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英雄になるまでの旅路〜禁忌の森の少年、無能力の最強剣聖、嘘を見抜く転生者。3人の運命が交錯する〜王道群像ファンタジー!  作者: 皐月なる
2章 「旅人」【アポカリ編】

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12話「上には上がいるってこと」

翌朝、アポカリが目を覚ますと、肩の痛みはほとんど消えていた。擦り傷も赤みが引き、腕を回しても昨日ほど突っ張らない。アポカリは一度だけ肩を動かし、何も言わずに毛布を畳んだ。自分でも不思議だったが、いつものことでもあった。


 エリナは朝食の包みを数え、ジオは濡れた靴を木の根に打ちつけている。


 ジオ「おはよう。今日は荷台に隠れなくても乗れるぞ」


 アポカリ「もう隠れないってば」


 ジオ「その自信、信用していいのか?」


 アポカリ「いいよ!」


 ローガンは帰路の痕跡を確かめ、ダークは荷車へ戻るための道具をまとめた。討伐した魔物の周囲には、別の足跡が増えていた。戦いの音や血の匂いに、何かが寄ってきたのかもしれない。


 ジオが急に顔を上げた。


 ジオ「待って。……水の音がする」


 ミレザ「近くに川があるの?」


 ジオ「違う。泥を押し分ける音だ。こっちへ来る」


 地面がかすかに揺れた。霧の向こうで、何かが木々を押しのける。最初に見えたのは、太い幹ほどもある胴だった。濡れた鱗が鈍く光り、その先から巨大な頭が現れる。


 グラドゥーン。


 蛇状の魔獣は、倒れた大型魔物の死骸へ頭を向けた。首がゆっくりと持ち上がる。霧の中で、目だけがこちらを捉えた。


 エリナ「……あれ、さっきのより大きくない?」


 ローガン「比べるな。逃げるぞ」


 ジオ「賛成! 大賛成! 今日の俺は逃走に全力を出す!」


 ダーク「荷物は捨てるな。持てるものだけ持って走れ!」


 グラドゥーンが動いた。巨体が地面を滑り、若木をまとめて押し倒す。速い。あの大きさで、どうしてそんな速度が出るのか分からない。


 ミレザが火球を放った。アッツィーヒの炎が頭の前で弾ける。グラドゥーンは怯むどころか、首を振って炎を散らし、そのまま一行へ突っ込んできた。


 ミレザ「効いてない!」


 ローガン「左右に分かれるな! 倒木の向こうへ!」


 全員が走った。アポカリは足元の根を飛び越えたが、背後から迫る振動に足がもつれた。ジオが腕をつかみ、横へ引き倒す。次の瞬間、蛇の胴が頭上を薙ぎ、木が折れて地面へ叩きつけられた。


 アポカリ「うわっ!」


 ジオ「立てるか!?」


 アポカリ「うん!」


 ジオは返事を聞くとすぐに走り出した。普段の軽口は消えていた。耳を澄ませる余裕もないほど、グラドゥーンの移動音が大きい。


 ダークが倒木を押し、通れる隙間を作る。エリナが先にくぐり、ミレザが続いた。ローガンは最後尾から矢を放ったが、鱗に弾かれ、乾いた音を立てて落ちた。


 ローガン「矢は効かない! 止めようとするな!」


 逃げる途中で、エリナの荷袋が枝に引っかかった。彼女は振り返って紐を引いたが、布が裂け、中に入っていた道具が泥へ散らばる。


 エリナ「待って、帳面が!」


 ローガン「置いていけ!」


 エリナは一瞬だけ足を止めた。記録係として、帳面を失うのは痛い。だが、グラドゥーンの胴が木を押し倒しながら迫ってくる。ミレザが彼女の腕をつかみ、引きずるように走らせた。帳面は泥の中に残った。


 エリナ「最悪……! 帰ったら全部書き直しよ!」


 ジオ「生きて帰ってから怒れ! そのほうが声もよく通る!」


 その言葉に、アポカリは振り返るのをやめた。戦う相手ではない。さっきの魔物を倒したばかりなのに、目の前のものはその勝利を簡単に踏み潰せる大きさだった。


 狭い斜面へ逃げ込む。グラドゥーンの頭が木々の向こうに見えた。胴が幹を巻き込み、枝を砕きながら追ってくる。エリナが足を滑らせ、ミレザが腕をつかんだ。二人とも倒れかけたが、ダークが背中を押して斜面の上へ押し上げる。


 アポカリは最後に残った。根に足を取られ、膝をつく。グラドゥーンの頭が、霧を割って近づいてきた。


 ジオ「アポカリ!」


 ジオが戻り、彼の襟をつかんで引きずり上げた。すぐ横の土が崩れ、蛇の顎が地面を噛む。泥が跳ね、アポカリの頬を打った。ジオの腕にも、折れた枝が深く擦れた。


 アポカリ「ジオ、腕!」


 ジオ「あとで見る! 今は走れ!」


 ローガンが斜面の上から手を伸ばした。アポカリがその手を掴み、引き上げられる。全員が斜面を越えたところで、グラドゥーンの巨体が下の木々をなぎ倒した。追いつかれる前に、倒木と岩の間を抜けてさらに走る。


 どれだけ走ったのか分からなかった。ようやく地面の揺れが遠のき、ジオが手を上げた。


 ジオ「止まるな……いや、ちょっと止まろう。俺の肺が、俺に抗議してる」


 エリナ「肺がしゃべるの?」


 ジオ「今にもな」


 誰も笑わなかった。笑う余裕が戻るには、もう少し時間が必要だった。ミレザは全員の怪我を見て、ダークは荷物の数を確かめる。ローガンは帰路を変え、同じ場所へ戻らないよう森の外縁を迂回することにした。


 ジオの腕には血がにじんでいた。ミレザが布を巻く。アポカリの膝には泥がついていたが、傷は浅い。彼は黙って立ち上がり、荷物を持った。


 帰り道は予定より長くなった。何度も足を止め、周囲の音を確かめ、危険な場所を避けた。作業小屋へ戻ったのは、出発時に考えていた日より1日遅れてからだった。


 マフラの集落へ着くと、リリアが道のそばに立っていた。アポカリを見るなり、まず膝と腕を確かめる。彼が何か言う前に、リリアは手当ての道具を取りに行った。


 リリア「座って」


 アポカリ「母さん、僕は――」


 リリア「先に手当て」


 短い言葉に、アポカリは口を閉じた。リリアは膝の泥を落とし、擦り傷を洗って布を巻いた。それからようやく、息子の顔を見た。


 リリア「話して」


 アポカリは荷台に隠れたこと、見つかったこと、戦いに巻き込まれたこと、グラドゥーンから逃げたことを順番に話した。途中でジオが「荷台の中で独り言を言ってたのも追加して」と口を挟み、アポカリに睨まれた。


 リリアは最後まで聞き、包帯の端を結んだ。


 リリア「同行は許していないわ」


 アポカリ「……うん」


 リリア「それに、ジオさんが助けてくれたとしても、あなたが危ない場所へ行っていい理由にはならないの」


 アポカリ「分かってる。……でも、あの人、ちゃんと助けてくれたよ」


 リリア「ええ。だから、お礼はきちんと言いなさい。心配したことは、それとは別よ」


 アポカリ「うん」


 リリア「次に同じことをしたら、荷車の下まで探すわよ」


 アポカリ「もうしないよ!」


 ジオ「それはぜひ見てみたいな。荷車の下から出てくるアポカリ」


 アポカリ「ジオ!」


 リリアは呆れたように息を吐いたが、息子を抱きしめたり、長く叱ったりはしなかった。手当ての道具を片づけると、食事の支度へ向かった。


 旅人たちは数ヶ月滞在しマフラを発つことになった。ダークは荷車の留め具を直し、ミレザは薬品箱の封を確認し、エリナは記録をまとめた。ローガンはアポカリに「次は荷台に隠れるな」と言いかけて、少し考えてから「次は先に相談しろ」と言い直した。


 ジオはアポカリを呼び止め、小さな布包みを差し出した。


 ジオ「これ、やるよ。クレイザ大刃って呼ばれてるやつ。俺の平野ユルアの短剣とは別物だ。刃はかなり大きいけど、全体は俺のより短い。森で使うなら、そのくらいのほうが便利だ」


 包みの中には、幅広い片刃の大型ナイフが入っていた。厚みのある背と少し反った刃先は、細枝や硬い蔓を払うのに向いていそうだ。木の柄には革が巻かれ、鞘も厚い革で作られている。見た目はナイフというより、短い鉈に近かった。アポカリは刃を抜かず、包みの上から大きさを確かめた。


 アポカリ「僕に? これ、ずいぶん大きいね」


 ジオ「小さいのを渡しても、お前は刃先をじっと見て終わりそうだからな。使い道があるやつにした。重いから、最初は大人に扱い方を聞けよ」


 アポカリ「……ありがとう」


 ジオ「不満なら返して。……あ、やっぱり返さないで。俺が渡したんだから」


 アポカリは笑い、ナイフを包みに戻した。


 アポカリ「大事にする」


 ジオ「よし。じゃあ次に会ったときは、もっと面白い話をしてやる」


 ローガン「まずは出発するぞ」


 ジオ「はいはい。ほんと、せっかちな一行だな」


 エリナ「あなたの話が長いのよ」


 ジオは大げさに肩を落とし、荷車へ戻った。ダークが手綱を引き、車輪がゆっくり動き始める。ミレザとローガンが手を振り、エリナは最後まで何かを書きつけていた。


 アポカリは包みをしまい、母のいる家へ戻った。腹が減っていた。リリアの話もまだ終わっていない。まずは手を洗って、何か食べよう。


 森の外から来た旅人たちの声は、木々の向こうへ少しずつ遠ざかっていった。


【注釈】

※グラドゥーン:マフラ深林の沼地や霧の多い場所、古木林などに生息する巨大な蛇状の魔獣。基準個体は全長11.5メートル、基準体重11.7トンで、危険度は5級相当。

※クレイザ大刃:幅広い片刃の大型ナイフ。厚みのある背と少し反った刃先を持ち、木製の柄には革を巻き、厚手の革鞘を備える。ジオの「平野ユルアの短剣」とは別の品で、魔力の仕掛けはなく、野外作業と自衛を想定した道具。

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