第21話
翌日、アトリーチェがいないまま、5人はいつもの部屋に集まった。
「ねぇ!どうしてアトリーチェ様がいらっしゃらないの?」
ヴィエラの言葉に、ベルカントはきまり悪そうな笑顔で答えた。
「朝迎えに行ったんだけど、侍女が『今日はお嬢様は都合が悪い』の一点張りでね…僕らにも分からないんだ」
「そんな…あれだけ今日も楽しみにしてらしたのに」
「……まあ、プライドの高いアトリのことだから、借りた分全部読み切ろうとしてるとか。ね、オスカー」
「………………」
その翌日も、アトリは来なかった。
「やっぱアイツ、勉強ヤになって逃げ出したんじゃねーの?」
「フィ、フィデリオ君…その言い方はちょっと」
「そうよ!アトリーチェ様を侮辱する気!?」
「違っ……正直に言い過ぎただけ!」
ヴィエラとフィデリオが言い争いを始め、蚊帳の外になったトーマスはくせのある栗色の頭を軽く掻いた。
「………教本なら写しがあるから、無理してすぐ返さなくてもいいのになぁ」
しかし、
翌々日。
またその翌日。
さらにその翌日も、
「すみません。…今日もアトリーチェ様は体調がよろしくなくて…」
もう何度目だろうか、オスカーとベルは、シルバーハート邸の正門前で侍女の言い訳じみた話を聞いていた。
「そうですか。…それなら見舞いでも」
「いえ、お嬢様は誰とも会いたくないと」
オスカーの言葉は間髪入れずに否定された。………明らかに不自然だ。2人は目を見合わせた。
*
「……と、いうわけだ。流石にあのアトリでも、連絡も無しにここまで俺たちを拒絶するようなことがあったか?」
シュペールベルグの大図書館の離れで、5人の少年少女は暗い面持ちで机を囲んでいる。
「……お言葉ですがオスカー様、貴方がアトリーチェ様を追い込んだということは?」
ヴィエラが鋭い目つきで口を開いた。当のオスカーは彼女のセリフに被せるように立ち上がって叫ぶ。
「っそれはあり得ない!!!……はず、……俺は、ちゃんとアトリを…」
「うん。それは見ていた僕からも言えるよ。…オスカーはアトリの事をよく見てた」
「俺もそう思います!同志として共に学びましたから!」
「……失礼しました」
ベルとフィデリオからのフォローもあり、ヴィエラは素直に謝罪する。しかし何故かフィデリオの事だけは最後まで睨みつけていた。
「……アトリーチェ様は、あの日帰る時も、『また明日』と言ってましたよ」
と口を開いたのはトーマス。
「そうだな。馬車の中でも変わりなかった。…だから、『何かあった』としたら、帰宅後になる」
「………でも、突然疲れちゃったって時もあるよね、これだけ毎日机に向かってたんだから」
「…そんなこと、あるんですか?」
オスカーが腕を組み考え込む横で、ベルは場を和らげるために口を開く。その内容にトーマスだけがぴんと来ていなかった。
「俺はそういう時、馬で遠乗りに出かけますね!自然のある場所に行くんです」
フィデリオのその言葉に、オスカーは顔を上げて頷いた。
「確かに。………一度、休息が必要かもな」
*
シルバーハート家の大きな邸宅の一室は、各地の職人たちにオーダーメイドで作らせたという最高級の調度品がずらりと並べられ、壁には湖畔の景色を切り取った美しい絵画が瀟洒な額縁に収まっている。全てが見事なアラベスク模様で彩られた、まさに豪華絢爛な部屋。それが、アトリーチェ・シルバーハートの自室だった。瞳の色に似た真っ赤なドレスを身にまとい、彼女は大きなチェアの肘掛け部分に足をかけ、反対側に背をもたれる姿勢で座っている。細い指先に巻きつけたチェーンの先では、首輪をつけられた子リスが彼女の胸元で可愛らしく鳴いていた。
「アトリーチェ様宛に、お手紙が届きました」
そこに侍女が丁寧な動作で現れた。子リスを弄ぶアトリーチェは彼女に目も合わせず返事をする。
「そう。誰から?」
「オスカー・ロゼ・シャンドフルール様から」
その名前を聞いた途端、彼女は動きを止める。
「頂戴」
そう言って侍女から半ば奪い取るようにして手紙を受け取り、すぐに封を切ろうとしたその時。扉の外から大きな影が伸びてきた。
「アトリ…?何…読んでいるんだ?」
その影は彼女の父親、ヘリオス・シルバーハートだ。彼はアトリが足をかけている方の肘掛けに座り、彼女から優しく手紙を取り上げる。その振動にアトリの胸に乗っていたリスは驚き、チェアから飛び降りる。彼はチェーンで繋がれているためあまり遠くへ逃げられなかった。そんな様子を気にも留めず、ヘリオスは先に封を切り、内容を改めた。
「……オスカー王子からか。」
「うん。」
「…………本当はどんな奴にも…大事なアトリを渡したくないんだが……殿下は、図書館の者と関係ないんだな?」
「うん。あんな愚鈍な人と好んで遊ぶわけないもの」
そんな返事に満足したのか、表情を軽く綻ばせてアトリの艶やかな黒髪を撫でた。
「そうだな。そんなアトリが一番綺麗だ」
そう言い残し、ヘリオスは革靴の音を立てて去っていった。その音が聞こえなくなるのを待ってから、アトリはやっと手紙に目を通す。
『親愛なるアトリへ
侍女から貴女が体調を崩していると聞いた。貴女の姿を見なくなってもう数日、君の声が恋しい。
突然に君がいなくなったものだから、皆心配しているよ。
連日の勉強漬けで疲労が溜まったのだろうか?君に無理をさせていたのかもしれない。
もし体調が回復したら、皆で避暑地へ出かけよう。
もしこの提案が気に入ったら、返事をくれ。
君の婚約者 オスカー』
それは上質なレターセットに漆黒のインクで流麗な文字が書かれていた。紛う事なきオスカー自身の筆跡。それを読み終わった途端、アトリの頭の中にまた声が響いた。
——……『皆で避暑地に』?…オスカー様は何を考えていらっしゃるのかしら?オスカー様はあたくしだけのものなのに。……愚民と一緒なんて…考えらんない!
頭の中で響くそんな声は、かつてよりずっと強く、はっきりと聞こえた。
そして確信する。
...そう、これは、あたし自身の声なんだ。
そして、アトリーチェは近くにいた侍女に声をかけた。
「ねぇアンタ、紙とペンを取りなさい。早く!」
*
『ぜひお出かけしたいわ。それも、貴方とあたくし、2人きりで。他の人が来るなら、あたくし行きません。オスカー様以外の愚民の皆さんとは馴れ合う気はないの』
オスカーは、アトリーチェから受け取った手紙をアトリを除いたいつもの4人に広げていた。そして、彼らは皆、それまでの「アトリ」からは考えられないような一文に釘付けになった。それは少し角ばった拙い文字で、アトリーチェの文字でないことは簡単にわかる。…アトリの文字はもっと丸がちな筆記体だ。侍女に代筆させたのだろうか。とオスカーは思案した。
「やっぱり…様子が変だね」
ベルは机に乗り出しながら、右手は口元に添えて考えるように言った。
「アトリーチェ様は…こんな方じゃないよな」
「僕も…そう思います」
フィデリオの言葉に、トーマスも同意する。この場にいる皆が、アトリーチェの豹変を感じ取っていた。トーマスは続ける。
「アトリーチェ様は…少し傲慢なところもあるけど、…それでも寛容で、他人を否定しきらない、…そんな人、だと思います。…こんなに冷たい人じゃない。だから、何か意味があると思います」
トーマスの意外にも的を射た分析にベルは思わず感心し、かつてのことを思い出していた。こんなにワガママなことをアトリが言うのは、あの時…僕らが入学する前以来かもしれない。
「他の人が勝手に書いたんじゃありませんこと!?」
文面だけ見れば親友に裏切られた状況のヴィエラはすでに平静を失っている。彼女はどうしてもこの文章がアトリーチェ自身の本心だとは考えられなかった。
「その可能性もあるな。」
ここで初めてオスカーが口を開いた。その真剣な声にヴィエラは動きを止める。オスカーは4人をまっすぐ見つめた。
「だから、………俺が直接アトリに会って、これまでのことを尋ねてみる。いいな?」
その凛とした光る碧い瞳には確かな覚悟が宿っている。
その瞳に映った4人は、各々のタイミングでゆっくりと頷いた。




