第三章 白華・興華伝十 複雑な心境と残酷な推測
玄翁の言葉は、白華と興華の胸に、鋭い刃のように突き刺さった。
「――曹華は、あの憎むべき仇の手に落ちた。だが、殺されてはおらぬ。それどころか、その傍で武と知略を磨いておる」
靄に浮かぶ映像の中、凛と立つ妹の姿。その隣にある、冷徹で揺るぎない将軍の気配。
白華は、二つの像を交互に見つめた。胸を突き上げたのは、確かに安堵だった。
――生きていた。
それだけで、どれほど救われたか分からない。だが、その感情は、瞬く間に矛盾と疑念に呑み込まれる。
「……曹華……」
白華は、絞り出すように呟いた。
「どうして……? 父の敵である蒼龍国、その将軍のもとで……何のために、あそこまで力を磨いているの……?」
理知的な頭脳が、必死に答えを探す。脅されているのか。人質として、従わされているのか。だが、映し出された曹華の動きは、囚われ人のそれではなかった。
怯えも、迷いもない。あれは――自らの意志で研ぎ澄まされた者の姿だった。思考の行き着く先で、白華の胸に浮かんだのは、さらに残酷な可能性。
「……まさか……」
声が、かすかに震える。
「蒼龍国……あるいは黒龍宗の仙術で、曹華の“心そのもの”が操られているのでは……?」
あの夜の川岸。牙們に甚振られ、血に塗れながらも立ち向かっていた妹の姿。
もし、あの時――
心の奥に“何か”を植え付けられていたとしたら。王族の血を持つ者を殺さず、器として利用するための術が存在するのなら。今、映る曹華の決意も強さも、すべてが“作られたもの”である可能性を否定できない。白華の背を、冷たい戦慄が這い上がった。
一方、興華の胸も、激しく乱れていた。
「……曹華姉さん……」
小さく呟きながら、映像から目を離せない。
「どうして……? あの人は、父さんの仇なのに……」
善と悪の境界が、一気に崩れ去る。理解し難い光景に、少年の心はついていけない。それでも――槍を操る曹華の姿から、目が離れなかった。強く、美しく、迷いのない動き。憧れにも似た感情が、胸の奥で芽生えてしまう自分に気づき、興華は愕然とする。生きている喜び。強くなっている誇らしさ。それと同時に、父の仇に連なるという矛盾。相反する感情が、少年の胸で激しくぶつかり合っていた。白華は、弟の動揺を敏感に察した。そして、長姉として、最も残酷な可能性を口にする。
「……興華」
声は低く、冷静を装っていたが、内心は張り裂けそうだった。
「もし……もし曹華が、蒼龍国や黒龍宗の仙術で心を操られているのだとしたら……」
一瞬、言葉を切る。
「その時は……私たちは、曹華と戦わなければならない」
それは、血縁を断ち切る覚悟をも含む言葉だった。白華は、自分の声が震えるのを必死で抑えた。弟だけには、理性を失った姿を見せてはならない。興華は唇を噛みしめ、拳を強く握る。涙を堪えながらも、逃げずに姉を見つめ返した。
玄翁は、そんな二人を黙って見守っていた。湯気の立つ茶を一口含み、何も言わない。この混乱、この葛藤。それこそが、仙道の理を学ぶ者に必ず訪れる最初の試練。――力を得る前に、心が試される。玄翁は、そのことを誰よりもよく知っていた。
答えは、まだ出ない。だが姉弟は、この残酷な推測を胸に抱えたまま、次の修行へと歩みを進めることになる。
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