第一章八 深まる謎
白華の言葉で、張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
しかし私は、弟の興華に知識で諭され、白華姉さんにも気を遣われて、妙な屈辱を覚えていた。
ようやく心に余裕が戻ってきた私は、心の中で小さく毒づいた。
「……興華め。次の稽古で泣かせてやろうか……」
そんなことを考えていたとき、ふと疑問が頭をもたげた。
「でも、白華姉さん。二十年も前に滅ぼされた国のことを、どうして父上が気にしてたの?」
問いかけると、白華は一瞬、遠い目をした。
月明かりが彼女の横顔を照らし、静かな光の筋が頬をなぞる。
「……父が昔、どこかの国の武官だったことは覚えているわね。
あくまで私の推測だけど――おそらく、その国こそ柏林国だったのだと思うの。
蒼龍国に攻め込まれ、父は命からがら逃れて、翠林国へたどり着いたのではないかしら」
白華の言葉に、私は息をのんだ。
森の夜気が冷たく、まるでその推測が現実に形を帯びるように思えた。
私は頭が白華姉さんほど良くないし、正直、興華より悪かったらどうしよう……などとくだらないことを考えつつも、
それでも私なりに、深く思いを巡らせた。
父がかつて言っていた言葉――
「戦に嫌気が差した」
あの時はただの昔話だと思っていた。けれど、それは故郷を失った男の、心の底からの叫びだったのかもしれない。
「……父が、滅びた国を二十年経っても気にしていた理由。
もし本当に柏林国の出身だったとしたら……」
私はつぶやきながら、いくつかの断片が少しずつ線を結んでいくのを感じた。
父がこの山村に根を下ろし、警備や防衛を担っていたのは、単なる職務ではなかったのかもしれない。
それは――二度と故郷を奪われないための、父なりの戦いだったのかもしれない。
「白華姉さん、興華。
もし父が柏林国から逃げてきたのだとして……どうして逃げ出すことになったんだろう。
村では誰よりも誠実で、責任感のある人だったのに」
私の問いに、白華は目を伏せ、深く息をついた。
「……柏林国の内部で、何か起きたのかもしれない。
たとえば、国を分裂させるような内乱が。
父が逃げざるを得なかったほどの――」
白華の声は低く、夜の闇に吸い込まれるようだった。
彼女の聡明な瞳は、見えない過去を探るように揺れていた。
興華は、そんな姉たちを見つめながら、小さく唇を噛んでいた。
まだ幼い彼には、語られる言葉の重みも、父の過去が意味する恐ろしさも、完全には理解できていなかったのだろう。
私は、二人を見つめながら思った。
――父の沈黙の裏には、私たちの知らない真実が隠されている。
そしてその真実は、きっとこの逃避の果てに待っている。
森の闇は深く、風の音がどこか遠くで低く唸った。
その音はまるで、私たちの運命が、再び戦火に引き寄せられていく前触れのようだった。




