19話「知らないこと」
アポカリの母リリアのお話が中心です!
読んでくれたら嬉しいです!!
戸が閉まったあと、木立の陰にいた魔族は、しばらく家を見つめていた。
家の中から、アポカリとリリアの声が聞こえる。やがて気配を消すように身を翻し、魔族は森の暗がりへ姿を消した。家の中の二人は、外に誰かがいたことに気づかなかった。
リリアは、ファティマが帰っていった道をしばらく見つめていた。隣でアポカリが短剣の包みを抱え直す。
アポカリ「母さん? どうかした?」
リリア「ううん。あの子、帰る時に何度も振り返っていたから。ちゃんと道を帰れているかしらって思ったの」
アポカリ「大丈夫だよ。森の道は僕より知っているかもしれないし」
リリア「そうね。あなたが案内してもらう側だったりして」
アポカリ「それは……あるかも」
リリアは笑った。アポカリもつられて笑い、短剣を棚へ戻しに行った。
あの子が初めて家に来た時、リリアは少し警戒していた。魔族の少女だと分かったから、というだけではない。アポカリが誰かと親しくなること自体、嬉しい反面、母親として心配だった。相手がどんな家の子なのか、何を考えているのか、知らないことが多すぎた。
けれど、ファティマは戸口で緊張して、飲み物を出せば礼を言い、アポカリの失敗談に笑っていた。帰り際には「また来てもいいですか」と、こちらの返事を待つように聞いた。
その姿を見て、リリアの警戒は少しずつほどけていった。
リリア(あの子が、あんなふうに友達の話をするなんてね。)
旅人たちが集落を訪れてから、アポカリはよく森の外の話をするようになった。荷車に何が積まれていたのか、知らない土地ではどんな道具を使うのか。聞かれたことに答えてやると、次の疑問がすぐに出てくる。
そして今は、森で出会った少女の話をする。
リリア(きっと、森の外へ出てみたいんだわ。)
そう思うたび、胸の奥が少しだけ痛んだ。
この保護区の中で暮らすことに不自由がないよう、できる限りのことはしてきた。食べるものも、寝る場所も、集落の人たちとのつながりもある。けれど、森は広くても、保護区は限られている。アポカリが大きくなるにつれて、ここだけでは窮屈になる日が来るのだろう。
それでも、外へ行きたいと言われるのが怖くなかったわけではない。危険な場所もある。優しい人ばかりではない。自分の手が届かないところで、あの子が傷つくかもしれない。
リリア(それでも、いつまでも私のそばに置いておくわけにはいかないものね。)
考え込んでいると、アポカリが戻ってきた。
アポカリ「母さん、明日は採集に行くの?」
リリア「ええ。いつものところへね。アポカリは?」
アポカリ「僕も行くよ。ファティマと会えたら、昨日の話の続きもしたいし」
リリア「ふふ。仲良くなったのね」
アポカリ「うん。面白い子だよ。たまに何を考えているのか分からないけど」
リリア「それは、お互いさまかもしれないわよ?」
アポカリ「えっ、僕も?」
リリア「そうね。あなたは何かを考えている時、すぐ顔に出るもの」
アポカリ「そんなことないよ」
リリア「本当に?」
アポカリ「……たぶん」
リリアは声を立てて笑った。アポカリは納得していない顔をしたが、母が楽しそうなので、強く言い返すのはやめた。
翌日、ファティマは昼前に家を訪ねてきた。リリアが戸を開けると、彼女は少しだけ姿勢を正した。
ファティマ「こんにちは。アポカリ、いますか?」
リリア「いるわよ。ちょうど採集の道具を片づけているところ。入って待っていて」
ファティマ「ありがとうございます」
家に入ったファティマは、椅子に座る前に部屋の中をちらりと見た。前に来た時よりは緊張していない。それでも、リリアと目が合うと背筋が伸びた。
リリア「そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
ファティマ「いえ、そんな……緊張なんて」
リリア「そう? じゃあ、顔が少し赤いのは暑いからかしら」
ファティマ「えっ。そ、そうかもしれません」
リリアは微笑み、飲み物を用意した。少ししてアポカリが部屋に入ってくる。
アポカリ「ごめん、待たせた?」
ファティマ「ううん。お母さんと話してた」
アポカリ「母さんと?」
リリア「ええ。ファティマがあなたと仲良くしてくれていること、お礼を言っていたの」
アポカリ「僕が仲良くしてもらってるんだよ」
ファティマ「そ、そうだよ。私が勝手に会いに来てるだけだし」
リリア「あら。アポカリはいい子よ?」
ファティマ「は、はい。知ってます」
リリア「優しいし、真面目だし。ちょっと危なっかしいところはあるけれど」
アポカリ「母さん、それ褒めてる?」
リリア「もちろん」
ファティマは口元を押さえ、笑いをこらえた。
リリア「ねえ、ファティマ。アポカリのこと、どう思う?」
ファティマ「どうって……」
アポカリ「母さん?」
リリア「友達として、よ。ふふ、そんなに慌てなくてもいいじゃない」
ファティマ「えっと、アポカリは……一緒にいると楽しいです。変なところで真面目だし、知らないことをすぐ聞いてくるし。それに、私が失敗しても笑うだけで、嫌な顔をしないから」
アポカリ「この前、枝が跳ね返ってきた時のこと?」
ファティマ「あ、あれは枝が悪いの!」
アポカリ「そっか。じゃあ、そういうことにしておくね」
リリア「ふふ。よかったわね、アポカリ。いい友達ができて」
ファティマ「……もう。リリアさんまで」
頬を赤くしたファティマを見て、リリアはそれ以上からかうのをやめた。アポカリは何がそんなに面白いのか分からず、二人を交互に見た。
リリア「でも、本当にありがとう。最初は少し心配していたの。あなたがどんな子なのか、何も知らなかったから」
ファティマは笑みを引っ込め、まっすぐリリアを見た。
ファティマ「そうですよね。私も、初めてここに来た時は緊張しました。でも……アポカリと会うのは、やめたくなかったんです」
リリア「ええ。今はそれが分かるわ。あの子があなたの話をする時、楽しそうだから」
ファティマ「……そうなんですか?」
リリア「ええ。だから、これからも仲良くしてあげてね。無理のない範囲で」
ファティマ「はい。私も、アポカリといるのは楽しいです」
その言葉を聞いて、リリアはほっとした。アポカリは少し照れたように頭をかいた。
アポカリ「なんだか、僕がいないところで僕の話ばっかりしてない?」
リリア「気のせいよ」
ファティマ「気のせいだよ?」
アポカリ「絶対うそだ……」
ふたりの声が重なり、家の中に笑い声が広がった。
その笑い声を聞きながら、リリアはふと、もう話してもいいのではないかと思った。
アポカリは父のことを、ほとんど尋ねてこなかった。幼い頃に一度だけ聞いたことはあったが、その後は、リリアが話題にしない限り口にしなかった。知りたくないのではなく、聞けば母が悲しむと思っていたのかもしれない。
リリア(あなたは優しいから。ずっと、私のことを気にしていたのね。)
もう、あの子も14歳だ。知らないままにしておくには、長くなりすぎた。
リリア「アポカリ。今日、夕食のあとに少し話せる?」
アポカリ「うん。何の話?」
リリア「あなたのお父さんの話をしようと思って」
アポカリは目を瞬かせた。思いがけない言葉だったのだろう。すぐには返事をせず、母の顔を見つめた。
アポカリ「……父さんのこと?」
リリア「ええ。今まで、ちゃんと話してこなかったでしょう」
アポカリ「うん」
リリア「急に全部話せるかは分からないけれど、今なら話せると思ったの」
アポカリは小さくうなずいた。
ファティマは二人の様子を見て、そっと飲み物の器を置いた。
ファティマ「私は、そろそろ帰るね」
リリア「そう? またいつでも来てね」
ファティマ「はい。……アポカリ、また森で」
アポカリ「うん。またね」
ファティマが帰ったあと、リリアは食卓を片づけた。いつものようにアポカリが手伝い、二人で器を洗い、明日の支度を済ませる。特別なことが起きたわけではない。けれど、リリアには、今夜話すことがこれまでとは違う重さを持っているように感じられた。
読んでくださりありがとうございます!!




