第91話 首都に向けて進軍
翌日。
朝日が地平線から顔を出すのとほぼ同時に、陣営に大きな鐘の音が響き渡った。
その音量は、普段なら多少の物音では起きない僕でも飛び起きるほどだった。
「もう出陣⁉」
慌てて着替え、テントを飛び出す。
「起きろ! 朝食がまだの者は急げ! 食べ終わり次第、装備を確認! 陣営はこのままにして、準備が整った部隊から順次出陣! 敵首都を包囲し、命令があるまで待機せよ!」
レオン騎士団長の号令が響き、兵士たちは一斉に動き出す。
……が、僕は特にやることがない。
準備は昨夜のうちに済ませてあるし、本陣付きの僕は出陣も最後の方だ。
だから、少しだけ余裕がある。
「さっきの鐘で完全に目が覚めたし……出撃まで、グリフォンの相手でもしよう」
僕は“乗馬”であるグリフォンの繋がれている場所へ向かった。
「グリリリリッ!」
「よしよし。今、餌を持ってきたからな」
僕はグリフォン用に用意した魔物・一角ポークの腿肉を二つ取り出す。
一つ一キロはある肉の塊を、朝から二つも平らげるのだから、やっぱりすごい。
生肉でもいいのだろうが、せっかくなので塩胡椒で味付けして焼いてきた。
「ガブガブガブッ‼」
「ははは、すごい勢いだな」
食べる姿を眺めながら、水を器に注いで傍に置く。
喉が渇いたらすぐ飲めるように。
そうしていると、ふいに僕の影が濃くなった。
誰かが後ろに立ったようだ。
振り返ると──椎名さんがいた。
(し、椎名さん……な、なにか用かな?)
言葉にはしないが、心臓が跳ねる。
この世界に来てから、彼女の“愛の重さ”が増している気がして、二人きりは極力避けていたのだ。
まずいことに、今は誰もいない。
正確にはグリフォンが一匹いるが、戦力にはならない。
「えっと、おはよう。椎名……雪奈さん」
“椎名さん”と言いかけた瞬間、ブリザード級の眼差しが飛んできたので慌てて下の名前に切り替える。
「うん。おはよう、猪田君」
「雪奈さんは準備とかしなくていいの?」
「うん。わたしは特に用意するものないから」
「そっか……」
会話が途切れる。
よし、餌を取りに行くとか言ってこの場を離れよう。戻るときは誰か連れてこよう。
そう思って口を開こうとした瞬間。
「ねぇ、猪田君」
「な、なに?」
声が裏返った気がするが、気のせいだと信じたい。
「この戦いが終わったら」
(へ? また?)
昨日はマイちゃんとユエに言われ、今日は椎名さん。
最近の流行なのか?
「話したいことがあるんだけど、いいかな?」
「……うん、いいよ」
「そう。よかった」
雪奈さんは微笑み、去っていった。
姿が見えなくなると、ようやく安堵の息が漏れる。
「ふぅ~……今日は特に問題が起こらなかったな」
気持ちを切り替え、グリフォンの頭を撫でる。
「昨日から『この戦いが終わったら』が続いてて、正直ビックリだよ。僕なんかがそんなこと言われるなんて、一生分の運を使い果たした気分だよ」
「クルルル」
……なんだろう。グリフォンに呆れられている気がする。
「そういえば、お前に名前をつけてなかったな」
「クル?」
「いい機会だから、つけよう。どんな名前がいいかな……」
白い体毛。
そして、グリフォンは七つの大罪の象徴でもある。
「傲慢……ラテン語でスペルビア、英語だとプライドか」
それに白い体毛を合わせてしっくりくるのは。
「決めた。お前の名前はヴァイドだ」
「クルルルル?」
「ヴァイスにプライドを合わせただけだけどね。今日からお前はヴァイドだ。よろしくな」
「クル、クルルルル‼」
ヴァイドは嬉しそうに吠えた。
そうして戯れていると、本陣の準備が整い、僕はヴァイドに騎乗する。
「進軍開始‼」
号令とともに、本陣は駆けだした。
首都オレバーツビムアに到着すると、すでに各種族の軍が完全包囲を完成させていた。
すぐに陣ぶれが行われる。
先陣:戦士団
右翼:騎士団
左翼:魔獣騎兵団・遊撃軍団・竜騎兵団の混成軍
中央:近衛兵団
後陣:魔法師団
左翼の混成軍を率いるのは、遊撃軍団長アドラー・フォン・マイヤーズ。
ロマンスグレーの紳士で、キザだが人格者。
二男三女の子福者で、会うたびに「娘を嫁にどうだ」と言ってくる。もちろん断っている。
陣ぶれの最中、本陣へ向かう途中で袖を引かれた。
振り返ると村松さんが居た。
「どうしたの? 村松さん」
「むぅ~、あたしのことはセナって呼んでって言ったのに~」
「ごめんごめん。慣れてなくて。それで、何か用? むら……じゃなくて、セナさん?」
危うくまた“村松さん”と言いかけた。
「あたしさ、先陣に行くから、その前にイノッチと話したいことがあるんだ」
「話?」
「うん。あたし……イノッチのことが好き」
……。
…………。
………………はい?
“好き”?
鋤? 数寄? 隙?
戦争前で隙があると言いたいのか?
「ねぇ、ねぇってば」
はっ⁉ 思考がショートしていた。
「イノッチ、返事は?」
「……それ、冗談じゃなくて?」
「怒るよ」
無表情で言われ、本気だと悟る。
「すいませんでした!」
「それはいいから、返事は?」
謝罪より返事が優先らしい。
「その、実は」
言いかけた瞬間、セナさんが人差し指で僕の口を塞いだ。
「分かってる。第二王女様と魔法師団長と一夜を共にしたの、知ってるから」
「えっ⁉ なんで知ってるの?」
「ふっふ~ん。女子の情報網を侮らない方がいいよ、イノッチ」
得意げに笑う。
「ていうのは嘘。本当は朝の散歩中に、イノッチの部屋から王女様が出ていくの見たの。歩くのも大変そうだったから、ピンと来たんだ」
……そんなところを見られていたとは。
「だから、あたしは妾でいいから」
「はい?」
「正室は王女様でしょ? 側室は魔法師団長とユエっち。あたしは愛妾でいい」
「……普通、正室がいいとか言わない?」
「愛妾って、あたしにぴったりじゃん」
「いや、そんなことないから」
「とにかく、イノッチが元の世界に戻っても、この世界に残っても、あたしは愛妾で死ぬまで傍にいるからね」
太陽みたいな笑顔。
正直、可愛いと思った。
「返事は戦争が終わってからでいいから、まったね~」
そう言って先陣へ向かっていった。
僕は呆然としていたが、参謀に呼ばれて正気に戻り、本陣へ急いだ。
本陣ではアウラ王女が地図を見つめ、腕を組んで沈黙していた。
陣ぶれが終われば、どこかの軍が首都へ人当たりを仕掛けるはず──
そう思っていると、伝令が駆け込んできた。
「伝令! 先陣の数キロ先に魔人族と思われる者が現れ、総大将閣下と話がしたいとのこと!」
「名は名乗ったか?」
「はっ。ツシカーヨロウリと名乗っています」
えっ⁉
魔人族の王の名前じゃないか⁉
なんでボスが出てくるの⁉




