第三章 白華・興華伝十 複雑な心境と残酷な推測
玄翁の言葉は、白華と興華の胸に鋭い刃を突き立てた。
「――曹華は、あの憎むべき仇の手に落ちた。しかし、殺されてはいない。それどころか、その傍で武と知略を磨いておる」
白華は、靄に浮かぶ妹の姿と、その隣で冷徹な気配を放つ天鳳将軍の面影を交互に見つめた。
胸を突き上げたのは確かに安堵――生きていたのだ、という喜び。だがその感情は、一瞬で矛盾と疑念に呑み込まれる。
「曹華……どうして? 父の敵である蒼龍国の、その将軍のもとで……何のために力を磨いているの……?」
白華の理知的な頭脳は、矛盾を解き明かそうと必死に回転した。
殺されない代わりに、自分たち姉弟を人質のように担保に取られ、従わされているのではないか?
だが、映し出された曹華の姿は、ただの囚われ人ではなく、自らの意志で武を極める者のそれに見えた。
思考の果てに、白華の胸に浮かんだのは、さらに残酷な可能性だった。
「まさか……蒼龍国、あるいは黒龍宗の仙術で、曹華の心そのものが操られているのでは……?」
あの夜の川岸で、牙們に甚振られた曹華の姿が甦る。あの瞬間に、もし心の奥に何かを植え付けられていたとしたら――。
王族の血を持つ者を殺さず、器として利用するための術があるのなら。妹の目に映る決意も強さも、すべて偽りのものかもしれない。
白華の背を冷たい戦慄が這い上がった。
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一方、興華の胸も乱れていた。
「曹華姉さん……なぜ? あの人は父さんの仇なのに……」
善と悪の境界が一気に揺らぎ、理解を拒む光景が少年の心をかき乱す。
だがその一方で、曹華の槍さばきや身体の動きに、目を離せない憧憬を抱いている自分に気づき、余計に混乱した。
慕う姉が強くなっている喜びと、父の仇に従うという矛盾が、胸の奥で激しくせめぎ合っていた。
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白華は弟の動揺を感じ取り、凍りつく心で真実を突きつける。
「……興華。もし曹華が、蒼龍国や黒龍宗の仙術で心を操られているのだとしたら……私たちは、曹華と戦わなければならない」
その言葉は、血縁を断ち切る可能性をも含んだ、最も残酷な覚悟だった。
白華は己の声が震えるのを抑え、弟にだけは動揺を悟らせまいと、冷たい理性を盾にする。
興華は唇をかみしめ、涙を堪えながらも姉を見返した。
玄翁は、そんな二人を黙って見つめ、静かに茶をすする。
この混乱、この葛藤こそが、彼らが仙道の理を学ぶ上で避けられぬ最初の試練――そう、玄翁は知っていた。




