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第19話

「…じゃあベル、この時の紛争っていうのは民族間の対立が原因ってわけなの?」

「そうそう。…そこに国家が介入して、大規模になっていったんだよね」


「フィデリオ、お前は体幹がしっかりしているから姿勢はいい。…もう一度座礼から」

「ウス!」

「違う!『はい』だ!上品に!」


「…で、ですがこれでは移動がうまく制御できなくて」

「でも見栄えが悪いわ」

「見栄え…ですか、確かに」


 勉強会はすでに四日目。初日よりも随分勉強への姿勢が強まり、各々三者三様の盛り上がりを見せていた。そんな中にまた、妙齢の女性が静かに現れる。トーマスの母だ。長いウェーブのかかった栗色の髪には、確かにトーマスの面影を感じる。


「みなさん随分頑張ってますねぇ。こちらトムのママから差し入れで〜す。…………じゃ、頑張ってね〜」


 そう言って傍らに控える盆を持った侍女たちを残し、お礼も待たずに颯爽と去っていく。…その姿を惚けたように見送るフィデリオに、オスカーは無言で軽く手刀を食らわせた。


「すごい有難いね、ここまで良くしてもらっちゃって。…一旦休憩にしようか?アトリ、トーマス君たちも」

「ええ。…疲れた…」

「ですってトーマス様。一旦止めましょう」

「あっ、はい!」


 侍女ら三人はいそいそと茶器を広げ、あっという間に机の上に焼き菓子の入ったバスケットが、全員の前には陶器のティーカップが並べられる。目の前に熱々の紅茶が注がれる様子を見て、アトリは何か引っかかるものを感じた。…………なんだか今、熱い紅茶って気分じゃないというか……


「…うーん、…麦茶が飲みたいわ……」

「ムギチャ?何それ」


 アトリの呟きにベルは耳ざとく反応する。


 え?…………ムギチャっていうのはもちろん……


 ………………………………何だっけ?


 言っておいてあたしにも分からなかった。…だけど…


 アトリはもう部屋を出ようとする侍女の1人を呼び止めた。


「ねえ。冷たい紅茶ってある?」

「え?…いえ、ございません」


 侍女は困惑したように言葉を返した。


「冷たくするくらいいいじゃない。あたし今熱い飲み物の気持ちじゃないのよね」

「ですが……」

「待てアトリ、正気か?」


 追求するアトリを止めたのはオスカーだった。困惑する侍女を帰し、アトリに向き合う。


「何を考えているんだ、冷たい紅茶なんて」

「でも熱いと飲みにくいじゃない」

「いや常識的に考えてみろ!温度が下がったら味が落ちるに決まってる」

「あたしは猫舌なの!」


 いつになく本気で反論するオスカー。ワガママスイッチが入ったアトリもムキになって引き下がらない。


「あの〜…の、飲んでみないと分からないですよね。冷たいのも」


 2人の間に割って入ったのはトーマスだった。その言葉に他の三人も頷く。オスカーも悔しそうに同意した。


「……………確かにそうだな。決めつけるは良くない、のは、わかるが……それなら、どうやってこの紅茶を冷やす?」

「…それなら!氷を作ればいいんじゃない。魔法で」

「なるほど!」


 ベルの提案に、フィデリオが元気に反応する。それを見てオスカーはため息を吐いて、身を正した。


「そうか。…それなら仕方がない。…俺がやる」


 そう言ってオスカーは空中に手をかざし、目を閉じて深呼吸した後、呪文を唱えた。


『……………集え。固まれ。冷やしたまえ。』


 そう言った瞬間、オスカーの手のひらが光に包まれ、空気がぱきぱきと音を立て始める。眩しさに目が眩んでいると、小さな氷の塊が数個皿の上に振り注いだ。その光景にその場の五人は嘆息する。トーマスとフィデリオは目を輝かせていた。オスカーは出来た氷を得意げに一つつまみ上げ、アトリのカップに落とし、自分のカップにも入れてみた。そしてそれをよく溶かす。


「どうなんです?オスカー様」


 ヴィエラの問いを無視しつつ、オスカーは無言で味わう。味にうるさい彼はしばらくそれを吟味したのち、口を開いた。


「………………………まあ、悪くない。」

 

 それを聞いたアトリは満足そうに笑顔を作る。


「えへ、あたしの言った通りじゃない!」

「貴族としてはどうかと思うがな…」


 そう言いつつもオスカーは再び紅茶を啜る。


「へぇ、紅茶にうるさいオスカーが認めるなんて。僕もやってみよう」

「わたくしも!」

「ぼ、僕も気になります」

「じゃあ俺も」


 結局全員がカップに氷を入れ、皆で冷たい紅茶を飲む。勉強で火照った頭を冷やすのにちょうど良く、停滞した思考をすっきりと晴らしてくれるようだった。


「…いいね、これ。絶対に人前では出来ないけど」


 そんなベルの言葉にオスカーとヴィエラが苦笑した。


 —ちなみに、この味を気に入ったフィデリオが冷たい紅茶を騎士団に流行させるのはまた別の話。



 *



「よし、じゃあレッスンを再開するぞ。トーマス、君も茶会の作法を心得た方がいい」

「うぇ、は、はい!是非教えていただきたいです!」

「オスカー様は厳しいぞ…」

「ふぅん。じゃあわたくしはアトリーチェ様と一緒に勉強しますわ!ね、アトリーチェ様?」

「ええ!」

「ヴィエラさんが教えてくれるなら頼もしいな」




 そうこうしている内に、この日も終わりに近づいてきた。窓から油彩画のような夕日が差し込み、少年少女の影を色濃く形作る。彼らがこんな景色を見るのももう四度目だった。


「オスカー様方、お迎えの馬車がいらっしゃいました」


 そう彼らに伝えたのは真面目そうな風貌の図書館常駐の召使い。


「うーん………もう帰る時間?」

「そうだね、ここで終わりにしよっか」

「待って、まだここが終わってなくて…」


 アトリはベルの言葉にもかかわらず、未だに机にしがみついている。夕日に照らされる真紅の瞳が、必死に文献の文字を映していく。そんな様子をオスカーは目を細めて見ていた。


「それってもしかして…『イポメア戦争』前後の分野でしょうか?それなら………えーと、これがわかりやすいですよ!」


 悩むアトリの前に広げられたページを覗き込むと、トーマスはすぐさま背後の本棚から歴史書を取り出し、差し出した。


「あら、ありがとう。…でも今じゃ読みきれないわよ」

「あ、違いますよ、貸すんです。ここは図書館ですから」


 そう言ったトーマスの言葉が、まるで盲点であったかのようにアトリは目を見開き、そしてその目を輝かせた。


「………確かにそうじゃない!…じゃあ、そこの本棚の本、もう少し借りていってもいいかしら?」

「は、はい」

「へぇ…これも、…これも面白そうだわ!…あら、それってヴィエラのおすすめなの?気になるわね」


 アトリの気迫に押されたトーマスは一瞬戸惑ったものの、自分と同じ、純粋に知を求めるアトリのその瞳を見て、ずれたメガネを整えながら微笑みを溢した。


「トーマス!これ、借りるわね!」


 少しすれば、アトリは何冊もの重厚な学習教本を細い腕いっぱいに抱え、机の上にどすん!と音を立てて置いた。


「どうぞ、僕も、それだけアトリーチェ様が喜んでいただけて、う、嬉しいです」


「アトリーチェ様ー?」


 ドアの向こうから侍女長のジェーンがアトリを呼ぶ声が聞こえてきた。…そろそろ帰らなきゃ。


「本は俺が持とう」

「あら、ありがとう」

「僕も…と思ったけど、いいか」


 そうしてアトリは残る三人に手を振りながら、オスカーとベルと三人で夕日に染まった部屋を後にする。


「それじゃあ皆さま、また明日!」

 


  *



 そして場所はシルバーハート家、本邸の正門前。すでに日は落ち、やや肌寒い風がそよいでいる。


「アトリーチェ様!これ、一体どうしたのですか!?」


 馬車から降りるなりアトリーチェが差し出した大量の本を見て、ジェーンは驚きながらも小声で叫んだ。

 

「勉強の本よ。トーマスから借りたの。」


 そう純粋な瞳で言う少女を見て、額に手を当てるのも数秒。すぐに切り替えて口を開いた。


「とにかくお嬢様には重いでしょう。私が持ちますから、先に行っててください」

「ふうん?分かったわ」


 …?なんでジェーンはあんなに焦ってるんだろう?あたしが勉強するのがそんなに驚き?…まあいいわ。


 アトリは警備兵によって開かれた大きな扉を先にくぐる。その先にあるのはいつもの薄暗いホール…ではなく、今日は暖炉の火が強く、なんだか人の気配がした。


「おかえり、アトリ」


 そんな重厚なバリトンボイスと共に暖炉の作る影から現れ、彼女を出迎えたのは、


「お父さま」


 アトリーチェの父親であり唯一の肉親、ヘリオス・シルバーハートだった。

 

ありえない誤字があったため修正しました。他にもありましたらご指摘お願いします。

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