勇者30億円当てる
長谷川隆は勇者である。長谷川が勇者になったのは、多分に運が強く影響したと言わざるを得ない。
なぜなら、長谷川は日本で発売された宝くじロト10によって、30億円を見事に当てた強運の持ち主だったからだ。
30億円。銀行でそれを見た時、長谷川は膨大な札束に狂気することもなく、淡々とそれを見つめていた。あまりにも大きな金額で驚きを越えてしまったのだ。
長谷川は年齢は30歳。自動車メーカーに勤める普通のサラリーマン。趣味はゴルフを少々。残念ながら妻はいない。他の独身仲間と遊ぶことが楽しくて、家庭を持とうと言う気持ちはあまりない。
大手企業の社員だから、贅沢な生活をしなければかなり裕福な暮らしが保証されている。だから、莫大な札束を見ても長谷川は冷静であった。
よく3億円的中させても、その後の散財で不幸になってしまう話も聞く。だが、長谷川には自制心がある。そういう不幸話には無縁であった。また、大金を得たとなると金の亡者となって群がってくる輩もいる。むしろ、そういう連中から身を守ることが重要だと考えた。
まずやったことは引っ越し。庶民が暮らす普通レベルの賃貸マンションでは、セキュリティに問題がある。よって、セレブが住む高層マンションへ引っ越すことにする。
町を一望できるタワーマンションの最上階ペントハウス。家賃は月に100万円程度だ。無論、キャッシュで買うという手もあったが、この国では固定資産にかかる税金が半端ない。また、この国は土地の値上がりもさほど期待できない。借りた方がよいというのが長谷川の持論であった。
次に行ったのは資産運用。30億円と言っても年に1億円も使えば30年で使いきってしまう。運用すればそれが伸びる。これは信託銀行と相談して手堅く運用する。冒険をする必要はない。年3%の運用でも10億あれば3000万円の利益が出る。
年に3000万円使う生活はかなり贅沢である。馬鹿な散財や高価なものを爆買いしなければ十分すぎるほどである。
「それでも一応、車は贅沢なものを買ってみるか」
長谷川は自社メーカーの大衆車に乗っていたが、あこがれのF社やP社といった、高級輸入スポーツカーメーカーの車を買おうと思った。いつかネット動画で高級輸入車を自腹で買う企画があって、多くの視聴者を集めたがそれを体験してみようと思ったのだ。
予算は1億もあれば十分であろう。さっそく、スーツケースに1億円詰め込んで自分の国産車に乗せて、F社のディーラーへと向かった。
駐車場に車を停める。当然ながら出迎えは誰も出てこない。長谷川の後にF社製のオープンスポーツカーに乗ってきた客には、すぐに店からスタッフが出てきて、車の誘導と出迎えをする。長谷川は無視されたままだ。
だが、長谷川は別に不愉快に思わない。今は客ではないのだ。冷やかし客程度と見られても仕方がない。
店の中に入る。スタッフは先ほどの顧客に対応に忙しくて、長谷川のことを気にも留めない。仕方がないので、ショールームに展示してある車の周りを回る。赤い色のスポーツカーは3000万円ほど。オプションを付けても5000万円もしない。
白いコンパーチブルのものは4500万円。こちらは世界限定500台の中の1台らしい。長谷川はじっくりと見る。
やがて顧客をVIPルームに案内した女性スタッフが声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。今日はどんな御用でしょうか?」
「ああ……ええっと……車を買おうと思ってね」
長谷川は努めて冷静にそう答えた。自分が乗ってきた国産車は新車でも300万円もしない。そのオーナーが3000万円以上する車を買えるとはとても思えないのであろう。女性スタッフは少しだけ顔を強張らせた。
「はい……それではどうぞ、ゆっくりご覧ください」
「うん。これいいね。この白い奴、気に入ったよ」
長谷川は世界限定500台の白いスポーツカーを指さした。実は一目見てこれにしようと思ったのだ。一目惚れとはこのことだ。
「これは世界で限定500台です。当ディーラーでやっと1台確保できたものです。お値段は乗り出しておそらく5000万円を超えます」
「ふうん」
長谷川は軽くそう答えた。女性スタッフはその態度に少し軽蔑のまなざしを向けた。それは長谷川も仕方がないと思った。何しろ、自分の格好は大手ファストファッションブランドのチノパンとTシャツ。スポーツメーカーの1万円程度のスニーカー。左手首の時計は国産メーカーのソーラー時計だ。性能は良いが高価なものではない。
先ほど店に入ってVIPルームに通された顧客は全身で恐らく百万単位の費用がかけられた格好を普通に着こなしていた。庶民とは生きる世界が違うだろう。
だが、今の長谷川は億万長者だ。現に現金を1億ほど持参している。札束の入ったスーツケースは車のトランクであるが。
「これ見積もりしてもらえます」
「はあ……」
女性スタッフは少し困ったような顔をしたが、長谷川をショールーム内に設けられたテーブルに座るように勧めた。立ち話からやっと腰を落ち着けることになったが、商談となると少し奥まったところの商談ルームに通されるから、これはまだ前哨戦に過ぎない。
「お待たせしました、営業担当の新藤と申します」
やがてイタリア製と思われるスーツをびしっと着こなした営業担当のスタッフが現れた。まだ駆け出しと言った感じの青年だ。長谷川は顔写真入りの名刺を受け取るとテーブルに置いた。先ほどの女性スタッフがドリンクのメニュー表をもってやってきた。長谷川はアールグレイの紅茶を注文する。
「あの白いコンパーチブルのお車が気に入ったとのことですが、あちらのお車、今、検討されている方がおりまして」
「ふうん……先ほど店内に入ったお客さん?」
「それは誰とは申し上げられませんが、お客様が買うとなるとキャンセル待ちとなります」
「あ、そう。見積もっていただけますか?」
「はい、かしこまりました。少々、お待ちください」
そういうと新藤と名乗ったセールスマンは奥に戻った。パソコンの端末を動かし、基本プランを打ち出す。紅茶を飲み干すころには紙を一枚もって長谷川のところへやって来た。
「お客様、基本的な装備品を付けまして、消費税込みの5258万4000円というところです」
長谷川は新藤の持ってきた紙を一瞥する。そして新藤の顔を見た。(どうせ買えないでしょう。あなた冷やかしでしょう……)そんな表情が見て取れる。
「思ったよりも安いね」
「へ?」
長谷川の言葉に新藤は変な声を上げてしまった。慌てて口を手で押さえた。長谷川は先ほどはもらったオプション用のカタログを開いて指さした。
「このカタログにあるエアロをすべて付けてくれ。タイヤもオプションで」
「え……そうなると6千万近くしますが……頭金はいかほどご用意できますか?」
「現金で買うよ」
「へ?」
「現金で、今すぐ払うよ」
「げ、現金ですか……御冗談でしょう」
長谷川はゆっくりと車のキーを取り出す。
「君、僕の車のトランクにスーツケースある。それを取ってきて。あ、女の子1人じゃ重くて持てないよ、2人で行くことをお勧めするよ」
長谷川はそう指示する。やがて、運び込まれたスーツケースを開く。中には札束がぎっしり。それを見て新藤は目をまん丸くした。
「1億ある。これで即金。今すぐ購入のサインをするよ」
新藤はすばやく立ち上がる。
「長谷川様、こちらへどうぞ。商談ルームにご案内いたします。君、すぐにご案内しなさい」
長谷川はディーラーの顧客が通される奥の部屋へと案内される。そこは窓の外に日本底辺風の坪庭が見える趣のある部屋であった。
「長谷川様、店長の井川でございます」
新藤が店長を連れてきた。名刺にはジェネラルマネジャーを記されている。
「あのお車をご購入していただけるということで」
「ええ。すぐにサインします。支払いも今ここでします」
「あ、ありがとうございます……」
店長と新藤が頭を下げる。ここで長谷川は少し心配になった。先ほど、あの車を買うと言っていた顧客のことをだ。
「先客がいると聞きましたが、大丈夫ですか?」
「あ、ええ。大丈夫です。少し下取りのお車の値段で折り合いがつきませんので、ご購入までにはいたらないと思いますので」
「あ、そう……」
どうやら店側は長谷川に買ってもらう方が利益が大きいと判断したようだ。先ほどの顧客にはうまく話して車を回してくれるいう。
(金の力は偉大だ……)
長谷川はそう思わざる得ない。サインして購入手続きを終えると、店のスタッフ全員の見送りを受けて長谷川は店を後にする。
気分はすこぶるいい。この世の中、莫大な金さえあれば思うように生きられる。ただ、長谷川も馬鹿ではない。莫大な金をどう使うか。頭をフル稼働し、精神も自制しないといけないと強く思っている。
「あ!」
長谷川は横から強烈なヘッドライトに照らされて凍り付いた。大きなダンプカーが自分の運転席側にまともに突っ込んでくるのが目に焼き付いたのだ。




