのしかかるファリアス様に体当たりを食らわせ私と彼を引き離し、間に立ち、私を背に庇いながら魔術を行使し私を癒やして動ける状態にまでしてくれた。だけど私はすぐさま逃げ出すことができなかった。身体は回復していたはずなのに、恐怖心が身体を支配して、その場から動くことができなかった。だから見ていた。ファリアス様とリフィア嬢のやりとりを、ファリアス様のリフィア嬢への歪で悍ましい執着を。

 私が性的暴行を受けそうになっていた前提でファリアス様を諫める言葉を重ねるリフィア嬢を見るファリアス様の愉悦に満ちた顔を私は忘れられない。

 「俺がそこらの女に手出すのがダメだっていうなら、俺が他の女に手出さないように婚約者様がちゃんと俺のことつなぎ止めておけよ。」「ほら、どうした?わたしの婚約者なのだから他の女を見ないでくれって懇願してみろよ。どうか自分だけを見てください。自分だけにしてくださいって。そうしたら、考えてやってもいい。」

 そう言われ、私を背に庇いながら俯くリフィア嬢が、「お願いですから、わたしだけにしてください。」と呟いたときの、ファリアス様の歪んだ笑顔を、私は忘れることができない。

あの後ファリアス様は、それはそれは嬉しそうに、楽しそうに、リフィア嬢を嬲っていた。「それじゃあ、俺が強制しているみたいだろ?」「俺が無理矢理してるみたいだろ?」「自分から請え」「言葉だけなのか?」「ちゃんと行動で示せよ」

 そう言われる度に、震えながらファリアス様の望む通りにするリフィア嬢は、か弱く怯える少女そのものでしかなかった。ファリアス様の命に従いながら私に向ける目は、逃げてと伝えながら、見ないでと訴えているようだった。そして、そんな風に私にリフィア嬢の意識が向くのが気に入らない様子で、ファリアス様は、よそ見をするな、本気で懇願するのなら自分だけ見ていろ、自分にだけ集中しろとリフィア嬢の顔を強引に自分に向けさせて、私にはもう用はないとばかりにこの場からさっさと消えろと冷たい視線を向けてきた。その目に射貫かれて、反射的に身体が動いて私はその場を逃げ出していた。

逃げる私の背に、もう私の存在など意識の端にも置いていないファリアス様の嬉々とした声が聞こえてきた。

 「この前は俺を拒絶したくせに、他の女のところには行って欲しくないだなんて我が儘な奴だな。まぁ、だけど、お前がどうしてもって言うなら、お前だけにしておいてやる。本当に自分だけにしておいて欲しいなら、何をすれば良いか解るだろ?俺からは手を出さない。お前が来い。」

 聞こえてきたその言葉に、最近何故リフィア嬢がファリアス様に怯えていたのか、人目のないところを避け、彼と二人きりにならないようにしていたのか、私は理由がわかった気がして、そしてその想像したことのあまりの悍ましさに、血の気が引き吐き気がする思いだった。

 ファリアス様は優秀な方だ。あの時は、リフィア嬢に拒絶され避けられていることからの苛々をぶつけるために、私を襲ったのだろうが、あの時私を殺していても処理できるよう算段はすんでいた。リフィア嬢に対する虐めなんて、私に矛先を向けるための口実にしかすぎなかった。最初も最初、リフィア嬢が王家の血の証明をした者だという事実を伏せて、本来受けるべき待遇を受けられない状態において放置していたこと、それが私の致命的なミスだった。自分でもリスクは理解していた。だけど、赦される範囲で留めておけると過信した。結果、自分の感情に流されて、限度を超えてしまった。若い頃の失敗で赦される範囲ではない。誰も彼もがリフィア嬢を下に見て、悪く言い、本人に責がないことを責め立てるのが当たり前で、敬らないどころか同じ人として対等に接しているのかも怪しい、そんな状況まで追い詰めた。それが、故意だったとしたら叛意ありと受け取られかねず、故意でなかったのなら、立太子間近と言われている王子の婚約者、つまりは未来の王妃候補としてあまりにも無能、王家に迎え入れる価値なしと判断され、ライオット様との婚約の解消は必須。父にも失望され、良くて領地に籠もらさせられるか、修道院に送られるか。どのみち私の未来は閉ざされた。そんな未来のない、価値のない私を殺しても、その情報を元にどうせ切り捨てる人間なのだからかまないだろうと、表向きには病死か事故死かで処理させる予定だったのだ。ついでに、婚約者であった私の失態で、ライオット様を貶め嘲笑うことができる。私はファリアス様にとって、ライオット様から取り上げる価値も理由もない存在になり果て、ただリフィア嬢の気を引くための道具となった。私にちょっかいを出せば、リフィア嬢が顔を真っ青にして止めに来る。そして、そんなリフィア嬢をどこかに引っ張って連れ込んで、脅迫して・・・。

 私がファリアス様を恐れていたのは、リフィア嬢が思っているような理由ではないことは明白だった。勘違いした彼女が私を護るために自身をファリアス様に差し出しているのも明白だった。リフィア嬢がそうしている内は、ファリアス様の機嫌が良く、私の罪が目こぼしされている事を良いことに、私は、リフィア嬢がされている仕打ちから見て見ぬ振りをした。それどころか、その事実の悍ましさに、私は「穢らわしい」と、リフィア嬢を突き放した。命を助けてもらったくせに、その後もその前から本当はずっと助けられていたくせに。彼女の存在のおかげで私は目こぼされ、罪が明るみになることはなくのうのうとそれまでと同じように生活できていたくせに。私は、ファリアス様に言えない分、本当は彼に思っていることを、リフィア嬢にぶつけてしまった。私の言葉の指し示すことに心当たりがある彼女は、反論することもできず俯くばかりだった。ぶつけられた愚辱にただ耐え、制服の裾を握リ締めた手を振るわせていた彼女の姿を今でも覚えている。

 学園を卒業し、ファリアス様ともリフィア嬢とも接点がなくなっても、私の罪が公になることはなかった。本当に、ファリアス様にとって私など毛ほどの興味もなく、あれだけ張り合っていたライオット様のこともあの頃にはどうでも良くなっていたのだろう。ファリアス様の卒業に合わせリフィア嬢を中退させ、一緒に軍に放り込んだというのだからきっと、サンジェスト公爵もリフィア嬢さえ与えておけばファリアス様もさほど問題は起こさないと判断していたに違いない。接点もなくなれば、興味もなくなり、私は彼女のことなど思い出すことさえなくなっていた。学園を卒業して暫くは、あんなにも、いつ自分の罪が公になるのかと怯え不安な日々を過ごしていたというのに。何事もなく日が過ぎ、年が過ぎ、王太子となったライオット様の妃となり恙なく過ごし、いつしか記憶の奥底に追いやっていた。今更になって、そんな昔の罪に怯える日々をまた過ごすことになるとは思わなかった。

 あぁ、神様。どうか、どうか、私をお守りください。彼の方が生前の恨み辛みを忘れて、健やかに天に召されますように。どうか。

 ただ似ている人であってくれたならいい。だけど、絶対に、彼女はリフィア嬢だ。彼女の子供こそ、その証拠だ。私は、殺されてしまう。リフィア嬢の怨念に、私は・・・。どうか、神様、お助けください。どうか。どうか。

 私はただ、懺悔し、ただひたすらに神に赦しを請い、神に祈りを捧げることを日々続けていた。こんなことで罪から逃れられるわけないのだと解っていながらも、教会に足繁く通うことを止めることができなかった。

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