第五章 白華・興華伝二十九 白華と雪嶺大将の駆け引き
糾問所は、白昼の陽光さえも峻烈に遮断された、無機質な石造りの空間であった。天上の細き明かり取りから差し込む僅かな光が、埃の舞う室内を斜めに切り裂いている。その静寂を支配するのは、向かい合って座す雪嶺大将の、山脈の如き圧倒的な質量感であった。
雪嶺は節くれ立った大きな手を机に置き、岩肌を刻んだような細い目で姉弟を見据えた。
「……そなたらの言、幾度、反芻しても常軌を逸しておる。二十六年前、既に歴史の塵となった柏林の王族を、今さら亡霊の如く名乗るとはな」
低い声が石壁に反響し、重く沈殿する。
「……よいか。今ここで正直に虚偽を認め、罪を悔いるならば、儂の温情で命までは取らぬ」
雪嶺は、あえて世間話でもするかのような軽い調子を装った。
「国外追放に留めてやろう。南の山脈を越え、二度と北の地に踏み込まぬと誓うならばな。……如何だ? 無益な意地で、この若き命を散らすこともあるまい」
慈悲深く聞こえるその提案の裏側には、「今ここで断罪することも容易い」という冷酷な現実が透けて見えた。あからさまな懐柔の響きに、興華の胸中が烈火の如き熱を帯びる。
「なっ……!」
屈辱に身を乗り出しかけた刹那、白華の細い指先が、そっと彼の膝に触れた。白華は一瞬だけ興華を見つめる。
それは宥めでも、別れでもない。――「見ていなさい」という、確信に満ちた静かなる合図であった。
「……姉さん」
興華は奥歯を噛み締め、爆発しそうな動揺を強引に肺腑へ押し戻した。
白華はゆっくりと面を上げ、その唇に、凛とした、そしてどこか不敵な微笑を浮かべた。
「私たちは、決して虚偽の申告などはしておりません。誇張も、欺瞞もございません」
声音は湖面の如く落ち着き払い、微かな揺らぎさえ存在しない。
「真実が信じられぬと仰るならば、今この場にて、我ら姉弟の首を刎ねればよろしいでしょう」
室内の空気が、悲鳴を上げるように軋んだ。
「……それとも」
白華は、雪嶺の双眸を真っ向から射抜いた。
「――白陵国軍を総べる大将ともあろう御方が、斯様な一介の小娘を相手に、正体の知れぬ何かを『怖れて』おいでなのですか?」
名剣の如き鋭利な言葉が放たれた瞬間、張り詰めた均衡が崩壊した。
「な、何を――貴様ァッ!」
彗天の怒号が室内に轟然と響く。反射的に手が剣の柄に伸び、抜かれた刃が銀色の閃光を放った。
「大将! この不届きな小娘、今ここで首を落としてやります! よくも大将を愚弄したな! 柏林の亡霊め、己の無知を冥府で悔いるがいい!」
峻烈な殺気が奔り、空気そのものが鮮血の匂いを帯びたかのように重くなる。
(……ここまで挑発するとは。この娘、自ら死地に首を差し出しながら、同時に相手の喉元を喰らいにいっている……!)
氷雨は思わず息を呑み、白華の凄まじい胆力に背筋が凍るのを感じていた。
「やめい!!」
雪嶺の怒号が雷鳴の如く落ちた。その一声で彗天の四肢は縫い止められ、切っ先は虚空を震わせたまま止まった。
「……くっ……!」
彗天は悔しげに唸り、震える手で剣を鞘へと戻した。雪嶺は椅子に深く身を沈め、じっと、獲物を観察する獣の目で白華を凝視した。
「ほぅ……面白い。命を天秤にかけてまで、その言葉を貫き通すか」
雪嶺の口元に、凶暴なまでの笑みが浮かぶ。だが、その眼は戦場で数多の英傑を見極めてきた老将の、氷の如き冷徹さを失っていない。
(……虚勢ではないな。この娘……修羅の場にて将の前に立つ、王者の器を宿しておる)
二十六年前に灰燼に帰したはずの王族。その血脈が、人知れず極寒の地で牙を研ぎ続けていた可能性。それが一気に現実味を帯びて脳裏を掠める。
(もしこれが真実なれば、黒龍宗が必死になって探すわけだ。この娘は、単なる生き残りではない。時代を動かす『核』になり得る)
興華は冷や汗を流しながら、隣に立つ姉の横顔を仰ぎ見た。
(……姉さん……!)
老将の誘いに危うく乗りかけた己の未熟さを恥じ、同時に、一歩も退かぬ姉の覚悟の深さに激しい衝撃を受けていた。
(僕は……まだ、本当の覚悟を知らなかったんだ)
雪嶺は再び、豪快に笑い飛ばした。
「ははは……! 愉快、実に愉快よ。儂を相手にここまで言い切る者が、まだ大陸に残っておったとはな」
そして、声音から笑みを消し、低く、重く告げた。
「よかろう――その度胸、そしてそなたらが抱く真意。この雪嶺が、直々に白日の下へ引きずり出してやろう」
その言葉に、もはや試しの色は微塵もなかった。
白華と雪嶺。氷雪の国の糾問所にて、二人の視線は静かに、しかし決定的に噛み合った。
真実を懸けた血の通わぬ駆け引きは、いま、国家を揺るがす次なる段階へと踏み出したのである。
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