5-05.接吻
爆発が生じた。
中心は、シンが横たわる培養カプセル。
規模こそ小さなものだけれど、ここは地下の密閉空間。
被害の影響は大きくなりがちだ。圧縮された空気はハンマーと化して周囲のあらゆるものを叩きのめす。同時に発生した爆炎は半径二メートルほどの範囲内にある可燃物を燃やした。
発砲した冒険者は爆風で上に飛ばされる。
ベチャリと嫌な音がして天井に張りつき、すぐに男は落ちてきた。まあ、再生容器が破裂した時点ですでに死亡しており、痛みを感じる暇すらなかったのだが。
特務女官や錬金術師たちも巻き込まれた。
幸い、脅迫されて壁際にまで退いていたので被害は小さい。
一部の者が咄嗟に魔法障壁を展開したのも良かった。爆音と閃光のせいで感覚が麻痺して、しばらく動けない程度で済んでいる。
ルナは背後の壁にぶつかり、意識が朦朧となってしまう。
頭を強かに打ちつけたのだ。視界はグルグルとまわって、まるで荒波に揉まれる小舟のよう。キーンと耳鳴りがして外部の音が聞こえない。視覚も聴覚も使いものにならないが、そんなのは些細なこと。
彼女が気にするのは、たった一つ。
「ああ、シン! 」
火炎が培養カプセルを中心に渦巻いていた。
真っ赤な火柱は天井に達して建材を黒く焦がし、輻射熱が辺りを炙ってゆく。
強制換気が災いした。毒ガスを除去するため、空気を入れ替えるのだが、同時に新鮮な酸素を供給することでもある。
いっこうに火勢が収まる気配がなかった。
彼女は培養容器に近づこうと床を這う。
気持ちが急くばかりで、身体がいうことを利かないのが非常にもどかしい。焦って石床に爪をたてたせいで生爪が剥がれてしまった。血が流れ、指先が痛むけれど、そんなことはどうでもいい。
「な、なんてことに」
涙がポロポロと流れ落ちてくる。
愛おしい人を守ろうと奮闘していたのに、肝心なところで大失敗だ。
わたしがこの部屋に陣取っていれば、ずっと彼の近くにいれば、冒険者の接近なんて阻止できたのに。【超戦士】である自分だけが庇えたはず。
それなのに判断を誤った。これでは取り返しがつかない。
彼女が心を開いたのは唯ひとり。
シンだけが、わたしの苦悩に共感してくれた。
“死にたい”という希望を叶えると約束してくれた。
“不死の牢獄”から解放してくれると誓ってくれた。
なによりも、彼と一緒にいるだけで幸せな気持ちになれたのに。
ルナは踊り狂う火炎を見続ける。
そのなかにユラリと揺れる不思議な影がみえた。
鮮やかな赤色やオレンジ色に交じって、ときおり鈍赤色の火がひとの姿に変じるのだ。奇妙なことに火勢は、謎の人影を中心にして螺旋状に動いている。
まるで外敵を近づけないようにしているみたいだ。
業火のなかから人間がでてきた。
その動作はゆったりしたもの。とてもではないが、炎から逃れるとか、火傷を負っている様子ではない。その焔は魔導の術によるもの。
ルナには判る。
わかって当然だ。
火炎の中心にいる人物は、彼女が愛するひとなのだから。
「ああ、シン! 」
彼女は、彼を抱きしめた。
■■■■■
『目を覚ませ! すぐに起きろ!』
ガナリたてる声がうるさい。
正確に表現すると、それは音声ではなくて、精神に直接に訴えてくるメッセージ。深く眠っていたのに無理やりに叩き起こそうとしている。
あまりにも理不尽すぎた。苦情をいいたいけれど、今は口を開くことすら不可能な状態だ。じつに情けない。
『守れ! 身を守るんだ!』
強圧的な“意志”には抗えなかった。
なにやら切迫した雰囲気もあったりする。意固地になって無視しようとしたけれど、どうにも逆らえない。
しぶしぶと適当に術式を展開して【理外理力】を流し込んだ。
起動したのは【反応爆壁】。
彼オリジナルの防護結界である。これは、前世記憶にあった【爆発反応装甲】を参考に創ったもの。
剣や銃弾など、使用者を傷つけるモノに反応し、炸裂エネルギーを利用して防御する。単に我が身を護るだけでなく、攻撃者に手痛いしっぺ返しをする攻守一体型の優れものだ。
ちなみに、この魔法を選択した理由は特にない。たまたま選んだだけ。
しばらく、シンの意識は不明瞭な状態がつづく。
身体は睡眠を欲しているのに、精神は強烈な刺激のせいで覚醒しようとする。どうにもチグハグな感じだ。
誰かは知らないが、文句のひとつも言いたくなる。
『なぜ、こんなひどいことをする! 』
『危険が迫っているから』
疑問がわくと同時に答えが判ってしまった。
質問するのは自分。
回答するのも自分。
妙な表現なのだけれども、思い浮かぶ“答え”がペラペラな感触で、全然シックリしない。実体がないというか頼りなくておぼろげなのだ。
再び、己に問いかけると、求めた情報が“湧きあがって”くる。
外部から【情報転写】されていた。
これは、脳にデータを強制挿入する錬金術の技術だ。
普通の人間に使用するとショック死や精神異常になりかねない非常に危ないもの。そんな物騒な手段を施すなんて! 施術者は、人の都合を考えない意地悪なヤツに違いない。
おもわず内心で罵詈雑言を並べたてた。
さんざん毒づいているうちに意識がしっかりしてくる。
怒りという感情エネルギーは、意外と精神活動を活発化させるのだろう。ここにきてようやく、現状を把握すべきだと思い至った。
先刻と同様、疑問を投げかけると、現在の状況についての情報が浮かんでくる。
―――なるほど、確かにピンチやなぁ。
ルナが、ウチを強制的に覚醒させようと決断するのもしゃーないわ。
まさか【岩柱砦】が奇襲されるとは予想外やで。
冒険者組合が激怒しているのは判っとったけど、この場所までやって来るとは想像もせんかった。
とりあえず、今はできることをせなマズイ。
でも、まだ体は動かせそうにないし、どうしよっか。まあ、【反応爆壁】を展開しているから怪我はせえへん。たぶん大丈夫やと思うんやけど。
シンは様子をみることにした。
他にできることがない。理由は、身体を動かせないため。強制覚醒は初めての経験だが、思いのほか身体への負担が大きい。今後のためにも、改めて検証と改善を図るべきであろう。
ついでに言うと、外部の状況も不明だ。
身体全体が特殊溶液に浸かっているせい。見えるのは天井だけだし、揺れる水面のせいで視界は歪んでいた。聴覚とて、水を介して届く音は不明瞭でさっぱり理解できない。
不意に【反応爆壁】が起動した。
攻撃を受けたのだ。
剣や槍といった物理攻撃か、あるいは魔法攻撃なのかは判らないが、とにかく襲われたのは確実である。
きらめく閃光。
肚に響く轟音と衝撃波。
近くにいる者を焼き尽くす火炎。
これだけ派手なことがおきれば、さすがに反応が鈍かった身体も危機を感じたのだろう。体の芯に“力”が戻ってくる。
シンは培養カプセルから身をおこした。
肺を満たしていた特殊溶液を吐き出す。毎度のことながら、液体呼吸から空気呼吸への切り替えはキツイ。
ただ、苦痛のおかげで意識がシャキンとする。
息が落ち着いたところで周囲を見渡した。
自分を中心にして炎が渦巻いている。
この焔は【理外理力】で励起した超常現象で、敵の接近を許さないためのもの。
うん、【反応爆壁】はじつに使える防御魔法だな。
まあ、欠点もあったりする。
たとえば、近くにいる味方にも損害を与えること。
実際、再生用の特別容器を壊してしまった。まったくもって大損だ。これを作るために、入手困難な天然素材や貴金属類を惜しみなくつぎ込んでいる。そんな大事なものを破壊してしまった。
なにも考えずに【反応爆壁】を選択したのは大失敗だ。
まったくもって“後悔先に立たず”である。幸い、もう一台が本拠地の【岩窟宮殿】に残っている。とはいえ、新たな再生処理機を作成するとなると、けっこうな時間と労力がかかってしまう。それらを思うとゲンナリしてきた。
ハァとため息をつきながら、培養カプセルの残骸から這い出る。
ついでに、我が身を護る“魔導の炎”を消滅させておく。足元に散らばる金属やガラス片などを注意深く避けて、部屋の中央へと歩みはじめたのだが……。
突然、ドスンとぶつかってくる女性がいた。
ルナだ。
「ああ、シン! シン! どこか怪我をしていない。だいじょうぶ? 」
「えっ 」
彼は、ルナに身体を弄りまわされる。
彼女の行為は、負傷の有無を確かめるためであって、悪意はなかった。
ただ、困ったことに彼は素っ裸のまま。
恥ずかしいので勘弁してくれとお願いしたのだけれど、彼女は許してくれない。頭の天辺からつま先まで、体の前も後も至るところを隈なく触られ、目視でチェックされた。
訳が分からず困惑するばかりだ。
それでも、ルナが心配してくれているのは理解できる。彼女には卑猥な意図はなくて、いたって真剣そのもの。
気が済むまで無抵抗でいるしかなかった。
「あなたが無事でよかった。ほんとうに心配したのよ」
「すまない」
不意に、やわらかな唇が触れてきた。
ルナの甘い香りがして、彼の官能を刺激する。
彼女の暖かな体温を直接的に素肌で感じとれた。
たった一回の接吻で伝わることがある。
幾十幾百の台詞を語っても、山のように手紙を書き記しても、けっして言葉では表現しきれないこと。まるで、魂がダイレクトに接続したかのようだ。
ルナの思いに応えるのに言葉はいらない。
彼は、彼女を抱擁した。
出てくるセリフはなんのヒネリもない単純なひと言だけ。
「ずっと言えなかったことがある。好きだよ」
「ええ、わたしも…… 」
ツクモ族たちが続々と再生処理室に集まってくる。
自分たちの主が危機だと知って、慌てて駆けつけたのだ。そこで彼らが目にした光景は、抱き合うシンとルナの姿。
みんな、微笑をうかべながら遠巻きに眺めるしかなかった。
「あら、あら、お熱いことで」
「我が君はヘタレなところがあったけど、ようやくねぇ」
「オレさぁ、傍で見ていて早くしろよってヤキモキしてたんだよ」
彼らは、のんきな会話をしながらも、各自の仕事をはじめる。
負傷者の手当ても、そのうちのひとつ。
運の良いことに筆頭女官タチアは助かった。鉛玉が内臓を傷つけたけれど、彼女は自分で止血したのだ。さすが、優秀な治癒魔法の使い手である。
並行して冒険者狩りもおこなわれた。
作戦指令室などの重要な箇所は完全に確保しているし、侵入者の多くは殺傷したか捕らえている。
しかし、未だに抵抗する者はいるし、これらを鎮圧する必要があった。残存する敵は少数なので、さほど時間もかからない。
【岩柱砦】にいるツクモ族たちは誰もが、戦いの趨勢は決まったと思っていた。
だが、見落としていたことがある。
再生処理室で倒れた女冒険者が生きていたのだ。
この女は、特別護衛兵士の【ゲンブ】に殴打されたけれど、即死を免れている。
ただし、まもなく死ぬことも自覚していた。肋骨が折れて内臓が深く傷つき、出血が止まらないからだ。
「よくも兄貴たちを殺しやがって。ちくしょう、ちくしょう、私ひとりでは死なない。ここにいる全員を道連れにしてやる」
潜入工作専門の三兄妹が装備していた【認識阻害】の魔道具。
不格好な背嚢型の金属箱だ。中身の半分以上はエネルギー源の蓄力鉱石であった。人間の認識力に影響を与えるには相当量のエネルギー源が必要なためだ。
で、コイツには隠し機能があった。
信管用の魔法陣と鉱石を組み合わせると、爆弾に早変わりする。内蔵する蓄力鉱石の量が多いので、破壊力は凄まじい。
女冒険者が、懐の起爆スイッチをまさぐった。
危険を察知した【ゲンブ】が素早く動く。
この特別護衛兵士は、名称のとおり特別性だ。役目は要人警護。守ることに特化した硬殻兵士であり、物理や魔法攻撃に対して高い耐性を誇る。なおかつ危機感知の能力にも秀でていた。
再生処理室にいるツクモ族たちは気づけなかったけれど、無骨なゴーレムだけが反応する。
魔道具が炸裂した。
その威力は強烈で、ゲンブが展開した魔法障壁だけでなく、硬殻の体躯をも破壊する。さらに再生処理室全体に爆炎が広がった。
同時に、他の箇所でも爆発が発生。
潜入工作専門の兄妹チームは、岩柱砦の各所に爆裂式魔道具を設置していたのだ。目的は、冒険者たちが逃げるための陽動である。実際にはヤケクソの自爆になってしまったのだが、守勢側の者にとっては手痛い攻撃であった。
【邪神領域】は凶悪な魔物が跋扈する危険地帯だ。
多種多様な植物が生い茂る原生林や、けっして融けることのない万年雪が積もる山脈など、変化に富んだ複雑な地形である
他にはない奇景もあったりする。
高さ三十メートルほどの岩の柱が並ぶ一帯も奇妙な景色のひとつだ。岩柱の数およそ百本あまり。古い言い伝えによると、巨人がコレを地面に突き立てたのだという。
ある日の午後のこと。
巨大な岩石柱の一本が、轟音と共に倒壊した。
■現在のシンの基本状態
HP: ? /205
MP: ? /205
LP: ? /205




