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冷遇王女の政略結婚――たった一人の味方だった文通相手が、旦那様になりました  作者: 星舟能空


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第22話 おばあ様は恋敵に厳しい

 園芸誌の祝いへ出す花を決めるため、オデットは古い手紙を読み返し始めた。

 きっかけは、エルザの提案だった。

 昔の記事に出た種を持ち寄り、育った花を見せ合おうという。

 難しい催しではない。

 鉢と茶と椅子があれば、十分だ。

 テオバルトも賛成した。

 彼が受け取った便りの箱も持ってきてもらい、二つを卓へ並べた。

 オデットが、昔、自分の書いた手紙を取り出すと、夫は少し妙な顔をした。

「何を、お探しに」

「最初に送った種の名前です。わたくし、袋をなくしてしまって」

「黄色い花では」

「それは二度目です」

 オデットは日付を確かめ、封筒を並べた。

 手紙を取り出すたび、昔の自分の声がする。

 暑い。寒い。女官長の機嫌が悪い。

 鉢を隠した場所に蜘蛛がいて、負けた。

 テオバルトが隣で笑いをこらえた。

「蜘蛛には、ずっと勝てませんでしたね」

「今も、勝てません」

「呼んでください」

「はい。ですが、その前に、こちらの花の名を」

 めくった紙の途中で、オデットの手が止まった。

 花の話ではなかった。


 おばあ様、わたくし、恋をしたのかもしれません。


 そんな一文があった。

 彼女は目を瞬かせた。

 覚えている。

 二十歳の頃、王宮へ本を届けに来た若い男がいた。

 欲しかった園芸書を見つけられずにいると、書棚の奥から取り出し、内容を丁寧に教えてくれたのだ。

 彼は王女の身分を知る前に笑いかけた。

 その笑顔が、少し嬉しかった。

 それで、手紙を書いた。

 返事を読み返したのは覚えているが、自分がどんな言葉を並べたかは、すっかり忘れていた。

「これは……」

 オデットは隣の夫を見た。

 テオバルトは、不自然なくらい真面目な顔をしている。

「懐かしいですね」

「覚えていらっしゃるのですか」

「はい」

「花の名前より?」

「ええ」

 ずいぶんはっきりした返事だった。

 オデットは紙へ目を戻した。

 若い本屋の名はアラン。首都の書店から目録を運んできた人だった。

 指に墨がついていた。笑うと片頬に小さな窪みができた。

 自分は、そんなことまで書いていた。

 顔が熱くなる。

「これは、しまっておきます」

 オデットが紙を畳むと、テオバルトは少し身を乗り出した。

「捨てては、いませんよね」

「まだ、ここにあります」

「よかった」

 安心するのが早すぎて、オデットは夫を見た。

「ほかの方を褒めた手紙なのに、そんなに大切ですか」

「その下を」

 言われて開き直すと、端に小さな字があった。

 おばあ様にも、この本をお見せしたいです。

「あなたが、私にも見せたいと思ってくれた本でしたから」

 テオバルトは言った。

「本屋の頬のことは、もう少し短くてもよかったのですが」

 オデットは笑いそうになった。

 手紙を取られるのを心配していたのは、彼のほうだった。

「おばあ様は、そんなことをおっしゃいませんでした」

「そこは、我慢しました」

 オデットは紙を持つ手を止めた。

「我慢?」

 テオバルトは、言ってしまったという顔をした。

 彼女はすぐに、自分の箱から同じ月の返事を探した。

 薄青い封筒を開く。

 花の育て方が半分。

 残りの半分には、いつもより細かな質問が並んでいた。


 その方とは、何度お会いになりましたか。

 ほかの方にも、同じように親切な方でしょうか。

 どのようなお話をなさって、また会いたいと思われたのでしょう。

 急いで恋と名づけなくても、よいのではありませんか。

 けれど、また会いたいと思われたなら、今度は何をお話ししたいですか。

 楽しい一日になりますように。よろしければ、その続きを私にも聞かせてください。


 オデットは読み終え、夫を見た。

 テオバルトは視線を外した。

「……おばあ様」

「はい」

「厳しいですね」

「冷静な助言を、心がけました」

 彼女はもう一度、返事を見た。

 急いで恋と名づけなくても。

 当時は、経験豊かな老婦人の言葉だと思った。

 自分が浮かれすぎないように、気をつけてくれているのだと。

「嫉妬、なさったのですか」

 テオバルトは、今度はすぐ答えなかった。

 オデットは彼の顔を見続けた。

 夫はようやく、諦めたように頷いた。

「はい」

 胸が、変なふうに跳ねた。

 嬉しい。

 でも、笑いたい。

 少しだけ、文句も言いたい。

「おばあ様なのに」

「そこが、たいへん困りました」

 とうとう笑ってしまった。

 オデットが肩を揺らすと、テオバルトは額へ指を当てた。

「それほど、笑わなくても」

「だって、わたくし、たいへん立派なお返事だと」

「立派でありたいとは、思っていました」

「でも、恋と名づけないでほしかった」

「……はい」

「それなのに、会いに行く話も聞いてくださった」

 オデットは最後の二行へ指を添えた。

 そこを読んだとき、誰かに会いたいと思った自分を、恥じなくてよい気がしたのだった。

「あなたが、初めて楽しみにしている方のお話を書いてくれたので」

 テオバルトは紙を見た。

「自分の機嫌で、書かなければよかったと思わせたくなかった」

「会いたかったのは、あなたもだったのでしょう」

「ですから、たいへん難しい返事でした」

 少し情けない声だった。

 オデットは、もう一度手紙へ目を落とした。

 あの頃、自分は、これほど大切にされていると知らなかった。

 オデットは笑いながら、夫の腕へ寄りかかった。

 あの返事にも、書かれなかった時間がある。

 若い男の片頬を褒める手紙を前に、夫が遠い国で困っていた。

 それが、自分の知らなかった、あの頃の夫だった。


 笑いが落ち着くと、オデットは次の手紙を読んだ。

 そこには、アランは全ての客へ丁寧な人だった、とあった。

 自分だけ特別なのではなかった。

 もう一度会ったときには、あまり話すこともなかった。

 好きな本の話をしたのに、彼の答えを聞きながら、早くおばあ様にこの話を書きたいと思っていた。

 そう、書いていた。

 オデットは、そこで黙った。

 テオバルトがこちらを見る。

「どうしました」

「わたくし」

 古い筆跡を、指でなぞった。

「あの方と話しているときにも、あなたへの手紙を考えていたのですね」

 夫は返事をしなかった。

 彼女は続きを読んだ。


 楽しかったことを、いちばんにお伝えしたくなります。

 でも、楽しくなかったことも、先にお話ししたいです。

 おばあ様のお返事を読んでから、ようやく自分がどう思ったかわかることがあります。


 昔の自分は、ずいぶん無防備だった。

 夫へこんなことを送っていたとは知らずに。

「これは、頼りすぎですね」

 小さく言うと、テオバルトが首を振った。

「嬉しかった」

「でも、ご自分のことを考える暇もなく、わたくしの相談ばかり」

「あなたのお手紙を読むのは、私のしたいことでした」

 オデットは彼を見る。

「あなたの恋の話だけは、少し難しかったですが」

 また笑ってしまった。

 けれど今度の笑いには、別の温かさが混じった。

 自分は昔、誰にも選ばれていないと思っていた。

 遠くでは、一通の便りを待ち、ほかの男の名前に困る人がいた。

 その人は顔も身分も知らない自分を、もう好きでいたのだ。

「いつから、だったのですか」

 オデットは尋ねた。

 テオバルトは、少し考えた。

「明確にわかったのは、この手紙を読んだ時です」

「恋敵のおかげで?」

「そうなりますね」

「お礼を申し上げなくては」

「それは、控えていただけると」

 夫の返事が早かった。

 オデットは、笑いながら彼の頬へ手を当てた。

「今も、苦手なのですね」

「会ったこともありません」

「では、会ったら」

「できれば、会わずに済ませたい」

 大公としては、たいへん正直すぎる言葉だった。

 オデットはその顔を見て、嬉しくなった。

 いつも自分より立派で、余裕がある人ではない。

 知らない本屋に嫉妬し、おばあ様の筆跡で質問を並べる男だった。

 その不格好なところまで、好きだと思った。


 花の名を調べる作業は、まるで進まなかった。

 代わりに、二人で古い手紙を順に読んだ。

 彼女が夜会に出ると書いた月、返事がいつもより短かった。その後すぐ、もう一通届いている。

 熱を出したと書いた月、植物の話より身体を温める方法が長かった。

 母の夢を見たと書いた月、彼は、叔母が亡き友人を偲んだ話を送っていた。

 全部が、自分へ向けた工夫だった。

 全部が、完璧ではなかった。

「この月は、続けて二通くださいましたね」

 オデットは短い返事と、後から届いた紙を並べた。

「一通目を出した後、書き足したくなりました」

「お忙しかったのだと思っていました」

「誰と踊るのか尋ねる文章を、何度も直していたら、便の出る時刻になってしまって」

 後の便りには、足が痛くならなかったかとあった。

 オデットは、書き直したという夫の手を見た。

「本当は、誰と踊るか、気になった?」

「はい」

 彼女は紙を丁寧に畳んだ。

「では、今度からは、そう書いてください」

「あなたが、ほかの人と踊るのが嫌だと?」

「はい」

「困らせますよ」

 オデットは夫の膝へ手を置いた。

「困ってから、わたくしが返事をします」

 テオバルトは、彼女を見つめた。

 それから、少しだけ笑った。

「なかなか、手強くなられた」

「おばあ様のおかげです」

 彼女が言うと、夫は反論できなかった。

 小さな勝利の褒美に、オデットは自分から口づけた。


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