27話「笑わない日々」
リリアがいなくなってから、半年が過ぎた。
ロウの家の戸口で、アポカリは採集籠の中身を確かめていた。傷んでいないか、数が足りているか。ひとつずつ手に取って、同じ場所へ戻していく。必要なことはきちんとする。頼まれた仕事も、以前と変わらずこなす。
ただ、もう笑わなくなった。
ロウは少し離れたところから、その様子を見ていた。アポカリは籠を閉じ、何も言わずに家の中へ入っていく。以前なら、採集路で見たものを話してくれた。知らない鳥の声を聞いたとか、変わった形の葉を見つけたとか。外の世界について、旅人たちから聞いた話をもう一度尋ねることもあった。
今は、それがない。
ロウ「今日の分は、それで全部か?」
アポカリ「うん。頼まれた分は集めたよ」
ロウ「そうか。お疲れ」
アポカリ「……うん」
返事はある。話しかければ答える。けれど、そこで会話が終わる。アポカリが何かを続けて話すことはなくなった。
ロウ(何をしてやればいいんだろうな。)
考えても、答えは出なかった。
食事を出しても、アポカリは礼を言って食べる。量が少ない日もあるが、無理に食べさせようとすれば、かえって箸が止まる。だから、ロウは足りなければあとで食べればいいとだけ伝えるようにしていた。
以前は、夕食のあとに短剣の話をすることもあった。うまく扱えないと不満そうにして、ジオの動きを真似してみせたり、ロウに何度も同じ質問をしたりした。今は、あの短剣の話題が出ることもない。
ロウ(あいつ、あの短剣をどこにしまったんだろうな。)
聞けば、答えてくれるかもしれない。けれど、今は聞く気になれなかった。返事をする時のあの顔を、もう一度見たくなかったのかもしれない。
夜になると、ロウは何度も目を覚ました。
壁の向こうから、声が聞こえる。押し殺そうとしても抑えきれない、子供の泣き声だった。ある晩は短く、ある晩は長く続いた。泣き声が止んだあとも、ロウはしばらく寝返りを打てなかった。
ロウ(俺が代わってやれることなら、代わってやりたい。)
けれど、代わることはできない。
ロウ(あいつの母親は、あいつにしかいないんだ。)
その事実を思うだけで、胸の内側を固いもので押されるようだった。ロウは天井を見つめ、目を閉じた。何をしてやれるのか。いくら考えても、出てくるのは同じ問いばかりだった。
サナはロウの家の近くに住んでいた。リリアのことがあってから、以前よりもロウの家を訪ねることが増えた。用事を口実に顔を出すこともあったが、アポカリに何を話せばいいのかは、訪ねるたびに分からなくなった。
アポカリが採集籠を持って出かけるところや、仕事から戻ってきたところに居合わせることがある。彼は挨拶を返し、必要なことには答える。それだけだった。目の下に薄く影が残っている日があった。まぶたが少し腫れ、目の縁が赤くなっている日もあった。よく眠れていないのだろう。夜、ひとりで泣いているのかもしれない。そう察しても、サナには確かめることができなかった。
サナは、何度も声をかけようとした。今日は何を採ったの、と。どこか痛むところはない、と。眠れているの、と。けれど、そのたびに言葉を飲み込んだ。問いかけることで、返事をしなければならない時間を増やしてしまうような気がした。
サナ(何か言ってあげたいのに、何を言っても違う気がする。)
アポカリは、もう自分の家へ帰ろうとしなかった。
あの家に帰りたいかと聞いたことはない。聞けなかった。聞かなくても、答えは分かってしまう気がしたからだ。
サナ(あの子がどれだけ帰りたいか、どれだけ帰りたくないか、私には分からない。聞いてしまったら、どちらであっても苦しませる気がする。)
ロウとサナは、アポカリのことを互いに話さなかった。
心配していないわけではない。忘れているわけでもない。ただ、話し始めれば、何もできない自分たちのことまで言葉になってしまう。相手も同じことを考えていると分かっているからこそ、口にしたくなかった。
朝食の皿を片づける時も、アポカリが帰ってきた時も、二人はいつも通りの話をした。天気や道具の傷み、採集の依頼について。必要なことは話す。けれど、あの子のことだけは、二人の間に置いたまま触れずにいた。
ある朝、サナが食卓に置いたパンを、アポカリは半分だけ食べた。残した理由を聞かれる前に、籠を持って立ち上がる。
アポカリ「行ってくるね」
サナ「……気をつけて」
扉が閉じたあと、サナは皿に残ったパンを見た。以前なら、採集に出る前にもう少し食べるよう注意していたかもしれない。けれど、言えなかった。注意をすれば、アポカリはきっと「大丈夫」と答える。その声がどれほど遠く聞こえるかを、サナは知っていた。
サナ(あの子のためにと思って言う言葉まで、今は重荷にしてしまいそう。)
サナは残ったパンを片づけた。何も変えられないまま、いつもの仕事を始めた。
ある日、ロウの家を訪ねたサナは、帰り際にアポカリと顔を合わせた。アポカリはいつものように短く挨拶をした。その目元が、サナの胸に引っかかった。目の縁は赤く、まぶたもわずかに腫れている。目の下の影も、前より濃くなっていた。
サナ(昨夜も……泣いていたの?)
聞くことはできなかった。聞けば、アポカリはきっと「大丈夫」と答えるのだろう。その返事をする時の顔まで想像できてしまい、サナは喉の奥が詰まるのを感じた。
サナ「……また来るね」
アポカリ「うん」
短い返事だった。アポカリはもう、サナの顔を見ていなかった。
サナは戸口で一度だけ振り返った。声をかけたい。けれど、何を言えばいいのか分からない。泣いているの、と尋ねることも、無理に笑わせようとすることもできなかった。
サナ(何ができるの。どうしたら、あの子の痛みを少しでも軽くしてあげられるの。)
答えは出ないまま、サナは家を後にした。




