第23話
遡ること数週間前、休暇が明けてすぐの夕方、オスカーとベルカントは帰りの馬車の中で向かい合っていた。馬車が動き出すと、ベルカントはおもむろにカバンからメモを取り出す。
「君の言ってた通り、アトリが豹変した原因は彼女の父親にあるのかもしれない。彼が半年間の視察から帰ってきたその日が、ちょうど僕らが最後に勉強会をした日だった」
「やはり、そうか」
『オスカー様はなぁんにもわかってない!!』
『……でも、お父さまに嫌われるほうが、もっと……』
オスカーはアトリーチェと郊外に行った時のことを思い出す。情緒が定まらず取り乱していた彼女が放ったその言葉は、切実に助けを求めているように聞こえた。その光景を想起する度、居ても立っても居られなくなる。
……俺は、アトリのことを何も知らなかったのだろうか。
「どうする…?無理にでも訪ねて確かめるか」
「待って、焦りすぎだよオスカー、らしくない。シルバーハート卿となると…一筋縄ではいかないだろう。元から王宮とは緊張関係にあるし、僕ら子供となれば腰を据えて対話なんていうのも不可能に近い」
オスカーはきまり悪そうに腕を組み直した。
「そう…だよな、すまない、気が急いて。…まずは、情報収集だな。俺は王宮がらみのシルバーハートの予定について探ってみる」
「そうだね、僕はみんなにも協力を頼んでみるよ」
*
「…と、いうことで」
ベルカントの目の前には、トーマス、ヴィオラ、フィデリオの3人が立っていた。いつものカフェテリアではなく、生徒で賑わう学生ホールの片隅。ちょっとした立ち話といった様子だ。今日は休暇明け二日目、予定されていた試験は全て終了し、周囲の生徒たちは清々しい顔をしていた。
「君たちにも協力を頼みたいんだ。いい?」
ベルからオスカーが体験したこと、アトリーチェの父が怪しいことなどを説明され、3人は驚きつつも腑に落ちたような顔で頷く。ベルもそれを確認して続けた。
「まずはトーマス君。君には図書館でシルバーハート卿のことを調べてもらいたい」
「はい!」
トーマスは威勢よく返事をする。彼の表情は、春に彼がアトリたちと出会った頃に比べてずっと自信がついてきたようだった。
「次にフィデリオ君。君は騎士団で彼のことをそれとなく探ってみて。よく本人が視察に行っているみたいだから」
「了解です!!」
そう言ってフィデリオはしっかり姿勢を正し敬礼した。
「そしてイヴライトさんには……もう一度、盗聴器を作ってほしい」
「…………はぁ?」
この相談は誰も予想していなかったらしく、ヴィオラは一瞬目を丸くした。両隣のトーマスとフィデリオは信じられないような顔でベルを見つめている。
「もちろん今は緊急事態ってことで特別だ。普段は絶対に許さないよ」
そうベルが付け足した言葉に、ヴィエラはにっこりと笑って、高らかに宣言した。
「ええ!アトリーチェ様のためならば、このわたくし、全身全霊捧げてみせますとも!」
*
「アトリーチェ様!おはようございます」
「あら、おはよう。ヴィエラ」
ヴィエラが挨拶すれば、いつものようにアトリは答えてくれる。しかし、その瞳にはかつてのような光はない。
「アトリーチェ様は今日も美しいですわね」
そんなヴィエラの言葉に、アトリは当たり前だと言うように鼻を鳴らした。以前ならもっとはにかむように笑っていらっしゃったのに…
そして2人は席につく。そこでヴィエラは目ざとくアトリの持ち物を観察した。
「あら?もしかしてアトリーチェ様、それ、新調なさいましたか?」
「ええそうなの。よくわかったわね」
「とっても素敵ですわ。…少し触れてみても?」
「構わないわ」
そうしてヴィエラはやすやすとアトリの私物を手に取り、手のひらに握り込んでいた小型盗聴器を見えないように取り付けた。
(…アトリーチェ様、わたくしに…………もっと貴女の事を、教えてください)
*
一方フィデリオは放課後、騎士団の訓練場に来ていた。王子の護衛に選ばれてからも、鍛錬のため暇さえあればここを訪れている。
「おうフィデリオ!今日も訓練か?」
「今日は蒸し暑くってやんなるなぁ!」
フィデリオに溌剌とした声をかけた2人はどちらも日に焼けた大柄な男。彼らは騎士団所属の、フィデリオにとって先輩と言える人たちだった。流石に挨拶してすぐ深い話とはいかないので、少しトレーニングで汗を流したのち、休憩がてらの雑談として、フィデリオは話題を切り出した。
「そいえばさ、2人はシルバーハート卿って知ってる?」
「知ってるも何も、俺たちの一番偉ぇ上司じゃねえか。それ知らねえんじゃ騎士やってけねぇぞ」
2人のうち、のっぽの方が咎めるように言う。実はそのことも最近まで知らなかったのでぎくりとしながらも、フィデリオはなんとか話題を繫げる。
「はは、それくらいは知ってるって。それ以上に、その人の人となりが知りてぇんだ。」
「おぉ、確かにフィデリオお前、王子の護衛やってんだもんな。その辺はまあ気になるか」
背が低い方は納得したように頷く。どうやら話題は自然に受け入れられたようだ。フィデリオは内心胸を撫で下ろした。
「シルバーハート卿といやぁ…なんかあったか?」
「あれだろあれ、昔事故があって」
「事故?なんだそれ」
有益ようなキーワードだ。水飲み場で座り込んでいたフィデリオは思わず身を乗り出す。
「いや、俺も詳しくは知らないんだがな…………」
*
『10年位前に、シルバーハート卿は事故で妻を亡くしたらしい』
フィデリオから聞いたそんな噂を裏付けるため、トーマスは薄暗い図書館をうろつきながら目当てとなる文献を探す。
(どんな事故だったかにもよる…警備団の記録書に残っているか、はたまた新聞の記事か…貴族の自伝などに残っている可能性も………シルバーハートほどの名家ならば関係する大きな出来事があれば記録は残っているはず。…事故が10年ほど前とすると記録は比較的新しいし…………これか?)
一般人は入れない、シュペールベルグ家の者だけに入室を許された書庫に、トーマスは目星をつけた。そこは古今東西力を誇った貴族たちの動向が記録された書物がずらりと保管されており、国家機密としか言いようがない情報ばかりであった。トーマスは紐で閉じられたある本をめくる。何枚か流し読みした時、そのページはあった。
『シルバーハート家の妻ミスティーク・シルバーハート、魔道具の暴発事故に巻き込まれ死亡』
(……………)
その日付はちょうど現在から10年前を指していた。…魔道具の暴発事故?この時期ならすでに世に流通する魔道具は全て安全確認がなされているはずだけど…………?
「トム」
トーマスの思考を遮ったのは彼にとっては馴染みの深い声。突然の事に驚いた彼は、振り向くことができないまま静止する。
「本棚R-714の下から2段目かつ右から6つ目の紐綴本、ページ数は大体…271。ということは」
「シルバーハート家の事件についてでも調べてたの?トム」
そこには、栗色の長いくせ髪を無造作に下ろした妙齢の美女。つまり、トーマスの母親が立っていた。いまは分厚い紐付きの眼鏡を掛けている。
「ここの情報は国家機密ばかりよ。何を知りたかったのか知らないけど、出ていきなさい」
やっと振り返ったトーマスは、何か言い返そうとしたがぱくぱくと口を動かすだけで、声が出ない。
………だめだ。僕。…ここで自分の役目が果たせないなんて。みんなに顔向けできないだろ、だから、僕は………僕ができることをやるんだ。
そうやって自分を鼓舞してやっと、声を絞り出すことができた。
「…あの、…ぼ、僕、友達を、アトリーチェ様を助けるために、アトリーチェ様の、父親のことが知りたいんだ!だから今、調べてる!」
トーマスにしては珍しい声の大きさでの抗議に、彼の母親—グレイス・シュペールベルグは目を見開いた。彼は、私の知らないところで大切なものに出会い、成長していたのだ。……それなら、私にできるのは、知を授ける事だけ。
「それなら、私に聞いた方が早いかもしれないね」
「えっ?」
そう言ってグレイスは書庫の外のテーブル席を指差す。
「あそこに座って話そう。私はこれから公述の準備があるから長くは話せないけど…トムが知りたい事ならなんでも教えてあげる」
そしてグレイスは呆然とするトーマスに可愛くウィンクした。
「それがママの役目でしょ?」




