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冷遇王女の政略結婚――たった一人の味方だった文通相手が、旦那様になりました  作者: 星舟能空


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第30話 赤い薔薇の帰る日

 赤い薔薇の株が戻ってきたのは、朝の空気に秋の冷たさが混じり始めた頃だった。

 荷車に積まれた株は、花のない枝ばかりだった。

 オデットは、その前で少し驚いた。

「赤く、ありませんね」

 エーミルが笑った。

「今は、こういう時期です」

「そうでした」

 横でテオバルトが、笑いをこらえている。

 オデットは夫を見た。

「あなたの悪口の原因になった方々なので、もう少し華やかにお帰りになるのかと」

「それは、期待が大きすぎます」

「ずいぶん、お待ちしましたし」

 夫は荷車の枝を見た。

「よく戻りました。君たちの評判のために、私はかなり弁明したのだから」

 薔薇へ真面目に話しかけるので、オデットは声を出して笑った。

 エーミルも笑い、荷車の縄を解いた。

 病気は落ち着いたという。

 それでも、以前と同じ場所へ全て戻すのは避け、間隔を空けて植える。

 オデットとテオバルトは、前の日にその場所を選んでいた。

 白い薔薇は、残すことにした。

 最初、オデットは赤い株を元に戻せばよいと思っていた。

 けれど、窓から見える白い花にも、ここへ来てからの思い出がある。

 夫が初めて笑った広間の外。

 二人で歩いた夕方。

 帰国から戻った日に、風で揺れていた花。

 赤が戻るから、白がいらなくなるわけではなかった。

「混じっていて、よいです」

 彼女が言うと、テオバルトは嬉しそうに頷いた。

「私も、そう思います」

 古い庭を、そのまま取り戻すのではない。

 今いる人が、今好きな形にする。

 それなら、二人で選べた。


 作業は午前いっぱいかかった。

 重い株は庭師が運び、オデットは支柱を渡した。

 テオバルトは土を戻しながら、時々、植えた角度へ文句を言った。

「もう少し、窓のほうへ」

「殿下。花は、顔を向けたまま咲く人形ではございません」

 エーミルに言われ、夫が黙る。

 オデットは笑った。

「ご自分が、窓からご覧になりたいだけですね」

「それはいけませんか」

「いけませんとは、申し上げておりません」

 彼女は夫の横へ屈み、同じ角度から庭を見た。

 窓辺の鉢も、こちらを向いている。

 同じ部屋の窓だった。

「この場所なら、見えますね」

「はい」

「では、ここで」

 エーミルが、ようやく決まったという顔で土を寄せた。

 夫婦で何かを選ぶのは、時々、ひどく時間がかかる。

 その時間を取っても誰も怒らないことが、オデットにはまだ嬉しかった。


 昼食は、庭の端で取った。

 パンと温かい煮込み、切った果物。

 立派な皿ではなく、運びやすい器だった。

 テオバルトの手には、今も小さな土の跡がある。

 オデットはそれを指した。

「残っています」

「どこです」

「親指の、そちら」

 夫が拭う。

 最初の温室では、彼が彼女の頬を拭いた。

 今はお互いに指を見て、土を教え合う。

 何でもないことなのに、一緒に暮らした日数がそこにあった。

 テオバルトが、パンを割りながら言った。

「冬になる前に、どこかへ行きませんか」

 オデットは顔を上げた。

「お仕事で?」

「いいえ。二人で」

「叔母上のところへ?」

「それも、よいですね」

 夫は少し迷って、続けた。

「私は、海を見たいと思っています」

 オデットは驚いた。

「海がお好きなのですか」

「子供の頃、父と一度行きました。風で何もかも砂だらけになって、食事も、あまりおいしくなかった」

「それで、お好きに?」

「広かったので」

 単純な答えだった。

 オデットは、夫の顔を見た。

 彼女が昔書いた願いではない。

 何かを失った彼女のためでもない。

 テオバルトが見たい景色へ、一緒に行きたいと誘われている。

「行きたいです」

 返事をすると、夫が笑った。

「よかった」

「でも、食事は、おいしい所を探してください」

「そこは、改善しましょう」

 オデットも笑った。

 その旅がいつになるか、細かくは決めなかった。

 決める時間が、これからある。

 それを当然のことのように話せるのが、幸福だった。


 午後、ブランシュの婚礼の招待状へ返事をした。

 姉からの手紙には、父の取り計らいとは別に、二人で来てくれたら嬉しいとあった。

 今回は、何日いるかを先に尋ねられた。

 オデットは二泊と書いた。

 夫も同じ日程にした。

 衣装の手伝いを頼む一文は、なかった。

 代わりに、婚約者の詩を一枚同封するから笑わないように、とあった。

 オデットは読んで、少し笑った。

 花を月へたとえ、月を姉の目へたとえた、たいへん熱心な詩だった。

 上手かどうかは、よくわからない。

 でも、書いた人が姉を見ていたことはわかった。

 その感想を、返事に添えた。

 姉がどう思うかは、姉が決めればよい。

 オデットは手紙を封じ、夫のほうを見た。

 テオバルトも何か書いていた。

 いつもの書類ではない。

 紙が薄青かった。

「お手紙ですか」

 尋ねると、夫が筆を止めた。

「はい」

「どなたへ」

「あなたへ」

 思いがけない返事だった。

 同じ部屋にいる。

 言いたいことがあれば、顔を上げればよい。

 それでも、自分へ書いてくれている。

 オデットは少し近づこうとして、止まった。

「今、読んでも?」

 テオバルトは困ったように笑った。

「まだ、書きかけです」

「では、待ちます」

「ありがとうございます」

 机から離れると、彼がまた筆を動かす音がした。

 オデットは窓辺へ座り、植えたばかりの薔薇を見た。

 返事を待つ気持ちを、久しぶりに思い出した。

 会えないから待つのではない。

 隣にいる人が、自分のために言葉を選んでいる。

 その時間を、待っていた。


 夜になっても、手紙は渡されなかった。

 オデットは寝台で本を読みながら、夫の机を一度だけ見た。

 紙は裏返されている。

 テオバルトが寝室へ入ると、彼女は本へ視線を戻した。

「気になりますか」

 夫が尋ねる。

「はい」

「正直ですね」

「今のわたくしに聞いてくださったので」

 彼が笑った。

 オデットは本を閉じた。

「よいお返事を、用意しなくてはならないでしょうか」

「いいえ」

 今度の返事は早かった。

「読んでいただければ」

「では、お待ちします」

 テオバルトは彼女の隣へ入り、灯りを落とした。

 手紙が気になる。

 でも、今夜も隣に夫がいる。

 昔なら、便りが届くまで、相手は遠いままだった。

 今は待ちながら、その人の肩へ頬を寄せられる。

 オデットは、少し得をしたような気持ちで目を閉じた。



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