閑話 IFストーリー もしも、セリーヌ達と一夜を共にしなかったら
「さあ、今夜は良い夢が見られるように、たっぷりと奉仕して差し上げますわ」
「あ、あわわわ……」
「ち、ちょっと待って。こういうのは、もっとお互いを分かり合ってからでも……」
「問答無用、ですわ♥」
「き、きゃあああああああっ!?」
セリーヌたちが猪田を押し倒そうとした、その時だった。
「「「「「ちょっっっっと待ったあああああああああっ!?」」」」」
その叫び声とともに、寝室のドアが勢いよく蹴破られた。
そして数人の少女たちが部屋へと飛び込んでくる。
「ちっ、邪魔が入りましたわね」
「なっ、なんで貴女たちがいるのですかっ!?」
現れた顔ぶれを見て、セリーヌは舌打ちし、エリザヴィアは驚きの声を上げた。
部屋に入ってきたのは、真田、張、椎名、村松の四人だった。
「それはこっちの台詞なんだけど!」
「わたしたちはノブがこっちに来たと聞いてね。労おうと思って来ただけだ」
「そうよ! 猪田君に食べてもらおうと思って、一生懸命お菓子を作ったんだから!」
椎名はそう言いながら、手にした可愛らしいリボン付きの袋を見せた。
「わたしは疲れを取るマッサージをしてあげようと思ったんだけど」
村松の手には、何やら液体の入った小瓶が握られている。
「ちなみに、わたしはこの世界の滋養強壮に効く薬草で薬を作ってきたぞ」
張は紙包みを開き、中に入っていた丸薬を見せた。
「ところでマイ。お前は何か準備してきたのか? ノブの疲れを取るためにな」
張に尋ねられた真田は、胸を張って答える。
「そんなの必要ないでしょう? あたしとノッ君の仲なんだから、話をするだけで疲れなんて吹き飛ぶわよ!」
自信満々な真田を見て、椎名は呆れたようにため息をついた。
「はっ。話をしただけで疲れが取れると思うなんて、真田さんは子供だね」
「何ですって!? じゃあ聞くけど、そのお菓子ってどんなお菓子よ。見せなさいよ!」
「こ、これは猪田君のためだけに作ったんだから! 見せるのも食べるのも猪田君だけよ!」
「どうせ変な薬でも入ってるんでしょう?」
「そんなわけないでしょう!」
そう言ったものの、椎名の視線が一瞬だけ泳ぐ。
その反応を張は見逃さなかった。
「ふん。どうせ眠り薬か気絶薬でも仕込んだのだろう。そして既成事実を作るつもりだな。実にお前らしい」
痛いところを突かれたのか、椎名はムッと顔をしかめた。
「それを言うなら、その薬だって同じじゃないの? 滋養強壮とか言いながら、猪田君を元気にし過ぎて既成事実を作ろうとしたんでしょう?」
「その通りだ」
張はあっさり肯定した。
まさか認めるとは思わなかった椎名は言葉に詰まる。
「ああっ、ユエずるい!」
「マイ。良いことを教えてやろう。恋愛とは戦争だ。ずるいも卑怯もない。勝った者が正義なのだ」
「ぐぬぬ……昔から思ってたけど、そういう腹黒いところは好きになれないわ」
「それはこちらの台詞だ。お前の考えなしな行動も昔から好きになれなかったぞ」
「何ですって!? いくら幼馴染の親友でも言っていいことと悪いことがあるでしょう!」
「先に言ったのはお前だろうが!」
二人が睨み合う。
その隙を逃さず、セリーヌは猪田へ身体を寄せた。
「さあ、ノブヤス様。ここは醜い争いが始まりそうですから、別室へ参りましょう。そして改めて」
ヒュッ。
目の前を一本のナイフが横切った。
「ふふふ……王女様。いくら王女様でも、わたしの猪田君を勝手に連れて行くのはやめていただけます?」
椎名が笑顔で告げる。
だが、その笑顔は少しも笑っていなかった。
「あら? いつからノブヤス様が貴女のものになったのかしら?」
セリーヌも負けじと笑みを浮かべる。
こちらもまた、背筋が寒くなるような笑顔だった。
「「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」」
笑っているはずなのに、空気は凍り付いていた。
そんな二人をよそに、村松はエリザヴィアへ近寄る。
「ねえねえ、イノッチに何しようとしてたの? 教えて教えて」
「べ、別に大したことでは……」
「わたしもいつかイノッチと夜を共にするかもしれないから参考にしたいんだ。お願い!」
村松は両手を合わせて拝み倒す。
「い、いや、その……あ、あわわわわ……」
エリザヴィアは顔を真っ赤にしていた。
自分がしようとしていたことを思い出し、今さら恥ずかしくなったらしい。
六人はすっかり話に夢中になっている。
もちろん、猪田のことなど誰も見ていない。
その隙を逃すまいと、猪田はそっと立ち上がった。
足音を忍ばせながら部屋を抜け出す。
そして廊下へ出ると、全力で駆け出した。
目指す先はただ一人。
西園寺の部屋だった。
「西園寺君! 助けてくれ!」
ドンドンドンドンッ!
勢いよく扉を叩く。
しばらくして扉が開き、猪田の顔を見た西園寺は「ああ、何かあったな」とすぐに察した。
説明を聞き終えると、彼は猪田の肩をぽんと叩く。
「今日はここにいろ。安心しろ。あの六人が来ても部屋には入れない」
「ありがとう!」
猪田は思わず手を合わせた。
こうしてその夜、猪田は西園寺の部屋で一夜を明かした。
翌日。
魔人領への侵攻準備を進めていた猪田のもとへ、セリーヌがやって来た。
昨夜の一件があったため、猪田は思わず身構えながら跪く。
「これは王女様。お見送りに来てくださったのですか?」
そう尋ねると、セリーヌは何も言わずに手元の小さな袋を差し出した。
紐の付いた、小ぶりなお守りのようなものだった。
「これは?」
「お守りですわ」
セリーヌは優しく微笑む。
「わたくしの母は魔法の素養を持つ方でした。その力を込めて作られたお守りだそうです」
そう言って、お守りを猪田の手に握らせた。
「これを持っていれば、どのような災難からも守ってくれるとか」
「王女様・・・」
思わず手の中のお守りを見つめる。
昨夜の暴走ぶりはともかく、こうして自分を案じてくれていることは素直に嬉しかった。
「貸してあげますわ」
セリーヌは少しだけ視線を逸らしながら言う。
「ですから、必ず返してくださいね」
その声はどこか真剣だった。
「……はい」
猪田も真面目な表情で頷く。
そして首にお守りを掛けた。
だが次の瞬間。
(これ、どう考えても死亡フラグじゃないか?)
嫌な予感が脳裏をよぎる。
戦地へ向かう男にお守りを渡して、
『必ず返してくださいね』
などと言うのは、物語では大抵ろくなことにならない。
(いやいや、縁起でもないことを考えるのはやめよう)
猪田は首を振り、その考えを頭の片隅へ追いやった。
そして改めて装備を確認すると、魔人領侵攻の準備へと戻るのだった。
そして猪田たちは、ついに魔王ツシカーヨロウリを討ち果たした。
「もう……限界のようだ。さらばだ」
魔王はそう言い残し、その身体を黒い砂へと変えて消えていく。
その場に残ったのは、魔王が身に着けていた衣服と黒い砂だけだった。
「……これで、戦いは終わった」
猪田がぽつりと呟く。
そして、ゆっくりと拳を握り締めた。
「帰れるんだ……!」
顔を上げる。
「元の世界に帰れるんだ!」
喜びに満ちた声が響く。
だが、その背後では。
天城が静かに剣を構えていた。
切っ先は猪田へ向けられている。
胸元まで引き寄せられた剣先は、いつでも突きを放てる姿勢だった。
(ここで猪田を殺せば……)
天城の脳裏に椎名の顔が浮かぶ。
(椎名さんは、オレのものになる)
そう確信し、一歩踏み出した。
その瞬間だった。
ズルッ。
「なっ!?」
足元の瓦礫を踏み、盛大に足を滑らせる。
剣を構えていたため受け身も取れない。
そのまま顔面から床へ突っ込んだ。
ズザザザザッ!
「ぐあっ!?」
勢いよく滑っていく天城。
「天城君!?」
突然顔面から転倒した級友を見て、猪田は目をぱちくりさせた。
「いっ、たたたた……まさか転ぶとは……」
擦りむいた顔を押さえながら立ち上がる天城。
だが、まだ諦めてはいなかった。
(これでは後ろから刺せないか……)
顔をしかめながら考える。
(仕方ない。気は進まないが正面から――)
再び剣を構えようとした時。
コツン。
何かが肩に当たり、床へ落ちた。
「?」
天城は屈み込んで拾い上げる。
それは小さな瓦礫の欠片だった。
「なんだ、これは」
そう呟いた直後。
ゴッ!
「ぐああっ!?」
今度は一回り大きな瓦礫が天井から落下し、見事に天城の頭へ直撃した。
白目を剥く天城。
そのまま糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
「天城君!?」
猪田は慌てて駆け寄った。
しかし、天城はぴくりとも動かない。
どうやら完全に気絶したようだった。
天城が瓦礫の直撃を受けて気絶した。
「天城君! しっかりしてくれ!」
猪田は肩を揺する。
だが、天城に目を覚ます気配はない。
そこへ西園寺と遠山がやって来た。
「猪田! 天城! 無事だったか?」
「それが天城君が気を失っちゃって……」
「何だ? 魔王の最後の悪あがきか?」
「いや、それが……」
猪田は困ったような顔になる。
「突然転んで、そのあと立ち上がろうとしたら天井から瓦礫が落ちてきて、それが頭に当たって……」
説明を聞き終えた西園寺と遠山は顔を見合わせた。
数秒の沈黙。
そして同時に口を開く。
「「それは何のコントだ?」」
魔王との最終決戦の締めとしては、あまりにも締まらない出来事だった。
魔王との戦いから数年後。
西園寺は、自身の家が経営する病院の一室へ向かっていた。
そこは、魔王との最終決戦で昏睡状態に陥った天城が入院している病室だった。
今朝、その病室を担当していた看護師から「患者が目を覚ました」と連絡を受けた西園寺は、急いで病院へ駆けつけていた。
病室に着くと、すでに医師が天城の診察を行っていた。
「ふむ。長期間の昏睡状態だったため栄養不足は見られますが、それ以外に大きな問題はありません」
「あの……ここは?」
「西園寺グループが経営している病院です」
「西園寺の? なんでオレは病院なんかに……?」
「それについては俺から話そう」
その声に、天城はようやく西園寺の存在に気付いた。
「西園寺……!」
「颯真様、いらしていたのですか」
「ああ。悪いが少し席を外してくれ」
「かしこまりました」
医師は看護師と共に病室を後にした。
静かになった病室で、西園寺は天城のベッド脇へ歩み寄る。
「よく目を覚ましたな、天城」
「ああ。それより、なんでオレは昏睡状態になっていたんだ?」
「覚えていないのか?」
「魔王を倒したところまでは覚えている。でも、その後の記憶がない」
「そうか。なら話は早い」
西園寺は、天城が気絶してから現在に至るまでの経緯を説明した。
「つまり……戦闘で崩れた天井の瓦礫が頭に当たって、そのまま昏睡状態になったってことか?」
「そういうことだ」
西園寺は苦笑した。
「で、帰還魔法は確保できたからな。俺たちは元の世界へ戻った」
「俺たち?」
「一部を除いて、だな」
天城は眉をひそめる。
「当然猪田たちだ」
「そうか……」
天城は納得した。
猪田は異世界で領地を与えられていた。向こうに残ったとしても不思議ではない。
「他には真田、張、雪奈、それと村松だな」
「……雪奈?」
「ああ、椎名だ。昔からの癖でな。つい下の名前で呼んでしまった」
「椎名さんも向こうへ……?」
「本人の希望だ」
「そうか……」
天城はシーツを握りしめた。
(くそ……あの時、殺していれば……)
だが、その心情など知る由もなく、西園寺は話を続ける。
「もっとも、ずっと向こうにいたわけじゃない」
「どういうことだ?」
「三年前までは向こうにいたがな。今はこっちと向こうを行き来している」
「行き来?」
「あいつがやったんだよ」
西園寺は少し呆れたように笑った。
「あいつ、異世界とこちらを繋ぐ門を作ったんだ」
「は?」
天城は思わず聞き返した。
「門って……あの異世界と現実世界を行き来するような?」
「そんな感じだ」
西園寺は頷く。
「完成したのは二年前。それ以来、向こうでは領主、こっちでは俺の会社の副社長をやっている」
「副社長?」
「嫁が多いからな。稼がないと大変だろう」
その言葉に天城は首を傾げた。
「……嫁?」
「ああ。真田、張、椎名、村松、セリーヌ王女、エリザヴィア。それ以外にも何人かな」
「えっ……?」
天城の表情が固まる。
そんな彼に、西園寺はスマートフォンを差し出した。
「ほら。結婚式の時の写真だ」
そこには豪華なホテルのエントランスと思われる場所で撮影された集合写真が映っていた。
獣人族や鬼人族、天人族、竜人族。
元クラスメートたち。
猪田の親族らしき人々。
そして様々な立場の人間が並ぶ中。
中心に立っているのは猪田だった。
しかも、その周囲を数多くの花嫁たちが囲んでいる。
その中には。
椎名の姿もあった。
彼女は猪田のすぐ隣に立ち、満面の笑みを浮かべていた。
「…………」
天城は言葉を失った。
胸の奥が重く沈む。
あれほど想い続けた相手が、誰よりも幸せそうに笑っている。
しかもその隣にいるのは、自分ではない。
猪田だった。
「重婚じゃないのかって思うだろ?」
西園寺は苦笑する。
「だが、あいつは向こうでもそれなりの地位を持っているからな。色々あって法改正まで実現しちまった」
西園寺は楽しそうに話し続ける。
だが、その言葉は天城の耳にはほとんど入ってこなかった。
椎名の笑顔だけが脳裏に焼き付いて離れない。
(結局……何も手に入らなかった)
喉が乾く。
胸が締め付けられる。
「あ……」
視界が揺れる。
「ああ……」
そして天城は、そのまま再び意識を失った。
「お、おい! 天城!」
慌てて肩を揺する西園寺。
しかし反応はない。
西園寺は急いでナースコールを押し、医師を呼んだ。
処置の結果、天城の意識は無事に戻った。
だが、それ以降の彼はどこか影を落としたような表情を浮かべるようになった。
やがて退院の日を迎える。
しかし天城は自宅へ戻ると、家族に一言だけ告げた。
「探さないでくれ」
それだけを言い残し、姿を消した。
その後、天城を見たという者はいなかった。




