第五章 白華・興華伝三十二 明かされる父の名。そして。
取り調べ室には、沈黙が重く垂れ込めていた。
白華の語りが終わった後も、雪嶺大将も、彗天中将も、氷雨中将も言葉を失っていた。彼らは皆、心の奥底で動揺していたのだ。
虚偽と断じるのは容易い。いまここで首を刎ねてしまえば、それで全ては片付く。
だが──本当にそうだろうか?
白華と興華の姿から漂う確かな気配は、単なる流浪の者では到底あり得ぬ気迫を帯びていた。それは、軍歴三十余年の雪嶺大将にすらも、簡単に切り捨てるには惜しいと感じさせるものだった。
雪嶺は大きな手を机に置き、深い息を吐いた。
「……白華、興華。信じるに値するだけの話ではある。あるが、されど……」
彼の低い声は、室内の空気を再び緊張に染めた。
「もし、そなたらの父が柏林国の王子であったならば──その名を言えるはずだ。その名を告げよ。それならば、儂はお主らを信じよう」
白華はまっすぐに雪嶺を見つめ、深く頷いた。
「はい。雪嶺将軍……父の名前は──」
その瞬間、彗天と氷雨の目が細められた。
彗天は息を荒げ、心の中で呻いた。
(まさか……本当に言うつもりか? この小娘、最後の一線まで踏み込むつもりなのか!)
氷雨は逆に、息を潜めるようにして白華を凝視していた。
(虚偽ならば、ここで必ず綻びが出る。だが……この娘の目には、揺るぎがない。本当に……?)
白華の隣に座る興華は、唇を固く結び、額に冷や汗を滲ませていた。姉が言おうとしている名の重さを、彼は骨身に染みて理解していたからだ。
白華の声は、やがてはっきりと響いた。
「──父の名は、柏林王族・景曜。柏林の末王子にして、我らの父です」
取り調べ室の空気が凍りついた。
雪嶺は眉を顰めたまま、じっと白華を見据えていた。
「……景曜……確かにその名は、記録に残っておる。柏林国が滅びた折、行方不明となった王子の名が、まさにそれよ」
彗天の顔色が変わった。
「馬鹿な……二十六年も前のことだ! 生き延びていたなど、常識ではあり得ん!」
氷雨は息を呑み、しかし声を荒げずに呟いた。
「……だが、もし……もし真実ならば。黒龍宗が血眼になって探し続けていた理由も、すべて辻褄が合う……」
雪嶺は、拳を組んで額に押し当て、しばし沈思した。
彼の脳裏には、氷陵帝の顔が浮かんでいた。帝は何よりも白陵国の安寧を願う。だが同時に、黒龍宗の影に怯え、近頃は心を悩ませている。
──もしこれが真実であれば、帝にとっては吉兆か、それとも新たな災いの種か。
「ふむ……」と雪嶺は大きく息を吐き、顔を上げた。
「白華、興華。儂は、そなたらの言葉を即座に虚偽と断じることはできぬ。……だが、この件は儂一人で決することではない」
そう言った雪嶺の声音には、先ほどまでの豪胆さに加え、慎重さが滲んでいた。
彗天はまだ納得がいかぬ様子で声を荒げた。
「大将! こんな戯言に惑わされてはなりませぬ! 黒龍宗の奸計やもしれぬ!」
だが雪嶺は彗天を睨みつけ、一喝した。
「黙れ、彗天! お主の憤りは分かる。だが、虚実を見極めるのが我らの務めじゃろうが!」
叱責に彗天は歯噛みし、氷雨は小さく頷いて白華を見た。
白華は背筋を正したまま、静かに言葉を続けた。
「どうぞ、雪嶺将軍。私たちの真実を確かめてください。虚偽ならば、その場で私たちを斬ればよいのです」
その毅然たる態度に、雪嶺は胸の奥で得体の知れぬ熱を感じた。
(……まさか、本当に……景曜の子らが、生きてここに立っているのか?)
取り調べ室に、重くも新たな運命の気配が漂っていた。




