11話「君の嘘を見抜けないようじゃヒーロー失格だと思うんだ」
朝。
訓練場に、槍が風を切る音が響いた。
ロルフ「遅い! 術式を書く手を止めるな、正義!」
正義「止めてないです! 今、書いてます!」
ロルフ「書いてから狙うんじゃない。狙いながら書くんだ!」
正義「そんな無茶な!」
言い返した瞬間、正義の足元に氷の弾が弾けた。冷気が跳ね、靴の先が白く凍りつく。
ロルフ「はい、今ので足を止めた。実戦なら次が来てるよ!」
正義「先生、容赦なさすぎませんか!?」
ロルフ「実戦の魔物は、君が疲れてるかどうかなんて気にしてくれないからね!」
ロルフは爽やかに笑った。言っていることは正しい。正しいのだが、笑顔で追い込んでくるせいで余計に怖い。
正義はボールペンを握り直した。空中に書いた術式が光り、火の弾が標的へ飛ぶ。狙いは外れ、的の端をかすめて消えた。
ロルフ「惜しい! でも、実戦なら外れだ!」
正義「惜しいと外れを同時に言わないでください!」
ロルフ「じゃあ、次は当てよう!」
正義「んんー!!話が早い!」
ロルフは伝説級のランス、パティフェを肩に担いだ。青い髪も青い瞳も涼しげなのに、訓練の内容は一切涼しくない。
ロルフ「もう一度。今度は俺が動く。君は俺の動きを見て、術式を組み立てるんだ」
正義「ロルフさんが動くんですか?」
ロルフ「うん!」
正義「的じゃなくて!?」
ロルフ「実戦の相手は的じゃないからね!」
正義「理屈は分かりますけど!」
次の瞬間、ロルフが横へ跳んだ。
正義は慌ててペンを走らせる。術式が形になる直前、ロルフの槍先から氷の刃が飛んできた。
チャッピー「正義、左に避けるにゃ」
正義「分かってる!」
正義は転がるように避けた。氷の刃が地面に突き刺さり、白い霜を広げる。
ロルフ「避ける判断はよかった! でも、術式が途中で崩れてる!」
正義「避けながら書くの、難易度が高すぎるんですよ!」
ロルフ「だから練習するんだよ!」
その後も、訓練は続いた。
術式を組み立てる。狙いを定める。動く相手を追う。攻撃を避ける。崩れた姿勢を立て直す。少しでも手を止めれば、ロルフの声が飛んできた。
終わる頃には、正義の腕は鉛のように重く、息はすっかり上がっていた。
ロルフ「よし、今日はここまで!」
正義「……た、助かった……」
ロルフ「お疲れ! 最初よりずっとよくなってるよ。明日もこの調子でいこう!」
正義「明日も……」
正義は地面に座り込みかけ、なんとか踏みとどまった。
正義「……はい。お願いします」
ロルフは笑いながら、正義の肩を軽く叩いた。
ロルフ「無理はするなよ。でも、手を抜くのもなしだ。君はまだ、自分の力を使い切れていないんだから」
正義「分かってます。ありがとうございます」
訓練場を出る頃には、朝の空気が少し暖かくなっていた。正義は汗を拭き、呼吸を整えながら街へ向かった。
今日は、カナの店に行く。
ジムの事故について調べると決めた以上、まずはカナが知っていることを、もう少し具体的に確かめたかった。彼女が知らないことを無理に聞き出すつもりはない。ただ、父親が何を書き写していたのか。それを考える手掛かりがほしかった。
*
店に着くと、カナは開店の準備をしていた。椅子を整え、卓を拭き、厨房のほうへ声をかけている。正義に気づくと、いつものように笑顔を向けた。
カナ「正義くん! おはよう。今日は早いね」
正義「おはよう。朝からロルフさんに鍛えられてきた」
カナ「すごく疲れてそうだけど……大丈夫?」
正義「体は大丈夫。心がちょっと訓練場に置いてきぼりになってる」
カナが小さく笑った。正義は店内を見回してから、少し声を落とした。
正義「カナさん、ジムさんが夜中に何かを書き写してたって話、覚えてる?」
カナ「うん。お父さんが何を書いていたのか、私も知らないんだけど……」
正義「何を書き写してたと思う?」
カナはすぐには答えず、布巾を手にしたまま考え込んだ。
カナ「分からないけど……帳簿だったんじゃないかな」
正義「帳簿?」
カナ「うん。お父さんはお店のお金や仕入れのことを、いつも帳簿に細かく書いてたから。あの夜も、仕事のことを調べてたのかもしれない」
カナは一度、店の奥へ目を向けた。それから、言いにくそうに続けた。
カナ「それに……お父さんがいなくなったあと、あの時期の帳簿が見当たらなくなってるの」
正義「なくなってる?」
カナ「うん。お店の整理をしたときに気づいたんだけど、その期間の分だけ、どこを探しても見つからなかった。私が別の場所にしまったのかもしれないと思って探したけど、やっぱりなかった」
正義は口元に手を当て、少し考えた。
正義「なるほど……やっぱりか……」
カナ「やっぱりって?」
正義「んー、夜中に書き写してたことと、その時期の帳簿がなくなってる……」
チャッピー「ジムさんは、帳簿に何か不自然な点を見つけて、それを確かめるために書き写していたのかもしれないにゃ」
正義「帳簿に不正があった可能性があるってこと。」
チャッピー「そうにゃ。金額や取引に食い違いがあって、あとから確認できるように写しを作ったのかもしれないにゃ。でも、何が書かれていたのかも、誰が帳簿を動かしたのかも、まだ分からないにゃ」
正義「そうだな。今の段階で、誰かがやったって決めることはできない」
カナ「……私もね、お父さんの事故の話を聞いたとき、違和感があったの」
カナは布巾を置いた。笑顔は消えていたが、目をそらさずに話を続けた。
カナ「お父さんは、お酒が飲めない人だったの。匂いだけでも苦手なくらい。それなのに、酔っ払って川に落ちたって聞かされて……」
正義「お酒が飲めないのに?」
カナ「うん。それに、次の日も仕事があるのに、夜遅くまで遊び歩くような人じゃなかった。お店のことを大事にしてたし、朝も早かったから」
カナは指先を握り込んだ。
カナ「事故だって聞いたときは、何が何だか分からなくて……そのあと、お母さんも倒れて、お兄ちゃんも変わっちゃって。ずっと、考えないようにしてたのかもしれない」
正義は、すぐには返事をしなかった。
正義「なるほど……調べる価値はありそうだ」
カナ「……なんで、そこまでしてくれるの?」
まっすぐな質問だった。正義は少し目を泳がせ、それから照れくさそうに笑った。
正義「魚料理が美味かったから」
カナ「え?」
正義「いや、もちろん、それだけじゃないけどさ」
正義は頬をかき、言葉を探した。
正義「元の世界で、警官を目指してたんだ。こっちの世界で何て言うんだろうな……まぁ、照れくさい言い方になるけど、ヒーローみたいなもんさ。それで、ほっとけなかったんだ。カナさんのことを」
カナ「え? 元の世界って……勇者様ってこと!? わぁ……数十年に1度召喚してるって聞いたことあるけど、初めて見た……私、失礼な態度を……」
正義「ははっ、そんな大層なもんじゃないよ! 元の世界では普通に学生で、こっちに来てからもまだわけが分からず、勇者ってはやし立てられてるだけで」
カナ「じゃあ、尚更どうして? 道端で助けただけの私を?」
正義「嘘だったんだろ? 平気って言葉」
カナ「…………なんで? なんで分かるの……」
正義「………刑事のカンってやつさ」
チャッピー「言いたかったんだろうにゃぁ」
カナ「どっちも分からない言葉だよ……」
正義は、最大限に格好をつけたつもりだった。
だが、渾身の台詞はカナには届いていなかった。刑事もカンも、彼女には馴染みのない言葉だったらしい。
それでも、正義が自分のことを気にかけてくれている。その気持ちだけは、カナにも伝わったようだった。
カナ「……ありがとう、正義くん」
正義「うん。だから、無理に平気なふりをしなくてもいい。一緒に調べてみよう」
カナ「うん。私も、お父さんのことをもっとちゃんと知りたい」
カナは小さくうなずいた。
帳簿がなくなっていること。ジムは酒が飲めず、仕事のある夜に遅くまで遊ぶ人でもなかったこと。事故の説明と、カナが知っている父親の姿には、確かに食い違いがある。
どれも、それだけで事故の真相を証明するものではない。けれど、確かめる価値のある疑問だった。
正義「帳簿のことも、事故のことも、ジムさんの仕事を知ってる人に聞けたらいいんだけど……」
カナ「それなら、ブェルネンさんに聞いてみる?」
正義「ブェルネンさん?」
カナ「お父さんに魚を卸してくれていた人なの。長い付き合いだったし、お店の仕入れや仕事のことも、よく話していたと思う。帳簿を見ていたかまでは分からないけど、お父さんが何か気にしていたなら、知っていることがあるかもしれない」
正義「なるほど。ジムさんの仕事を知ってる人なら話を聞く意味はあるな」
カナ「うん。私も一緒に行くよ」
正義「助かる。ありがとう。カナさん。」
*
ブェルネンの店は、魚を扱う商人たちが集まる通りにあった。店先には水気の残る木箱が並び、奥では店員が荷を運んでいる。
カナ「ブェルネンさん、いらっしゃいますか?」
声をかけると、店の奥から男が出てきた。カナの顔を見るなり、その表情がやわらいだあと、すぐに沈んだ。
ブェルネン「カナちゃん……。ジムのことは聞いてる。本当に、つらかったな」
カナ「……ありがとうございます。まだ、いろいろと慣れなくて」
カナは困ったように笑った。
ブェルネン「無理すんなよ。ジムには長いこと世話になった。俺にできることがあれば、いつでも言ってくれ」
カナ「はい……。今日は、そのことで少しお話を聞きたくて来たんです」
ブェルネンはカナの隣に立つ正義へ目を向けた。
ブェルネン「そちらは?」
正義「正義です。カナさんのお店によく行くようになってそれから友達になったんです。
「それでカナさんからお店のこととかお父さんの話を聞いて少し気になったことがあって今日は一緒に来たんです。」
ブェルネン「おお、そうかい。それで?私でわかることがあればなんでも答えるよ。」
正義「ありがとうございます。ジムさんが亡くなる前のことを、少し聞かせてもらえませんか。仕事のことで、何か気にしていた様子はありませんでしたか?」
ブェルネンはすぐには答えず、考えるように視線を落とした。
ブェルネン「……俺には、いつも通りに見えたよ。仕事の話はしたが、特に変わった様子はなかった」
カナ「そうですか……」
カナの声が小さくなった。正義は彼女の様子を見てから、もうひとつだけ質問した。
正義「夜中に何かを書き写していたことも、知りませんか?」
ブェルネン「いや、初耳だな。家で何をしていたかまでは知らねぇよ」
それ以上、ブェルネンは話を広げなかった。カナはうつむき、指先を握りしめた。
ブェルネン「悪いな。力になれなくて。俺もジムには世話になったんだ。何か分かったことがあれば、できる限り協力するよ」
カナ「ありがとうございます。私、お父さんとお母さんのためにも、何があったのか知りたいんです」
ブェルネンは静かにうなずいた。カナを気遣う表情には、長い付き合いの相手を悼むような悲しみが浮かんでいる。
言葉の途中で、ブェルネンの目に涙が浮かんだ。彼は顔を伏せ、こらえるように息を吐いた。
ブェルネン「すまねぇな、カナちゃん。俺にできることがあれば、遠慮なく言ってくれ」
カナ「……ありがとうございます、ブェルネンさん」
カナは涙をこらえながら頭を下げた。ブェルネンの言葉を聞き、少しだけ肩の力を抜いたようだった。
けれど、俺には見えていた。
ブェルネンの周りが、俺には赤く光って見えていた。




