2-17. 立ち会えて光栄です
浮橋を造る作業が始まった。
計画では、破壊されずに残った橋脚を利用する。
無事な橋脚部は全部で三つあって、その間をロープで結ぶ。さらに、イカダを連結させて仮設橋をつくる予定だ。
モルガン組合長は忙しい。
工事現場と、砦街キャツアフォートのあいだを頻繁に行ったり来たりしている。
「おう、戻ってきたか。森の様子はどうだった?」
「緑色小鬼が十匹ほど、チョロチョロしていたが始末しておいた。他に危険なヤツは見かけていない。奥地は判らんが、河辺付近は大丈夫だぜ」
「わかった。暖かい食事を用意しておいた。ちょっとだが、酒もあるぞ。しっかり喰って、身体を休めておけ」
彼の役割は全体指揮だ。
幾つものチームをつかって警戒線を構築していた。
目的は、それは木材加工の職人たちを守るため。ここら一帯は【邪神領域】が近いこともあって、狂暴な魔物が多い。警戒を厳重にしないと職工たちが襲われてしまう。
問題は、冒険者たちが組織的な活動に苦手なこと。
連中は優秀だけれど個人主義者だ。
軍隊のような組織的活動は不向きだから、その欠点を補う必要がある。
「第四番グループは周辺警戒に出ろ。そこ、行き先を間違えるんじゃない。お前らは南西Bブロックが担当だろうが!」
やむを得ず、組合長自ら指揮者役を務めた。
各組ごとに担当地域を割り当てる。
休息で交代する際にも、空白ができないように注意をはらった。特に、モンスターと戦いになったときは、警戒線に隙間ができやすい。
ついつい、意識が一点に集中するのだ。
おのずと、他の場所は用心が疎かになるので、責任者が指示して防衛ラインを維持せねばならない。
砦街でも同様であった。
モルガンが担っているのは、治安維持活動の全体指揮。
低位冒険者たちが中心になって、街中を見廻っていた。
しかし、それでも漏れは多い。
少人数で広い街をカバーするには効率的な運用が必要だが、指揮や管理できる者は少ない。どうしても有能な人間に仕事が集まってしまう。
自分の負担を減らすために、シンに協力を求めた。
浮橋造りの現場を守ってもらおうと考えたのだ。
”若い錬金術師”に対する評価は高い。
冒険者チーム【明けの明星】からの推薦もあった。
報告によれば、あの若者は高度な索敵能力を持つうえに、視界外から攻撃ができるとのこと。
にわかには信じられないが、報告者のボドワンだ。
古株の熟練者が、あんな遠距離攻撃を見たのは初めてだと語っている。ベテランで信頼できる人物の言葉には、耳を傾けるべきであろう。
だから、モルガンは指名依頼をだした。
組合員以外への申し入れは不適切な行為だが、今回は形振り構っていられない。
「あなたの広範囲を監視する能力と、魔物を撃退する攻撃力を貸してほしい。どうか、助力してもらいたい」
「ご要望の件だが、受領はできない。というか、人選と優先順位を間違っているのでは」
「なにを言いたいのだ?」
「優先すべきは、医薬の作成だ。浮橋造りの現場警戒なんて誰でもできる。だが、製薬作業は専門家だけにしかできない。私が抜ければ、薬剤の供給量はガタ落ちになる」
薬品を造れるのは、街で数名。
しかも、錬金術師と薬師の兼任組合長であるシモンヌはいない。
シンは貴重な薬剤生産者だ。
現状、流行り病で苦しむ患者は多く、薬は不足している。指摘された内容はもっともなことだ。
モルガンは、やむなく依頼を取り下げた。
「シモンヌめ。お前が裏切らなければ、もっと楽だったのに。恨むぞ」
彼は、錬金術師組合長のことを思い浮かべる。
同志めいた感情を、彼女に対してもっていた。
砦街の発展に貢献する者として信頼もしていたし、尊敬の念も持っている。それなのに今回の騒動で、あの女は街を見捨てたのだ。
組合長は、フウと大きく息を吐いて、気分を切り替える。
ここにはいない人物のことを考えていてもしかたがない。
今は自分の仕事に集中するべきだ。
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シンは、錬金術師組合の建物を出た。
「ああも殺伐として雰囲気だと、さすがに気が滅入る」
―――どいつもこいつも荒れとったなぁ。
錬金術師の老人も薬師の女性もむっちゃ怒っとったし。そりゃあ、仲間やと思っていたシモンヌに裏切られたからなぁ。
だいたいタイミングも悪いやんけ。
砦街に謎の奇病が広がっている最中やで。医薬品への需要が多すぎて、供給側はてんてこ舞いしとるし。
そんな危機的な状況で、彼女はウチらを見捨てて街から逃げよったしな。みんなが激怒するのは当たり前やわ。
残ったメンバーで魔法治療薬を作り続けている。
罹患者たちのことを考えれば、手を休めるワケにはいかない。気分的には最悪であっても、懸命に薬剤をつくった。
彼は、できあがった薬をもって教会の救護院へと向かう。
ついでに、【バケモノ病】とよばれる感染症に罹った人の様子を確認するつもりだ。さらに依頼された件もある。
「やはり視えるなぁ」
彼の眼にだけ映っていた。
一般人は見えないけれど、病人に透明な羽虫が集っている。
その光景は腐敗した死体に群がるハエを連想させた。ゾワゾワと生理的な嫌悪感が湧きあがってくる。
不可視の蟲は物理的な存在ではない。
非物質的というか幻のようなもの。
ソイツらは、人間の肉体から出たり入ったり、あるいは石壁を通り抜けて跳びまわったりしている。明らかに手で触れられるものではなかった。
「どうやら、不気味な羽蟲は流行り病の患者に集中している」
シンは、とある仮説をたてていた。
視えない昆虫を利用して罹患者を判別できるのではと。
救護院内を観察するかぎり、この説は正しそう。
まあ、もっと検証する必要はあるけれども。
次に、彼は目的の個室にむかった。
「お加減はいかがですか」
老司祭が隔離されていた。
原因は、奇病の感染者に襲われて怪我を負ったため。
これまでの経緯からすると、“異形のモノ”が生じる可能性が高い。
「今日はずいぶんと気分が良い。昨日は高熱で苦しかったけれど、今はだいぶ落ち着ている。それよりも、お願いしていた品は用意できたかね」
「ええ、お持ちいたしました。しかし、この劇薬を本当にお使いになるつもりですか」
「もちろんだよ。儂は、最後まで聖職者として在りたい」
司祭は、シンに毒薬の入手を依頼していた。
自分が凶暴化して他人に危害を与えるなんて、神に仕える者として耐えられない。罪深いことをするまえに、己の意思でケリをつけようと覚悟を決めていたのだ。
最初、彼は部下に毒の手配を頼んでいる。
だが、助祭や修道士たちは断った。
そりゃそうだ。尊敬する上司の自死を手助けするなんて、絶対に無理。逆に、懸命になって治療を施そうとした。
完治する可能性は低いけれど、絶対神にすがって奇跡を期待する。別の表現をするなら、様子見してズルズルと決断を引き延ばすだけとも言えるが。
そんな経緯があって、司祭はやむなくシンに毒薬を依頼したのだ。
「儂はな、ずっと医術をつうじて人々に尽くしてきた」
老いた聖人は、自分の過去を語り始めた。
生まれは貧しい農家の末っ子。
両親は生活苦から逃れるために、幼い彼を教会に下働き役として差し出した。体の良い口減らしである。
善良で我慢強い子供は、文句もいわず仕事をした。
けっこうな年月を下級の住み込み労働者として過ごす。
ただ、非常に向学心が強かった。暇を見つけては関心のあった医学の勉強をコツコツと積み重ねた。
壮年期、ようやく教会専属の医師として認められる。
まさに遅咲きの人生といえよう。
だが、中央のきらびやかな役職には目もくれなかった。志願して辺境地をまわり、現在にいたる。
「晩節を汚したくはないのだよ。あんなバケモノに儂の身体を自由にさせるくらいなら、自死を選ぶ」
「それでも待ちませんか? もしかしたら、治療薬が発見できる可能性もあります。“異形のモノ”が生じないかもしれません」
老司祭は、断固として説得を受け入れなかった。
静かな口調ながらも、覚悟を決めたのだと言いきる。
彼は片手に取った毒薬を飲んだ。
その様子はとても落ち着いたもの。
動揺する雰囲気はまったくない。
事情を知らない第三者がみれば、普通の薬を服用しただけと勘違いするだろう。
「すまないが手を握ってはもらえないかな。恥ずかしながら、少々こわくてなぁ。ひとの温もりを感じながら逝きたいのじゃよ」
「ええ、私で良ければ。ずっと最後までお傍にいます」
シンは、司祭の手をやさしく包む。
働き者の手であった。
指の節々が歪に膨らんでいる。
掌の表面だってガサガサしていた。
皮膚はシミだらけだし、爪にはひび割れたままだ。
贅沢とは無縁の質素な生活であったろう。
過酷な環境で過ごしてきたのが窺い知れる。
「あたたかいですね。貴方の手は痩せていますが、人の気持ちをホッとさせる不思議な力を感じます。長いあいだ、病人たちに寄り添ってきたからでしょうね」
「ありがとう。そう言ってもらえると、儂の人生にも意味があったというものだ」
老司祭は目を閉じた。
毒薬は遅効性のもの。痛覚などの神経系を麻痺させ、苦痛のない特別仕様の薬剤だ。
薬が効いてきたのか顔つきは穏やかになってゆく。
先刻まで高熱のせいで、息をするのも辛そうだったが、今では落ち着いて静か。胸はゆっくりと上下していたが、徐々に小さくなってゆく。
やがて司祭の呼吸は停まった。
シンは、冷たくなってゆく手をギュッと握る。
「どうか安らかにお眠りください」
彼は、老聖職者の逝去に、心を揺り動かされていた。
同時に自覚できたことがある。
―――どうやら、自分は人の生死に強い関心があるみたいだ。
人間の“生きざま”と言い換えても良い。
老司祭のように、病人を相手に医術ひとすじに過ごす一生。
あるいは、亡父ルキウス・コルネリウスのように、愛する伴侶を想い続けて、妻を復活させるために狂奔する生涯。
ついつい、その”死にざま”に思い致してしまう。というか無関心ではいられない。
シンが、“人生の在り方”に惹かれてしまう心理。
自身の寿命が短いうえに、具体的な生存日数が明確なせいだ。
魔法に【状態管理】というものがあった。
これによって、L Pが把握できる。意味するところは、生存可能な期間だ。
いま現在のLP数値は<39>。
肉体を再生処置しなければ、三十九日後に心停止するのだ。
想像してほしい。
もし、あなたが一ケ月後に死亡すると知らされたら、どうする?
信じられないと否定するだけかもしれない。
あまりにも理不尽だと怒り暴れるだろうか。
神様に奇跡をおこしてとお願いするかも。
まあ、とにかく異常な精神状態になってしまう。
シンの心にはふたつの感情の大波があった。
ここ十年のあいだ、制御不可能な”うねり”は交互にやってきて彼を揺さぶり続けている。
感情の波のひとつめ。
それは、“生きたい”というもの。
本能的な生存欲求であり、死にたくないという強い気持ちだ。
もっと生きたい。
おいしいものを食べたい。
いろいろな土地を巡って美しい風景を眺めたい。
恋人をつくり、愛するひとと一緒に過ごしたい。
たくさんのことを経験したい。
狂おしいほどに強烈な情動は、精神を押し潰すほどであった。
感情の波のふたつめ。
それは、“どうでもいい”という絶望感。
何をしても無駄だという悲観と、己の“死”を受けいれる諦念が入り混じったもの。
もういいや。
なにをやっても、すぐに死亡するのだから無意味だし。
自分が亡くなっても誰も悲しんでくれない。
それどころか、家族もいなければ親しい友人すらいない。
諦めの情念に囚われてしまうと、世界の色彩は灰色だけの味気ないものへと変化する。息をするもの億劫になるほどに無気力になってしまう。
こんな情感の荒波が交互にやってくるのだ。
異世界で目覚めてから約十年。
猛烈な勢いの激情の昂りが、心の内に、うち寄せては引いてゆく。
そんなシンに、司祭の死去は強い影響を与えた。
老いた聖職者の“生きざま”、あるいは“死にざま”は、彼の気持ちを揺り動かす。
「貴方の最後に立ち会えて光栄です」
■現在のシンの基本状態
HP:172/172
MP:183/183
LP:39/90
活動限界まで、あと三十九日。




