3話「灰色の牙が襲いかかる!!」
次の日、アポカリはサナと一緒に、昨日の音がした場所の手前まで行くことになった。ロウは集落側に残り、帰りが遅ければ迎えに来ると約束した。
サナ「先に走らない。音がしたら止まる。変なものがあったら私に言う。分かった?」
アポカリ「はい、サナ先生」
サナ「その返事、絶対に半分しか聞いていないでしょう」
アポカリ「ちゃんと聞いてるよ。半分以上!」
サナ「全部聞きなさい!」
2人は笑いながら森へ入った。だが、昨日の場所に近づくと、笑いは自然に止まった。落ち葉が押しのけられ、湿った土に細い筋が続いている。倒木の向こうには、魚の鱗に似た灰色の欠片が落ちていた。
アポカリは拾わず、しゃがんで確かめた。
アポカリ「これ、木の皮じゃない。……何かが擦った跡だ」
サナ「じゃあ、戻りましょう。十分に見たわ」
そのとき、倒木の陰から低い唸りがした。
灰色の長い体が、地面を滑るように現れた。頭部が持ち上がる。濁った目が2人を捉え、口の奥で歯が擦れた。
灰ドゥルクだ。
アポカリはサナの腕を引いた。次の瞬間、魔物が突っ込んできた。2人が飛び退いた場所を、牙がえぐる。倒木が揺れ、樹皮が飛んだ。
サナ「逃げるわよ!」
アポカリ「待って、あいつ、こっちを追ってる!」
走り出したサナの背後へ、灰ドゥルクが体を低くして迫る。アポカリは地面の小石を拾い、水辺へ投げた。水面が跳ねる。魔物の頭が一瞬だけそちらを向いた。
アポカリ「魚を狙う木漏フェグトなら、水の動きに反応する。こいつも魚を食べるなら――」
灰ドゥルクはすぐにこちらを向き直した。目を逸らしたのは一瞬だけだった。
アポカリ「だよね! そんなに簡単じゃないか!」
魔物が飛びかかる。アポカリは倒木の向こうへ回り込んだ。灰ドゥルクの胴が木にぶつかり、動きが止まる。アポカリは刃を振ったが、鱗に弾かれた。
サナ「アポカリ、こっち!」
彼女が投げた紐の束が足元を転がった。アポカリはすぐに拾い、倒木の割れ目に通した。普段、籠を縛るために使う太めの紐だ。魔物を縛れるとは思わない。ただ、動きを止める一瞬が欲しかった。
灰ドゥルクが回り込んでくる。アポカリは紐を引き、倒木の下に挟まった枝を引き抜いた。枝が落ち、魔物の前脚に当たる。動きが鈍った瞬間、サナが別の石を岩場へ投げた。
魔物の頭が音へ向く。
アポカリは飛び込んだ。今度は硬い鱗ではなく、首の付け根で重なった鱗の隙間を狙う。刃が浅く入った。
灰ドゥルクが叫び、尾を振り回す。アポカリは吹き飛ばされ、肩から地面へ転がった。息が詰まる。サナが悲鳴を上げた。
サナ「アポカリ!」
アポカリ「大丈夫! まだ動ける!」
痛みで目の前がちらついた。それでも、魔物が負傷した側をかばい、体を返すたびに少し遅れることは見えた。倒木の先は狭い岩場。そこへ誘えば、長い体を一気に回せない。
アポカリ「サナ、岩の向こうへ! 僕が引きつける!」
サナ「そんなの、危ないに決まってるでしょう!」
アポカリ「でも、今ならできる!」
サナは一瞬だけ歯を食いしばり、岩場へ走った。
アポカリは地面を蹴って灰ドゥルクの注意を引く。魔物が突進してくる。彼はぎりぎりで横へ飛び、岩の張り出しの向こうへ滑り込んだ。灰ドゥルクは勢いを殺せず、狭い岩の間へ頭から突っ込む。
首が岩に挟まった。
アポカリ「今だ!」
サナが倒木の枝を押し込み、魔物が頭を抜けないように支えた。アポカリは立ち上がり、両手で刃を握った。怖い。手が震える。それでも、ここで離せば、また誰かが襲われるかもしれない。
アポカリ「ごめん!」
刃が、首の付け根の隙間へ深く入った。
灰ドゥルクは激しく身をよじった。岩が鳴り、枝が折れる。アポカリはすぐに飛び退き、サナも岩の上へ逃れた。魔物は数度、尾で地面を叩いた。やがて動きが弱まり、頭が地面へ落ちた。
もう動かなかった。
しばらく、2人とも声が出なかった。
サナ「……倒したの?」
アポカリ「うん。たぶん……いや、ちゃんと見よう」
2人は十分に距離を取り、魔物が動かないことを確かめた。勝った。自分たちで、本当に倒したのだ。
アポカリは急に笑い出した。膝が震えているのに、笑いが止まらない。
アポカリ「やった……! 僕、倒したよ!」
サナ「倒したわね! でも、次はこんな無茶をする前に相談しなさい!」
アポカリ「はい!」
サナ「返事がいいのが、また腹立つわね!」
2人は魔物の死骸に近づかず、位置を覚えて集落へ戻った。道中、アポカリの肩は痛んだが、家へ着くころには痛みも傷も跡形なく消えていた。残っていたのは、裂けた袖と泥だらけの服だけだった。
リリアは戸口で彼の服を見るなり、眉を上げた。
リリア「アポカリ。その服、どうしたの?」
アポカリ「えっと……森で転んだ」
サナ「転んだ、だけじゃないわよ! 灰ドゥルクを倒したの!」
アポカリ「サナ!」
サナ「言うわよ。心配させたんだから!」
リリアは息子を見た。腕にも肩にも傷はない。けれど、服は破れている。
リリア「……まずは中に入りなさい。話は全部聞きます」
アポカリ「はい……」
叱られる。間違いなく叱られる。そう思ったのに、アポカリの胸には、怖さと一緒に小さな誇らしさが残っていた。
【注釈】
※灰ドゥルク:マフラの古木林、沼地、霧の多い岩陰に生息する蛇竜型の魔物。平均体長は約1.4メートル。魚を食べ、岩陰から待ち伏せして近距離で襲う。危険度が高く、通常動物とは異なる魔力反応を示す。




