第五章 白華・興華伝二十九 白華と雪嶺大将の駆け引き
取り調べ室は、昼の陽光さえ遮断された石造りの部屋だった。窓は細い明かり取りが一つだけ、壁は厚く、冷たい。机と椅子が置かれたその空間に、白華と興華は並んで座らされていた。
向かいに腰を下ろすのは雪嶺大将。両脇には直立不動の彗天と氷雨の二人。兵舎の空気とは一線を画す、戦場のような緊張感が張りつめていた。
雪嶺は無骨な大きな手を机に置き、目を細めながら二人を見据えた。
「……そなたらの話、何度聞いても常軌を逸しておるな。柏林国の王族の生き残り、か」
しばし沈黙が落ちた。雪嶺の低い声が、石壁に反響する。
「よいか。ここで正直に虚偽を認めれば命までは取らんぞ。国外追放に留めてやろう。南の山脈を越えて二度と戻らねば、それで済む話だ。……どうじゃ?」
雪嶺の声音はあくまで豪快で柔らかく聞こえる。しかし、その奥に潜むのは「今すぐ首を刎ねることも出来る」という冷酷な現実だった。
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挑発の響きに、興華の胸がぐっと熱くなった。
「なっ……!」
歯を食いしばり、椅子から身を乗り出しかける。
だがその瞬間、白華の手が膝に触れた。指先は軽く、しかし強い意思を宿していた。
「……姉さん」
興華はかろうじて息を飲み込んだ。怒りで爆発しそうな胸の鼓動を抑え込むように。
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白華は静かに、そして凛とした笑みを浮かべた。
「私たちは決して虚偽の申告はしていません。なんなら、いまここで私たちの首を刎ねればいいのです」
声は落ち着き払っている。恐怖の色は一切ない。
「……それとも、大将ともあろうお方が、こんな一介の小娘を怖れておられるのですか?」
刃より鋭い言葉が放たれた瞬間、空気が震えた。
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「な、何を――貴様ァッ!」
彗天の怒号が室内を揺るがす。
彼の手は一瞬で剣に伸びた。鞘から半ば抜かれた刃が、白華に向かって鈍い光を放つ。
「大将! この小娘、いまここで首を刎ねてやる!」
その顔には怒りと侮辱の感情しかなく、理性は吹き飛んでいた。
「よくも大将を愚弄したな! 柏林国の亡霊め、ここで終わらせてやる!」
殺気が奔り、部屋の空気は一瞬で血の匂いに満ちた。
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氷雨は咄嗟に体を硬直させた。
(……馬鹿な……ここまで言うか、この娘……!)
氷雨でさえ一瞬息を呑み、白華の覚悟に圧倒された。
普段は冷静な自分が、今は白華の言葉で心を揺さぶられている。
(私は……何をしている。冷静さを欠いたのはむしろ私の方だ……!)
彼女は悔恨と共に、白華の胆力に奇妙な感嘆を覚えていた。
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「やめい!」
雪嶺の怒号が雷鳴のように響き渡った。
その一声に、彗天の体は強制的に縫い止められる。刃は中途で止まり、彗天は歯ぎしりを噛みしめながら剣を鞘に戻した。
「……くっ……」
悔しげに唸りながらも、彼は従わざるを得なかった。
だがその眼差しはなおも白華に突き刺さり、燃えるような殺意を隠そうともしなかった。
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雪嶺は椅子に深く腰を沈め、ゆっくりと白華を見据えた。
「ほぅ……面白い。命を賭してまで言い切るか」
豪快な笑みが浮かぶが、その奥には老獪な軍人としての鋭さが光っていた。
(この娘……虚勢ではないな。心底から死を恐れておらん。……まさか、本当に柏林国の血を引く者か……?)
彼の胸中には驚きと疑念が芽生えていた。二十六年前に滅んだはずの王族。その生き残りが目の前にいるとすれば――。
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興華は冷や汗を垂らしながら、姉の言葉を思い返していた。
(……姉さん……! 命を賭してまで挑発するなんて……!)
だが同時に、自分が雪嶺の挑発に乗りかけたことを恥じた。
(俺はまだ冷静さが足りない……。姉さんの方がずっと覚悟を決めている……!)
不安と畏怖、そして姉への尊敬が、複雑に渦を巻いていた。
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雪嶺は豪快に笑った。
「ははは……! 愉快だ。ここまで言い切るとはな。よかろう――そなたらの度胸、この儂が直々に見極めてやるわ」
その笑みの裏で、雪嶺は既に次の一手を考えていた。
本当に柏林国の血筋ならば、黒龍宗が狙わぬはずがない。この二人の正体を見極めることは、白陵国の未来を左右する。
取り調べ室の空気は、氷のように張りつめたまま、次なる駆け引きへと進んでいった。




