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第20話

「いつ帰ってきてたの?寂しかったわ!」


 そう言ってアトリーチェは父へと駆け寄る。彼女の父、ヘリオス・シルバーハートは見上げるほどの長身を折り曲げ、アトリに痩せて骨ばったその腕を回した。抱擁を解いた後、肩に大きな手を置いたままアトリに囁く。


「そういうアトリは……どこへ行っていたんだい?」


 その声は少ししゃがれた、地の底から響くような低音。


「お友達のところよ!」

「そこで…何してたんだ?」

「それはもちろん…」


「アトリーチェ様!」


 アトリの得意気な返事を遮ったのは、侍女長のジェーンだった。ヘリオスは明らかに不快そうな視線を彼女に向ける。


「………侍女か。親子水入らずの時間を、邪魔しないでもらえるか………」

「その前にアトリーチェ様、一旦お着替えをしましょう」

「でも……」


 お父さまとせっかく会えたのだから、もうちょっといたい。そう思いつつも、背後でいつもより切羽詰まった様子のジェーンの声色を聞いて、アトリは少し不安を覚えた。肩に手を置いたまま、ヘリオスはジェーンに対するものと全く異なる、甘い声色でまた囁く。


「今日は何をしたんだい…アトリ、言ってみなさい」

「…うん!…あのね、」







「…今日は、勉強をしたのよ!いっぱい!」







 その瞬間、ヘリオスの目の色が変わった。笑顔のアトリの頬に両手を添えたと思えば、目、鼻、口、耳、と順番に勢いよく捏ねるように撫で回す。その突然の出来事に、反応が追いつかなかったアトリはされるがままだった。


「…だから…だから美しくなかったのか……ああ、紅玉のようだった瞳が、白磁のような肌が、…こんなにも濁って!」


「お、お父さま…?」


 アトリはなんとか声を発したが、焦点の合わない父の目は、アトリではないどこか遠くを見ていた。


「誰だ…誰だ…………誰だ!!!アトリをこんなに醜くしたのは!!!!!!!!!!」


 そんな叫びが広いホールにこだまする。きん、と反響する音まで聞こえた。ともすれば次の瞬間には全身で叫んでいた状態から直立に立ち直り、また大岩が擦れるようなバリトンで囁く。


「そこに…ネズミがいるな。…出てこい」


 すると、ジェーンの後ろ、闇となっている柱の向こうから恐怖で息をのむ音が聞こえた。


「早く!!!!!!!」


 近くで聞いたアトリの視界が揺れるほどの声量に、思わずアトリは耳を塞いでしまう。すると2人の侍女が闇の中から現れた。どちらも恐怖に顔を歪ませている。微かに震える彼女らの腕には、先ほどアトリがジェーンに手渡した図書館の教本が抱えられていた。ヘリオスはそれを目ざとく認める。


「何だ、それは」


 コツ、コツ、コツ、と規則正しい革靴の音を立て、彼は侍女たちに近づく。そして、強引に腕の中から本を取り上げた。


「これは…私たちの手習いで…」

「そうか?…それにしては随分と学問的だな………『魔法学試験対策』……お前たち…どこで試験を受けるんだ?」

「………………」

「私に全て寄越しなさい」

「……………はい」


 か細い返事と共に、侍女たちは俯きながら本をヘリオスに受け渡す。そんな様子をアトリはただ黙って見つめていた。


「アトリ」


 本を後ろ手にまた硬い革靴の音を響かせて、ヘリオスはあかあかと燃え盛る暖炉の傍に立つ。その光を背にすると、彼の落ち窪んだ目を囲む隈にはいっそう深い影が生まれた。丁寧に撫で付けられた髪は年齢の割に黒くツヤがあり、皺ひとつないスーツは彼の脅迫的な几帳面さをよく表していた。


「こちらに…来なさい」


 拒否することもできず、アトリの足は自然と父の方へ向かう。……それは、当然のこと。



 あたしは、お父さまの命令を、聞かなくてはならない。



「アトリ。私がいない間に…誰に唆されたかは…知らんが」

「旦那様、お止め、」

「下民は黙っていろ!!!!」


 ジェーンの静止も虚しく、ヘリオスの叫びによってかき消される。そして彼は何事もなかったかのようにアトリに笑顔を向け、




「こんなものがあるから…アトリは美しくなれない…そうだろ?」




 そう言って、慈愛に満ちた表情で、


 


 手の中の本を全て、暖炉に投げ込んだ。



 



 ぱちぱちぱち、と軽やかな音と共に、焦げた香りが漂ってきた。時折ばん!と破裂音を立て、燃え盛る炎の中の黒いシルエットは、その原型を忘れてゆく。アトリーチェは、自身の白い頬を熱気が撫ぜるのを感じながら、その様子を呆然と眺めるだけ。


 

「…大丈夫。アトリはただ…自分のしたいことだけをするといい。嫌なことなんてしなくていい。…悩み、苦しみは全て醜さの根源だ。……欲しい物、嫌いな物は私に言いなさい。………全部、叶えてみせる」


「そうして、永遠に美しくいてくれ。アトリーチェ。」


 そう父が言い切った後、邸宅の伽藍に残るのは本が灰になっていく音だけだった。







 そうだわ。あたくしには、お父さまがいる。


 —だから、努力も、苦労も、勉強も、………しなくていい。










 それから長期休暇が終わるまで、アトリーチェが図書館に行くことは無かった。


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