第五章 白華・興華伝二十一 取り調べ
朝の冷気がまだ石壁にこびりついていた。
国境詰め所の鐘が鳴り、兵舎全体に規律の息が流れ込む。白華と興華は兵士に呼び出され、無言のまま廊下を歩かされた。歩哨の兵の鎧が軋むたび、二人の心臓が一拍早く刻まれる。
広間に入ると、彗天中将と氷雨中将が待ち構えていた。
長机の上には地図が広げられ、蝋燭の炎が揺らめきながら二人の横顔を照らしていた。
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「――座れ」
彗天の声は硬質な石刃のようだった。
白華と興華は促されるまま椅子に腰を下ろす。背筋を正し、余計な仕草を見せないよう心を固める。
「名を名乗れ」
彗天の眼光は、二人の皮膚を裂くように鋭い。
白華は一瞬、興華と目を合わせた。答えを口にすれば疑念を呼び、隠せば追及を深める。どちらを選んでも危険だ。
(……まだ時ではない。ここで全てを明かせば、私たちの旅の意味が潰える)
唇を結び直し、彼女は淡く答えた。
「……我が名は白華。そしてこちらは弟の興華。旅の者です」
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「旅の者?」彗天は低く鼻を鳴らした。「雪深い国境を越え、命を懸けて入国する“旅人”など聞いたことはない」
氷雨が視線を上げ、穏やかに問いを継ぐ。
「では、なぜ白陵国へ来たのです? 目的は?」
白華の胸にまた沈黙が落ちる。
(ここで“曹華”の名を出すべきか……けれど蒼龍国の影に怯える彼らが、私たちの真意を理解するとは限らない。いずれにせよ、真実を明かすのはまだ早い)
「……情報を求めて来ました。蒼龍国の動乱について」
曖昧に、だが明確に、そう言った。
彗天の眼光がさらに鋭さを増す。
「蒼龍国の内情を、子供ごときが探る? 背後に誰かいるはずだ。……黒龍宗か?」
「ち、違います!」
興華が立ち上がらんばかりに声を上げた。
白華は慌てて袖を引き、弟を押さえる。
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氷雨は静かに弟妹のような二人を観察した。
(……黒龍宗の匂いはない。けれど“ただの旅人”ではないのも明らか。彗天殿を納得させるには証が足りない。だが、この二人が隠すもの――それはきっと、国の行く末に関わる何かだ)
「ならば証を示してください。あなたたちが本当に白陵国を乱す存在ではないと、どうやって我らに納得させるのです?」
白華は答えを探すが、言葉は出てこない。
(ここで誤魔化せば、敵視される。だが真実を告げれば――きっと、弟の力と、妹の存在が狙われる。私は……)
沈黙の刹那、興華の拳が机の下で震えた。
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彗天は椅子を軋ませて立ち上がり、机を叩いた。
「ふん。言葉を濁す時点で怪しい。俺は雪嶺大将に報告し、即刻拘束を――」
だがその裏で、彗天の内心には別の計算が渦巻いていた。
(この二人……強者の気配を隠し持っている。あの少年から一瞬だけ溢れた“気”は、ただ者ではなかった。利用価値があるなら、拘束ではなく白陵国の支配下に置くこともできる。だが、それを見極めるには正体を引き出さねばならん……)
「待ってください、彗天」
氷雨が口を開いた。
「私は直感で分かります。この子たちは黒龍宗とは違う。ですが……あなたを納得させる材料が不足しているのも事実」
彗天は口を結び、氷雨を睨む。
氷雨は視線を白華と興華へ向けた。
(いったい、あなたたちは何者なの……?)
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白華と興華は、互いに視線を交わした。
言うべきか、隠すべきか――その答えを見出せぬまま、二人の心臓はただ激しく打ち続けた。
そして広間の空気は、氷雪のように凍りついた。
正体を明かす時は、まだ訪れていない。だがその瞬間が迫っているのを、誰もが本能で感じ取っていた。




