2-14.広がる流行り病
シンは、大通りを歩いていた。
「ずいぶんと街中の雰囲気が変わったな」
街を行き交う人数が随分と少ない。
以前の中央道は、たくさんの住人がいたし、すごく猥雑で騒がしくも活気があふれていた。今は、みんな家に引きこもって、用事があるときだけ恐る恐る外出している。
目的の店はオープンカフェの造りになっていた。
道路に面したテーブルについたけれど、客の数は疎らで空席が目立つ。
注文した珈琲を飲みながら、道ゆく人々の様子を観察した。
道端で立ち話をしている人たちは、皆ヒソヒソ声だ。
なにか用心するような素振りで周囲をキョロキョロしているし、語りかける相手は仲の良い者ばかり。見知らない人間とは会話しようとしない。
屋台の店員ですら無愛想だったりする。
客相手の商売なら、誰彼なしに声をかけて商品を売りつけようとするはず。でも、今の彼らはムスッとした表情で、やりとりも最低限なもの。ひどい場合だと、客とのやり取りは、無言のままで身振りだけで済ませている。
砦街をこんな状況にした原因は、流行り病だ。
ここ数日で患者の数がグッと増えており、住人たちは非常に怯えている。誰もが、謎の感染症を恐れており、多くの人々が街を捨てて出ていく可能性すらあった。
女性が背後から声をかけてくる。
「こんにちは。シンさん。お待たせしましたか?
早めに来たつもりだったのに、あなたが先に到着しているとは思いませんでしたよ」
「こんにちは。ルナさん。先日はお世話になりました」
彼女はルナ・クロニス。
先日、【神告】で召集された者のひとり。
【禍祓い】として役目を務めた女性だ。見た目こそ、二十歳台半ばくらいと若いのだが、その実は、神器ふたつを同時に扱える稀有な人物である。
「ひどいものですよね。街に戻ったら変な病気がひろまっているし。【バケモノ病】とはいったい何なのですか? 」
彼女は、ここに来る途中で騒ぎがあったのだと語りはじめる。
騒動の中心は、十五歳前後の女の子であった。
身体のバランスが歪んでいる。首筋には“異形のモノ”が生えており、衣服の下にもソレが隠れていた。肩や腹部などから、ギギィと気味の悪い唸り声がする。
とにかく不気味な姿であった。
問題の娘が大立ち回りを演じる。
たったひとりで、屈強な冒険者たちを相手に暴れたのだ。
華奢な手足を振るって男たちを殴りとばす。ただし、途轍もないパワーに耐えきれずに、両腕は折れてしまった。
正気なら痛みのあまり泣き叫ぶであろうが、少女は狂っており高笑いを続けるだけ。
結局、娘を無力化するのに冒険者十数人も必要であった。
しかも、彼らの多くは怪我をしたうえに、件の女性も瀕死の状態。あまりにも現実離れしていて、実際に見ていても信じられない出来事である。
シンは、その話を聞いて思ってしまう。
「住人たちが【バケモノ病】と名づけるのも無理はない」
誰が名付けたか不明だが、言い当て妙だ。
謎の流行り病の特徴を端的に表現している。
「身体が変質する者はごく少数なのだがなぁ。まあ、それを知ったところで病気が治る訳でもない。人々が怯えるのも当然か」
ざっくりした概算だが、この病気の致死率は二~三割ほど。
感染した患者は高熱や下痢に苦しむが自然回復する者も多い。
ただし、問題なのは“異形のモノ”が生えてくること。
病状の重い軽いに関係なく、肉体の一部が変質して見境なしに襲いかかる。
凶暴化した病人は質が悪い。
噛まれた人間は確実に罹患して重篤化する。しかも、高い確率で化物が身体から姿を現すのだから、人々が【バケモノ病】を恐れるのは当然のことだ。
残念なことに治療方法は”ない”。
消極的な予防策が幾つかあるだけだ。
医師たちが推奨しているのは、手洗いやうがい。他に衛生的な環境を整えること。生水は口にせず、必ず沸騰したお湯を飲む。できるかぎり感染者には近づかないなどで、なんとも頼りない。
いっぽうで、シンは錬金術師ならではの予防法を講じている。
各種機能を持つ魔導具を作成したのだ。
たとえば、呼吸する空気を消毒する簡易結界。同様に飲食物に対して機能する浄化魔法。体の免疫系機能の強化魔法などを組み込んだ。魔導具作成は手作業なので、その数はごく少ない。
「ああ、ルナさん。これを差し上げます。お使いください」
それはブローチであった。
中央には緑色貴石、まわりには植物の蔦を模した模様細工を施している。控え目ながらも上品な造りで、クール・ビューティな彼女によく似合う。
「あら、うれしい。殿方からのプレゼントなんてひさしぶりだわ」
「喜んでもらって恐縮なのですが、実用性優先でして」
ブローチの機能は伝染対策に特化している。
彼も持っているけれど、まあ、ちょっと過剰機能かもしれない。
というのも、ふたりとも【禍払い】や【言祝ぎ】という特殊な権能を持つ者であり、病気など異常状態への耐性力が非常に強いからだ。
それでも、ルナは喜んでくれた。
伝えた内容は、実用性一点張りであったが、“女心がわかっていませんね”と、彼を諭す。
「女は誰だって、プレゼントを貰えるのは嬉しいものですよ。
ましてや、自分を気遣ってくれたものなら、なおさらです」
彼女はニコリと微笑む。
その表情はとても魅力的で、シンの心臓がドキンと大きく鼓動した。
残念ながら、しばらくルナとは会えなくなる。
というのも彼女には所要があって、街を離れて王都まで行くとのこと。
まあ、焦らずとも再会する機会は必ずある。
理由は、彼らは神々からの要望をうけて厄介な仕事を請け負うからだ。
「じゃあ、お元気で。次に会うときを楽しみにしています」
「ええ。でも、きっと【神告】絡みでお互い苦労するのでしょうね。さようなら」
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シモンヌは市庁舎にいた。
錬金術師や薬師の組合責任者として話し合うためだ。
「ごぶさたしております。ジュール様。急な申し入れにもかかわらず、お時間をいただき感謝いたします」
「叔母上。そのような他人行儀は不必要ですよ」
ジュール・デ・コルベール。
彼は、この辺り一帯を治めるコルベール男爵の子息だ。
砦街キャツアフォートの行政長官でもある。さらに街に駐留する領主軍の指揮官を兼ねていた。
年齢は三十歳。引き締まった身体と明晰な頭脳を持っており、全身から“できる男”の雰囲気がにじみ出ていた。
シモンヌは、男爵一族の血縁者である。
彼女は傍系ながらも男爵家の血筋に連なる者で、少年期のジュールの教師役として働いていた。以前は親しい間柄であったが、いまは諸般の事情があって疎遠になっている。
彼女は、甥の言葉をサラリとかわして、礼儀正しく訪問の目的を告げる。
「長官にお尋ねしたい儀がございます。砦街キャツアフォートでの流行り病についてですが、各種薬剤を試したはず。
なにか有効な薬はありましたか? ちなみに、魔法治療薬は一時的な効果はあっても、完治できなかったのでは? 」
その台詞は断定的であった。
すでに領主軍が、感染症について、いろいろと研究していると確信している。そのうえで、治療薬が効いたかを質問しているのだ。
ジュール長官はニヤリと笑いながら紅茶を口にした。
彼はいささかも動揺していない。
「叔母上がそのように断言する根拠はなにですか? 」
「状況証拠からの推測ですわ。わたくしどもにだって情報源がありますからね」
彼女は幾つかの事柄を指摘した。
まずは、【邪神領域】近くの軍砦を放棄したこと。
しかも、病気に冒された兵士たちを見捨てて撤収している。
普通、軍隊というものは仲間を大切にするものだ。同僚の遺体は可能なかぎり回収するが、今回はそれを放置したままであった。
なにか異常な事態が発生していることは間違いない。
次は、魔法治療薬の大量購入。
戦争や魔物撃退などの大きな戦いがあるなら、発注量も納得もできる。
だが、いま現在は戦時ではない。にもかかわらず、大量に仕入れした目的は流行り病への対策であろう。
最後の指摘は、領主軍の不可解な態度。
街の各組合と軍部の関係は良好で、互いに意思疎通には気を使っていた。ところが、冒険者組合が放棄された軍砦について問い合わせをしても、返答は不明瞭なもの。
同様に、錬金術師組合からもポーションの使用目的について質問したが、回答はいい加減であった。
誰もが、領主陣営がなにか隠蔽しているに違いないと思っている。
ジュール長官は苦笑いしながら応じた。
「叔母上のご指摘はもっともですね。まあ、こちらとしては隠す意図はまったくありませんでした。なにしろ、私が今回の件について詳細を知ったのは数日前でしてね」
彼が砦街に帰着したのは三日前のこと。
それ以前は領都にいたのだが、部下から連絡を受けてやってきた。到着して以降、ずっと事態の把握に努めていたのだ。
「ことの発端は、第三砦です」
そこは簡易の偵察拠点であった。
主な任務は【邪神領域】から出てくる魔物を監視すること。ときには大森林のなかに分け入って駆除もおこなう。
あるとき、兵士たちはイノシシを捕らえて、肉を食べた。
何日かすぎて、何人もの兵が不調を訴えはじめる。症状は発熱や下痢などであったが、しばらくして異常が発生したのである。
ひとりの病人に“異形のモノ”が生えてきたのだ。
肉食獣の口のように歯があったという。
誰彼かまわずに噛みつこうとする不気味な存在であった。医官はソレを切除しようと試みたが、逆に襲われて重傷を負っている。
その後、部隊長は軍砦の破棄を決定。
高熱を発する者が増えるうえに、“肌色のバケモノ”の発症者が幾人も出たからだ。とりあえず、健常者だけで領都に戻り、罹患者たちは砦に留まらせて後日に回収しようと考えたのだ。
「隊長の判断は正しい。私でも同じ行動をするだろうね。ただし、彼は自分でも気づかぬうちに致命的なミスを犯した」
謎の病気を持ち帰ってしまったのだ。
キャツアフォートの基地内でも、奇病が発生して多くの兵士たちが異常をきたす。
領主軍専属の医師や医官たちは各種治療を試みた。たとえば、魔法治療薬の大量投与も、そのうちのひとつ。
だが、努力の甲斐なく、感染者を治療できず現在にいたっている。
「そうこうするうちに、正体不明の病は基地から外部に漏れ出てしまってね。今では住人たちにも広がっている。報告を受けて、私は胃潰瘍がぶり返してしまったよ」
ジュール長官は愚痴る。
軍隊の仲間意識は大切だけれど、身内をかばって不都合なことを隠すとは酷いよねと。それが原因で、謎の病気への対策がずいぶんと遅れてしまったと嘆いた。
シモンヌは、甥の話を聞いて納得する。
責任者不在のまま、砦街に駐留する部隊だけで事態を収拾しようとしていたのか。いかにも頭の固い軍人のやりそうなことだ。
もっと早い段階で相談してくれれば、街の医院や教会系の救護院が有効な手立てをうっただろうに。
「今後のことですが、領都や王都への救援要請をしてはいかがでしょうか」
彼女の意見はまっとうなものだ。
王国には優秀な医師たちがたくさんいるし、薬師や錬金術師たちの助力だって期待できる。謎の病気をこの土地で抑え込めるはずだ。
しかし、ジュール長官は首を左右に振った。
二週間前ならそれもアリだが、今となっては遅すぎると、残念そうに言う。コルベール家専属の医師団と検討して、既に対策を決定したと告げた。
「砦街キャツアフォートは完全隔離します」
■現在のシンの基本状態
HP:172/172
MP:183/183
LP:50/90
活動限界まで、あと五十日。