8話「やっぱり…ひっそり行ってみたい!!」
作業小屋へ向かう道の途中で、ジオが急に足を止めた。
ジオ「……待って。今、何か聞こえた」
ローガン「どっちだ」
ジオは答えず、顔を森へ向けた。枝が折れる音は遠い。だが、そのあとに続くはずの小動物の声が、妙に途切れている。
ジオ「奥だ。大きいのが動いた。鳥がまとめて飛んだ音もした。……いや、鳥だけじゃないな」
エリナ「それ、耳がいいっていう話?」
ジオ「今それを説明してる時間ある? あとで。あとで説明する。たぶん」
道の脇に倒木があった。折れた幹の断面は新しく、泥には深い足跡が続いている。足跡の縁は崩れ、爪の跡が土手を削っていた。ミレザがしゃがみ、指先で泥の深さを測る。
ミレザ「重いわ。普通の獣じゃない」
ローガン「作業小屋の見回りが戻らないと聞いた。痕跡を追って、正体を確かめる必要がある」
ダーク「荷車は小屋へ置く。戻りが遅れたら俺が残る」
ミレザ「私も行く。放っておける痕跡じゃないわ」
エリナ「記録係も同行。あとで『何が起きたか不明』なんて書きたくないもの」
ジオ「俺も行くよ。そいつの音が気になる。耳に入った以上、放っておくのも気持ち悪い」
アポカリ「僕も行きたい。森のことなら役に立てるよ」
ローガン「今回はだめだ。相手が何か分からない」
アポカリ「でも、僕はここに住んでる」
ミレザ「だからこそ、危険な場所も知っているでしょう。これは採集じゃない。見回りが戻っていないのよ」
ジオはいつもの笑みを消し、折れた幹を見た。
ジオ「俺も反対。こういう跡を残す相手は、こっちの都合で止まってくれない。子どもを守りながら戦うのは、正直きつい」
アポカリは悔しくて唇を噛んだ。ジオに子ども扱いされたのが嫌だったのか、それとも本当に危険だと分かっているからなのか、自分でも分からなかった。
その夜、アポカリは夕食のあとも落ち着かなかった。道具を片づけては戸口を見て、寝床へ行ってはまた戻る。リリアはしばらく黙って見ていた。
リリア「行くつもり?」
アポカリ「……行かないよ」
リリア「ダメよ」
アポカリ「まだ何も言ってないのに」
リリア「顔に書いてあるわ」
アポカリは口を尖らせた。リリアはそれ以上叱らず、翌朝の荷物のそばに葉包みを置いた。許してくれたわけではない。そのことは分かっていた。
出発の朝、アポカリは荷台の毛布と箱の隙間へ潜り込んだ。肩がつかえ、道具箱の角が背中に当たる。目の前には、リリアが用意した食べ物があった。
アポカリ「……ありがとう」
荷車が動き出してしばらくすると、布がめくられた。ジオが逆さまに覗き込んでいる。
ジオ「おはよう、密航者。瓶の箱の隣で寝る趣味があるとは知らなかった」
アポカリ「どうして分かったの?」
ジオ「『痛っ』『狭っ』『あ、頭ぶつけた』って、ずっと聞こえてた」
アポカリ「聞こえてたの!?」
ジオ「俺の耳は便利だろ。……ああ、能力の話は今しない。俺も説明できるほど整理してないから」
ローガンが荷台を覗き込んだ。怒鳴りはしなかったが、目は真剣だった。
ローガン「降りろ。ここから先は遊びじゃない」
アポカリ「遊びに来たんじゃない。役に立ちたいんだ」
ローガン「分かっている。だが、守る対象が増えれば判断が変わる。今ここで1人で帰すのも危険だ。俺たちと見張り場まで来い。戦闘には参加しない。危険が迫ったら、合図を待たずに逃げろ」
アポカリ「見張り場までなら、森の水筋を使えば早いよ。倒木を避ける道も知ってる」
ローガン「道を知っていることと、魔物を知っていることは別だ。案内は頼むが、俺の合図なしに先へ行くな」
アポカリ「分かった。先へ行かない」
ジオ「今の約束、荷台に隠れたことより長持ちするといいな」
アポカリ「もうそれ言わないでよ!」
エリナは笑いながらも、アポカリの荷物の紐を締め直した。余った紐が枝に引っかかれば、走るときに転ぶ。彼女は結び目を一度引き、緩まないのを確かめてから手を離した。
エリナ「これなら少なくとも、荷物に足を取られる心配は減ったわ。あとは自分で周りを見てね」
アポカリは頷いた。認められたわけではない。危険な場所で一人にしておけないから連れていく、それだけだ。それでも、知っている道のことなら役に立てるかもしれない。
アポカリ「……分かった」
エリナ「今の返事、ちょっと信用しにくいわね」
アポカリ「なんで!?」
ジオ「荷台に隠れてたから」
アポカリ「それは……別の話だよ!」
森の入口へ向かう道は、普段の見回り道から少し外れていた。泥に残った跡は何度も木の根をまたぎ、細い水筋を横切っている。アポカリは前へ出たくなるのをこらえ、ローガンの見える位置を歩いた。
アポカリ「この辺り、いつもなら小さい獣の跡があるんだ。でも今日はほとんどない」
ローガン「逃げたのか?」
アポカリ「たぶん。ここ、苔背トルンが水を飲みに来る場所なんだけど、足跡が途切れてる」
ジオ「それ、先に聞きたかったな。何もいない森って、だいたい嫌なことが起きる前触れだろ」
エリナ「何かいたらいたで嫌がるくせに」
ジオ「いるのが嫌なんじゃない。こっちが知らないやつがいるのが嫌なんだよ」
ダークは持ってきた縄の端を肩にかけ、帰り道を一度振り返った。荷車は作業小屋に置いてきた。ここから先、車輪の音も、集落の声も届かない。
ミレザ「戻るなら今のうちよ。痕跡が新しい」
ローガン「見張り場までは進む。正体が分からなければ、そこで引き返す」
アポカリは頷いたが、森の奥から聞こえた枝の折れる音に、思わず足を止めた。音は一度きり。けれど、すぐには鳥の声が戻らなかった。
森の入口に着く直前、アポカリは道端の草むらを見た。いつもなら小さな獣が走り抜け、土を掘った跡が残っている場所だ。今日は草だけが倒れ、湿った土に細い筋がいくつも走っていた。
アポカリ「何かが、ここを通って逃げたんだと思う。足跡が同じ方向へ向いてる」
ローガン「追われていたのかもしれんな」
アポカリ「うん。でも、追ってきたものの跡は大きすぎて、どこを通ったか分かりにくい」
ジオ「つまり、森の住人たちは俺たちより先に避難したってことか。賢いな。俺も今から避難したい」
エリナ「あなたはさっき、自分から行くって言ったでしょう」
ジオ「行くって言ったのと、怖くないっていうのは別の話だよ」
ミレザ「その点は同意するわ。怖くないふりをしても、足元は見えないもの」
ローガンは森の奥を見た。引き返す判断もできる。だが、見回りが戻らず、痕跡がここまで続いている。今なら正体を確かめられるかもしれない。
ローガン「全員、互いの姿が見える距離を保て。アポカリは俺かエリナのそばから離れるな。何か見つけても、近づく前に声をかけろ」
アポカリ「分かった」
エリナ「その返事、さっきよりは信じておくわ」
アポカリ「それ、全然信用してないよね?」
ジオ「信頼は積み荷と同じだ。少しずつ積むんだよ。俺はもう信用を積みすぎて荷車が傾いてるけど」
ダーク「お前の分は最初から積んでいない」
森の入口に着くと、ジオが再び足を止めた。奥から、木を押し倒すような低い音が響く。彼の口元から冗談が消えた。
ジオ「近い。さっきより、ずっと近いぞ」
ローガンは弓を持ち直した。アポカリは帰ると言う機会を、また失った。




