22話「お母さんの想いと願い」
リリアはアポカリの肩から手を離し、少しだけ笑った。
リリア「ねえ、アポカリ。あなたは、これからどうしたい?」
アポカリ「どうしたいって?」
リリア「森の外のこと。旅人たちの話を、よく覚えているでしょう?」
アポカリは、すぐには答えなかった。
外の世界を見たい。どんな場所があるのか、自分の目で確かめたい。旅人たちが持っていた道具や、聞いたことのない土地の名前。知らないことは、まだいくらでもある。
けれど、それを口にすれば、母を困らせるかもしれないと思っていた。
アポカリ「……見てみたいとは思うよ。でも、今すぐ出ていきたいわけじゃない。ここにも、母さんも、ロウもサナもいるし」
リリア「そうね。ここはあなたの家だもの」
アポカリ「うん」
リリア「でも、ここだけがあなたの居場所だとは思っていないの」
アポカリは顔を上げた。
リリア「私はね、あなたがいつか外へ行きたいと言うんじゃないかって、ずっと思っていたわ。旅人たちの話を聞く時の顔を見ていたら、分かるもの」
リリア(この森の中で、あなたはたくさんのことを覚えた。けれど、森の外には、まだ知らないものがいくらでもある。保護区の中だけでは、いつか窮屈になるのかもしれない。)
リリア「もちろん、危ないこともあるわ。私だって心配よ。でも、心配だからって、あなたの行きたい場所をなくしてしまいたくない」
アポカリ「母さん……」
リリア「あなたは、まだこの森のことさえ全部は知らないでしょう? 外の世界なんて、もっと知らないことだらけよ。それでも、見たいと思うなら、いつか見に行けばいいの」
アポカリは言葉を探した。許してもらえたことが嬉しいのに、母を置いていくような気持ちもして、胸の中が落ち着かなかった。
リリア「いつまでも私のそばにいなくていいのよ」
アポカリ「でも、母さんをひとりにするのは……」
リリア「私は大丈夫。寂しくないと言ったら嘘になるけれど、あなたがここにいることだけを理由に、外へ行くのを諦めてほしくないわ」
アポカリはうつむいた。
リリア「それに、あなたがどこへ行っても、私の子どもであることは変わらないもの」
その言葉は、いつもの母の声だった。大きな決意を宣言するような言い方ではない。ただ、当たり前のことを伝えるように、穏やかだった。
リリア「もうひとつ、覚えておいてほしいことがあるの」
アポカリは顔を上げた。
リリア「魔族だから怖い、人間だから正しい。そんなふうに、種族だけで決めないでほしいのよ」
アポカリは、ジオとファティマの顔を思い浮かべた。
リリア「ジオさんみたいに、面白くて楽しい魔族もいるでしょう。ファティマみたいに、優しくて純粋な子もいる。反対に、恐ろしくて、誰かを傷つけることを何とも思わない魔族もいるわ」
リリアは一度言葉を切った。
リリア「人間も同じよ。優しい人もいれば、ひどいことをする人もいる。どちらの種族にも、いろんな人がいるの」
アポカリ「……うん」
リリア「だから、誰かの言葉だけで決めないで、自分で見て、考えて、あなたが信じたいと思った人を信じてほしい。もし大切な人が困っていたら、できる範囲で助けてあげて。あなた自身のことも、大切にしてね」
アポカリは母の顔を見つめた。
リリア「誰にでも手を差し伸べなさい、なんて言うつもりはないわ。あなたひとりで何もかも助けられるわけじゃないもの。でも、怖いからという理由だけで、相手を知ろうとすることまでやめないでほしいの」
アポカリ「……分かった。僕、ちゃんと考えるよ」
リリア「ええ。それでいいの」
母はアポカリの髪を撫でた。昔から何度もしてきた仕草だった。
リリア「あなたには、あなたのしたいことをしてほしい。人間か魔族かなんてことに縛られずに。どこに行って、誰と出会って、何を好きになるのか。自分で決めていいのよ」
アポカリ「……僕、外の世界を見てみたい」
ようやく口にした言葉は、思っていたより小さかった。
リリアは驚かなかった。ただ、嬉しそうに目を細めた。
リリア「そう。いつか、見に行けるといいわね」
アポカリ「母さんは、寂しくない?」
リリア「寂しいわよ。きっと、何度も心配すると思う。でもね、あなたが行きたい場所を見つけたのなら、それを大事にしてほしいの」
アポカリは母の手を握った。
アポカリ「ありがとう、母さん」
リリア「どういたしまして」
リリアは、息子を抱きしめた。アポカリもその腕の中で、少しだけ肩の力を抜いた。
外へ出たいという気持ちを、初めて隠さずに話せた。すぐに旅立つわけではない。何も決まっていない。それでも、母が自分の気持ちを知っていて、否定しなかったことが嬉しかった。
リリア「明日はファティマと森へ行くの?」
アポカリ「うん。会えたら、今日の話を少ししてみようと思う」
リリア「全部話さなくてもいいのよ。あなたが話したいと思ったことだけで」
アポカリ「分かってる。父さんのことを、全部説明するのは難しそうだし」
リリア「ふふ。そうね。私だって、まだ話し足りないくらいだもの」
アポカリは笑った。
その夜、いつもと同じ家で、いつもと同じように母と過ごした。けれど、眠る前に思い返した言葉は、いつもとは少し違っていた。




