タナカ、戦いに挑む
ジゼルと自称勇者が村に戻ったのは、あの生贄の儀式が行われる前日であった。村長のオリバーは半ば諦め、村人の強硬な姿勢に2人の娘を生贄に差し出す準備をしていた。その表情は、まるで死人のようであったが現れたジゼルを見て元気を取り戻した。
だが、ジゼルが連れてきた自称勇者の『ハヤタ・ロー』の耄碌ぶりを見て、やはり落胆は隠せない。期待していたのは筋肉隆々のベテラン戦士とか、あらゆる高騰魔法を使いこなす知的なウィザードだったろうから、この勇者はあまりにも期待から遠かった。
「ジゼル様、本当にこの方が怪物が嫌うハヤタロウなのでしょうか?」
「……分からない……ただ、ミランダで神の啓示を受けたとあの老人が言い出し、その名前がハヤタ・ローという。この偶然は全く関係ないとは思わない」
「しかし……」
オリバーはハヤタ・ローの様子を伺う。もごもごと口を動かしているのは入れ歯のせい。体も年相応に貧弱でとても戦闘には耐えられない。そして装備までが貧弱。古ぼけたショートソードのみ。とてもあの恐ろしい怪物3体を倒せるとは思えない。
ただ、このハヤタ・ロー。怪物退治をすることには、全く恐れを感じていない。熟練冒険者でさえ、恐怖心を隠し切れなかったのにも関わらずだ。
(いや、ただ単にそれすら理解できないボケ老人なのかもしれないが……)
とにかく、オリバーはジゼルと作戦を練った。今回は村人たちの目もある。娘たちを差し出さないわけにはいかないため、棺桶に入れて運び、村人たちが撤収した後、ジゼルが娘たちを救出。代わりにハヤタ・ローが棺桶に入り、怪物たちと対峙する。
これなら仮に自称勇者が偽物でも、娘たちの命は助かる。その場合、オリバーは村から逃亡することを考えていた。
やがて、生贄の儀式が始まる。娘たちを入れた棺桶が運ばれ、やがて岩山の祭壇へと設置される。そして村人たちは足早に帰っていく。あらかじめ、岩陰に隠れていたジゼルは娘たちを棺桶から救出した。代わりにハヤタ・ローが入る。
ジゼルと娘たちは岩陰に隠れた。より安全な場所へ移動したかったが、時間的な余裕はない。
「あら、ワンちゃん」
「かわいい」
岩陰で隠れていた娘たちは、長い間野外で過ごしていたせいか、白い毛が汚れて灰色に変わった子犬を見つけた。いつの間にか岩陰の隅にうずくまっていたのだ。
「こ、こいつは……」
ジゼルには記憶があった。ミランダの神殿で飼われていたフェンリルの子供と言われていた子犬だ。あれから半月経っている。全く成長していないところをみると、やはり魔獣フェンリルの幼体なのだろう。ミランダからここまで自力で追ってきたのだろうか。
(だとしたら……)
この子犬。タナカである。ジゼルにアピールしたが気づいてもらえず、やむを得ず、町々を結ぶ定期馬車に便乗したり、輸送用の貨物馬車に潜んだりして、ここまでやってきた。時には夜間も走り、ジゼルの後を追ったのだ。
そして先回りしてこの岩陰に隠れ、疲れで寝てしまったところを生贄にされる娘たちに発見されたというわけだ。
(ふい~。苦労したぜ、全く)
(そもそも、俺がこの件に関する勇者。その俺を無視するなんて許されないぞ)
(これというのも、全部、あの神のせいだ。俺を犬にしやがって)
そうタナカは神様に毒づいた。犬ではなくて人間にしてくれれば、こんな苦労はしなかった。だが、タナカはその苦労も報われたと思っている。村長の娘たちは汚れた自分を慈しみ、体を撫でてくれるし、上の娘は昔の幼馴染に生き写しのように似ている。
タナカはやる気に満ちている。この娘を助けることが自分の心の中に引っかかっていた何かを取り除いてくれるような気がする。
無論、これから現れる怪物とやらとの戦いに恐怖がないわけではない。今のタナカは子犬である。どうやって倒そうかと考えると策はない。
神様が命じた以上、戦いになればきっと何かが起きて、自分に付与されたすさまじい力で怪物を瞬殺するに違いないと思うことにした。
(ここの怪物どもは、ハヤタロウには知られるなとか歌っていたという。まさに、俺を恐れているということ……。たぶん、奴らと出会った俺は覚醒して巨大なフェンリルになり、奴らを瞬殺にするとかだろう)
そうタナカはお気楽に考えていた。やがて、生暖かい風が吹き始め、空には黒い雲がわいて月明かりを消した。
「ククク……1ネンマチツヅケタ……」
「ニンゲンノムスメノニクダ……」
「コヨイハ、モテアソビ、ソシテクラオウゾ……」
3匹の巨大な黒い影が現れ、そして恐ろし気なことを話す。そして、あのハヤタロウの歌を歌い始めた。
「ホレ、トッテツケン、トッテツケン、トペポ、パペポ、ハレウルナ……ニエノニクヲクラウトキ。ミランダノ、ハヤタロウニハシラレルナ……」
奇妙な歌は7回繰り返され、岩の祭壇の周りを黒い影は7度回った。そして怪物が黒い毛むくじゃらの腕を伸ばし、棺桶のふたを開けた。
「来い、怪物ども。このわしが退治してくれる……娘の仇じゃ!」
耄碌してあうあうと訳の分からないことしか話せなかった老戦士がショートソードを振り上げてその怪物の目を突き刺した。
「グガガガガッ~」
目を刺された怪物はのけぞる。
「マタモヤ、ウラギッタナ、ニンゲンドモメ」
丸太のような腕を振り上げ、老戦士の胴を薙ぎ払った。老戦士は空中に舞い上がり、そして岩壁に激突した。あばら骨が折れたのだろう。口から血を吐いた。
(ああ……あの人は怪物の恐れる勇者ではなかった……)
岩陰で見ていたジゼルは老人の命がここまでだと思った。今のところ、怪物は老人を恐れるでもなく、ただのゴミクス扱いで排除した。最後の老人の言葉は、過去にここの村に住んでいたことを連想させたが、この状況では関係ないだろう。
「ユルセン……イマカラ、ムラヲオソイ、コザカシイニンゲンドモヲクラオウゾ」
そう地響きする恐ろしい言葉を叫ぶ。だが、目を刺された一匹がクンクンと鼻を鳴らした。
「イヤ……ニオイガスル……オイシソウナショジョノニオイダ」
「アア……タシカニ……クンクン……3ニンイルゾ」
3匹は近づく。ジゼルたちが隠れている岩陰へ。ジゼルは飛び出した。待っていては殺されるだけだ。弓に矢をつがえて放つ。一直線に飛んだ矢は怪物の目に刺さる。のけぞる怪物。だが、この祭壇を中心としたエリアは、怪物たちに有利な結界がある。ここでは魔力が増大し、回復魔法も使い放題となるのだ。
フルリカバリーですぐに全回復する。
「くっ……このままでは……全員殺される……」
絶望に落ちるジゼル。2人の娘たちも発見されてしまった。怪物が手を伸ばし、娘たちを掴もうとした時、犬が飛び出した。
タナカである。正直、タナカもビビっていた。自分が想像していたよりも、怪物はでかく、そして恐ろしかった。それなのに自分には覚醒の兆候もない。それで出遅れたがジゼルのピンチ。娘たちの絶体絶命の状況に体が押された。
「ナンダ……コノイヌッコロハ」
自分たちも猿なのにタナカを侮辱する。だが、吠えるタナカに怪物ったいは違和感を覚えたようだ。それはタナカが結界に入った途端に結界が消し飛んだのだ。
「うううう……わんわん!」
タナカは吠える。力いっぱい吠える。というか、それしかできない。昔、自分を襲っていた犬をやっつけたようなするどい牙も爪も出てこない。
(あれ、あの時、俺はどうやってやっつけたんだろう)
ガツン……。
鈍い音がしてタナカは宙に自分がいるのに気が付いた。そしてあの老勇者と同じ岩壁にぶつかり、そのままぐったりと動けなくなった。お腹はざっくりと割れて血がどくどくと流れ、完全なる致命傷だ。
(あれ……どういうことだ……俺はこのまま死ぬ?)
(うそだろ……神様。俺はフェンリルの子供で、この場で覚醒してこの怪物どもを瞬殺するんだろ……)
タナカはこのまま死ぬのだと思った。ただ痛みは全くない。これは不思議な感覚である。以前もこんな経験をしたことがあった。
(そうだ……あの小屋で目を覚ました時……なんだか体が動かくなくて……そしたら変な中年の男になっていて……巨大な犬の怪物が現れて……あれ?)




